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2008年04月08日

カタクチの恩恵

カタクチといえば,カタクチイワシ,なんであるが,
でもその前に,この時期メバル話をせずには済まないワタクシにて恐縮。少しだけ。
サカナ料理がお目当ての方は冒頭読み飛ばしていただいても結構です。

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 季節外れの西高東低で北東ないし北西の強風。それが“刺激”となって出ました,産卵後の回復途上の茶メの♀。27㎝と28.5㎝をひとつずつの30分勝負。
3月中旬あたりでアミ食いを卒業して小カタクチに餌付いて浮き,表層よりちょい下で釣れ続いていた茶メの♂23㎝前後は,しばらくすると体力を取り戻して海の巷に散っていった。これはあとで追い詰めるとして,後に残ったのは表層で釣れる20㎝前後の青メの群れ。これはこれで順調に成長し,徐々に体型がフックラしてきている。

 そして3月下旬に入り,期せずして来遊したのはマアジの大群。25~30㎝ほどの幅広キアジが小カタクチに餌付き,先週はずっとこればかり入れ食ったのでオカズには一切困らなかった。嬉しくはあるが,この時期にこのサイズと体型,この釣れ方は,やはりおかしい。水温12℃でこの活性は何?
 そして今,一週間後の4月上旬,春特有の西から南にかけての強い風が続き,予想どおり,同じアジでも群れが代わって20~25㎝のヤセ主体が残るのみとなった。タイプもキアジに代わってクロアジ主体。メバルにせよアジにせよ,この時期,岸で育って沖に去りの繰り返し。次々と群れが入り,体力つけて,また去っていく。

 さてそろそろ散っていったオスメバルでも追っかけるかと思っていた矢先,期せずしてアチラの方から来てくれましたねえ,茶メの♀が。これは探す手間が省けたわいと思いたいが,そう呑気なことでもない。
回復のための接岸,といっても,茶メの♀はあまり大きな群れでは動かない。三々五々やってくる。ですから型は出ても数は出ない。今日そこにいれば釣れる,いなければ釣れない,ということで,余録みたいなもの。週単位月単位を見込んだ安定的なオカズにはならぬ。

 とはいえ♀だから,同サイズの♂よりも体格は良い重量級。2尾合わせて1㎏近い。
しかし,やっぱり途上は途上。肩から背の筋肉が盛り上がり幅広ではあるが,下処理をしていくと,腹皮はまだ薄く,腹腔内の脂は溜まっておらず,いささか寂しい。ヤセとは言いがたいが,今一歩。なんてゼイタクにも四の五の言うのは人間の都合,料理の仕立て次第で十分活きる。

 そして胃内容物は,表層にはカタクチがたくさんいるというのにアミ少々と大型のカニの幼生がたくさん。粒食ですね。これらカニのメガロパ幼生は,このところの暖かい日差しと雪解け水の栄養で急激に大量発生し成長したもの。プランクトンのわりにはけっこう遊泳力がある。

 図体がデカくても,やはり途上は途上。明らかに“食べやすいものから食べている”。
3月上旬にオスがそうしていたのと同じように。
こんなときの釣り方といえばやはり底かと思えば,いえいえ,必ずしもそうではない。誘い方も,♂の回復期と同じではダメだ。ちゃんと釣るためには,まず「餌の生態・行動」をよく理解しなければならない。明日の海が今日と同じとは限らないにせよだ。

時期に応じ,餌あるところにメバルあり,ではあるけれど,必ずしもそこに自分が求めるメバルがいるわけではない。ここが悩ましいところ。

 それにしても♂は,どこに行ったんでしょうね。今期まだ触っていない漁場がいくつもある。これだけ餌が湧きはじめたのだから,例年の安定漁場に付いてもおかしくないのだが。そこが今年の当地のおかしくおもしろいところ。この春,引き続き変則であるが故にまだまだ新規開拓の余地アリだ。

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さて本題。

 前々回のログで,「雪中のメバル釣り」について書いたのもつかの間,もう降りそうにありませんねえ,雪。 って,あれからもう1ヶ月以上経ったのデスネ。早いもので,春です。桜,咲いてます。

 でも,あそこに書いたとおり,まったく海は正直者。特に食物生態系の底辺に近いサカナほど,環境が少しでも合ってくれば間髪入れずに種として反応する。たとえばそのひとつが,2週間ほど前から湧いているカタクチイワシ。
なにかといえば,冷たい雨ばかり続いていた今年の冬であるが,2月中旬,雪がしっかり降って大山(だいせん)は2mの積雪を記録した。その1週間後,待てど暮らせど来なかったカタクチイワシがドッと押し寄せ,現在も続いている豊漁が始まったのだ。先週あたり,境港市役所には,一日1,000t超えを祝う大漁旗がハタめいている。まあ,オキもオカも,そんなしくみになっとります,ここでは。

 地元古老が指摘するとおり,雪解けが始まるやいなや,ここら沿岸の水は,雨の笹濁りとは違うトロンとした感じになってきて,これに春の日差しが加わると,これまで成長が遅々としていた沿岸性アミ類や,動物プランクトンの成長が一気に加速され,山陰沖のカタクチ来遊を誘発した。
まさに,絵に描いたような生態系の曼陀羅がここにある。


【 カタクチイワシに2型アリ? 】

 ところで,マアジにキアジとクロアジ,ウマズラハギに回遊型と瀬付き型があるように(少なくとも私はあると思っているが),カタクチイワシも当地には2タイプいるように思う。これは研究者の間でもほとんど報告されておらず,調査も進んでいないようであるが,外部形態,産卵・来遊時期,行動など,様々な面でちがっている。いずれは解明されねばなるまい。

 で,このところ境港で水揚げされているのは“外洋性”のカタクチで,15~18㎝ほど。適量の積雪があって,それが初春の陽気で徐々に流れて水温と栄養状態が安定してくると,毎年山陰沖にやって来る。
雪が降り過ぎたら低温続きになってダメ。かといって降らなかったら栄養不足。いずれもダメで,ちょうどよく降って溶けてこそ,春のカタクチイワシは湧いてくれる。天の采配が全てだ。

 生きているときの背中はインクブルーで,死ぬと黒褐色。だから別名「セグロ」ともいうし,アゴが目の後方まで長く伸びた大口なので,「タレクチ」とも「ヨタレ」ともいう。関東・東海では「シコイワシ」ともいうね。“シコ”はすなわち“干魚(ひしこ)”が語源か。
いずれにせよ,このところ揚がっているのは腹が銀白色でコロンと太り,例年ほどではないにせよ,産卵前の脂も乗せてきた。よしよし。 大きく太った大きなカタクチは,当地では特に「大(オオ)ダレ」といい,好きな人にはたまらぬ垂涎の的だ。

 もうひとつのタイプは,例年ならば晩春に,産卵のために中海(なかうみ:宍道湖と美保湾の中間にある汽水域)に入り込む極めて“沿岸性”の強い群れで,これは別種か?と思うほど外観も質も違う。毎日何十トンと獲れる外洋性のカタクチに比べて量的には少ないが,今年も美保湾沿岸に湧きはじめた。この沿岸性のカタクチは,外洋性が沖合を大挙して回遊するのに対し,半島を地づたいにやって来て,産卵のために中海に入る。

 外洋のものほど鼻先が尖っておらず,背は透明感のある黒褐色で,腹は銀なれど全体的に透けて見える感じ。肉は,外洋性のカタクチが透明感の低い赤身寄りの色であるのに対し,中海産は,透明感のある飴色をしている。
同じような沿岸性のカタクチは主に西日本各地の小湾に小さな系群として存在しているようで,瀬戸内海や四国沿岸,九州,特に長崎県の橘湾などには,かなり大きな沿岸性の群れが世代交代をしているようだ。


【 カタクチ2型とその食味 】

 地元の人は,よく,「まき網のカタクチはアタルけれども,中海のはアタラナイから大丈夫」と言って,中海で獲れた新鮮なヤツを手開きにし,氷水でサッとさらして水気をとって,酢味噌やショウガ醤油で食う。チリッとはぜた身がすがすがしい春の終わりの郷土味だ。イワシ特有の臭みは微塵も感じられず,ほんのり苦く,はかなく旨い。

 では,外洋性のカタクチがナゼに刺身でいけないかといえば,ひとつは腹皮の銀の濃さ。この剥がれやすい銀箔が雑菌を繁殖しやすく,劣化の原因となる。
 それから餌の違い。中海のやつは甲殻類の幼生など微少な動物プランクトンを食っているが,外洋性のやつは,外洋性のアミを主に食う。腹の中でピンク色になるアレであって,こいつは自己消化酵素が強く,サカナの腹の中で発酵分解しやすいため鮮度を落とすだけでなく,ごく微量の消化しにくいワックス分を含んでいるため,これを脂として蓄積した外洋性のカタクチを大量に生食いすると,その油脂分を消化しきれず人間サマは“クダル”のである。

 そしてなによりも,寄生虫「アニサキス」の問題。
外洋性カタクチイワシは,これの中間宿主であり,時期によっては全てに宿っているわけではないが,産卵期である春には特に多い。
 加熱して食うぶんには全く問題はないのだが,しかし生食となると別。以前,過去ログ「サバ味の深淵」でも書いたが,コヤツは強塩にも酸にも強く,手段は凍結するのみ。かといって,ただでさえ柔らかく小さいカタクチイワシを冷凍してから刺身にするなど,つみれの材料になるのが関の山。
当地のイワシッ食い達は,ここで悩むのである。が,あまり深くは悩まないようだ。旨いんだから食ってしまえ,アタったらアタッタ時だと,覚悟していて潔い。
 過日最近場のメバル漁場で出会って,たまたま手持ちのカタクチイワシをお裾分けした気のいい青年は,ボク二匹もやられましたよ~とニコニコ屈託ない。これ,カタクチの刺身を食った結果,二匹のアニサキスが彼の胃壁に食い込んだ,という意味なのだが・・・。それでも好きで食うというのだから,たいしたものだ。強者ナリ。

 一方先日,地元の小料理屋を営む若い板前が,ボクもアタりましたよ,でもおいしいからお客さんにも出してます,と涼しい顔をして言いやがったものだから,キサマは料理人なんぞやる資格なしと怒鳴りつけたところであった。
自己責任で,危険の可能性を知りつつも覚悟の上で食うならよいが,食の安全安心を第一義とすべき公職にある料理人がこれを混同するようでは,断じていけない。

 ともあれ今,境港はピンコピンコのカタクチイワシフィーバーで沸いている。値段も極めて安く,とれとれのヤツが15尾入ってひとパック100円。当然これを日々食わぬテはない。“海の肥やし”と言われるイワシだもの,人間の肥やしとしても上等に決まっている。

 というわけで今回は,これぞというカタクチイワシのお料理を4品ほど,世の“イワシッ食い”のために捧げたい。
仕上がりのポイントは,青ザカナらしさを壊さないように雑味をいかに抜くか,ということ。もっとも,多少の“生臭さ”はイワシッ食いにとっては“香り”に過ぎませんけどね! まずは下処理,これが大切。


【 カタクチの下処理 】

 目が赤くなっているもの,腹皮が破れているものなどは避けたい。できれば水氷に漬けてあるヤツがあればウレシイが,でもスーパーのパック売りでもいいものが入るときがある。目の周辺に透明感があれば良しとしよう。
いずれにしても,“たくさん料理してたくさん食べる”というのがイワシのいいところであるから,新聞紙を広げ,この上でドンドン下処理して,ザッと洗って,テキパキっと料理し,ワッと食べる,万事いかにシステマチックに進めるか,と,このようなサカナであります。 青魚の最たる部類ゆえに,下処理如何で味に大きな差が出る。摘要以下のごとし。

①ボウルに氷水を作ってひとつかみの塩を投じ,イワシを入れてガラガラかきまわすことによってウロコがとれる。
②まな板の上に新聞紙を数枚広げ,イワシを氷水からつまみ出してはドンドン頭と腹を切っていく。背を左,頭を向こうに置いて,頭を切り落としたら,そのまま頭から肛門にかけての腹側を5ミリほどザックリ切り捨てる感じで包丁の刃全体を使って押し切りすると,内臓もいっしょにとれる。
③この次が重要。細く出した流水の下で,内臓をとったあとの背骨沿いに溜まっている血液および腎臓(細く血の塊のように見える)を,歯ブラシの先で手早くこすり落とす。身が柔らかいのでサッと軽やかに手早くやる。たくさんあるのに面倒ではあるが,これをするとしないとでは,料理したのちの風味に大きな違いが出る,ということなのでヨロシク。
④これをボウルに戻し,2~3回水を換えて濁らなくなったら,ザルにあげて水気をきる。これで下処理完了だ。いたみやすいサカナだけに,万事,美しく速やかに進めていただきたい。


【 刺 身 】

 既に述べたように,ここで記すことは公共に馴染まないと思うので割愛する。旨いのですがね。
どうしても食いたいと言う人は,沿岸性のヤツを,手開きし,氷水でカラカラと洗い,ペーパーで水気をよくきって,醤油にショウガや柚胡椒で食うのがよろしい。ま,アニサキスの野郎と勝負してもよいという人は,外洋性のヤツだろうが何だろうが,どれを食っても結構。
わたしは,,,全て食いますね。家人やヨソの人には勧めんけど。自分だけが食う。


【 塩イワシ 】

 カタクチイワシの,その味の真実・真髄を味わうのに,この「塩イワシ」に勝るものナシ,と断じて言わせていただく。素朴にして滋味。食えばワカルとはこのこと。新鮮なカタクチが手に入ったときには必ずつくる一品だ。なお,過去ログ「サバ味の深淵」で紹介した塩サバをつくるときの“紙塩”の技法は,カタクチの場合には小さすぎて向かない。以下のようにするのだ。

①下処理したイワシをボウルに入れ,粗塩ひとつかみをバサッとあてて,ザックリかき混ぜておく。しばらくするとイワシが脱水して水分がにじみ出てくるので,時々上下をかき混ぜながら,小さいイワシなら5分,大きなイワシなら10分ほど置く。
②ザルにあけてボウルの水で振り洗いして塩粒を落としたら,ボウルの水を換えながら濁らなくなるまで2~3回手早く洗う。
③ザルにあげてしばらく水を切ったら,タッパーかバットにキッチンペーパーを数枚敷き,イワシの腹を下向き(背を上)にして密に並べ,その上からもう一枚ペーパーをかぶせ,軽く押しつけておく。たくさんあるときは,更にこの上にイワシを並べ,一番上にペーパーをかぶせて同様に。このままラップか蓋をして冷蔵庫で一晩寝かせる。
④翌朝から焼いて食える。生のままでの保存期間は3日程度が妥当。たくさんつくったらあらかじめ冷凍しておくのがよろしい。そのとき,一本ずつはずしやすいようにするためには,ラップを大きく引き出し,1~2㎝間隔くらい離してイワシを並べ,これを手前からイワシごと巻いていく。つまりこれを横から見ると,鳴門巻きの渦巻き状にイワシが間隔を離して分布している太巻き状態ができあがるわけだ。これをジップロックに入れて空気を抜き,冷凍すればよい。賞味期間は家庭用冷蔵庫の冷凍であれば1ヶ月。焼くときは太巻きの一番外側から一尾ずつはがし,解凍しないでそのまま焼けばよい。生・冷凍,いずれも強めの中火で両面の皮目がじりじりと香ばしくなったら焼き上がり。これが食べ頃だ。骨まで食える。


【 特 記 】 塩イワシとサツマイモの相性について

 こうしてつくった塩イワシは,当然のことながら炊きたての銀シャリと最高に合う。湯気と共に立ち上る米の甘い香りを,鼻孔経由で胸いっぱいに吸い込みながら,“メシ・時々イワシ”でハフハフと食い進むのは一種の愉楽ではある。が,しかし,もうひとつおすすめしたいのは,ふかしたサツマイモと共に食うことだ。
 私が長崎県野母崎で従事していたシイラ漁船の船長:岩永善市氏は,若かりし頃,巻き網船の本船の船長で,アジ・サバ・イワシなど青ザカナを獲って生活していた。彼だけではない。戦後長らく,野母崎という東シナ海に突き出た長い半島の先端にある小さな漁村全体が,まき網で獲れる青ザカナに生活を依存し,大漁景気に沸き返っていた時代があった。
 しかしサカナと金があったところで半島には米を作れるような土地はなく,家ごとに斜面の段畑に植えるのは,麦であり,なんといってもサツマイモであった。

サツマイモといえば,,,
 古くは江戸期,8代将軍徳川吉宗の命により飢饉時の救荒食として,青木昆陽が当時琉球から鹿児島・長崎に伝わっていたサツマイモの栽培を試み奨励した結果,これがのちに全国に伝播したということになっている。本来の呼称は「琉球芋」,徳川絡みとなってからは「薩摩芋」だ。
事実,おかげさまで当地境港もかつてこのイモに救われており,これと地曳き網で豊漁する美保湾のイワシのおかげで,餓死者を一人も出すことなく現代に至る。当地に今でも残る「浜の芋太」の蔑称は,その恩恵にあずかれなかった他所のヒガミが生んだ産物であろうか。
 更に遡れば,15世紀,かのコロンブスがアメリカ大陸からこれを持ち帰り当世イザベラ女王に献上したのが記録の最初。当時悪魔のイモとも呼ばれていたが,彼女は自らこのイモの白い花を髪に挿し,救荒作物として普及に努めたとのこと。その後,サツマイモを世界に広めたのは植民地・貿易港を求めて大航海をした列強スペイン・ポルトガル等であったというのは皮肉か恩恵か。その延長に我が国のサツマイモはあるのだ。人類の歴史は何が幸いするかわからない。全ては結果だ。

まあそのサツマイモ。
 野母崎で居候していた岩永船長宅では,新鮮なイワシが手に入ると塩して干し,これを焼いて,ふかしたサツマイモと合わせてよく食べた。「こがんもん,君らにはおいしゅうはなかろう?」と目をのぞき込み問いかける船長と奥様と共に,網仕事の合間に食うイワシとイモは,実にしみじみ旨かった。秋の高く晴れ渡った空の青と,イモの甘みとイワシの塩気が調和すると,なぜだか強烈に懐かしい旨みを醸し出す。
 今でも私は,思い出したように塩イワシを焼き,ふかしたイモと共に弁当とする。旨いのも事実であるが,今の裕福な日本がこのような食でしのいだ結果としてあることを,味わい確かめる咀嚼でもある。このような味を,私は子孫に伝えたい。

 余談であるが,野母崎では,サツマイモの茎,すなわりイモヅル(芋蔓),もよく食べた。フキのようにツルの皮をむき,水に浸してアクを抜いたら5㎝程度に切り揃え,キンピラや煮物にしたりするのだが,なんといっても旨いのは“焼きウドン”である。少量の豚バラで脂を出したらイモヅルを炒め,ウドンを入れ,醤油少々で味付けしたら,最後に鰹節を振りかけて食う。ほのかに甘いカラメル似たイモの香りのするイモヅルは,その快感たる歯ごたえもさることながら,ほかの野菜にはない郷愁味がある。初めてなのに懐かしい,という味だ。


【 カタクチの梅煮 】

 塩イワシと梅煮は,我が家ではセットみたいなもので,新鮮なカタクチが手に入ったら必ず作る。保存性も良く,両方とも仕込んでおけば1週間は毎日幸せに暮らせる。朝にイワシ噛み,夕にイワシ噛み,それぞれの料理を気が向くままに食い分けたり,共に食ったり。酒を飲んだり,飯を食ったり。

 梅煮にした甘酸っぱく旨みたっぷりの肉を噛みしめるとき,なんだかしんみり静かな気持ちになってくるので不思議。甘ずっぱいから恋の味,というわけではない。なぜならどう逆立ちしたってイワシだもの。
いずれにせよ,たとえば塩イワシが,新たな今日を始める“動”ならば,梅煮は頑張った今日を終える“静”の味世界をもっている。
 両方がなくなるころ,また次のイワシを仕込むのだ。梅煮は作り手によっていくつかの作り方があるが,当家ではこんな感じ。通常の料理本などと違うところは,ショウガと梅の香りと旨みを煮汁にしっかり移すために,火をつける前にこれらを入れてしまう点だろう。コレが料理の理。

①たっぷりのショウガ,できれば春の新ショウガを薄く皮をむいて半割にし,1~2㎜厚に切っておく。
②浅くて広い鍋,もしくはテフロンのフライパン(これが重宝する)に,酒と半量の水をイワシの太さ程度の深さに注ぎ,これにミリンを加えて若干甘めに仕立て,ここに切ったショウガおよび梅干し(できれば調味料が入っていないもの)3個程度の身を指先でつぶし,種ごと入れ,火をつける。加減は強火。
③沸き立ってアルコール分が飛んだら,薄口醤油を注いで適宜に調味し,再度沸かす。味の加減は,“甘酸っぱく旨くちょっと濃いめの醤油味”。
④下処理したカタクチを,重ならないように,しかし密に並べていく。火は強火のまま。
⑤煮泡が立ち上がるほどに青魚特有の茶色のアクが浮いてくるので,吹きこぼれないように火を微調整しながらそれをすくいとる。
⑥アクがほとんど浮かないようになったら,鍋の口の同大のアルミホイルの中心に包丁先で切れ目を入れた落とし蓋をかぶせ,更に強火の立ち上がる泡で,ただし吹きこぼれない程度に微調整しつつ,煮進めていく。イワシ全体に泡が回るように落とし蓋を調節してやる。煮上がりまで約10分ほど。
⑦煮汁がわずかになって泡が少なくなったら火を止め,そのまま冷ます。

 冷ますとはいえ,ここで,煮上がりできたての熱いヤツを数尾小皿にとり,ぜひとも味わってもらいたい。冷めたのとはまた違う,酒をそそるぬくもった旨さを知っておいてほしい。下戸の方は,とりあえずご飯でもドウゾ。

 ショウガを入れたのは,過去ログ「サバ味の深淵」で述べたと同様,臭み消しではない。イワシから出た濃厚な旨みと,梅干しと酒・ミリンが合わさった甘酸っぱさをたっぷり吸ったショウガそれ自身が旨いのである。だからたくさん厚めに切って入れるのだ。

 風味が最もいいのが3日間くらいまで。タッパーに入れて1週間程度は冷蔵庫で保存できるが,次第に脂の酸化臭が出てくる。当然食べても問題ない。
これを生臭いとするか,青ザカナの香りととるか,それが年期や文化の分かれ目なのかもしれない。


【 カタクチの天ぷらおよび天丼 】
 揚げたてのカタクチイワシの天ぷらを,山盛りにして出してくれる店があったなら,私はその店に生涯通い続けるであろう。というのは私の本音。
旨いが,しかし手間がかかり,原価が安くて値段も取れないし日持ちもしない,しかしやはり抜群に旨い。そんなものを結局手間かけてたっぷり気さくに出してくれる,そんな店は間違いなく“心ある”店だ。境港には一軒だけあるのが救いだが,それも頼めばの話。昔から行きつけの、東京は門前仲町の古い飲み屋では,これをサッと出してくれる。その気になれば,やれるのだ。

 いつから料理店は,このような飾らないおもてなしの心を忘れたのであろうか。
ま,しかたないのでウチでつくるわけですよ。青ザカナの注目要素であるDHAは揚げると半減するといった研究報告もあるけれど気にしない。やはりここは,旨いが一番。ご家庭の皆様に,ぜひこの味と心を伝えてあげてくださいまし。

①ボウルに水少量と氷を数片入れ,ここに鶏卵1個を落とし,よくかき混ぜ,冷たい“卵水”を作っておく。
②ここに薄力粉を適量,練らないようにザックリと混ぜ合わせておく。多少粉ダマが残っているくらいがちょうどいいのであって,それ以上練ると衣の間から空気が逃げてしまう。天ぷらとは,熱い油と冷たい衣の温度差,そしてそこに含まれている空気の作用によって,きれいにはじけ,カラリと揚がる,「水と油と空気と熱の総合芸術」である。
③下処理したカタクチをこれにくぐらせ,中~高温(油に箸先で衣を落としたときに一瞬浅く沈んですぐ浮き上がる程度)でカラリと揚げる。菜箸でつまんでみて,小さな振動が伝わってくれば,揚がったというサイン。
④アツアツの揚げたてを山盛りにして,塩でよし,天ツユでよし,思う存分ひたすら食い進めばよい。

さて,
この“カタクチ天”をやるときに,もうひとつの楽しみは天丼だ。なんだ天丼かといえども,キスやアナゴやエビやらの天丼とは,ちょいと世界が違う。味に力があり,一線を違えた方向性をもっている。まずは食ってみることです。

 ここでつくった天ぷらを,少し残しておく。野菜がほしければ,ナスやシシトウなどをついでに揚げておけばよい。ただしゴタゴタいろいろ入れてはイワシ味を損なうのでいけない。
さて翌朝,天つゆに醤油をミリン少々を足して若干甘辛目に仕立てたダシを沸かし,ここに昨晩の天ぷらを浸してしばし煮て暖めたら,これを炊きたてのご飯の上に密に乗せ,これまた朝からガッツリとかき込むのである。七味や山椒少々を振ってもよろしいし,「さらしネギ」などこんもりあると,なおよろしい。このカタクチの天丼には,他の天丼にはない野趣がある。
むろん翌日まで置かずとも,同様にして酒後のメシとするのも,いいですぞ~。

 あ~,ホントに。黙っていてもこんなことして食わせてくれる店,ここらのどこぞにないもんかね。


【 自家製オイルサーディン 】

 あの,缶詰にありますよね,“オイルサーディン”というのが。
タバコ2個分くらいの大きさの平たい缶で,付属の缶開け器具でクリクリギュッギュと上蓋を巻き開けていくと,かわいい無頭イワシがハーブの香りのする油にキラキラ浸って二段にズラズラっと並んでいる様は,山小屋で彼女とワインとロウソクの灯りなんかが似合ったりして,イワシなのにいかにも高級品,という感じでステキでした。
「でした。」というのは,最近はプルリングというのでしょうか,開缶がペコッ,メリメリっとはがすひと昔まえのジュース口みたいな方式に変わり,あれで大切な要素を失いましたね。便利さは情景を失わせてしまうのです。
 
 ま,そのオイルサーディンを自分でつくってみましょうや,ということであります。別に山小屋や彼女やワインがなくたってかまわない。原理は簡単。塩する→油で煮る→油に浸したまま保存,以上。

これは,実に理にかなっている。
 まず塩をして水分と共に生臭みを抜き,“油で煮て”骨まで柔らかくし,油に漬けて空気を遮断することによって魚油の酸化およびそれによる生臭さの発生を抑える。というわけだ。味のみならず,まさにその合理性がスバラシイ。
 合理主義と言いつつ矛盾だらけの西洋にも,このような,つましくモノを活かす合理性があるというひとつの証明だ。肉食文明ばかりが西洋ではないと嬉しくなる。
 余談であるが,地中海辺りの屋台の炭火で焼いて食わせてくれるイワシやサバ。西洋でありながらこの素朴で美しい滋味を知っているのは,イタリア人が筆頭であろう。飾らず陽気で時に朴訥。そのような甘く酸っぱく時には苦い“人生を噛みしめる風土”から,オイルサーディンは生まれたと推察する。

 
 ところで“サーディン”とはナニカ。イワシ,には違いないのだけれど,英語でマイワシはPilchard(ピルチャード),カタクチイワシはAnchovy(アンチョビー)。
 まあサーディンとは,ラテン語のSardinas(サルディナス),すなわち,小型のイワシ類の総称,と言って差し支えないであろう。ということで,作り方を。

①ボウルに白ワインと同量の水を入れ,これに粗塩を加えて海水より少し薄い程度の塩水を作る。
②下処理したカタクチの水気をザルできり,この調味液に1時間ほど浸す。
③手早く2~3回水洗いしてザルに上げ,面倒でも一尾ずつ水気を拭いておく。ここまでは塩イワシとほぼ同じ。
②浅い鍋もしくはテフロンのフライパンにイワシを密に敷き詰め,粗挽き胡椒を振り,あるいはオレガノや唐辛子など好みの香辛料も振り,つぶしたニンニク1~2粒分とレモンの薄切り数枚を乗せ,最後にロリエ(月桂樹の葉)1~2枚を乗せる。レモンの変わりに乾燥したレモングラスの切ったのを数枚入れても香りが良い。
③ここにイワシが薄くかぶるくらいにオリーブ油もしくはサラダ油を注ぎ,弱火にかける。
③徐々に油の温度が上がると泡が出てくるが,これが緩やかにフツフツと生じる程度に火加減する。温度を上げすぎてはいけない。温めるが如く、煮るのである。
④この状態を維持しつつ,蓋をして約40分ばかり,煮続ける。
⑤できあがったらそのまま鍋ごと冷まし,イワシを取り出してタッパーに密に並べ,残り油を注ぐ。なお,この油には香辛料の香りやイワシの旨味だけではなく“イワシ臭”も移っているが,これまた風味とするか臭味とするかが分かれるところ。嫌いな人は,イワシだけタッパーに並べたら,新しい油をひたひたに注いでおけばよい。
出来上がりをすぐに食べるよりも,最低一晩寝かせてからのほうが味がおちついて旨いように思う。

 ここで使用する油はオリーブ油のほうが酸化しにくいのだが,ちょっと風味が強いので好きずき。
出来上がったら,冷蔵庫に保存するようにし,たとえば食前に数尾出してはウイスキーやワインなど飲むもヨロシ。スライスしたタマネギと共にプレーンのクラッカーに乗せても良し,むろん飯をこれで食っても悪くない。ただし飯のオカズにするときには,醤油をひと垂らしすると,いいですねえ。

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とまあ,こんな具合なので,中期保存食としてゼヒ。
まずは,いかに鮮度の良いカタクチイワシを入手するか,ということが最初の課題。住む場所違えば海への遠近,いろいろあれど,なんとか工夫して頑張ってみてくだされ。ヤル気になれば,カタクチの産直,なんてのもアリかもよ。


【 カタクチイワシの育児における効能 】

 ついでに申し上げると,カタクチイワシは「離乳食および食育によろしい」というのも,特に現代社会においては魅力のひとつ。イワシ類の中でも特にカタクチイワシがいい。マイワシではちょっと大きすぎるし,風味がキツイのだ。
 
 具体的に言いますと,たとえば、アナタに1歳と3歳と5歳になる3人の子供がいたとする。
晩メシのオカズに塩イワシを12尾ほど焼く。オヤジはこれの2匹ばかりで冷や酒を飲みつつ,脇でコドモ達のご飯をよそうニョーボに言うわけだ。「イワシの身をほぐしてご飯に混ぜ与えよ。」と,1尾をとってやる。

 そこでニョーボが箸先でイワシをちょいといじると,骨と身はハラリと分かれるので,刻んだ野菜を入れて柔らかく炊いた飯にその身をほぐし混ぜ,1歳の子に与えたのであった。カタクチの身は,カルシウム・ミネラル等青ザカナとしての滋養を持ちつつ比較的白身に近いので,離乳食には大変よろしい。

 次にオヤジは,3歳の子の小皿にイワシを2尾ほどつまみ入れ,かつて長男にそうしたように「上手に骨をはずして食べなさい」と指示する。するとその子は,手づかみでかぶりつくのだが,なんとか舌を使って骨を出そうとする。カタクチの骨は実にシンプルで,仮に飲み込んでもノドに刺さるようなことはないので安心。サカナッ食いとしての初期修練の教材としては最適である。

 それを注視しつつ最後にオヤジは長男の皿に2尾のイワシを箸でとってやり,「骨ごと食えばおいしいからしっかり噛んで食べなさい」と言い渡す。その子は,ニコニコバリバリとイワシを噛みつつ,メシをほおばるというわけだ。こうしてアゴが強くなり,骨組織が増強されていく。これでサカナッ食いの初級は卒業。

12-(2+1+2+2)で残りが5尾。
 あとはオトナの分,ということでオヤジ3尾ニョーボ2尾でメシのオカズにするわけだ。小さなイワシ12尾の支える食卓の風景と教育の現場がここにある。そしてこれは,サカナッ食いの原点でもある。上の子が小学校にあがったら,カタクチイワシの自然界における役割を教えてやらねばなるまい。そしてその子は生涯食いながら,生き物としての自分の位置を学んでいく。

 カタクチの何がいいかといえば,まず第一に,カタクチはその小ささゆえ「全体食」ができること。青ザカナとはいえサバほど大きくなく,シラスほど小さくない。肉の味も濃からず薄からず,骨も適度な堅さで,適度なサカナ臭もある。このバランスが入門にはちょうどよい。

それともうひとつ大切なことが。
 カタクチは,食物連鎖の底辺,プランクトンのすぐ上にいるサカナだから,重金属や環境ホルモンなど有害物質の蓄積が極めて低い。対して高次のサカナ,たとえばメバルやスズキ,イカ類やマグロやサワラなど,有害物質をごく微量ながらも体中にもつ小魚類などを多食するサカナを食えば,これらの物質は集積されて高い濃度となる。これを食物連鎖による「生物濃縮」という。この連鎖の中に人間も含まれている。
 特に,同量の有害物質が食物として体中に入った場合,体の容量に対する抵抗力および解毒力を考えれば,当然ながらオトナよりも小さいコドモのほうが小さいわけで,負担が大きいのは明らか。しかも細胞が最も急速に増殖成長する時期に,濃度の高い有害物質を与えることは,子の将来に対して無責任といえる。子だけでなく,更に子の子まで影響が出る可能性もある。つまり遺伝子レベルの問題なのだ。

 であるからして,世の親御の皆様,オトーサン釣ってきたからおいしいねえ,などと言って,乳幼児にスズキやマグロやサワラやイカなど魚食性の中・大型魚を「多食」させてはいけない。あれはオトナの食べ物だ。
いや,オトナといえども状況次第ではいけない。これから子を作ろうという女性,あるいは現在腹に子を抱える母の皆様も,要注意。母自身は大丈夫だったとしても,母体から胎児ないし乳児へは,ヘソの緒や母乳を通じて,まさに「生物濃縮」が起こるからだ。

 斯様な観点からも,カタクチイワシはたいへんありがたいですね。

 このカタクチイワシで魚食いを入門すると,サカナの味と食べ方に対して極めて速やかに理解を深め慣れていくだけでなく,今後出会うであろう多くのサカナに通ずる汎用性が身に付く。その延長のには,タイやイサキやフグ,果ては酒盗やコノワタ,へしこサバやクサヤやフナ寿司などの,サカナ味の深みが待っている。
つまり,食物の形態に対する順応と対応,味の多様性に対する感受と受容,これらが柔軟に育つということだ。

ま,ご参考まで。

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それにしても,ナンですな,
こうして冬から春を迎えて今年もイワシにありつけるということは,要は毎年,山陰の雪と森がもたらした栄養を,間接的に摂取しておるわけですな。

焼きたての塩イワシを,まだ肌寒い春の空気と共に噛みしめれば,なんだか大地の香りさえするような。清冽なせせらぎを育む中国山脈よ,ありがとう。

ホント,今年もいい季節になりました。
  

Posted by ウエカツ水産 at 16:06Comments(13)魚・釣・料理

2008年03月17日

メバル3型を追う

毎度毎度のメバル話で恐縮ですが,,,。

当地のメバルは回復中期に突入し,今の彼らにとって,労なく口に入るといえども栄養価の低いアミ食いは,もはや無意味。
今,底に貼り付いているのは,今期回復接岸が遅れた茶メのヤセ♀。いくら大きくても味が乗らず,釣る価値なし。
例年今頃は,底層アミから海藻由来の数種のエサへ,すなわち平面から三次元的に徐々に摂餌範囲を広げていくのだが,今年はこれが少ないとみえ,いきなり浮いて暴れている。

春ここしばらくの最初のキーは「風」。堤防や岬先端などの「潮」の青メ狙いでは1発でオワリ→オカズになりませぬ。それに,青メの旬は夏でござる。これまた釣らんでもよかろう。
で,最近私が追いかけているのは,アミ食いを卒業していよいよ回復調子にある茶メの♂のみ。今後どこへ行くかはわかったもんではない浮浪児たちではあるが,今,これが一番旨いメバルだ。

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京都大学の中坊および甲斐という魚類学の先生と仲間たちが,長いこと1種類とされてきた「メバル」を赤(A)・黒(もしくは青,B)・茶(C)の3つの型に分け,胸びれの軟条数の違い(A:15,B:16,C:17)を発見し,遺伝子的にも検証されて,近々,3つの別種として報告されるであろう,というのが最近の当学会で言うところの“メバルビジネス”の展開状況であるが,そもそもこの研究の発端が“釣り人の観察およびその報告”から来ているところがヨイではないか。
 
ほぼ周年メバルを追っかけるメバル釣り師が世にどれほどいるかは知らないが,数知れぬほどのメバルを,いろんなところで釣っては眺め,どうもやっぱりコレとアレは全然違うよなあ,といった「全体観」,あるいは多くの数を見た経験から生まれる「直感」,というようなものによって,釣り人の疑問は科学の受け皿を得て解析へと向けられた。
むろん,種の分類に限らず,釣りというものそれ自体が,科学と不可分の関係にあることは言うをまたない。というより,自然界が「合理的」にできている以上,それを相手にする“釣り”は,ほぼ科学である言ってよい。そして何よりも,“想像力”がこれを支えている。このしくみが総合的に作用する様を称して“釣りは直感だ”,と言ったりもする。

では科学とはナニカといえば,けして学者が実験データを集積・解析することだけがそうなのではなく,老練な漁師の神業も,中国4千年の整体術や漢方も,想えば膨大な時間と技の継承をつぎ込んだ大きなひとつの実験であった。前回ログでご紹介した「魚付き林」も然り。
“こうしたら,こうなる”,“なぜかは知らんがコレがいい”というような定性的な事実の積み重ねを,より合理的かつシンプルに解説し,より客観性および再現性を付与する補助的役割を持つのが,いわゆる科学である。
従って,世界はすべからく科学性に満ちていると言えるし,また逆から見れば,全てが芸術性を帯びていると言ってよい。これはけして矛盾ではない。

さて,過去ログ「メバルの3型とその味わい」以来,ここであらためて「メバルの3型」に言及するのは,ここ2ヶ月ばかりのメバルの型別の釣れ方を通して,“味”以外の3型それぞれの特徴が,少し見えてきたような気がしたからだ。

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既に過去ログ「境港発メバル事情」シリーズでも述べ来たように,2007秋から2008冬のメバルの行動は,例年に比べて実に変則的であった。
接岸せずに沖で繁殖行動を終えてしまった茶メの♂が回復接岸を開始したのが,ちょうど1ヶ月前の2月上旬であり,このあと3週間ほど2月下旬までは,ごく底層を這うような群れを発生する1㎝ほどの半透明の沿岸性アミ類に餌付いていた。
2月も下旬あたりからは北西の風に混じって南~南西の風の頻度が高まったことに加え,風・雨次第で散発的ながら海水温も上昇したため,例年並みに表層に浮く小メバルが大量に発生したが,今年はこれに混じって青や,茶の23㎝前後も浮き始め,回復途上ゆえに体型にはバラツキがみられるものの,順調に推移している。
そもそもこの時期の当場所に小メバルが沸くのは毎年のことであるが,良型のメバルが浮いたのは過去4年間で初めてのこと。変則的には違いない。

ところが,全部が浮いたわけではなかった。
茶メ♂のアミ食いがほぼ終了した3月中旬,同じ場所の同じ種型であっても底に貼り付いているのと浮いているのがおり,底に付いているのは茶メの♀が主体で♂は混じる程度。♀の場合は2月に底に付いていた♂よりも一回り大型の25㎝前後。これは沖で産卵を終えて♂の後から接岸したもので,むろん痩せている。回復度合いが先に接岸した♂より遅れているので,今の青メや茶メ♂のようにエサを追いかけ回して摂る体力・筋力は,まだない。
一方,今浮いてるヤツはどうかといえば,体の肛門から後方はまだ痩せているものの,肩から中程にかけてはプックラと盛り上がっていて食味も悪くない。全て♂である。もし♀が浮くとしたら,まだ先であろうと推測している。

ま,これらは今後の狙い方に関わることなので,置いておくとして,,,。

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【 出来事 その1 】今期の浮きメバルに関する疑問

この一連の現象のうち,回復接岸した茶メバルの♂は,初期には「追わなくても捕食できるエサ」ここではアミ類を主体に食べていたが,体力が回復するに伴い,徐々に表層のエサであるシラス等小魚類も追い始めた。この“徐々に”というところがポイントで,つまり,潮が表層に小魚を運んできても,これを追えるだけの体力がつくまでは茶メは浮くことをせず,青メのみがこれを追っていたのが2月下旬あたり。そして3月に入り,コンスタントに表層で釣れるようになったメバルを見ると,青と茶が混じるようになっていた,というわけなのだ。

こんなことを喋っていると,巷でよく聞くコメントは,「中・低層の茶,中・表層を動き回る青,その違いでしょうね。」というもの。私もかつてはそのように思っていたのだが,実際には必ずしもそうではないようなのだ。

“青メは表層”,というのは,たしかにわかりやすい。この前の2週間,底層で20~25㎝程度の茶メを釣っていたときでも,合間に強い潮が入れ込んでくると,表層で同サイズの青メが単発的に釣れてはいたからだ。しかも青メは,底層には潜らない。エサを伴う潮と共にワッと来てサッと去る。同じ場所に長居をしない,込み潮の使者だ。

ちなみに3型と釣れ方の全体的な傾向を言うと,

2月上旬から下旬にかけて,極めて底層にへばりついていて釣れていたのは,ほとんどが茶メで赤メが少し。青メはというと,既に述べたとおり2月中旬あたりから表層でチビメバルのライズが続く中,潮が強く利いてきたときのほんの短時間だけ回遊してきてバタバタッと釣れて終わりなので,型は良くてもアテにはならぬ,という状況であった。

それが,2月下旬頃から表層でコンスタントに釣れるようになって以来,赤メは瀬を中心に底にへばりついたままであったが,表層は青メだとばかり思っていた中に同型の茶メが混じり始めたのである。というより,その後,日を追うごとに茶メの割合は増えていき,今や表層付近で釣れるメバルのほどんどが茶メという状態なのだ。

余談であるが,茶メと青メは,生きているときの青メの背が見る角度によって緑色に底光りすることで判断できるわけだが,漁場によっては外見からは判断がつきにくい場合がある。また,小型であるほど見分けがつきにくい。かといって,胸びれの筋をいちいち数えてもいられない。
が,これを持ち帰って下処理課程で鱗を取って眺めてみると,これはハッキリする。
青メの方は,鱗を引いた後の肌合いが,ひげそり後のような寒色なのだ。そして,過去ログ「塩煮の世界」で述べたとおり,調理したときに,その差は更に明確になる。
茶と青を比較すると,茶メの身はしっとりしてコクがあるのに対し青メのそれは堅くパラパラしており味が薄い。茶メの皮は薄くて身との一体感があるのに対して,青メのそれは,加熱すると,身から離れようとするがごとくプリンと堅いのである。
それぞれに活かしようであるが,かつて過去ログ「メバルの3型とその味覚」で,青メの大判は夏に薄造りで,皮の湯引きを添えて食うに限る,と申し上げたのは,この特性にある。

話を戻し,
「ワカランことがあればいろんなかたちで触ってみる」,というのが基本であるから,次は胃内容物の調査などに突入していくのであるが,これによってようやく,メバルの型とそれらの行動特性,および棲み分けのメカニズムの一端が,見えたような結果となったのだ。

たとえば一昨日釣れたのは茶メが2尾に青メが1尾。いずれも23㎝前後で型揃い。15分の間に,同じ道具で,同じ立ち位置から狙った表層付近の,同じ層の同じ誘いで釣れてきたものだ。
当然のことながら,胃内容も同様と思っていたのだが,さにあらず。
結果は,青メの胃の9割以上が3㎝ほどのシラスおよび3~5㎝ほどのアイナメのなど(アイナメの稚仔魚期はイワシ類のような外観で表層生活をしている)で占められていたのに対し,茶メの胃内容は,水温上昇に伴って2㎝ほどまで成長した低層性のアミが7割で,青メの食っていたような小魚類は3割程度にとどまっていたのである。
横にいた青年二人に,釣り方を教えるから胃袋だけくれと頼んで調べてみたのだが,調べた青メ5尾,茶メ7尾とも,全て同様の傾向であった。

更に先日,もっと興味深いことがあって,いよいよ3型の特性が浮き彫りとなった。


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【 出来事 その2 】 場所による同種型の差違

私は外灯のある漁場で,小メバルがライズする灯りの中心部に対して潮下の離れた暗がり表層下で23㎝前後を釣っていた。先週以来続いていた浮きメバルも潮回りが進むにつれて時合いが短くなりかつ散漫な釣れ方になっていたこともあり,もう一人の青年は少し離れたテトラ付近の暗い斜面を探って20~23㎝ほどのを3尾釣って戻った。コチラで釣ったのとアチラで釣ったの。その距離はテトラをはさんだ両側20m範囲。両方とも茶メの同サイズ。

しかしこれが,違うのである。
テトラ周りの茶メは,体に対して目が大きく,回復してきているとはいえ全体的に痩せ型で,コチラの表層茶メは体高があり相対的に目が小さく,痩せているのは体の後方のみ。胃内容はテトラ周りの斜面がアミ類であるのに対し,コチラはアミ7割+小魚3割でこのところの傾向と変わらず。

この時,これまで境港から島根半島で釣ってきたメバルの種型,形態的特徴,釣れ方,胃内容物,等々の記憶が,走馬燈のように脳裏を走った。

たとえば同じ茶メでも,半島の褐藻群落の間から釣れてくる引きの強いやつ。これは,お前はカエルか,というくらい相対的に目が大きく発達している。同じ場所で釣れる赤メでは,あのような違いは見られなかった。あれは何だったのか。

そして,ほとんど隣接した漁場であるにもかかわらず,エサが違い,外部形態(体型や各部の比率)まで違う茶メがいる。どうしてテトラ斜面の茶メは,回復途上にあるのだから,ひょいと20mばかり移動して,なぜ,もっと栄養のある小魚類を捕食に行かないのか。しかも,外観的な違いは,同時期同場所の赤メや青メでは見られず,なぜか茶メだけに起こっている。

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さて,丁寧に整理してみよう

①今期接岸した茶メは,初期には底層の沿岸性アミ類を専食していたが,回復が進むにつれて,表層付近の小魚類に餌付くようになった。底層で釣れていたときには全てアミ類であったのに対し,青メと混じりで釣れ始めたときの胃内容物は,アミ7割,小魚3割となっていた。そして,時期が進むに従い,アミの比率は減り,小魚の割合が増えていった。

②同時期同場所の表層で,小魚類に餌付いていた青メは,回復期の茶メがまだ底層に貼り付いていた時期から,強い潮と共に来遊し,表層で短時間単発的に釣れていた。そして,胃内容物は,9割以上がシラスやアイナメの稚仔魚であって,アミ類はごくわずかであった。なお,青メは底層で釣れることはなかった。

③同時期同場所での底層では,茶メの回復接岸が始まった段階から赤メが釣れていたが,その後,茶メが表層に浮くようになっても,赤メが浮くことはなかった。胃内容物は,底層のアミ類に加え,海藻や岩礁に由来する固着性甲殻類(ヨコエビ類)であった。なお,この傾向は,茶メが浮いて底層で釣れなくなった後も,変化することはなかった。

④茶メが表層に浮いた漁場に隣接するテトラ帯の斜面漁場で同日に釣れた茶メは,同サイズであっても相対的に目が大きく,回復の度合いが遅いように見られた。なお,隣接するテトラ帯から目の大きい茶メが移動してきて表層の茶メに混じって釣れることはなかった。

⑤島根半島の褐藻帯から釣れる茶メは,今回観察されたテトラ帯の茶メよりも,更に相対的に目が大きい。ただし,同場所同時期に釣れる赤メでは,そのような差違は見られなかった。

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【 メバル3型にみられた行動・棲み分け・生活様式の違い 】

以上の事実から導き出される結論を要約すると,次のようになる。

● 赤メは海藻や瀬(構造物)に対する依存度が最も高く,中~低層の海藻や構造物に密接して生活圏を形成し,その範囲のエサを摂っている。形態的差違は少ない。
● 青メは潮に対する依存度が最も高く,表~中層,もしくは一時的に海藻や構造物にも生活圏を形成し,その範囲のエサを摂っている。形態的差違は少ない。
● 茶メは表・中・低層,構造物等,餌を採る手段を最も柔軟かつ合理的に選んでおり,状況に応じて生活圏を変える。赤メのように構造物に強くこだわるグループもいれば,こだわらないで動き回るグループもいる。そして,それら環境に応じて形態的差違が大きいのが特徴である。
● 更に茶メでは,繁殖後の回復に伴い,食べやすい底層性のアミから追いかけて食べる表層性の小魚類に向けて徐々に移行していく。つまり,回復期における茶メの摂餌形態は,個体の能力に応じて徐々に合理的な方向に変化することが推測される。なお,赤メや青メでは,そのような変化はみられなかった。
● 結果として,赤と青は生活圏レベルで完全に棲み分けているが,茶は成長もしくは回復の過程で両方の生活圏に参加している。

ここまでは,わかった。
が,,,


【 悩みは尽きぬ 】

しかし生じる更なる疑問は,,,
ここで得られた事実を見る限り,たしかに茶メはいかようにも摂餌行動およびそれに応じた生活圏を変えている,のであるが,では結果としてその生活様式が外部形態の差違に現れるのは,卵から老成魚までの,どの段階で生活様式が“染みついた”場合にそうなるのか。ということ。

まず,小メバルが毎年一定の場所で湧くところをみると,未成熟期に形質が固定されるわけではあるまい。ここから成長に伴い,それぞれに何らかの出来事があり,それぞれの生活様式およびそれに応じた形態になっていくと推測されるのだが,
しかしそのメバルは,ずっとそこにいて成長するわけではない。季節に応じた離岸・接岸がある。

2週間前には底でエサを摂っていたので眼が大きかったですけど,今週からは表層に浮いてるので眼は小さくなりました,などという器用なしくみのハズがないし,回復期の体型でさえ,いくらエサを食いまくったとて,太り具合でさえ,差が出てくるのに1週間はかかろう。
そうなると,先述した,底のアミ食いメバルとその後に釣れた表層アミ+小魚を食っていたメバルは,全く別の群れなのであろうか。今は,表層茶メが釣れ始めると同時に底層茶メがいなくなったことから,回復過程で底から表へエサを変えたものと解釈しているのだが,たしかに底と表層の茶メの体型は,別の群れかと思うほどに違っているのである。


接岸過程で変わる環境やエサに合わせて態を変える?
つまり,接岸した茶メの,場所による外部形態の差違は,毎年の繁殖~回復接岸過程で形成される???
そんな短期間に?

そしてもうひとつ気になることは,「進化」の問題。

これら3型が,その生活形態において,一部は重なるけれども異なる行動生態,あるいは生存戦略をもってサバイバルしていると。特に茶メは行動に伴い様々に外観の態を変えるとすると,それでは「進化」の過程として,赤・青・茶の,どれがどれに分化していったのか。

固定したところから多様化したのか。逆に多様の中から固定化していったのか。そして,今現在,どの課程にあるのか。一般進化論でふつうに考えれば順応性の高いものから派生して固定化し,遺伝的に隔絶されていくと考えがちだが,そうなると胸びれの条数との関係はどう解釈できるのか。茶17本→赤15本,青16本。軟条が少なくなるメリットなんてものは考えにくいし,これは退化???。 あるいは逆に,赤・青→茶???。

魚類学のレポートでは遺伝的にそれぞれ分離しているというのだが,実際に釣ってみると,3型としての外観的要件を満たしていても,その生活において,青のようにふるまう茶や,赤のように暮らす茶が存在することも,また事実。分化する前の昔の名残が生活に出ている???。 ワカランなあ~,はははのは。

でも,感触としては,形態を柔軟に変える「茶」の謎を追っかけること。これがこのテーマを紐解くカギになるのではないかと思っている。

といったようなことで,アレコレ悩ましいですね。
メバルの世界が奥深いのは釣りだけではない。こうなってくると,もうあくまでも学術的ロマンですな。我々人間の第4の欲求,すなわち“知りたい”というヤツだ。

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【 メバル3型とワタクシ 】

でも,それよりなによりも,これまで過去ログでも述べ来たとおり,メバル3型には明らかに食味上の大きい違いがあるということが当方最大の関心事。こちらのほうが,やはり優先されるのです。

従って,メバル3型とワタクシの直接的な関係は,

ひとつの海から,
① 3型ごとに,それぞれ一番旨い時期に一番旨いサイズを選んで釣る。
② 混在している中から3型を釣り分ける。
③ そのための見識と技術を体得する。

というようなことで,これすなわちメバル釣りにおける「オカズ釣り道」の極めるべき道の果てであろうと思う次第。
こんなことが想定可能なのも,同場所で同時に3次元的に漁場を探れるメバルの疑似餌釣り=メバリング,ならではのこと。いろいろ使えてスバラシイですね。

ウエカツは所詮は食い気かよ →そのとおり。
食で自然界とつながってこその自分だ。
だからこそ,個として必要量を獲り,必要以上を獲らない。またそれが続けられるようにモノゴトを追求するし,それをわかった上で釣り方を変え,漁獲圧を調節する。

数やサイズを他人と競うような風潮とは無縁。相手はサカナだ。そして自分だ。

いずれにせよこの3型を追うテーマはオモシロイので,また何かわかってきたら続報いたしましょう。釣技の向上にもたいへん役立ちますしね。

今日のところは,これでおしまい!
  

Posted by ウエカツ水産 at 03:23Comments(8)魚・釣・環境

2008年02月16日

雪メバル随想

 雪の釣りはよい。
 夜,しんしんと音にならない音で降る雪に,海のざわめきさえ消され,振り向けば,あたりは見渡すかぎり,全ての生活に関するざっぱくな塵芥の類が一面にどこまでも白く覆い隠され,降りつむ足下の降ったばかりの雪の上に,釣れ上がったばかりの旨そうなメバルのひとつふたつ,ヒラスズキの子などが銀や黒に横たわり,そのまま静かになっていく様は,ひとつの命があくまでも静かに失われていく課程と同調して,不思議にすがすがしく美しい。
 何かが生まれるときの美しさと失われるときの美しさ。いざその場に立てば,同じ生命としてなかなか割りきれないにせよ,それは同等なのかもしれない。

 少なくとも昨年までは,12月の中旬以降,2月いっぱいは,そういう風景を釣る日々があった。
特に,急激に冷え込む12月後半あたりから,外気との温度差で海面からもうもうと湯気が立ち上るような日,そんな日に限ってあたりは寒さの故か誰一人おらず,海は凪で物音ひとつせず,我独り次々と良型メバルを抜きあげては無心に後方の雪の上に放っている,という夜の釣りが,毎年何回かはありましたねえ。

 釣果はさておき,なぜかそんなとき,家々の明るい灯り,こたつの団らん,鍋の温かい湯気,熱燗のピリッとした熱さとそれを不器用にすするしぐさ,あるいはゆっくり部屋の中で釣り具の手入れなどする釣り人,といった暖かいイメージが脳裏を去来し,寒中に釣りを続ける今の自分との対比の中で,いよいよ“独釣”という風情が際立つのであった。

 今宵はこれでよしとして帰路につき,誰一人往来のない新雪の町並みを過ぎ,カギをかけたことのない我が家の玄関をあけて中に入れば,既に家人は寝静まり,水道の切れるような冷たい水で手を洗い,メバルを下ごしらえし,そのうち何尾かを,とつとつと刺身に削ぎ切り,傍らのアルミ鍋の湯で酒に燗がついたら,電灯の下,白い息を吐きながら,メバル一切れ一切れの甘みを噛みしめてゆく独酌。これがまた,いいのである。雪中に籠もる虫のような自分がある。

 さて,問題はこの冬,今年は2月今頃になって,そんなことがまだ一度もないことだ。今年はあと何回雪が降るのだろうか。雪の夜のこの愉楽を,どうか失う日が来ないことを,願い,祈るのみ。我々がいくら人事を尽くしたところで,天の摂理にはかなわぬ。

 境港の古き地引き網の時代を知る古老は口を揃えて言う。「大山と島根半島にしっかり雪が降らんと,サカナは沸かん」と。
 例年,3月半ばから雪が止まって晴天が顔を出すようになると,大山に積もった根雪は少しずつ溶け出し,それは木々の葉から落ち,岩をつたい,土壌の栄養塩類をたっぷり含んだ清冽な天水として,ジワジワと時間をかけてゆっくり川へ,あるいは伏流水へと補給される。それらの終着駅は美保湾だ。
 そして,この真水の栄養によって,まだ海の水が冷たい沿岸水域に,冬独特の“赤潮”が発生するというのだ。夏ならぬ冬の赤潮。これが春のプランクトン発生に先んじて,美保湾の豊かさをつくるのであろう。

 前回ログ「今期のメバル事情2008(2月中旬現在)」でも述べたとおり,このような雪による真水の供給は,雨のように急激な温度変化をもたらさず,海藻類および全ての生産力の基礎となる植物プランクトン発生の源となる。
 まさに,日本海の豊かさは,大山(だいせん)を含む中国山脈によって維持されているということだ。想えば大仕掛けなしくみで海の豊かさは保たれている。

 雪を受け止め滞留させるのは山の森林であるが,日本には昔から,「魚付き林」として沿岸の漁師達が,陸上の森林を守ってきた歴史がある。
 サケの遡上が見られ新潟県村上に流れる三面川では「枝一本,首一つ」,つまり,木を一本切ったら首を切るぞ,という厳しい掟を科して,藩が海岸の森林を守ってきた歴史もみられる。
 私が調べ歩いた長崎県だけでも約800カ所,現代では「魚付き保安林」として,防砂林とか水源涵養林などをはじめ11種類ある保安林のひとつとして森林法で守られており,みだりに伐ってはならないこととなっている。
 
 現代のように,餌を撒いてサカナを寄せるとか,魚群を大きなエンジンで追いかけ回して獲ってしまうような技術のない時代。サカナのほうから岸に寄ってきてもらうしかない時代。すなわちそれは,“サカナの側に立ってモノゴトを考えていた”時代に,いにしえの漁師の経験と,モノゴトの理を見抜く卓抜した直感力から,魚付き林は生まれた。

 つまり,各漁村ごとに,その沿岸に来遊する海洋生物だけでなく,それを育む海岸林もまた,村民共有の財産であったということだ。そのような世界では,釣りといえども外部からいろんな最新兵器を備えた趣味人が入り込んで,浜の空間や浜の資源を集中的に騒がすなぞということは,全く起こり得なかったのである。
今はどうか。浜も漁師も釣り人も,質がずいぶん変わってしまった。

 誰が責任をもって海を維持できるのであろうか。心ある漁師,心ある釣り人,海を維持する最前線たる漁村。それらがつながることのできる現代のネット文明はどうか。
 毒にも薬にもならぬことでつながることもあるけれど,つまらぬことばかりではない。私はこのシステムに一縷の望みを見いだして、発信している。

 昨夜から,今年ようやく初めての“積もる雪”が降り始めた。今、窓越しに広がる境水道をはさんだ島根半島も、すっかり雪景色に変わった。
 この雪に助けられて海の生物がどのような活動を見せてくれるのか,それをじっと思いめぐらす静かな週末。こんなの久しぶりだなあ。
  

Posted by ウエカツ水産 at 17:08Comments(12)釣・環境・水産

2008年02月13日

境港発 今期のメバル事情2008(2月中旬現在)

先週末は,北西の風がパタリと凪いで,出張前仕事帰りの30分一本勝負。
それにしても,,,

「往復夜行バスを使った九州日帰り出張」なんてスケジュールは,いいかげんヤメにしたいものだ。夜行バスで行って一日仕事してその日の夜行バスで戻ってくるのは,→2泊1日??,これを日帰りと言っていいのかどうか。学生の貧乏旅行にしたってもう少し余裕があろうにと思う。
 ともあれ当夜,25㎝ほどのメバル・カサゴ・ムラソイと3種型揃いで各1尾ずつ,きれいに釣れて,ハイ終了。オカズ釣りはかくありたいもの。最短時間の最大効果。この時期のいるべきところではないとはいえ,今年ならではの“いるべきところ”に,やはりいる。

 なるほど。今期,産卵場も枯れており,群れで来遊する餌が少ない中,どこか餌のあるところは,となれば,こんなところでウロウロ餌探ししているわけね・・・,とは潮通しの良い平場の斜面で今期11月には30㎝越えのカサゴやヒラスズキが出たところなのだが,安定漁場なるかと喜んだのもつかの間,旨くないんだな,これが。

 塩煮(過去ログ「塩煮の世界」参照)にしてみるとハッキリわかる。茶メだから身はしっとりしているものの,皮やヒレ際がムッチリしていない。煮汁に濃厚さが出ない。つまり“コラーゲン質”が足らんのです。
 ね,繁殖力旺盛な人間のオス諸君,コラーゲンですぞ。オスだろうがメスだろうが,繁殖活動に全て使っちゃってるわけですよ。急流の淀みから出た体型のいい茶メバルの♂であったが,腹身が薄い,味が薄い,コクがない。男もコクがなくてはね。 
資源維持の観点のみならず,食味の面からも,やっぱり産卵期まわりは釣るもんじゃない。せっかく味わっても寂しくなるだけでは悲しい。これじゃあ釣られたメバルがお気の毒。

 かといって,定期的に探っておかねば動向がわかりにくい。さりとて釣って痛めて放す,というのも趣味に合わぬ。なら釣らなきゃいいじゃねえかと言われて当然だが,でも動向をつかんでおきませんと・・・。などとバカげた輪廻地獄にはまりつつも月日は過ぎてゆき,メバルの体も本調子が期待されるところ。

 二匹めのドジョウを狙って翌週の凪を同じ場所でやったみたところ,数日来の冷たい雨でドカ濁り+急激な低水温+川のような潮流。今期,スパッと狙えるチャンスがどれほどあるものやら。とにかく今年はマイナス要因が多く,環境変化がめまぐるしいので狙い打ちが難しい。

 いたしかたなく,帰り際の漁場に寄れば天は我を見放さず,期せずして25㎝前後のマアジ入れ食い。12月に来ていた同サイズのアジ群れは既に沖の深場に去ったハズ。こんな時期に,どこから来たものかと首をひねりつつ,さっさと1㎏ばかり蓄えて終了。この手返しと選択的型の良さがワームアジ釣りの骨頂。ただ,変則的なこの時期に好機に遭遇したとしても,次はいつ獲れるかわかりませんからね,これでしばらくは釣らなくても大丈夫。根魚だったら釣り過ぎは御法度なのでこうはいかない。青ザカナならではのこと。

 案の定,この翌日には群れが消え,以来今までアジのアの字も見当たらぬ。
獲れるままに獲るのではなく,「今獲らなくては明日にはなくなってしまうのか」,逆に,「今獲らなくても明日もあるのか」,そして,「今獲ってしまっても差し支えない相手なのかどうか」。このへんの状況把握と判断が,計画の立ちにくい自然相手に安定的魚食生活を設計するオカズ釣り師の課題である。ま,ラックも重要な要素ではありますが。

さて本題。境港の今期のメバル,中間報告です。
問題は,「今年の“ナゼ”」,であって,境港のそのあたりを少々。
まだ十分に整理していないが,ご参考まで。

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【 2007年10月~2008年2月上旬の概況 】

 昨2007年,例年10月から始まる当地のメバル釣りは,過去ログでも述べたとおり,10月中~下旬に数日間連日の好釣果が得られたものの,11月中旬に入って低迷しはじめ,冬季産卵前の盛りたる12~1月も釣果はパッとしなかった。例年以上に海況が安定しないこともあり,連日で釣れる,ということが少ない。
 粘れば大型が出ることもあるが,継続性に欠ける。島根半島や中・西部,鳥取県の東部などでは,ソコソコ釣れてますとは聞いているが,ここ境港界隈では,日々安定したオカズ獲りと言うにはほど遠い状況が続いた。粘って単発では意味がない。達人諸氏が活躍しておられるその他の日本海各地や瀬戸内海あたりではどうであろうか。



【 釣れるメバルと餌生物の状況 】

 本年10月から2月現在までの期間を,サカナの釣れ方と胃内容物の状況から判断すると,概ね3期に分けることができる。

●「第1期」10月中~下旬
 例年のこの時期ならば20㎝前半が少しずつ継続的に釣れるような実績ポイントでは,極めて短期あるいは単発で,数が釣れても1日で終わりとか,1尾で終了あとが続かず,といった調子で推移した。数が釣れるときの胃内容物はシラス,単発終了のみの場合はほぼ空胃であった。
 この実績漁場での短期集中ぶりは,10月中旬に異例に早い時期の短期間,一時的に吹いた北の風によってシラス群が接岸し,これをメバルが追っていたことによって生じたもので,いわゆる“産卵接岸”ではなかった。その証拠に,生殖器官の熟度が極めて低かっただけでなく,まもなく今期冬の特徴であった東の強風が頻発するようになってシラス群れが離散すると,同時にメバルもいなくなった。
 釣れたメバルは,ほとんどが青メであり,茶メは,ごくわずかであった。本来は青メが釣れる時期と場所ではない。
つまり,本来この時期にコンスタントに見られるべき「茶メ」の索餌接岸は,実質ほとんどなかったといえる。
 
 実績場所で上記のような現象が見られた傍ら,相変わらずの高水温が続いていた中で連日数尾ずつ20~25㎝が釣れていた場所があった。
 これは,過去4年間,メバルに関しては小型しか釣れないと見放されていた場所,あるいは砂泥底なので根魚はおらぬと言われていた場所の岸壁や小さな沈み瀬周り,などを再開拓した結果である。
 これら再開拓漁場は,実績漁場よりも美保湾の沖側に位置しており,ここでは茶メが8割を占め,2割が青メ,岸壁沿では過去3年間この時期で初めて23㎝前後の赤メが混じったが,型も体型も安定していたわりには,胃内容物は全てメガロパ(カニの幼生)など粒型の走光性浮遊生物であり,シラス等魚類やゴカイ類は全く見られなかった。

●「第2期」11月初~1月初旬
 10月に単発で終わった実績漁場には相変わらずメバルの集中的な来遊はみられず,底層を探れば小カサゴの山であった。

 10月に良型メバルが連発していた再開拓漁場においてもキープサイズのメバルは消えて15㎝台の小型が主体となり,代わりに25~30㎝の抱卵カサゴ♂♀の集中漁獲があった。 
 例年,カサゴの抱卵はメバル産卵後の3月あたりでピークとなるはずであるが,実に2~3ヶ月ばかり産卵開始が早まったことになる。胃内容物は,全て小型のカニおよびテッポウエビなど底性甲殻類であった。

 なお,この時期12月を中心に,マアジ実績漁場では例年通りワームに連日釣れ盛っており,25㎝オーバー主体に量的にはコンスタントに確保できたものの,本来この時期の脂の乗りではなくヤセ型主体。胃内容物はカニの幼生等に加え,ごく少量のシラス類であった。

●「第3期」1月中旬~2月上旬
 1月中~下旬には実績漁場でようやく成熟した23㎝前後の抱卵♀メバルが散見されたものの,全て単発で終わる。胃内容は,ほぼ空胃。茶メと赤メ。ポイントは小さな沈み瀬のある平場ないしテトラ帯であった。
 例年この時期,1月中旬をメドに数尾は釣れてくる尺クラスの♀は,今期は釣れていない。
 また,2月に入ってから,既に産卵が終わっていなくなったと思われたカサゴの抱卵が実績漁場の小カサゴに見え始め,これも異例のことであった。

 一方,再開拓した漁場では,良型カサゴは消え,かといって良型のメバルが来るわけでもなく,茶メの小型が山ほど。港湾奥の港内漁場も同様。
 いわゆる春の雨後のタケノコのように湧き出る「タケノコメバル」というヤツだが,これは例年2月下旬あたりから出てくるもので,1ヶ月ほど早い。各漁場とも風向きによってはごく少量のシラスやシラウオなどサカナ系餌の来遊があったものの,これを追う良型メバルの浮上はなく,小型がこれを追いかけ回していた程度であった。



【 今年の“ナゼ”を考える 】

さて,
カサゴの産卵期のズレは昨年も同時期に1ヶ月早まった上に長期化していて気になっていたところであるし,マアジの体型のバラツキも昨年にもまして特にひどく,餌の量・質との関係上放っておけない現象ではあるが,ここではメバルを主体に有用な情報を整理してみよう。

まずは釣れ方について。

①10月に短期集中で釣れ盛ったメバルは,短期的に来遊したシラスを追って接岸したものであり,成熟しておらず,シラスの群れの離散に伴い,いなくなった。餌を求めて大きく索餌回遊することの多い青メ主体。
②再開拓漁場で釣れた胃内容が甲殻類の幼生主体であったこと,釣れたメバルの体型,および他漁場では青メ主体でしか釣れていなかった状況を合わせると,10月に釣れた茶メは,ほぼ前シーズンからの居付きであった可能性が高く,いわゆる索餌接岸ではなかったと推測される。
③11~12月にかけてシラス等の魚系餌を狙って接岸すべきメバルの来遊は少なく,釣れても単発,胃内容物は甲殻類の幼生などであった。茶メ主体。
④1月に入り,中~大型の抱卵個体が単発で見え始めたものの,釣獲頻度は更に低下し,平場の沈み瀬やテトラ帯が主体。型は良くとも空胃で,風向きによっては稀にサカナ系餌の接岸があったにもかかわらず,これを食ってはいなかった(ただし,湾奥の小メバル集中帯では頻繁に捕食がみられた)。

これに餌や海藻の発生,他生物の状況,気象など環境面の情報を加える。

⑤10月は夏場からの高水温が続いた中で,一時的に美保湾に対馬暖流の一部(相対的には冷水)が蛇行し,ここに時折北寄りの風が吹いたため,吹送流によって湾内へのシラス来遊となった。
⑥例年ならば10月上旬で姿を消すはずのマダイの幼魚が,場所によっては11月下旬まで釣れ続けていた(マダイの幼魚の沿岸での生活圏は,多くの場合メバルのそれとかなり重なっており,水温の季節的変化に伴い同じ空間を一部交代で利用している。つまり,子ダイが釣れ始めたらメバルは終わり,子ダイが消えたらメバルの始まり,というのがここ数年来のサイクルであった。つまり当地において,マダイ幼魚はメバル漁期終始の指標となり得る)。
⑦11~12月にかけて東系の風が吹き荒れ,北西風が安定せず,沿岸へのシラス来遊が阻害された(東系の風は,北東から南西まで風がめまぐるしく動いていくことが多いため,安定した表層吹送流が形成されず,シラス等表層生活を主とする餌の離散につながる)。
⑧12月あたりから繁茂を開始すべき冬の海草類が発生せず,海藻を生活基盤とする餌生物(ワレカラやエビ・アミ類)は見られなかった。一方,甲殻類の幼生の発生・着底,およびその他の底棲甲殻類の存在は,例年どおりであった。
⑨1月に入っても冬の海藻類の成長は停滞しており,実績漁場において例年産卵の拠り所となる海藻空間は形成されていなかった。一方,1月下旬あたりから,冬の海藻が十分発育しないままに春の海藻が出始めている。
⑩12~1月にかけての積雪は極めて少なく,冬型の低気圧が数回接近したが,雪として残ることはほとんどなく,冷たい降雨が続いた。山間部に積もる雪であれば森林の機能と併せて安定かつ緩やかな陸水栄養分の供給につながるが,低温の雨であれば,降雨後の塩分濃度の変化が大きく,かつ急激な水温の低下につながった。

更に,あまり行かないので断片的ではあるが,境港を少し出た美保湾に接する島根半島の一部およびその先の状況を記しておくと,

⑪11月にかけて,美保湾西部の端に位置する美保関港では,境港エリアの雑賀委託漁場同様,早期から抱卵カサゴ主体で釣れており,メバルはほぼ不在であった。
⑫12月に入り,美保関港では良型・良体型のメバルが単発的に見られたが,全て茶メで,胃内容は空であった。これらは1月に入ると暫時いなくなった。
⑬美保湾外を西へひとつはずれた七類港の褐藻帯では,12月中旬に小型に混じって23㎝前後の中型も出たが,胃は空であり,全てがガリガリの痩せメバルであった。
⑭冬の海藻の生育が悪いのは美保湾に面した側だけであって,島根半島方面になると,例年通りのホンダワラ等褐藻類の繁茂がほぼ例年並みであった。

さてさて,
これら当面14の事実を眺めてみたとき,なんとなく今期現在のメバルの事情が見えてくる。

● メバルの集中接岸を促す湾外部からのサカナ系餌の来遊は,冬季の風向きに支配されやすいということ。従って,今後も外部からの餌供給がない場合には,海岸性の餌の発生のみが索餌接岸のカギを握っているということ。
● シーズン初期の索餌接岸は外部からの餌供給によって決まり,その漁場(湾,堤防)の向きに伴う環流の形成状態によって魚体の差が決まるが,今期は風が変則的であったために各漁場への餌の配分が安定せず,場所(漁場)単位で勝ち組と負け組(太っている,痩せている)がはっきりしていたこと。
● ただし,沿岸性の甲殻類の発生は局所的に例年並みであり,それが漁場ごとの居付き度合いに表れたということ。
● 総じて夏から冬にかけての水温が,産卵接岸の引き金となる海藻帯の形成及び海藻由来の餌発生のカギを握っていること。
● 冬季の降雨・積雪の状況が,沿岸の水温のみならず(おそらくは)栄養塩類の供給という意味でも,海藻および沿岸性餌の発生に大きく影響しており,この点は,半島よりも特に陸水の影響が強い境港エリアで顕著であった

ここから,当地の漁場形成要因を考察し抽出していく。

《 風について 》
例年は安定した北西風が吹く時期に東風が吹き荒れたということなのだが,
まず,北を向いて口をあけている美保湾の沖には,東北東に上がっていく対馬暖流が恒常的に流れており,これの影響を受けた沿岸の潮が,反転流として湾の東端から時計回りに西向きに回っていく。美保湾のサカナは東から来る,と言われる所以だ。

通年ならば,冬季ここに北西風が吹くと,対馬暖流に対して斜め後方からの吹送流が生まれ,対馬暖流縁辺の中にいる西海域で孵化したシラスなどの餌生物が,美保湾の環流に巻き込まれてグルリと接岸し,サカナもこれに付いて移動するというわけだ。

ところが今期多かった東からの風,これは対馬暖流の流れに対して右斜めから押し返す風であるだけでなく,その結果,美保湾に入る反転流の形成を弱め,仮に合間に北寄りの風が吹いて餌が入ってきたとしても,再び東風に戻れば,餌およびそれを追うサカナの湾からの排出を追い風の形で早めてしまう。更に,この時期の東風は南西方向まで振れながら吹くため,せっかく岸に寄った餌を沖へ向けて離散させてしまう。
 今期,釣れても短期集中あるいは単発であったひとつの要因が,これだ。

《 潮について 》
 潮には,天体の動きに伴う「潮汐」によるものと,風による「吹送流」とがあるが,主に沿岸性餌生物の活動およびメバルの食い気を左右するのが前者,主に外部から供給される餌の種類と量を左右するのが後者である(これが一時的な活性化に貢献することもある)。
 
今期は,先述した不安定な風環境によって吹送流による餌供給が阻害され,更に後述する続いた冷雨によって湾内への流入水量の変化が激しく,漁場での実質的な潮の動きにも影響が出た。つまり,2タイプの潮の両方ともが変則的であったため,総じて潮汐表に基づいて過去の実績に照らして狙いを定めても不発が多く,その原因が特定しにくかったわけである。

《 水温について 》
 水温は,上記,風と潮に加え,陸水の流入も大きく関与し,繊細な餌生物であるシラス等餌となる魚類の孵化率および成長に影響を与えるものであるが,それと並んで影響を受けやすいのが海藻の胞子であり,またそれら着床後の発育である。
これは,産卵環境という意味で,また,春に向けて発生する海藻依存型餌生物の基盤として最も重要。逆に,稚魚を放出する早春に,♀は,稚魚の餌となる生物が確保されやすい海藻帯を産卵場に選択するということでもある。

今期の産卵接岸の停滞は,11月までの高水温,および1~2月にかけての急激な冷水の流入によって,海藻帯が形成されなかったことが大きな原因であろう。

《 餌について 》
 結局,釣りの原理を支える餌の事情は,上記相互に不可分の3点,「風・潮・水温」に全て支配されている。あとは元本すなわち親からの“タネ”があるかどうかだ。
 
とまあ,こうしてみると、なるほど自然は,何が先とは言わずグルグル回っている不可分の世界だ。



【 “それ”はどこにいるのか 】

 さて,,,
 釣れる釣れないは別にして,岸寄りでは影が薄い今期のメバルが,それではこの時期,どこで何をしているのか。これがやはり疑問として残る。
 当然のことながら,どこかで餌を採り繁殖しようとしているのにちがいないのであって,諸事情により今年は産卵をとりやめましたのであしからず,などという器用なマネは,いかに適応性の高いメバルとて極端すぎて無理。
 
 生物の本質をたどれば,「生まれてから死ぬまで食い,その間で子孫を残す」,ということであって,無論サカナも例外ではない。“食う・寝る・休む,子を作る”の4点セットを必ずどこかでやっている。そして我々釣り人からみれば“餌なきところにサカナなし”が基本ではあるが,しかし子作りが食欲より優先されることもあるのが生命の力たるところ。ソレとアレとをたぐっていくと,メバルの動きが見えてくる。端的に言うならば,サケを見よ。餌があろうがなかろうが,子を残すために行くところには行く。餌,ばかりではない。

『通常の索餌のための餌場はどこにできるか』,
『繁殖のために栄養をとる索餌をどこでおこなうか』
『交尾後の♀が産卵するための適地はどこか』
『回復のための索餌の餌場はどこでできるか』。

 1月中旬,友人の船に頼んで調査範囲を広げてみたところ,ひとつのヒントが,意外とスンナリ出た。この時期メバルは,『沖で集まっていた』というのが結論だ。
 正確に言うと,「集まっていた」のか,接岸のタイミングを「待っていた」のかはわからない。ここでは場所に関する詳細は書かないが,沖合の一定条件を満たした場所では,抱卵良型メバルが,ちゃんと例年並み繁殖期の1月に,しかも連発して釣れた。わかった,もうそれ以上触りなさんなと言って調査終了。

結局,
『メバルの感覚は例年並みであったが,今期の餌およびその他の環境が,索餌や繁殖にとって変則的で条件として整わなかったため,それに応じて許容範囲内での接岸にとどまった』 というのが解釈としては妥当であり,餌的にも,産卵的にも,それらに関わる水温等環境的にも,その限界が沖の漁場であったということなのだろうと推測される。

 一度は岸に入ってきて環境が整わなかったから沖に戻ったのか,あるいは沖で必要十分な環境が整ってしまったのでそこから動かなかったのか,はたまた何らかの感受性で岸がダメであることを察知したのか,それはここからはわからない。
 が,沖漁場の調査結果から推すれば,1月から2月上旬に単発で抱卵♀が釣れた状況は,メバルが岸寄りはダメだと察知したしたときに,DNAゆえか,それでも例年の場所に行きたくて我慢できず,たまたま体力的に劣環境を乗り越えることができた個体,逆に,よそに産卵適地を探すことが出来なかった個体,そんなヤツが,岸から竿が届く例年並みの範囲に接岸あるいは居残り,結果として単発に釣れていた,というのが真相だと思われる。
 おもしろいことに,このような“やせ我慢”タイプはほとんどが赤メ,加えて若干の茶メであった。おしなべて赤メは,メバル3型のうち最も“場”に対する執着が強い。藻や構造物に対する依存度が一番高いのが,この型だ。
人間でも執着が強い人は難儀な目に遭ったりしてますねえ。などと言ったらメバルに失礼。

 先述した沖漁場では,1月の中旬段階で既に完熟した放卵寸前個体を多く確認しているわけだが,2月初旬のいまだに♀が接岸していないところをみると,今年の抱卵メバルは,岸よりも“比較的”環境の安定していた沖の中深部海藻帯や構造物周りを中心に産卵を終える見込みだ。

 従って,「これから季節が進むにつれて抱卵大型個体が接岸してくれるのではないか,水温が高かったので単に遅れているだけではないか」,といった期待は,すっかり崩れたことになる。
 もし今後産卵接岸があるとすれば,ここしばらくのうちに岸寄りの海藻が急速に成長して環境が整ったところに産卵の遅れた♀が接岸する,というような淡い可能性が残されているのみで,今の状況からするとおそらく単発で終わるであろうし,それも,環境が整ったら,の話であって,当方のオカズ供給のアテにはならぬ。だいいち,抱卵メバルは旨くないのだから。



【 メバルは来るか 】

 いずれにせよ,次なる懸案として「産卵後のメバルは接岸するやいなや」,という問題が浮上するのであるが,そのカギとなるのは,これまで整理してきたコレとソレとアレだ。
 これらの状況によっては沖の漁場に停滞したまま,ということもあり得るはずだが,沖に回復するに足るだけの十分な餌がなければ,必ず岸に回ってくる。これは“来ざるを得ない”。さてどうなるか。

 やはり当面の指標としては,海岸で発生する餌。
 春の海藻がどこにどれだけ生えるか,そして今年はあるかどうかわからないけれど,稚アユの遡上に先立つ港内迷入,及び春のイカナゴの発生(これは昨年,境港では7年ぶりにあったのだが),これらがあるかどうかに期待している。シラスは既に成長してしまっており,その後どこに行ったのか音沙汰がない。外部から来遊する餌がこのまま入ってこないのであれば,岸寄りで発生する次の餌に期待するしかない。

 境港はここ数日,今日も冷たい雨雪が降り続けており,餌にとっても海藻にとっても,当然メバルにとっても快適とは言い難い。しかし,釣りはせずとも日々の観察。ジグヘッドをはずし,糸の先にガン玉つけて,海底を触って歩くだけでもよいではないか。地道な努力はアトほど効いてくる。

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【 その後の話 】

 上記を記した一週間後の今,2月中旬,実績場所で,まとまった数のメバルが出た。
23~25㎝の茶メが4つ,20㎝そこそこが3つ,うち赤メ1,あとは18㎝の茶メが2つ。ささやかではあるが,40分勝負の必要十分量。10月以来,久しぶりのまとまった接岸だ。これは次の時化が来るまでの3日間,潮汐に合わせてずれていったが,遜色ない漁獲が続いた。

 胃内容は,茶メではたっぷりの浅海性のアミ類(1㎝前後)と,赤メでは岩礁由来のグソクムシの仲間が少し混じった。海岸由来の餌の発生が始まっている。
 これらはいずれも運動能力が低く,特にアミ類は,緩い潮が効いてくると群れで海底から少し浮き上がって定位しながら植物プランクトンを補食する。力のないサカナにとっても苦労なく食える餌で,低水温下・回復期の弱ったメバルにとってはうってつけだ。従ってアタリ方は,ポク,と押さえてしばしじっと動かないような出方をする。

 全て茶メの♂ということは,むろんもはや産卵接岸ではない。回復初期の索餌回遊が始まった。
交尾を終えた♀は卵の成熟を待ちつつ暫時沖の適地にて今も産卵中であり,♂は交尾を終えてしまえばフリーなので,回復するべく餌を求めてさっさと移動する,ということで,お先に到着いたしました,というわけだ。卵胎生のメバルならではの摂理と動き。

 しかしながら、回復初期だけあって,型は良くても痩せているし,食いはあっても引きが弱い。水温も冷雨で低くなっているので,目の前に餌が来ないと難しい。従って,ベタ底を舐めるデッドスローが基本。

 そして潮。一般的に潮が流れれば食いが立つと考えられがちであるが,沿岸性アミ類を食っているときのメバルは単純にそういうものでもない。むろん動かなければダメなのであるが、かといって一方的な強い潮であれば,アミ類は海底の淀みに沈んで固まるか一方向に流されてしまうので,結局潮が止まっても流れすぎても食いが悪い。従って,潮が小さく頻繁に行きつ戻りつしているとき,すなわち,日本海では大潮周りの潮位差が少ないとき,アミの群れは海底に立つ。これが時合いの狙い目だ。

 それにしても大切なのは誘い。
 早春に発生して潮に対して定位しながら底層に群れを形成するアミ類が,どのような動きをするか,皆様,ご存じでしょうか。これを竿で表現するのは,ちょいと難しい。まず長い竿ではできない。張りのない竿ではできない。かといって,アタリ方は小さいので穂先が繊細でなければいけない。そんな竿はあるのか?。
このお話は,まとめてまた後日。

 先週、念のため,再び船を頼んで沖の漁場に行ってみると,♀の産卵が終盤になったとみえて,げっそり痩せた♀が見え始めた。やはり接岸しないまま沖で産卵を終えつつあるようだ。比較的藻場が形成されている半島方面では,どうであろうか。尺も出ているらしいのであるが,それが♂なのか♀なのか,型(3型)は、そして胃内容物は何なのか,そこがいちばん気になるところ。

 境港は,西は宍道湖・中海・境水道,東は日野川から由来する大量の陸水の流入があり,また流入先である円弧型の美保湾は,島根半島と大山に挟まれて気象や海洋環境が独特だし,おそらくこの地から導き出された考察は,ここでは通用したとしても仮に日本海の近隣であっても適用できない可能性がある。とはいえ今日にあっては日本沿岸全体の連動的な海の変化も見逃せない状況なので,それだけに同時期の他の地域の状況が知りたいと思う次第,

 全国メバル釣り師による状況分析ネットワーク,地域ごとの特派員,みたいな体制ができたら,もっといろんなオモシロイことが見えてくるのだが,誰か一緒にやらんかなあ。

 特に気になるのは,日本海と瀬戸内海との連動性だ。両者とも,山脈を挟んで南北に並んだ大きな池みたいな海。たとえばアジ,シラス,これらの同時期の体長のバラツキは,日本海と瀬戸内海で時期が同じでなくとも,2年前からひとつの傾向として表れている。これが意味するところは何なのか。ひいては,これから変わって行くであろう海を相手に,釣り人は,漁師は,サカナを食べる我々は,何を考え,どうしていったらよいのか,それを釣りや食や水産業を通して模索するのが,当家の目下の課題だ。

 ま,何事も変則的な今年ですから,せいぜいアタマを柔らかくして構えておきましょう。これからどうなるかは予断を許さぬところゆえ。

 少なくとも春の餌は徐々に発生し始めたようなので,早晩まずまずのメバルは寄ると見ている。港湾オカズ釣り師としては,もう少し旨くなるまで,いましばらく,控えめにモニターしておくこととしたい。
  

Posted by ウエカツ水産 at 16:10Comments(2)魚・釣・環境

2008年01月21日

新春バトウバスターズ

 なんのことかいな,といえば,サカナの“バトウ”ですよ,“罵倒”ではありません。これすなわち「マトウダイ」の山陰地方名,“馬頭”なのであります。今回はこれをやっつけに行ったお話。
年の暮れ,久しぶりに会った先輩と,我が家で脂の乗ったブリなぞ肴に飲み進めた折り,彼が言うには,今年は水温高くてヒラメが全然いけんでバトウばっかしだわ・・・,などとけしからんことをつぶやいたのが発端。激高して問いただすと,これが美保湾のスグ沖で入れ食い,ということであり,たくさん釣れるのでモテ余しているとのこと。それではバトウ料理を追究してみようではないか,ということとなって出漁の相談,ひそひそ。

 余談であるが,この先輩,先東さんは,実は境港のウインドサーファーの草分け的大御所で,50才になる今も若手の指導育成に余念がない。かつてはステーキチェーンの総支配人も務めて松江や鳥取の市中で気炎を吐いていたらしいが,腰を痛めてからは長時間の立ち仕事を断念。その後は主夫として二人の子供の世話から掃除・洗濯・メシの段取りやPTAに自治会活動,果ては奥さんの肩もみまで。あいた時間で季節の山菜採りや,傍ら,2トンの持ち船で美保湾に出ては釣った魚をほうぼうに配り,そのお返しで野菜は来るわ肉は来るわ酒は飲めるわ服まで来るわというわけで,現代の原始共産制を地で暮らしている交換経済の達人なのだ。まことに,豊かなことこの上ない。昨年大腸ガンであわや死にかけたにもかかわらず,復帰後も変わらぬ生活を営んでいる。感服している次第。

 ともあれ,朝9時頃から半日ほど行ってきた。まずはサビキで大型の瀬付き大型マアジ(ご当地名“金アジ”)を10本ばかり釣ったあと,ちょこっと移動して餌の小アジを釣って,イザ。
水深20mなのでオモリも20号。ハリス5号に角セイゴ16号の胴付き2本針でアジを口掛けして沈めたとたん,モンモンモン,と食い込みましたね。待ってましたといわんばかりだ。
 最近流行のタイカブラ用の竿は,全調子で細くて,しかし張りがあって思いのほか錘負荷も大きく,それでいて値段もソコソコ。生き餌を使った呑ませ釣りを楽しむには実にいいですねえ。いわゆる“ライト呑ませ釣り”というのか,アブのバスリールとの組み合わせでよく曲がってオモシロイ。重たくやりとりしてドターっと甲板に。40㎝ほどか。威嚇するように大きく広げた背びれがみごと。
 
 餌の小魚を瞬時にスポッと吸い込む大口をもち,体の両側の真ん中には標準和名マトウダイ(マトウ=マト=的)の由来である黒い大きな紋印が白く縁取られて個性的なデザイン。この紋がハッキリしているのが鮮度が良いシルシ。シックに落ち着いた濃いオリーブ色の肌には海藻のような流れ文様が浮き出ていて,死んで魚屋に並んでいるときのくすんだ灰色とはえらい違いだ。この文様で擬態しながら静かに小魚に接近するのだな。
 釣り上げられると浮き袋の筋肉を震わせてグッグッと鳴くのが耳に気持ちよく,このサカナ独特の,やあ釣れた釣れた,という一種ノンキな充実感がある。久しぶりの対面を堪能したところで手カギで即殺してエラを切って海水で放血,発泡に横たえて氷を魚体に触れないように少し打つ。これでよい。
 餌のアジが中途半端に大きかったので掛け損じもありながら,昼までの3時間で二人とも6尾づつ。本日は入れ食いとまでは行かず,バスターズとはちと大げさであったが,食材としては十分確保ということでサッサと引き揚げた。釣りはすべからくこうありたいもんである。短時間必要量!これオカズ釣り師の目指す処ナリ。

それにしても・・・,

 マトウダイは当地にそれほど多くいるサカナではなかったハズ。それもこんなに浅い水深で。腹をあけてみれば卵巣が成熟しており産卵接岸だと知ったのだが,基本的にはどちらかというと亜熱帯温帯から温帯にかけてのサカナ。日本でいうと南は鹿児島,日本海側では能登,太平洋側では茨城沖あたりまで。
 それと,朝方釣った金アジのことなのだが,一般的にアジの旬として知られているのは脂の乗る夏。しかし美保湾の瀬付きのマアジは,例年寒の時期にガッツリ脂の乗せる,全国知る人ぞ知る上モノ,ということで,このデッカイ幅広のやつを釣るのが正月の楽しみだったわけだが,今回釣れた30~40㎝ほどの金アジは,これが期待を裏切り脂ナシ。肉の味はあっても脂の甘味と香りは望むべくもない。どうしたのだ,いったい。

 そういえば,例年秋から12月末まで釣れ盛るワームによる30㎝内外のアジ釣りでも,ほとんどのアジが脂を乗せずに痩せていたことが思い出される。
 あきらかに餌がないのだ。この時期,冷たい北西風にあおられ接岸するカタクチイワシ等の稚魚,すなわちシラスを連日腹一杯食ってこそ,金アジは脂を蓄えることができるのだが,これがない。これはメバルにとっても同じ条件。
事実,例年11~12月を最盛期として賑わう境港のシラス漁も,異例の10月に短期の漁があっただけで,その後市場に出ていない。やはりいないのか。
 死滅したのか,どこかにいるのか。今年はとにかく釣りに出るたびに変則的なことに遭遇するため,悩みが多い。今年,海は,明らかにおかしい。心配していたことが急速に現実となりつつあるのか。

この件については別途詳細を書かねばなるまい。今は目前のバトウと向き合うべき。
本日の品書きを紹介していこう。毎度の如く,まずは下処理からですよ~。

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 マトウダイをさばこうとして,あらためて手にしてみると,いったいどうしてこんなサカナができちゃったのかと自然界の不思議を思わざるを得ない。平たく丸いお盆のような体の前3分の1以上を占める大きな頭,というか顔というか。その口は普段はナナメ上方を向いて収まっているが,口を開ければ前方にズドーンと延びて飛び出し,ゲンコツが入るほどの大口。頭を切り落とすと,なんと小さくなってしまうのか。
 本来はほかのサカナと同様に腹を切って内蔵をとりだしたいところだが,刃を入れたい胸から肛門にかけては,アジのゼイゴにも似たヨロイ状の突起物が2列にびっしり並んで開腹拒否。おまけに三枚におろすときに刃を入れるべき背鰭と尻鰭の付け根には,堅いトゲがズラズラと並んで,これまた包丁を拒絶。
 
 こんなことだから,マトウダイは,進化の本流からははずれたサカナとして,分類上,別個の枝分かれしたグループとして扱われており,その仲間たるやわずかに数種類のみ。多くは深海に隠れ棲んでいる。同様に白身で体型や肉質の近いカワハギ諸君などとはイトコどころかハトコくらいの関係でしかない。
 この仲間で日本でときどきお目にかかるのは,マトウダイより深場にいるカガミダイというやつで,ギンギラギンの鏡のような色をしている。シンボルマークの“的”印は同じくあって,英名はそのままmirror dory(ミラー・ドーリー)。ミラーは鏡,ドーリーは,北米で昔から使われている手こぎの平底船のこと。要は平べったいサカナを表現した名称だ。ちなみにマトウダイのほうは,john dory (ジョン・ドーリー)との名前をいただいており,なにやらトモダチのような親しみ湧く響きですな。

でもそんなことはもういいや。
問題はコイツをどうするか,ということだ。

【 マトウダイの下処理 】
 マトウダイは次のように解体していく。通常のサカナとは勝手が違うが,おそるるに足らぬ。挑戦あるのみ。構造さえわかってしまえば,むしろ他のサカナよりもラクチンだ。

①ウロコは細かく柔らかく皮下に一体となっているので食べるのに支障はない。そこで,まず体全体をタワシでサッとこすって体表の粘液をとっておく。立派な背びれは邪魔なのでキッチンバサミで切り取ってしまう。
②頭を左,腹を手前に置き,まず頭骨の後ろに刃先を背骨に到達するまで入れ,そのまま少し手前に切り下げると,すぐに腹腔に刃が入る。そのまま内臓を傷つけないように腹皮を左手でつまみ上げながら,ナナメ右下の肛門に向けてソリソリと腹皮だけを切り進める。一般的なサカナのようなしっかりした腹骨はなく,皮と薄い筋肉のみなので,ソリソリッとな。
③ここで問題の腹側のヨロイ状の突起の連なりを,刃先を使って肛門の手前でバツンと断ち切る。
④頭は左のまま,向こう側に腹を置くようにひっくり返し,肛門から左ナナメ手前に頭の境目まで,同様にソリソリと腹皮を切り進む。そして,背骨の近くまで到達したら,ここで包丁を立てて切っ先を突き立てるように背骨を切断する。
⑤再び裏返して,右手で体を押さえつつ左手で頭を引き離すと,主要な内臓とカマ,胸びれなどが頭側にくっついたままきれいにはずれる。体側に残っているのは生殖巣のみなので,これを指をつっこんで引きはずして皿に取り置き,腹腔の背骨沿いに見える腎臓,血液などを歯ブラシでこすり流しておく。
⑥頭側についている内臓のうち,肌色の肝臓の横にある薄緑の液体が入った袋=胆嚢を,つぶさないようにつまみとり捨てる。これがいわゆる“苦玉”というやつで,バトウは特に大きい。これがつぶれると全体に苦みが回ってしまうので要注意。
⑦次に,同様に肝臓をとりはずして皿に取り置く。これはお宝。そしてもうひとつ,アジをひと飲みに納めるデカイ胃袋,これをエラ元から切りはずし,逆さ包丁で開き,内壁の粘膜を包丁の刃でしごきとり,水で洗ってこれも取り置く。この胃袋が旨いんだな。
⑧残った頭からのど元を切り,エラをカマごと切りはずす。通常カマと言えばおいしいところ,と見るのが一般的であるが,マトウダイの場合,ほとんど食うところがないのでこれはダシにしかならぬので捨てる。エラのはずされた頭の前2分の1,ここで食えるところは大きなほお肉と目玉のみ。いささかさびしいが,これも洗ってとっておきましょう。

これで頭と内臓の処理は終了。
 ここまででわかるとおり,コヤツは餌となるサカナを吸い込むために必要な大口を開くための,しなやかな骨格と,それらをつなぐ柔軟な皮膜と最低限の筋肉,そして小魚を丸ごと何匹でも溜め込むことのできる大きな胃と,いくら胃がふくれても大丈夫な伸びのよい腹皮,で構成されている溜め食い生活型のサカナである。まるで“吸い込み袋”だ。胃の消化力は強いらしく,その証拠が大きな胆嚢。ここから出る胆汁は膵臓から出る蛋白質消化酵素と合わさることによって脂肪と蛋白質の消化を助けるはたらきをする,これがマトウダイは強力なんであろうとみた。というのは余談。

体のほうにとりかかろう。

⑨全体の水気を拭いた体を横たえたら,まず問題の背びれ沿いにあるトゲトゲの内側を,包丁を立てた切っ先でヒレを支える骨(担鰭骨:たんきこつ,といいます)に到達する程度にシッポまで切れ目を入れる。背側も同様に。
⑩そして,シッポを手前にし,腹を右,背を左に置いたら,既に入っている切れ目から,トゲを避けてえぐるように包丁を身と骨の間に入れていく,わけであるが,通常のサカナのように,意識的に切り進むとけっこう中骨に身が残る場合がある。包丁の刃を入れたら,むしろ押し進めるように包丁を食い込ませていくと,骨と身の間がはがれるようにメリメリと刃が入っていく。おもしろいですね。
⑪背骨の中心まで切り進めると,背骨中央部が体型の割には太く盛り上がっている。丁寧にキワまで切り進めたら,身を少し起こすようにして背骨の頂上まで刃先を上手に使って山の頂上まで切り進めましょう。
⑫ここまでやったらそのままシッポを向こう側に回すと背側が右。ここを同様に切り進み,背骨の山越えを経て,通常のサカナであればここで包丁を立てて腹骨を断ち切って身をはずすところであるが,このサカナの場合,腹骨も細く短く脆弱なので,そのまま包丁を寝かせたまま切ってしまうことができる。これで半身おろし完成。反対側も同様にして三枚おろしだ。
⑬ここでまたまた不思議なことが。三枚におろした身側を上にして,よく観察していただきたい。まず中骨あるいは血合い骨と呼ばれる小骨が,どこを触っても見当たらない。そもそも血合いが存在しない。それどころか,一枚のおろし身が,おのずからタテ3つに分かれて皮一枚でつながっているではないか。これに近い身の分かれ方をするのが,そう,タチウオなんかであるが,全く親戚でもなんでもない。ワカランワカラン。でもまあそういうふうに出来ているということなので,分かれ目に沿って包丁をタテに入れ,3つに切り分けましょう。これで完成。

【 マトウダイの刺身および昆布締め 】
 マトウダイの身肉は,白身の中でも柔らかい部類。実家のジイサマなどに薄造りを食わせると「柔らかいフグといったところだな」などとつぶやいているが,フグほどの甘味とコクは持ち合わせていない。味の引きはいいのだが,いささか水っぽいといってよかろう。
 また,通常そこそこの体格をもった白身魚は活け締めしてからスグは甘味が乗らず,舌触りも悪く味気ないものであるが,マトウダイに限り,ちょっと事情が違う。締めて持ち帰ってスグならモッチリした食感を伴う甘味があるが,逆に硬直が終わって熟成(自己消化)段階に入ると,とたんに水っぽさを増し,甘味が低下する。姿ばかりか,味の出かたまでヒネクレ者なのだ。

 そこで,刺身そのままで旨く食うなら死後硬直終了まで。それを過ぎたら何らかの形で旨味を補ってやる必要がある。ということになるのだが,どんなもんか,食べ比べてみてはいかがでしょうか。ではやってみよう。

●刺身①(そぎ造り)
①三枚におろし,三節に切り分けた身の皮を包丁でひく。この皮はあとで別料理に使うのでとっておきましょう。
②皮側を下にしたままシッポの方から3~5㎜程度,厚めのそぎ切りとする。薄造りに非ず。このとき,包丁を寝かせた断面積の広い切り方ではなく,若干包丁を立て気味にして,ややポッテリとしたそぎ切りに造るのが,このサカナの淡味には合う。
③ワサビ醤油でも悪くはないが,肉の味が淡いため,すぐに食い飽きる。醤油に一味唐辛子少々を振って,好みでこれにレモン汁を垂らしたやつをちょいとつけて食うのもいい。

次に,同じ刺身でも,少し変化をつけていく。

●刺身②(細造りレモン締めネギ和え)
①三節に切り分けた身の皮を包丁でひき,身の表面をペーパーで拭いておく。
②身の全面に軽く塩を当て,20分ほどして表面にヌルミが出たら,皿ないしバットに映してレモン汁を絞り,しばらく身を返しながら全面に絡ませる。表面が白くなったところでよしとする。
③シッポの方から5㎝×5㎜程度に短冊状に細く切り,これに細ネギをみじんに切ったものを適量,サッと和える。これだけ。味は潮で既についているが,物足りなければ食べるときに薄口醤油少々をたらしてもよい。

このレモン締めネギ和えは,ヒラメや鯛など,ほとんどの白身サカナで通用するばかりか,アジやブリの脂が乗っていないやつなど青ザカナでやっても,塩で引き出されたサカナの旨味と青ネギのちょっとした変化,そして爽やかなレモンの酢臭くない酢締め風味の合わせがなかなかに旨く,気の利いた料理だと思う。
しかも,まな板の左側でサカナを切っておいて,右側でネギを切って,包丁の刃先と左手の指先でサッサッとまぶすように和える手軽さも,たいへんいいわけです。 

 それでも,白身のくせに,なんでややこしいことをしなきゃならんのか。黙って普通の刺身に切ってワサビ醤油ではいかんのか。というご指摘の方に説明いたしますと,
 実はこのサカナ,独特の青臭さをもっている。その臭味は,スズキのように粘液に由来するものではないらしく,皮自体に潜んでいるので,過去ログ「スズキの臭味」で述べたような塩と酒による臭味抜きではとれない。では臭味にはショウガかといえば,これには身の味が負けるときている。ワサビでも,この青臭さが若干残る。そこで食べる際にちょっと柑橘と薬味の力を拝借,というわけ。

ところが,これを昆布締めにするとなると様子が変わってくるので,これまたオモシロイ。たとえばこんな具合。

●昆布締め
①幅広の昆布を二枚用意し,たっぷりの酢を含ませたペーパーで拭いて置き,柔らかくしておく。酢で拭くことによって,昆布からにじみ出る粘り気が抑えられ,いわゆる昆布臭さが出ず,すっきりした味の立ち上がりとなる。
②柔らかくなった1枚の昆布の上に,刺身と同様にそぎ切りにした身を半分づつ重ねて全面に並べていく。
③片手の五指を酢で少しだけ湿らせて粗塩を軽くとり,両手の平の閉じた指の部分だけをコスリ合わせてまんべんなく塩粒がいきわたったら,その閉じた手指で昆布に乗せた刺身の表面をポンポンとひとめぐり叩いてやる。職人さんは高いところから振り塩,なんてやるのであるが,我々はこれで塩加減達成だ。合理的にいこう。
④もう一枚の昆布を上からかぶせ,軽く重しをかけて冷蔵庫へ。バットか皿に入れて砥石を乗せるか,もう一枚皿を乗せるか等々,全面に一様に重さがかかるよう工夫すればよい。
⑤10分後から食べられる。そんなに短時間で?と思うかも知れないが,このサカナの塩および昆布風味の浸透は早い。細胞の結合が緩いからだ。
⑥上に乗せた昆布をはがしてそのまま長皿に乗せて食卓に今日するのも昆布締めらしくてステキだが,むろん,一枚ずつはがした切り身が互いに貼り付かないように少しずつずらしてこんもりと,濃い色目の小皿や小鉢に重ねて盛りつけるのも,白身の昆布締めには似合ういい景色だと思う。ご家庭でもぜひ。

 そもそも昆布締めの味わいには「浅漬け」と「古漬け」の2つの味わい方がある。この点,それぞれの作り方も含めて過去ログ「アカミズ三昧」で少し述べた。すなわち,塩によって引き出された透き通ったサカナの甘味の奥にかすかに昆布の旨味が顔を出している,とすべきか,昆布の旨味がサカナの身肉を媒体として飴色にぎっしり詰まっている,とするかであって,いずれにせよ,中途半端だとつまらない。
 最近はいろんな店で昆布締めを出すようになったが,この中途半端が多いように感じる。総じてサカナを味わっているのか,昆布の旨味を味わっているのか,わからなくなる。それにだいいち,浅漬けはワサビ,古漬けには和辛子が合うというのに,どちらを所望していいか,こういう判断に困る味は困る。作り手の意図をうかがいたい,とまでは言わないうちに,だいたいは醤油だけで黙って食うのであるが,料理を追及するまごころに触れられるわけでもなく,半端ゆえにうるさく効き過ぎたコンブ味が,そこはかとなく寂しい。まあ現代大衆飲食業はそれでいい面もあるのでしょうけれど,日々の研鑽ないままにいつまでも同じことを繰り返しているとしたらいただけない,でございましょう。

 さて,ちゃんと段取りして冷蔵庫に入れたのに,わずか10分で取り出すなんて,冷える間もありゃあせんですな。冬場なら常温でもよしとしましょう。切り身がうっすらと半透明になったら出来上がりのサイン。
 こうして出来上がったマトウダイの昆布締め。刺身のときに感じられた水っぽさも抜けて,ほのかにコンブが香り,噛み下して飲み込むときに旨味がジワッと残る。これは,刺身よりもはるかにワサビと合うんです。逆に,刺身でやったようなレモン汁とか唐辛子やネギを用いた食べ方では合わなくなる。まずは醤油をつけずにワサビだけで味わってやっていただきたい,塩味がついてますから。じゃによって醤油をつけるときは,端っこをほんのちょっとだけね。

 このように,同じ生でも刺身と塩や酢で締めたものとでは,合う調味料も薬味も異なる。
前回の記事でサバ料理をやったときにも,刺身とシメサバで,似たような関係にモツレ込んだような・・・。とまあ,その問題は後日に回し,そのようになっているということでありますのでヨロシク。

 淡味なものほど淡味な調味が合う,というのは例外もあるにせよ,素材の味を前面に出そうとする限りは概ね合っており,その点,マトウダイの生食い方法のご紹介は,この程度で止めておこうかと思う。ほかにも皮付きで1㎝厚の短冊に切りつけた湯引きをポン酢で食うなど,そこそこ旨い食い方もあるにせよ,湯引きに要求されるシコッとした食感が弱いと思うし,あるいはたとえばかのカルパッチョなどやろうものなら,すっかり油や香辛料に負けてしまうほどの淡味なのであるから,あんまりいじくるべきではないと存ずる。

 とはいえ,せっかく釣ったマトウダイ。加熱すれば生とはまた違って,ガッツリと醍醐味を味わうことができるので,それらのうちから2点をご紹介。特選バトウ料理である。

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【 マトウダイの塩焼き 】
 水っぽくて味が薄いと言われがちなマトウダイ。これを単に塩焼きにしただけでは,これまた味の薄い塩焼きなのではないか,とご心配の皆様,これが焼くとなると大変身。加えて,ちょいと小技を使わせてもらいます。

①焼くときに邪魔となる大きな背びれをキッチンバサミで切り取り,包丁の刃先を使ってエラと体をつなぐ膜をぐるりと切り,エラの付け根を断ち,そのまま内臓と共に抜き取る。②体の右側の腹側下方を胸から肛門にかけて切り,残った内臓をとり除き,背骨に残った血合いをこすり取り,腹腔内および体表の水気を拭いておく。
③体側の紋印があるところを中心にバッテンに,骨に到達する程度まで切れ目を入れる。通常,サカナを焼くときの切れ目は,首の付け根から尻ビレに掛けて一本入れるだけにしているが,こいつだけバッテンにする。これにはワケがあるので後述。焼くときにワカル。
④手を少々濡らして粗塩をつけ,ペタペタと薄く全身および腹腔内にも塩をして,そのまま30分置く。本職さんは尺塩なんて振るところでしょうが,全体に塩をまわしたいとき,これのほうがよい。我々は,これまたこれでよし。
⑤うねり串を打ち炭火で焼くのがいいが,図体が入るならばグリルでもOKだ。サカナを入れる前に十分予熱しておくことをお忘れなく。
⑥焼く寸前にあらためて軽く塩を振るわけだが,これまた少しだけ湿らした右手指に粗塩をまぶし,グーに握った手をパッと開くと塩粒が飛び散る,これを利用するのです。名付けて「散らし塩」。ははは。これを2,3回やれば,まんべんなくサカナに塩が振られることとなる。やってみて下さい,上手にムラなく塩が当たりますから。塩を振ったら即座に焼きに入りましょう。
⑦腹を切った右側から中火焼き始め,7割火が通ったところで裏返して少し火を強くして3割を焼き上げるタイミング。慣れないうちは,ずっと中火でも問題ナシ。なのであるが,他方,別の問題が発生するであろう。なにしろ平べったいデカイサカナであるゆえ,狭いグリル上で裏返すのは至難のワザ,とお悩みでしょう。そこで,焼き上がった魚を乗せる大きな皿を取りだしまして,グリルの網から長い菜箸で魚体を支え上げてソウッと皿の上にスライドさせ,こんどは菜箸で魚体を抑えつつ,左手で皿を持ってゆっくりひっくり返し,体重が菜箸に移ったところで再びソウッとグリルの中へ送り返してやると,この問題は解決する。そう,大きなフライパンいっぱいの大きなオムレツを焼くとき,ひっくり返すのに蓋を使うでしょう。あの要領です。
⑧焼き上がりのタイミングは,皮目が所々香ばしく焦げ目を伴って焼き上がり,バッテンに切った身や頭についているホオ肉が,ピリッという感じで骨から浮き上がり始めたあたり。
⑨さてさて,この塩焼きは,焼き上がる少し前に準備が必要。まず,使うのは先ほどサカナを裏返すのに使った皿で結構。バターの小片をこの中央に置く。雪印なんかが出してる“切れてるバター”,あれ,便利ですね。あれをひとかけ置きます。その上にグリルから出してきたばかりの塩焼きを乗せる。サカナの熱の下敷きになってバターは溶けていく。そして,塩焼きの上面の皮にも,更に少量のバターを薄く塗りつけるのです。言っておきますが,“バター焼き”ではありませんよ,“バター塗り”であります。バターがほぼ溶けてなじんだところで一呼吸置き,熱々を食べてみい~。その味に,ヘエーッ?とオドロキますぜ。

 この「塩焼きマトウダイのバター塗り」は,我ながらそのまんまギクシャクした命名ではあるけれど,みごとにマトウダイの弱点を補ってパンチを引き出した料理だと思う。
 まず,焼き進むうちにお気づきのこととであろうが,バッテンに切った身からしたたり落ちる水分の量がハンパでなく多い。わざわざ一本でなくバッテンに切っておいたのは,これが狙いだ。マトウダイの場合,水分が落ちることによって旨味が逃げてしまうことなく,本来の柔らかい身がギュッと締まって食感と旨味濃度が増大するのである。そして青臭かった皮は,焦げ目の香り立つおいしい皮に大変身。バコーンと大きな頭の両側には,でっかいホオ肉がこぼれんばかりに反り返っている。これを噛みしめるとジャキジャキと言わんばかりの歯応えの気持ち良さ。
 
 そして,なんといっても,“なぜサカナの塩焼きにバターを塗らんといけんのか”,という問題は,香ばしく焼き上がったマトウダイの皮と肉が伝える少しの塩気と控えめな甘味に,角度の違ったバターの塩気とマトウダイが持ち得ない濃厚な風味の合わせ技,これを味わうときに,全て解消されるので,ご心配なく。
 
 まずは,バターが塗られた皮目がパリッとしているうちに,これを締まった身肉と共に口に運ぶのがおいしさのコツ。これは野趣に富んだ旨さだ。
 そして次に,皮から徐々に流れて,ほぐれた白身に染み入っていく淡い黄色のバターのゆくえが気になり始めた頃,その染みこんだあたりが,また別の,こんどは上品な旨さ,なのですよ。
 ビールなど飲みつつ夢中で食い進み,そこで裏返してもう片面に移るわけであるが,そう,サカナの下には皿の中央にひとかけのバターが置かれてありましたね。これが,今になって効いてくるわけです。人生すべからく布石が大事。段取り八割。これを仕組んでおいたおかげで,こんどは最初からじっくりバターに浸されてしっとりした皮と身肉とが深くこなれた味が味わえるというわけ。ひたすら食い進んで骨だけとなり,大きなホオ肉を噛みしめ目玉をちょっとつついたら,これで終了。

 うーん,なんでしょうな,この旨さは。
 バターとサカナを合わせたといえば,誰でもすぐに思い浮かぶのが「ムニエル」。これはいわゆる「バター焼き」とは似て非なるもので,バター焼きがサラダ油の代わりに少量のバターを用いた一種の“焼き物”であるのに対し,ムニエルとは,小麦粉をはたいたサカナの切り身を,多めのバターでじっくり火を通した,バターの少ないバター煮に近いもの。じっくりやるのでじっくりバターがしみわたるのであるが,これは西洋での白身ザカナの定番料理のひとつ。
 ムニエルは,たしかにアチラと同様にシタビラメやマスなんかでやるとじっくり旨いには違いないのだが,日本人の舌にはいささかしつこいのではあるまいか。その点,ここでご紹介したバター塗りの塩焼きマトウダイには,ムニエルにはない,小麦粉ではなくサカナ本体が発する皮と身の香ばしさと,濃厚な中にも後味のキレがよい潔さがあるように思う。バターソースなんて凝ったものではなく,単にほどよく焼いた塩焼きにバターをサラリと塗っただけのもの,このシンプルさが味を美しくしているのではないかと思う。その証拠に,洋酒はもとより冷酒にも実に合う。
 
 食を通じての私とマトウダイの因縁は,サバほどではないにせよ,実は深い。
遡ること二十数年,豪州はシドニーという街の小湾のほとりで暮らしていた折り,生きた小アジや小ダイを餌にしてマゴチ,これも1m近いマゴチがいるのであるが,これを狙っているときに,時々マトウダイも顔を出していた。だいたいが50㎝級だ。
 当時中学生であった私にとって,日常生活の中で陸から身近に釣れる大型のサカナといえば,第一にクロダイ(オーストラリアキチヌ),そして小さなボートを漕ぎ出してのマゴチとマトウダイくらいなものだった。良型とはいえ,刺身にすれば大味であるのが大陸ザカナの悲しいところ。中学生の未熟な料理であるから,結局,釣ってきた獲物は煮つけか吸い物にするか,バーベキューコンロの炭火の上で塩焼きになる運命であったわけだが,いずれもとりたてて旨いと褒められるレベルのものではなかった。刺身にいたっては,沿岸魚であえて旨いサカナを挙げるとすれば,脂が乗らなくても肉の甘味は裏切らないカワハギの類くらいであったと記憶している。
 
 味気ない魚たちがひしめく中にあって,マトウダイ,すなわち当地で言うJohn Doryはひときわ輝いていた。今思い出しても日本のマトウダイと味に遜色はなかったと思う。
 事実,豪州国内,特に東部海域における人気魚のトップに,マトウダイは君臨していた。豪州人にとってもやはり旨いモノの食い分けはあるということであるが,いかんせん食習慣は越えがたいとみえ,フィッシュ&チップスの材料から大きく抜け出せるわけでもなく,せいぜいがムニエル,あるいはホイルに包んだ蒸し焼き,あるいはそれに類する西洋料理といったところで,こうなると,はたしてこのサカナでなければならないといった食べ方ではない。

 そんなある日,定番のクロダイが釣れたため炭火焼きとしたのだが,この日は少し焼きすぎて,身がやけにバサついてしまった。味としては素朴ではあるが,とても旨いといって食えるものではない。そこで思いつきでサラダ油を少々たらしたところ,これが正解で,ギシギシバサバサが和らいで食えたのだった。ついでにコショウ少々を加えると,本来の塩焼き味からは離れるものの,これもオツであった。
 ということで,“バター塗り塩焼き魚”は,この体験の延長にあるひとつの形態だ。油で焼くのと,焼いたものに油をかけるのでは,同じ材料でもずいぶん味と風味が違うということに,しくみとして気づいたわけだ。
 以来,脂の乗っていないサカナを次々と釣っては焼き,バターを塗ってみた。結果,マダイ(ゴウシュウマダイ),クロダイ,マトウダイ,タカノハダイの仲間など,ある程度大型で,おおぶりな筋繊維をもち,その結合が緩い大陸の白身のサカナ,すなわち“大味なサカナ”であれば,全てOKという結論に達したのである。こんがり焼いて,バターぬりぬりだ。これだけで,大味だったこれらのサカナが、ちょっと小粋でしゃれた味わいに化ける。
 一方,コチやホウボウなどのように,筋繊維が細かくギシッと身が締まっているサカナには向かないようであった。皮目の弾力が強い上に,身に脂がなじみにくいのである。従って以後滞在中,チヌ以外では,特にマトウダイを集中的に追い回す日々を送ることとなった。釣れればその旨さが脳裏に走り,単純にウレシイ。生き餌を餌にして釣るヒラメやアカミズ,ブリなどに比べれば,けして釣り味が良いわけでもないのに,マトウダイが釣れるとじんわりとウレシく感じるのは,この私的体験によるところが大きい。

 このやり方が旨いとはいえ,日本で同じサカナを用いて同じことをやってみると,味が全く同じだったのはマトウダイだけで,あと近かったのはクロダイくらい。その他の白身ザカナでも,当然合わないはずもなかろうが,そんなことをする以前に既に十分いろいろ旨い日本のサカナでやるのは,いささか勿体ない,というのが結論。従って我が家では,焼き魚のバター塗りは,マトウダイの特別料理として存在するのである。
 でも,たまにはチヌでもやりますね。厚い皮がバターとなじむとモッチリして,これまた特有の味わいを醸すのがいい。
 
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 さて最後に,日本の郷土料理の中からひとつ紹介しておきたい。
これはマトウダイだけではなく,白身魚はもとより,サバやブリなどの青ザカナにも合う,浜の家庭料理だ。その名を「さしがみ」という。

 「さしがみ」とは,私が漁師修行をしていた長崎県野母崎に伝わる食べ方で,しくみを言えば,濃い甘辛醤油の煮汁を鍋に沸かして唐辛子をちぎり入れ,そこにサカナの切り身を短時間浸して表面を加熱調味したのち即食べてしまう,いわゆる“煮食い”スタイルの料理である。
 同様なしくみの料理は実は各地の沿岸地域に分布しており,その名もさまざま。たとえば九州北部から対馬を経由し島根県隠岐島まで分布する「いりやき」は,サシガミと同様に醤油ダシを用いた煮食いであるし,島根県大田から浜田にかけての沿岸に行けば,濃い醤油で骨ごとぶつ切りにしたタイやカワハギ,ノドクロ(アカムツ)などを煮食いする「へかやき」がある。
概ねこれらは濃味甘辛系の煮食いであり,本来はほとんど野菜を使わない。入れるとしても白菜とタマネギや長ネギくらいなのだが,熊本から天草地方にかけての「さしつけ」のように,薄口醤油を用い,すっきりした魚ダシで,いろんな野菜とともに味わうタイプもある

 濃い甘辛醤油汁の煮食いといえば,思い出されるのは有名な「すき焼き」。“すき”は鉄製の農機具「鋤」であり,島根のヘカヤキにおける“へか”も同様に農具につかう鉄の部分であるとのことだ。また,いりやきの“いり”は“煎り”であり,フツフツ,あるいはジクジクとたぎる煮様を指す。「さしつけ」は,互いに向かい合って箸でつつく“差し”と入れてダシに“浸ける”,すなわち“互いに鍋の中に食べ物を差し入れ合う”の意であろう。使う道具を指すか,料理行為を形容するか,の違いだ。
 現代においてはスキヤキだろうがイリヤキだろうが,農機具は当然使っておらず,使用する専用鍋が浅い鉄製の鍋である点のみ,かつての名残をとどめている。
そして,サカナを材料とするこれらの形態を,上方では総じて「魚すき」とも言うし,サバを使ったイリヤキを「サバスキ」と呼ぶ人もいる。いやはや混乱気味。

で,ちょいと横道にそれて整理すると,

 東シナ海に面した九州西部に在する長崎,特に五島列島は,青ザカナの群れを大きく囲んで獲る「まき網」発祥の地。それまでの大型漁業といえば,せいぜい定置網であって,いわゆる“待って獲る漁業”の範疇を出なかったわけだが,ここから飛び出て大きな機動力をもち,多方面に漁場を開拓していったのがまき網だ。
 これが対馬暖流に乗って,日本海を北上しつつ伝わってきたということで,北九州を経て,まき網の停泊地であった対馬,同様に隠岐,新たな漁業基地としての境港,と伝搬してきたわけだが,当然,まき網船員のつくる出身地の料理も,それぞれの地に伝わり,また土地の味覚・風土に合わせて変化してきたと考えるのは自然である。

 たとえば境港など,実はほんとうの“じげ者”は3分の1程度で,大部分が九州,対馬,隠岐などから渡来した,食文化で言えばもともと多様性のるつぼ。そんな中で,境港では青ザカナがたくさん水揚げされるので,中でも脂の乗ったサバを用いた煮食いとしてサバスキが定着したということであろうと思う。が,同時に,似たようなサバ料理をイリヤキと呼ぶ対馬や九州出身の境港人も同じ町内に同居しているわけだ。
 このように,サバを煮食いする沖ないし浜料理のかたちは,ひとつはまき網の伝来によってもたらされた経路があったと推測され,今でもまき網が盛んな地域では,引き続き素材はサバを踏襲するかたちで残っている。鍋に唐辛子を入れるかどうかは,地域によって異なる。

 一方,まき網の立ち寄り港ではあったが地域漁業としては定着せず,脂の乗ったサバがあまり獲れない地域では,料理の形態だけが残り,それがたとえば底曳き網漁業が盛んな島根県西部であれば,いろんな底魚を使ったヘカヤキとして残り,また,対馬などであれば,対馬地鶏や沿岸の磯ザカナを使ったタイプのイリヤキとして現存している,ということではないかと思われる。
 各地煮食い来歴の診断ポイントとして,「その煮食いはサバかサバでないか」,「煮るダシは,醤油甘辛汁か薄い飲める程度のダシか」,「唐辛子は入れるか入れないか」,「その地の漁業としてまき網は存在するかしないか」の4点で見ると,伝搬経路が見えてきておもしろい。ただそれだけのことなのだが,煮食い談義は尽きぬ。

 さて,いろいろあるなかで,ワタクシといたしましては,やはりサシガミ,なのであります。名称に対する愛着の問題。サシは,互いが向き合って“差し合う”であるし“箸で差し入れる”の意でもある。“ガミ”は“噛み”であって,実は熊本から長崎にかけて,地域的ではあるが,“食う”ことを“噛む”という。つまり“互いに向かい合って同じものをツツきながら食う”という,人間同士の関係としては根幹にかなり近いところでつながるステキな表現であって,いい言葉だなあと思う。
 ちなみに“噛む”については,たとえば「今日はウチでご飯ば噛んでいきんしゃい」とか,「はようメシ噛まんば,学校に遅るっぞ~」という具合に用いる。ただしほとんどがジサマバサマの用法であって,最近は聞けなくなりました。だから,よけいに懐かしさがあるんだろうなあ。

それでは,サシガミの作り方を。
 本来,野母崎で私が食っていた頃は,冬場にカゴで大量に獲れるカワハギを使ってやっていたもので,獲りたてのカワハギの短冊身がコリンとして旨いものであったが,マトウダイでやると,少しふっくらとして,皮の青臭さも消えて優しい味で,これまたなかなかに旨い。

【 マトウダイのサシガミ 】
①三枚におろして3つに切り分けた身を,皮ごと厚めにそぎ切りにして皿に盛る。
②下処理のときにとっておいた,卵巣(あれば)を2つに切り,肝臓は3つ切り,胃袋は短冊切りとし,頭と共に水気をきって別皿に盛っておく。刺身にした残りの皮があれば,これも大雑把に切って共に入れておく。
③白菜は葉を重ねて横方向に1㎝幅,タマネギは立て半割してクシ切りに1㎝幅とする。
④平鍋ないし土鍋に3㎝ほど酒を注ぎ(水で割ってもよいが半々を越えぬよう。水っぽくなるので),濃い口醤油を加えていき,塩気が決まったら,砂糖を少しずつ加えて甘辛に調整する。身がゆるいサカナでやる場合には,ミリンを用いてもよい。
⑤ここに唐辛子一本の種を抜いて半分にちぎり入れ,いったん沸騰させる。唐辛子は生ないし生の凍結ものであればなお風味がよいが,お子さまのおられるご家庭では,入れないがよろしい。食べる際にオトナが各自,柚コショウなり一味あるいは七味なりを振ればよい。沸騰してアクをすくったら,フツフツたぎる程度の火加減まで落とす。これで準備完了。
⑥まず,脂分を補うため全ての肝臓を,そしてダシをとるため頭を放り込んでおく。そして,各自が各自の切り身を箸でつまんで煮汁の中に入れ,我が切り身を注視する。煮加減は好みであるが,入れたらまず箸で揺すって生臭みを落とし,次に表面がまんべんなく白くなったところでもう一度揺すって取り出すくらいのタイミングが旨いように思う。
そのまま小皿で受けながら,ポンとほおばり,次の切り身に箸をのばす,といった具合だ。
⑦次に野菜をパラリと入れるわけだが,一気にたくさん入れないよう注意。温度が下がってサカナに生臭みが出てしまうので。野菜を入れたら,しばしじっとしていると,白菜やタマネギの切ったカドが,うっすらと醤油色に染まる。これが最高のタイミングで,ほどよく生でほどよく煮えた状態。味バランスも甘すぎず辛すぎずでよろしい。
⑧これらの合間に,卵巣や胃袋も入れていき,若干火をしっかり通して食い進む。そうこうするうちに,肝臓もふっくらと表面が色づき煮えてくるので,醜い奪い合いをせぬよう,控えめに,かつ深く味わっていくべし。頭は目玉とほお肉を食ったらあとの骨は邪魔なので取りだしてしまおう
⑨各自小皿を受け皿にするのが基本であるが,椀に盛った白飯を受け皿がわりとして酒宴のシメをとりおこなうのもヨロシ。煮汁がご飯に染み落ちていくあたりを半煮えの切り身と共にサッとほおばれば,言うことナシで完結できる。

 このサシガミという料理の何が一番いいかといえば,それこそ互いに差し合って差し入れ食い進むウチに,融和,というのでしょうか,それが生まれるのでありますなあ。
 気兼ねない相手であっても,互いに少しだけ気を遣いつつ差し合う。あ,それ,もう煮えてんじゃないの,かなんか言い合って,酒も酌み合って,おいしい肝が煮えたら暗黙に分け合って,時は少しずつ過ぎてゆく。煮上がったものが出てきて各自が食う煮付けともちがうし,奉行が采配をふるう鍋とも違う。味もさることながら,サシガミがとりもつ空間は,時間の流れ方が違うのである。
 家族でやるなら,オトーサン・オカーサンが子供に煮え加減などみてやりつつイイトコとってやって,それぞれに白メシほおばんなさい,と。
 汁が煮詰まってきたら,オトナの席だったら酒を足せばいいし,子供がいるようであれば水を足せばいい。以下,くり返し。火加減は沸騰しないように注意するだけ。メシも食い終えて,もういいやとなったなら,残った汁に残りのサカナや野菜やら全部つっこんでひと煮立ちさせ,翌朝台所で味が浸みるままに冷たくなってるやつを,朝の熱々ごはんでくうのも,またまた至福のおいしさだ。

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 毎年北西の風を聞くようになると,私は,かつて真冬の野母崎沖の船上で,かじかんだ手で引き揚げたカゴの中にペンペンと踊る太ったカワハギの愛嬌と,船長と共にセッセと竹を裂いてカゴを準備した秋の日だまりの作業や,その空気の匂いなど,天高いトンビの鳴き声のひとつふたつ,そしてなんといっても,寒い漁から戻ったあとの巣ごもりのような、熱く賑やかに暖まるサシガミ鍋の煮立つ香りと旨さを,手で触れるほど鮮明に思い出す。これからもサシガミを囲む相手や家族や季節とのつながりが,海の豊饒と共に続かんことを願うばかりだ。

 今期,沖にはまだたくさんのマトウダイが,ノホホンと泳いでいるにちがいない。夢の中までグーグー鳴いて,我が胃袋を刺激するニクイやつ。また釣りに行ってやるから待っていてほしい。
  

Posted by ウエカツ水産 at 17:48Comments(5)魚・釣・料理

2008年01月09日

サバ味の深淵

 過日,職場の同僚の実家からサバをいただいた。みごとなマサバです。新年お目出サバ。
 発泡箱をあけると,体長40㎝ばかりのが十数本,氷の上でピーンとしている。尾を持ってみるとカラダがパンと堅い。背の青が緑がかっている。眼球を覆う皮膜は,横たわってなお,海の青を遠く見つめて澄んでいる。
まったくコーフンしますなあ,いいサバは! 今回は心ゆくまで“サバ味”を追究してみたい。

 かつて20年くらい前は,地元漁協の事務室に貼ってある“2㎏”のサバの魚拓が示すとおり,境港および山陰界隈の沖では,そりゃもうスゴイサバが獲れていたようだ。いわく,カツオと見まがうばかり,だったとか。日本のまき網船が獲ってくる済州島沖のサバや,青森で揚がる北方系群のサバが脂の乗りがいいとはいうが,なんといっても日本海山陰沖のマサバは脂と肉のバランスが良くてクドさがない。総合的に品がいいので贈答用としても恥ずかしくない。

 ここ10年くらい山陰沖のマサバの漁獲は低迷したままで,サカナッ食い,とりわけ熱烈な“サバ食い”であるワタクシとしては,寂しい思いをし続けてきたが,このところ,少しは増えてきているようで嬉しいこと限りなし。境港に来て苦節4年,待てば海路の日和あり。どれほどサバ好きかといえば,死ぬ前に食うんだったらサバ食って死にたい,と思っているほど好きなのです。

 サバは平日の午後にいただいたのだが,もうこうなると仕事が手につかない。自然の営みは人間を待ってはくれない。つまりサバはオシッコしてる間にも刻々と鮮度が落ちるのだ。早く家に帰らなきゃ・・・サバがあるから。できれば早退さしてもらえんかな・・・サバがあるから。安全運転で帰らなくては・・・車の振動でサバが傷むから。てな具合に勤め人にあるまじき状況となり,終業のチャイムと同時に脱兎の如くサバ箱へと走り,ソウーッとかつ速やかに,車に積んで我が家にすべり込んだのであった。

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さて,料理にかかる前に,サバ談義を少々。

【 サバの繊細さについて 】
 一般的に1に釣り,2に定置,3にまき網と底曳き。これは,同種・同時期・同水域のサカナでも漁法によって質に差が出ることを端的に言ったもので,要は,サカナが死ぬまでのストレスの度合いと死に方が質を左右するということで,左記の順に上等,ということになっている。もちろん,どんなに獲り方がよくてもその後の処理・保存の方法がまずければ台無しにもなる。そのへんの詳細は当家過去ログ「サカナの鮮度(維持と保存)」に書いた。

 アジ・サバ・イワシのような,いわゆる“青ザカナ”,資源学的には「浮魚」とも言うが,この仲間は,たとえばまき網に囲まれた群れが大量に押し合いへし合いしたり,掛かったまま自然死したりすると極端にその質が低下する。具体的には,肉に血が回ってしまったり,筋肉の結合が離れて身割れする,あるいは体表が擦れて内出血したり,圧迫されて内臓や皮が破れてしまう,といったようなことだ。
 中でも,特に血合いの多いサバの仲間,この親玉はマグロなのであるが,これらは高速で一生を遊泳して暮らすため,血合い部分に我々の血中のヘモグロビンよりたくさんの酸素を蓄えられる血色素「ミオグロビン」を含んでいる。酸素量が多いということは筋肉中の燃焼効率が高いということであるから発熱も大きく,苦しんで暴れ回ると他の魚類よりも体温が上昇する。
 その結果何が起こるかといえば,“ヤケ”と称する状態,血合い周辺の筋肉が低温火傷になったように灰色がかった状態になりやすい。そうなると肉には特有の酸味と臭みが発生するため,たとえ見かけ上は鮮度が良いと判断されるものであったとしても,刺身はおろか,ほとんどの料理に使えなくなってしまうのである。“サバの活き腐れ”などと昔から言われる所以だ。
 また,殺したあとの保存についても,通常の魚屋の店頭のように氷を敷いた上にサバを乗せておくと,氷に接した面だけが部分的に冷えて,体内の温度差によって筋肉収縮の不均衡が生じ,身割れの原因となる。更に,自分の体重で,氷に接した筋肉が氷に合わせてデコボコになってしまうといった問題もある。ということだから,サバの保存には水氷がよいということになる。サバの体に負担をかけずに全体を一定にまんべんなく冷やすことができるからだ。

 ことほど左様に,良いサバを得ることは難しいのであり,それだけに手に入ったときの感動は大きい。

 鮮度が良くて,かつ旨いサバは,青いサカナとはいっても厳密には背中が緑色がかっている。そして首後ろの肩のあたりと肛門付近の腹を指で軽く触ってみると,堅く反発する張りがある。腹皮は虹色の光沢をたたえた銀白色。目がスッキリ澄んでいることは当然のことながら,意外と見落としやすいのが肛門からにじみ出ている黄褐色の汁の有無。これが出ているものは,外側がきれいでも食べた餌の消化が進んでしまって内部に臭味が移っている可能性がある。
 更にいいサバの条件を言うならば,幅が広く,シッポの方まで太っていて,パッと見たときに相対的的に頭が小さく感じるもの。そして腹側の銀白色の上に,金色をうっすら刷毛で塗ったような光沢があるもの。これはサイコウだ。このようなサバに遭遇するとワタクシなどは,見ただけで興奮のあまり体中の血が逆流し,その場で財布を開いちゃう。お好きなのね,と言われれば,まったくホントそのとおり。

 とにかくサバの鮮度と品質の維持は難しいということで,全国津々浦々,魚食う人々はこれの技術向上に腐心する。
たとえば,,,
 
 かの関サバで有名な大分県佐賀関を基地とするアジ・サバ釣り漁師や四国は高知県土佐のゴマサバ釣り漁師は,内臓の自己消化を早める撒き餌は一切使わず,釣れ上がったサバもいっさい手を触れなくていいように針のはずし方などを工夫している。市場の競りのときにも,“ツラ買い”といって,泳いでいるのを目で見て値をつける方式だ。
 また,屋久島のゴマサバなどは,網から取り上げるときに,一尾ずつ生きたやつの首を上方に折って神経経路を断ち,速やかに放血する「首折れサバ」として知られているし,各所の優秀な沿岸サバ漁場を抱える地域では,首を半落としにして,放血したあと露出した背骨にピアノ線などを通して神経を殺すといった努力も一般的になってきた。
 最近では,大量漁獲をする大型まき網でさえ,青森県八戸あたりでは,船上に揚がったサバを生きた状態のままで,過冷却した液体に浸けて急速凍結する試みを開始した。

 かつてはイワシと並んで大衆魚の代名詞であったサバが,ここまで手厚いお世話を受ける日が来るとは,サバ当人も思わなかったことであろう。或いは単にこれまで人間が,サバ味ワールドの深淵に気づかなかっただけなのか。
 これらの努力は,あれもこれも全ては鮮度のいい旨いサバを食いたいという欲求に応えるものであって,その実現が付加価値を生むということだ。このように21世紀“サバ食い”の執念は,全国の海に渦巻いているのである。これをオソロシイというべきかタノモシイというべきか。良サバと見ればすぐにサイフを開いてしまうワタクシであるが,やはりこれだけの手間がかかってこその旨いサバであれば,やせ我慢して買う価値もアリと思う。


【 サバの種類と“食あたり”の真実 】
 ところで,一般に我々が食うサバの代表選手にはマサバとゴマサバがいる。
両者ともサバというかぎり紡錘形で体の断面が丸っこいサカナなのであるが,マサバは断面がやや楕円形で体高があり背はサバ模様で腹は銀白色。ゴマサバは,より細身型で断面が丸に近く,背のサバ模様は同じだが腹の銀白色の中にうっすらと灰色の虫食い模様がある。そう,日焼け跡のソバカスないしシミ,みたいなカンジ。それをもって“ゴマ”,と呼ばれているのだ。世の女性諸君はお肌の部分的な色素の沈着を嫌がる傾向のようであるが,ゴマサバを愛する者にとっては違和感がまったくない。それどころか美しいとさえ思う。世が代われば,あの人ステキなゴマ肌ね,などとささやかれる日が来るやもしれぬ。それが文化だ。

 さて,一般的に,マサバは冬にかけてのサカナ,ゴマサバは夏にかけてのサカナ,ということになっており,それぞれの季節に旨い。いわゆる味の旬ということで,特に刺身でもおいしく味わえるのがこの時期。
 と同時に,よく心配されるのがイカやタラなどの生食で問題になる寄生虫「アニサキス」。これは体長数ミリ大の針状の線虫で,生きたままニンゲン様の胃袋に到達すると,胃壁に食い込み七転八倒の痛みを与える憎いヤツ。当人に悪気はないのであるが,彼らの生きる道であるからいたしかたない。まあ,こやつがサバにもいるのである。

 この虫は面白いことに,季節によって,魚体内で居場所を変える。筋肉中にいるときもあれば,腹腔部の内側や,内臓、特に胃腸や肝臓にいるときもある。たとえばマサバの場合,味の旬である冬場には,アニサキスは筋肉から出て腹腔や内臓にいるのである。
 よく観察してみると,マサバの旬,冬の彼らの状態は,夏場の筋肉中にいるときのようにうねうねと自己主張せず,小さな渦巻き状に丸まって,腹腔の皮下や内臓の表面にポツリポツリと静かに眠っているかに見える。ゴマサバでは,その旬の夏に同じような状況だ。アニサキス諸君の都合詳細は存ぜぬが,とにかくこうなっているのであーる。
 つまり,いずれのサバにせよ,鮮度に気をつけて旬の最盛期を食っている限りは,アニサキスを生食いして胃に食いつかれました,というようなことは起こらない。さあ,寄生虫学者さんは,これについてなんと言うであろうか。

 いずれにせよ,ワタクシは幼少のころよりこうして季節限定でサバの刺身を食べてきており,なんら問題は生じていないのだから,身をもって公言できるというわけだ。
 むろん,それでも心配な人は,生食をあきらめて加熱して食べればよろしい。そうそう,ついでにシメサバも断念していただかねば。筋肉中にアニサキスが入っていたとすれば,蛋白質を固化する酢は,よほどきっちり漬けないとアニサキスまで届かないし,ちゃんと塩で締めたのにと言ってみたところで,ヤツは塩分では死なないのですから無意味。つまり,ときどき耳にする「アニサキスが危ないのでシメサバにします」という解釈はマチガイ。 
 それでは低温攻めはどうじゃということで,サケの“ルイベ”のように凍らせてしまっては,アニサキスは死ぬけど繊細なサバの細胞が凍結・解凍に耐えられず,身が崩れてしまっていけない。ああ,いよいよアキラメねばなるまいて。サバ刺しとシメサバはサバ料理の真骨頂なのに,残念なことですなあ。

そしてもうひとつ問題らしきことが。

 サバに限らず血合いの多いカツオ・マグロ類の肉,特に血合い部分には,“ヒスチジン”いう物質が多く含まれている。これは必須アミノ酸のひとつであって,本来なんら問題ないのであるが,魚の体表や,それが触れたまな板・包丁に付着する微生物の作用によって“ヒスタミン”に変化する。
 これは言わずと知れたアレルギー症状の元となる物質で,特に人間の体が弱っているときにはジンマシンや発熱,嘔吐などを惹起することがある。現代人は体内環境が狂ってきているのか,これに対する耐性が昔より弱ってきているように思う,が,これもサバと健康の管理次第で解決できること。

 いずれにせよサバを食う場合には,とにかく鮮度,そして迅速かつ適切な処理が肝要ということになりましょう。そして,サバを食うためにも健全なカラダを造っておくことです。“健全な味覚は健全なカラダに宿る”,ということもありますし。
 なお,世間で“サバにアタリました”,というとき,アニサキスによるものと,ヒスタミンによるものとが混同されている場合も見受けられる。状況に応じて適切な処方を願う次第。あらためてサバのために言わせていただくと,「人間がちゃんと適切な管理をして食う限り問題は起きませんよ」ということで,宣言しておきますので念のため。

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さてさて,目前のサバに戻ろうではありませんか。これ以上の講釈はいらぬ。

 今回のサバはまき網モノだから“最高”ではないにしろ,市場で大小サイズを分ける「選別機」に通す前に選んで抜いてきたものであるから,機械の振動による筋肉疲労も少なくて状態がいいハズ。
せっかく久しぶりの良サバですし,珠玉のサバ料理を数品ほど,ご紹介しておきましょう。まずは下ごしらえです。

【 サバの下処理 】
 サバは,既に書いたように大変デリケート。筋肉の弾力をみるときでも首の付け根と腹の一部を指一本でチョンと触るだけだし,ちょっとした振動や,体温の熱,保存状態の温度変化などを嫌う。従って,できるだけ触らず,触るときには手を冷やし,包丁を入れる回数も極力少なく,速やかに下処理してやる必要がある。以下の如し。

①切れない包丁はサバの身に負担をかけるので,まずよく切れる包丁を準備。
②解体中にサバから血液がたくさん出るので,固く絞った清潔なフキンを用意。
③サバは魚体を触らず,シッポないし頭を持つように扱う。頭を左に,腹を手前に置いたら,胸びれの寸前で筒切りに首を落とす。切っ先から突き刺すように肩口に刃を入れたら,前ナナメ下方向に向かって,刃元まで使って軽やかに一気にズドンと切り落とす。力だけの,いわゆる“押し切り”になると身が傷むのでご注意。
④左手でシッポをつかんで腹が右に来るように回し,肛門から逆さ包丁を入れて上方向へ切り抜くと,包丁の切っ先に内臓の堅い部分が引っ掛かってくるので,そのままはずす。
(ただし例外として,後述するサバの味噌煮にする場合には腹を切らないほうがいいので,内臓が入ったまま5㎝程度に筒切りにし,その断面から内臓を抜く)
⑤引き続きシッポをつかんだまま,右手指で肛門付近につながっている腸の端と生殖巣をはずしとったら,切り開いた腹が上になるように持ち,流水,あるいは夏であればボールに張った氷水の中で,背骨沿いにある血合いを歯ブラシでスバヤクこすり落とし,速やかにフキンで腹腔内部および体表の水分を軽く押さえるようにして拭く。洗うときに握りすぎないよう注意。

※この水洗いのときに腹骨(肋骨)が身から離れているようであれば,既に刺身やシメサバには適さないということなので,加熱して食べるようにする。以上で第一関門突破,下処理完了。早速次の調理にとりかかりましょう。


1.生で食う

【 サバの刺身 】
 サバを刺身にできる条件は,鮮度が良くて,身割れをしておらず,先述した「アニサキスが身に入る季節」でないことが肝要。中~大型の冬のマサバ,夏のゴマサバであればOKだ。いずれにせよポイントは,身を崩さぬよう,手早く的確におろすことだ。

①下処理して水分を拭きとったサバの背を手前に置き,切り口から背骨沿いに包丁の刃元を入れ,包丁全体を使うようにシッポへ向けて一気に切り下ろす。いわゆる“大名おろし”だ。このとき,“一気に”が肝心であって,包丁をギコギコと前後に動かすと身割れの原因となるのでご注意。下身も同様にし,三枚に。
②ペーパーで身ににじんだ血液を吸い取ったら,腹骨を包丁ですくい取り,皮側を下,頭のほうを右に置いて,骨抜きで小骨(血合い骨)を頭方向に向かってナナメ上方に抜いていく。骨がどのような方向でどの程度入っているかをイメージしながらやると上達が早い。逆方向に向かって抜くと血合いのある真ん中からタテに身割れを生じるので要注意。身の中ほどから尾にかけては小骨が短く柔らかいので取らなくてもよい。
この血合い骨とりは,骨抜きを使わずとも,身の前半の小骨が堅い部分だけを皮一枚残して溝状にV字に切り去る方法もあるのだが,一連の小骨の所在と方向を熟知していることが前提。またこの場合,わずかではあるが身の損失はいたしかたなし。まずは毛抜きでうまく抜けるよう,いろんなサカナで練習してみてほしい。

※ここで使う「骨抜き」もしくは「毛抜き」の品質は,ストレス無く速やかに作業を進める上で大切だと思う。ちゃんとしたものを入 
手するのが望ましい。というのは,使ってみればわかることだが,いいかげんなモノでは,なかなか骨をしっかり掴めなかったり,途中で骨が折れてしまったりが頻発する。きちんと精密な作りの骨抜きは,髪の毛1本でもしっかりつかみ,かつ引っぱっても途中で切れない。先端部の挟む面の接触面積が大きく,すり合わせがしっかりしているからだ。そういうわけで,私の場合は日本橋「木屋」の一番上等なヤツを使っているが,やはり違う。

※また,骨を抜かなくとも,たとえば大型のサカナをサクにとるときのように,おろし身の真ん中をタテ半分に切って血合いと共に小骨を切り取ればいいのではないか,と思われるかもしれない。が,これをしないのにはワケがある。食べれば即座にナルホドと理解できることだが,サバの身の背側と腹側は,味が違う。背側はかすかな酸味を伴ったコクのある旨味,腹側は甘味を伴った脂の風味が主体となっていることに気づくはずだ。従って,めんどうでも小骨を抜いて,刺身一切れに背肉と腹肉の両方が付いている状態で食べてこそ,咀嚼するほどに,サバ特有の“じっくり旨く,優しく甘酸っぱい香り”が口中および鼻腔に立ち上り,気分は天国に近づいていくのである。この点,よろしくご理解願いたい。切り方ひとつで味が変わる,ということの一例。

③流水もしくは氷水で冷やして水気を拭いた手で,肩口から表皮を剥がしていく。体温を伝えぬよう身の触り方に注意しつつ手早くおこなう。
④皮側を下,頭方向を右に置き,シッポのほうから5㎜程度のそぎ切りとして皮目を上に皿に並べていく。皿をあらかじめ水に浸けて冷やして拭いておくことをお忘れなく。そぎ切りとするのは,舌に伝わる味のバランスが通常の平造りよりいいからだが,薄すぎたり厚すぎてはツマラナイ。
⑤あしらいはスライスして水にさらしたタマネギ,カイワレ少々など。そして,汁気をほどよく絞ったおろしショウガと醤油が合う。醤油はいわゆる“たまり”でもよい。甘いたまり醤油は万能ではないが,肉にかすかな酸味を伴う脂の乗った青ザカナ,ブリ類やサワラなどには合う。サバの刺身に伴う薬味は基本的にショウガであって,ワサビや溶き芥子などは,不思議とこれが合わぬ。

 さて,せっかくサバ刺をやるのだったら,併せて次にご紹介する「塩ナマス」も,ぜひ味わっていただきたい。これはサカナの生身に塩をあてて暫く寝かせた生食い方法であるが,刺身以上にサバの香りと旨味を引き出す食べ方だと思う。サバ食いゴロシの一品だ。

【 サバの塩ナマス 】
①三枚におろしたサバを,シメサバを作るときの要領で全体に強めの塩を振り,皮側を下にして30~1時間程度,冷蔵庫に置く。塩の粒子がすっかり溶けて肉表面のヌルミが厚くなった頃合いが目安。
②流水ですばやく表面の塩気を洗い流し,ペーパーで軽く押さえて水気をキチッととる。あとは刺身と同様に腹骨をすきとり,小骨を抜き,皮を剥いたら身側を上にしてシッポの方からそぎ切りとする。
③この塩ナマスには,醤油はいらない。ガチンコのサバ味で勝負するのだ。薬味は,ショウガを細く針に切ったものを水にさらしてパリッとさせて水気を切ったもの。いわゆる「針ショウガ」だが,繊維に対してタテに細く長めの針に切るのがよい。面倒くさいと思うかもしれないが,これだけで味が違うのだから,いたしかたなし。これを箸でチョイとつまんで適宜サバの切り身に乗せつつ食うのである。塩によって凝縮されたサバの旨味とショウガの爽やかな食感と香り。このコントラストが実に鮮やか。サバ刺しやシメサバを食い慣れた諸兄も,この味には唸らざるを得まい。ホントのサバ味がするからだ。
 
※なお,上記のように塩をしたサバを,小口に5㎜程度に細く切り,これをスライスしたタマネギ適量と,少量のサラダ油,極少量の酒と共に和えておいても,これまた塩じめサバの和え物として,サッパリして良い。柑橘汁をちょっと搾ってもいいし,サラダ油の代わりにゴマ油少々をたらしても良い。ただし,ゴマ油を用いる場合,旨いとはいえサバの風味はゴマの香りでマスクされてしまうので好きずきだ。

【 シメサバ 】
 塩したサバを堪能したとなれば,次はいよいよシメサバでしょう。
一般的に「酢締めのサカナ」とは,魚の切り身に塩を当てて水気を抜くと共に旨味を凝縮させ,酢に浸けて塩味を緩和すると同時に表面を殺菌・固化させた料理。
 「締め鯖」は,夕方スーパーの惣菜コーナー専門のヤンキーママでさえ「サバといえばシメサバね!」と元気に明るく発声するくらい,サバの食い方としては代名詞格となっていますね!
 しくみとしては,前出の塩ナマスを酢に浸けたのがシメサバ,ということになるわけだが,塩加減・置き加減・切り加減などが若干異なるところが“加減センス”の見せ所。では作り方を。

①三枚におろしたサバに表面にうっすら白くなるくらいの強い塩を当て,皮を下にしてザル上に30分置く。鮮度が良ければ塩の通りがいいので置く時間を短くするなど加減。ここまでは「塩ナマス」と同様。
②流水でスバヤク塩を洗い流し,ボウルに酢と水を6:4で調合したものをサバの身が半分浸るくらい注いでおき,この中で身の表面がわずかに白くなる程度,軽く洗う。これを“下洗い”といい,この酢は表面に水分と共ににじみ出た血液や生臭みを洗うものであって,漬け込み用には使わない。
③酢で洗ったサバの身を一枚ずつペーパーが隅々まで身に密着するように包み,ボウルに入れた少量の新しい生酢にくぐらせ,タッパーなどに30分置く。通常,酢に漬ける,というときに,サバ全体が浸かるくらいにたっぷりの酢が必要と思われているのであるが,これが勿体ない,と全国の主婦は思っているはず。毎日シメサバを作るわけじゃなし。そのとおり。そこで,ペーパーの毛細管現象の力を借りて最小限の酢で全体に酢を回してやる,という作戦だ。これだとムダがない。昆布の風味が欲しければ,あらかじめ酢の中に昆布の小片を放り込んで暫く置いておけばよい。
④漬け終わったら,ペーパーをはぎとり,あとは腹骨や小骨を取って皮をはぎ,切ればいい。ただし切り方が違う。刺身や塩ナマスでは「そぎ切り」としたが,シメサバは皮側を上にして頭方向から通常の平造りのように切ってゆくほうが,酢が当たって締まった部分と生身部分とのバランスが良いように思う。そして,小口切りとしながらも,薄く切ってこそ生まれる舌に伝わる味バランスと,口中で噛みしめたときのちょうどいいボリューム感を両立するには「八重造り」にしてやることだ。本来これは脂乗りが良くて醤油を弾いてしまうようなサカナ,或いは皮が旨いのだが堅いために口中に残ってしまうサカナの刺身などに対し,一切れの皮側に1ないし数カ所の切れ目を入れる技法である。慣れればカンタン。刃先で表面をツーッと撫でてやるように切れ目を入れればよい。一回おきに浅い包丁目を入れるだけのことだ。見たことあるでしょう? たとえば1㎝厚の刺身一切れの中ほど5㎜のところに1回浅い包丁目が入っているような状態。
⑤サバ刺の薬味にはショウガが適したのであるが,どういうわけかシメサバにはショウガが合わぬ。ワサビなのだ。なぜだろう,不思議だと思いませんか? この問題については,また機をあらためて記述せねばならないので,今回はこれまで。シメサバにはショウガではなくワサビだ。そして,甘いタマリ醤油も合わぬ。キリッと酢の利いた硬派なシメサバの味が,タマリではだらけてしまうのだ。甘くない生醤油がよろしい。また,他の旨味成分,カツオダシなどが入った醤油なども,サバ味を損ねるのでオススメしない。

 結局,塩で30分,生酢で30分。これを千葉県南房総の漁師連中は「サンサン締め」と呼んでひとつのスタンダードとしている。かつて「サバのタモ掬い漁」があった頃からの慣習だ。
 とはいえ,シメサバの“シメ加減”については百家争鳴,しっかりシメてこそシメサバだとか,生に近いシメ加減でないとワシャ食わんとか,うるさ型が大勢おられる。
 
その問題を追究するにあたり,方法が2つある。

①漬け込む液体の,酢と水の配分を調整する。
②水で割らない生酢を用い,漬ける時間を調整する。
 ①は,生酢:水を10:0から6:4くらいまで変化させて加減する。水の割合が増えすぎるとふやけてしまい臭みを生じるので注意を要するが,そこが加減というもの。このやり方は,鮮度の高いサバを生に近い味と食感で味わうには適している。
 ②は,表面はギュッと締まるものの,短時間すぎれば塩気と臭みが十分に抜けきらないし,長時間になると酢の浸透が早いので堅くなってしまう問題が残る。これらいずれにせよ作り手の判断次第だ。
 総じてシメサバとは,塩・酢・水の加減を駆使した総合スキルなのである。まあ,いろいろやってみられることです。その先にあるのがそれぞれ“我が家のシメサバ”,ということになりますな,精進精進。
 
 そしてシメサバ編の最後に,もうひとつふたつ変則的なことを申し述べると,通常,シメサバといえば塩と酢で締めるものと考えがちであるが,砂糖で締めてやる方法もあることをご存じだろうか。
生魚に砂糖を当てるとは違和感があるかもしれないが,思いのほかそんなことはない。砂糖は塩以上に浸透圧が高いので脱水効果が大きい。ところが,その効果は少々異なっており,砂糖は脱水しつつ細胞の結合を緩ませ,塩は脱水しつつ細胞の結合を強める。これは中国で言うところの陰陽の原理だ。
 従って,砂糖を用いると,締まりつつも柔らかな風味・食感に仕上がるのであるが,味としては,個人的には軟弱でイマイチ。具体的な方法を書いておくと,砂糖で15分締め,流水で洗い落として塩で30分締めて,以下同様,ということで,たしかに優しげな味とはなる。細切りにしてちらし寿司に混ぜるときや,鯖寿司に作るときなどは,いいと思う。好きずきだ。
 優しい味のシメサバといえば,酢が苦手な客に供する場合の酢味の緩和対策として私が採用する方法は,漬け込む生酢にミリンを少量,感じるか感じないか程度,垂らしてやることだ。これで酢のキツさ,すなわち“カド”がとれる。そしてこの手法は,次に紹介する「甘酢漬け」へと発展してゆく。

【 サバの甘酢漬け 】
 しくみとしてはシメサバの延長にあるが,作業内容は若干異なる境港の漁師料理だ。
サッとできてサッと旨い。シメサバが一切れずつじっくり味わう料理であるのに対し,こちらはパクパク食えてしまう気安さと豪快さがある。

①三枚におろしたサバの腹骨をすき取って皮を剥ぎ,真ん中からタテに切って血合い骨を切りとる。
②小口からナナメに1㎝程度に切ったものをボウルに入れ,シメサバのときより少し少ない塩を当て,ザッとひと混ぜして30分置く。
③これを酢で下洗いし,ザルに上げて酢を切っておく。
④タッパーなどに生酢に対して1割の水を足し,そこに少しずつミリンを注ぎ,酢のカドが取れて若干甘めになったら,少量の薄口醤油を加え,これに③のサバを浸す。液体の分量はサバ身がヒタヒタと泳ぐ程度でよい。
⑤これにタマネギのスライスを水にさらさずに加えて混ぜ合わせ,最低30分冷蔵庫で寝かせる。これでタマネギの辛味もとれ,同時に香味が酢に移る。

 シメサバが酒菜に偏って存立しているのに対し,これは飯の副菜としての役割も務めてくれるので,上戸下戸にかかわらず喜ばれる家庭の惣菜として重宝する。沢山作っておいて,甘酸っぱくキュンと締まったサバの切り身をタマネギと共にほおばり,皆の衆,食うべし食うべし。
 たくさん作って余ったら,翌朝の飯で食えばいいのだ。3日間は美味しく食べられるし,漬かり具合が進むに従って変化する味わいを楽しむのも捨てがたい。フランス人が栓を抜いたワインの味の変化を楽しむようなものだ。朝食の湯気立つ白メシを眺めたとき,思わず,おい,きのうのアレ,まだ残ってたろう,などと,つい口に出てしまう。
 なお,残った漬け汁は,汁が極端に濁らない限り,酢とミリンを適宜足しながら繰り返し使える。塩して同様に下洗いしたサバをタマネギと共に漬ければよい。漬ける前の下洗いさえちゃんとしておけば3回は使える。


【 参 考 】シメサバの欧米型流用について 
 サバは,見渡せば西洋諸国でも広く食べられている。ギリシャやスペイン,イタリアなどではそのまま塩焼き(グリルというのか)もあり,北欧には薫製あり,とまあいろいろだ。
 日本のサバ食と違ってアチラ方面で共通しているのは,オリーブ油やハーブなどの香辛料,各種調味料や野菜と合わせることがほとんどである点だ。日本は基本的には素材単品勝負,アチラは合わせ技。意図するところは,やはり西洋人には好まれぬ青ザカナの臭みをマスクすることであろう。我々サカナ食いには,魚臭さも時には大切な要素のひとつなのだが。
 そう言って思い当たるのが最近流行のカルパッチョ。この料理の真実については過去ログ「カルパッチョについて,ひとこと」で少し述べたところであるが,これの原理はよく考えたら塩サバとほぼ同じ塩と酸,これに油と香辛料が加わって構成されている。というわけだから,スライスタマネギを敷いた皿にそぎ切りにしたシメサバを並べて粗挽きコショウでも振って,オリーブ油をかけ回して食うのも,当然の如く悪くない。

 料理上、和に出会いのモノがあるのだから,当然,洋にも出会いのモノがある。特に西洋の肉料理で感心するのは,フルーツ=果物との合わせ方だ。甘味と酸味と香り。日本にも柿などを使った和え物があるが,真っ向から魚や肉類と合わせることは,あまりない。西洋ほどに香りの強い果物の種類が多くなく,また,味が素朴なものが多いということもあろう。料理はその地の環境から生まれた所以だ。

 サカナでいうと,特にイワシ・サバ・サンマなど青ザカナの味と果物の風味は,血の気が多い青ザカナと畜肉との相似性という意味で合わせやすいように思う。白身のサカナより強くストレートな脂のコクと旨味に,酸味を伴った果物の自然な甘味が意外なほどよく合うはずだ。たとえば三枚におろして軽く塩を当てたイワシの身に干しぶどうとパン粉を少量のオリーブ油で和えたものを乗せてコショウを振り,ハーブを乗せてオーブンで焼いたものなどは,サカナ味の真剣勝負とは言えないにしてもオツな味がする。かつてスコットランドで,サケの薫製とグレープフルーツのむき身を大振りにバラして和えたサラダが出され,その旨さに意表をつかれたこともあった。
 だいたい生ハムとメロンが合うというのだから,塩を利かせた魚肉と果物が合ったとしてもおかしくはない。かといって,ナントカソースでございます,というのはいささかやりすぎの感があり,私の性分としては肌に合わぬ。

そこで,ささやかにやってみました。
マサバの季節に合った香りの果物といえば,リンゴだ。サカナ臭いウエカツには似合わぬ,とおっしゃることなかれ。ちょうど八戸にイカ船をもつ境港の船主さんからいただいた,いいリンゴがあったのだ。西野さん、またよろしくおねがいします。

●シメサバとリンゴのクラッカー乗せ
①酸味のある紅玉の皮を剥き,芯を除いてタテに5㎜程度の薄切りとし,薄い塩水に暫く放ったのち水気を拭いておく。
②プレーンのクラッカーにリンゴのスライスを乗せ,その上にサバ刺しの要領で同大にそぎ切りにしたシメサバを乗せ,その上にスライスしたタマネギを少量乗せる。
③これをたくさん皿に並べておいて,上から粗挽きコショウを振る。

 これだけのこと。であるが,これが絶妙に旨い。
 リンゴ特有の芳香と甘酸っぱさが,シメサバの酢の匂いと酢味のカドを相殺することによって肉の旨味のみを強調し,リンゴの自然な甘味とサバの塩味が見事に調和する。そこにタマネギが韮科野菜特有の野性味を加え,粗挽きコショウが総合味をギュッと締める。クラッカーと共に噛み砕くと,香ばしく焼けた小麦粉がこなれて全体をうまくまとめ,味の調和が更に進む。噛み進むとき見え隠れするリンゴの食感がまたよい。ただしリンゴの水気をしっかり拭いておかないとクラッカーが湿気てしまってつまらないのでご注意。

 私は,けして最近の前衛料理家のように味さえ合えばなんでもいいというスタイルではないし,場当たり的で中途半端な合わせワザはむしろ害だと思っているが,その旬が合致しており,風味が合い,季節感が創出される限りにおいて,通念意外の料理にも手を出すことがある。そんな中から,ポツリポツリではあるが,定番となる料理も生まれるというわけだ。
 それにしてもサバとリンゴ,これホントにいいですぞ。サケの薫製でやるよりも各段上の味です。上品な仕上がりの割には白い皿にほんのチョットなんてこともなく気取らずに食えるし,しかも洋酒に合うので言うことナシ。サバでウイスキー,サバでワイン,大変結構ですな。

【 サバの琉球 】
 刺身に始まり,ここまで味を複雑にしてきたところで,もう一歩進めた生食い料理をご紹介しておく。大分県の郷土料理であって,技法分類としては“ヅケ”の一種である「リュウキュウ」だ。これについては過去ログ「アカミズ三昧」で少し書いたと思う。

 大分なのに「琉球」とは,これいかに。この技法が琉球の漁師から伝わったのでこの名アリとは一説であるが,類似する料理といえば,過去ログ「アカミズ三昧」で書いた,愛媛県の「さつま」や豊後水道版「鯛飯」,それに海賊料理が原点と言われる「日向飯」。いろいろあるにせよ,地理的には南方の沖縄からの伝播と考えるには飛び石状態もいいとこ。もっと途中の地,たとえば鹿児島や宮崎などに名残があっていいはずでは?。ということでこの料理の名称および来歴については引き続き考察を要すところ。
 大分の佐賀関あたりの漁師に尋ねれば,そもそもリュウキュウとは,醤油に砂糖を溶き,刻んだネギとすりゴマを加えたところに刺身を漬けただけ,という返事であり,漁師料理であるかぎり凝った料理はあり得ないにせよ,はたしてそれが原点なのかは定かではない。そこで,ワタクシ流のリュウキュウの作り方は,以下のとおり。これを食った大分の漁師は,旨いとしつつも「ずいぶん高級なリュウキュウだな」と述べたのがおかしかった。特に大幅な変更はしていないのだが,やはり本来はもっと素朴な味なのだろう。

①サバを,既に述べた刺身の作り方と同様に削ぎ切りしておく。
②醤油にミリンを少しずつ加えていき,塩味が丸くなったところで止め,日本酒をごく少量加えておく。総分量は刺身がヒタヒタに浸かる程度。
③小口に細く刻んだネギと,大葉の千切り,たっぷりの白すりゴマを加え混ぜ,サバを投入して20分ほど漬ける。子供がいなければ,漬け込むときに七味や一味唐辛子を少々振っておくと,更に風味が増す。漬け上がりの目安は,切り身の肉の表面に飴色の透明感が出た頃合い。
④漬け上がったら,目の細かいザルに入れて,軽く余分な汁気を濃しとる。これは漬かり過ぎを防止するため。

 これは,そのまま食べて酒の肴にもいいが,すりゴマやネギがすっかりなじんで絡まったままの刺身の幾片かを熱い飯に乗せて,あるいはその上に熱湯ないし熱いお茶をかけ回して,ガガガっと掻き込むのが旨い。そっと乗せて一呼吸置いて、ガガガっと。この緩と急も味のうち。本来のリュウキュウには入れないという大葉を刻み込むことにより,飯と合わせたときの香りの立ち上りが,ちょっといい。この、ちょっとした違いが格段にいい。

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2.加熱して食う

 さて,次は加熱調理の部に移ろう。
サバの肉は,生→調味→加熱,に従って,別の旨味を見せてくれる。“溶け出る旨味”から“噛みしめる旨味”への変身だ。やるねえ,サバは。まるでサカナ味の万華鏡だ。

【 煮サバ 】
 サバの煮たやつといえば,三枚におろした皮目が濃い煮汁に洗われてしっとりつやつやの醤油煮と,プンとショウガの香りがして,こっくりほっくり湯気を立てる滋味深い筒切りの味噌煮,この二つにつきますなあ,いやはやなんとも。
まずは醤油煮のほうからいきますか。

●サバ醤油煮
 サバ醤油煮のコツは,一気に加熱してアクをとり,一気に濃いめの味で仕上げること。結果として,中はみずみずしく,外は濃厚,その合わせ味が醍醐味だ。あまり煮込んでしまってはそのメリハリが失われるので勿体ない。かといって,濃い煮汁でサッと煮ただけの,いわゆるサッと煮では,ジューシー感はあったとしても,こんどは“肉の香ばしさ”が出ない。ここのところが,試行錯誤の中でつかみたいところ。

①下処理したサバを二枚(上身は骨なし,下身は骨付き)ないし三枚におろしておく。三枚におろしておけば,頭と中骨を使って汁もできますね(後述)。家族の人数に応じて適宜切り分けるが,それぞれの身に切れ目は入れない。
②平鍋に酒と水を2:1に割って強火で沸かし,アルコールが飛んだら砂糖で甘めに調える。とはいえ,あとでミリンを加えるのでその分を勘案すべし。総分量は,鍋の形状と大きさにもよるが,サバを入れたときに身の半分が浸る程度。意外と少なめです。
③強火のまま,皮を上に,互いが触れないようにサバを並べ蓋をする。温度が急激に下がると生臭みに通ずるので,一切れずつ一呼吸の間をおいて入れていく。
④強火で熱しつつアクをとっていき,濁っていた煮汁が澄んだら火は引き続き強火のままで,そこに濃い口醤油を加えていく。のだが,だいたい3回に分けて最後の味を決めるカンジとし,初めから一気に十分量の醤油を入れないこと。一度に塩分濃度が高まると表面が急激に脱水されて堅くなり,味がなじみにくく,表面だけが塩辛くなりやすいからだ。一回注いで再度沸くのを待ち,同じようにして更にもう一回,最後にもう一回。そして再度煮立ったらミリン少々を注ぐ。煮汁の味を見て,その家庭なりの“濃いめの甘カラ”,であればそれでよい。①から④までで約10分ほど。
⑤ここまで来ると煮汁に粘性が高まり,強火のままであれば盛り上がるように泡を生じてくるので,吹きこぼれない範囲で泡がサカナの表面を洗うように火を微調整する。ガラス窓のついた蓋であれば蓋をしたまま見ながらやればいいし,アルミホイルに穴をあけて作った落としぶたをするのであれば,それが少し浮き上がる程度の加減でよろしい。サバの皮目を煮汁の泡が洗っていく感じ。要は,「泡で炊く」のだ。この感じをつかんでほしい。
⑥皮オモテが,つややかな飴色となったら完成。皮をそっと指先で触るとムッチリとひっつくような煮上がり。皿に盛り,煮汁を少しかけ,そのままでもいいが,水でさらした針ショウガや白髪ネギのあしらいなどでも相性がいい。だいたい15分ほどで完成だ。

●サバ味噌煮
 同じサバの煮物なのに,醤油煮とはいささか趣きが異なる。醤油煮がスバヤク煮上げて素材と煮汁の味の輪郭を際立たて,その合わせ味を味わう手法なのに対し,こちらは骨ごと煮込んだ時に出てくる渾然となったまた別の旨さを味わう料理だと思う。従って,素材の切り方も違ってくる。

①醤油煮のときのように2ないし3枚におろしてもいいのだが,醤油煮のように比較的短時間煮る一般的な味噌煮ならばこれでもよい。しかしここでは,じっくり煮込む流儀なので,できれば「筒切り」にしていただきたい。サバの首を落としたら,肛門のすぐ前で一カ所切り,前半後半をそれぞれ5㎝程度に切り分ける。身が崩れないよう,切っ先から刃元までを使って一気に切り抜く。
②切った断面から内臓を抜き,手早く血合いを歯ブラシでこすり落とし,流水でサッと洗って水分を拭いておく。
③深めの鍋に酒と水を1:1で割り注ぎ,ここにショウガを皮付きのまま3㎜厚に切って多めに加える。沸かしてアルコールを飛ばしたら,砂糖を若干甘めになるまで加える。ここにサバを入れていくわけだが,このとき,皮がやぶれないよう鍋底につけないことが大切。つまり筒切りしたサバをタテに置くのだ。このための筒切りなのだ。煮汁の分量はヒタヒタよりちょっと少な目くらいでよい。
④強火のままアクをとっていき,汁が澄んだ頃合いを見計らって,濃い口醤油を,感じるか感じない程度,チョロッと加える。これがコク味の基礎を支えてくれる隠し味となる。
⑤再沸騰したら,煮汁をボウルにとって味噌を溶き,これを鍋に戻す。優しい甘さで濃厚な味に仕上げるわけだが,最初は味を見ながら,少しずつ加えていけばよい。何回か作れば,はじめからだいたいの量がわかってくる。その点,毎日の味噌汁と同じナリ。

※使用する味噌は好きずきであるが,私は九州の麦味噌を使っている。白と赤を2:1くらいで合わせたも味噌でもいい。いずれにせよ,それ自体に味があって白のもつ甘さと赤の持つコクと渋みがバランス良く備わっていればよい。田舎味噌のように特有の発酵臭を有するもの,あるいは信州味噌の辛口などは,出来上がりの味にクセやトゲが出るように思う。味噌のような基本調味料は,各家庭の味があるので,いろいろ試してみられたらよい。

⑥ひと煮立ちしたらミリン少々を加え,中火に落とし,ポコポコと煮続ける。その間,ゆっくりと煮汁をサバにかけながら世話してやってくださいまし。
⑦煮上がりの目安は,サバ肉の断面が脱水してうっすらとへこんだあたり。この頃になると煮汁はかなり粘性を増しているはず。かけた煮汁がサバに絡みつくようになったら火を止める。ここで蓋をし,数分間冷まして出来上がり。これによってグッと味が落ち着いてくる。このやり方だと,完成までだいたい30分ほど。

 この煮方だと,醤油煮のようなジューシーさはないものの,筋肉が絹のようにほぐれてしっとり噛みしめる旨さが味わえる。冷めても旨いし,日持ちもする。アナタがどちらをとるか,だ。
このまま食べてもよいが,白髪ネギやさらしネギを盛って食うのもいい。よく針ショウガを盛って出すことがあるが,ショウガは既に入っているではないか。皮付きショウガのスライスを一緒に煮ていましたね。
 これが,実は旨いのです。骨付きサバと味噌の旨味を十分に吸って煮上がったショウガ。皮付きで厚めにスライスして多めに入れておいたのは,実はこれを食うため。つまり,ここではショウガは臭味消しではなく,立派な“炊き合わせ”の素材であるということ。サバ・ときどきショウガ,という感じで食い進めるわけです。サバで酒,ショウガで飯,というのも,いいですねえ。じっくり煮て,じっくりお楽しみ下され。

 さて刺身も煮物もできました,というところでカラダを潤す汁を作っていきましょうか。
刺身や煮物で出たアラを使ってやるのです。

【 サバの塩汁 】
 サカナの塩汁で代表的な郷土料理に「じゃっぱ汁」「三平汁」「船場汁」などがあるが,「じゃっぱ」はタラなどのアラを使ったもの,「三平」は,本来糠漬け塩ニシンを使ったもの,「船場汁」は,日本海で獲れて塩され関西に運ばれた塩サバのアラを使った汁。共通しているのは,強い塩をしたサカナの旨味と塩味を利用した汁であること。ここで紹介するのは,船場汁に最も近いが,三陸の漁師などは同じものをサンペイと呼んでいる。塩サバでやるのも味があるけれど,たくさん釣れちゃった小さなサバや,生食いして残ったサバのアラを塩して用いると,これまた各段に旨いのだ。料理のしくみは過去ログ「もうひとつの塩煮」で紹介した九州型の塩煮と同じ。要は,きつめの塩をして置き,湯で煮出して旨味と塩味を引き出す,というやり方だ。
 
 古来より福井県若狭で獲れた見事なサバを,背割りに開いてひと塩あてて,馬の背に積んで京都に至った「若狭の塩サバ」。この旅の道は,言わずと知れた「サバ街道」と呼ばれて今日に至る。京の都は,旅の間にほどよく塩がなじんだこのサバを,甘めの酢飯と共に型に押して,天下の美味「鯖寿司」として賞味した。
 まさか,京都で作ったサバ寿司の残りアラが大坂に運ばれ船場汁となったわけでもあるまいが,大坂商人の倹約だけでない合理的な旨さの追求ぶりがうかがわれようというものだ。

①サバの頭はタテに半割にし,身や中骨は適当ぶつ切り,ボウルに入れて全体に強めの塩をまぶしておく。置く時間は,最低30分,長い場合は一晩冷蔵庫に置いてもよい。まぶした塩が溶けて,身の表面がヌルヌルしてくれば,もうそれでいい。あまり長く冷蔵庫に置きすぎると脂の酸化臭を生じるので要注意。
②鍋に水を張り,3㎜程度のイチョウに薄切りした大根およびニンジンを入れてアクをとりつつ強火で茹でる。長ネギを入れてもいいが,甘味が出すぎればサバにはあまり合わないように思う。
③野菜に火が通ったら,サバを入れ,そのまま強火で沸かしつつアクをとり,スープが澄んだ時点で火を弱火に落とす。
④味をみて,塩気が足りなければ塩を足していき,もうちょっと足りないかな,というところで薄口醤油少々をたらして完成。吸い口として山椒や柚皮,ショウガやコショウなどを使う人もいるが,私は何も足さない。少し変化が欲しければ刻みネギを少々。基本的にはサバの風味と野菜の甘味だけで味わうのを良しとしている。

 しごくカンタン,きわめて滋味。
 なのであるが,この汁,まさに“煮えばな”が勝負。時間がたつほどに刻々と味が落ちる。まして翌日にもち越しするなど,これはいけない。江戸っ子じゃないが,宵越しのサバ汁はもたねえということにしていただきたい。風味が落ちればショウガやネギなどを入れなくてはならぬ。かといって入れればサバの旨さを純粋に味わえたとは言えぬ。人数分作って熱いうちに食べきって終わり,としていただきたい。適切な処理と食べるタイミング,これさえ押さえておけば,サバは生臭みなど微塵も感じさせない。仮に生臭いと思ったら,サカナ選びから下処理,調理の過程でどこかが間違っていたと振り返るべき。あるいはそもそも実は自分はサバ味が好かぬのではないかといった疑問も検証する必要があろう。でもそんな人にはあまりお目にかかったことがない。悪いねあたしゃサバアレルギーですという方にはごめんなさい。

さあ,もう本日のオカズは十分揃った。え,まだサバがある?
それではおいしい保存食を作っておきましょう。

【 おいしい自家製「塩サバ」 】
 最近は,塩サバといえばノルウエー産の大西洋サバが当たり前になってしまったが,国産との違いがおわかりであろうか。背の模様が違いますねえ。虫食い模様になっている国産鯖に対し,ハッキリとひらがなの「く」の字状に模様が入っているのが大西洋サバの特徴。今や,北陸の郷土保存食用糠漬けである「へしこ」や,各地に在するシメサバや鯖寿司なども,大西洋サバを使うことが多くなってしまった。脂の乗りはアチラが勝ることがあっても,身肉の,思わず噛みしめてしまう味わいは,コチラのマサバならではのこと。
 それにしても国産塩サバは,特に都会のスーパーあたりではなかなかお目にかかれない。見つけても,裏書きを見るとなんやかんやと添加物が添加されていて,誠実に作られた国産塩サバは,今やちょっとしたブランドだ。かといって自分で作るとなると,塩加減をどうするか,といった問題もあろう。

 前出の若狭の塩サバを作る工程を見ていると,ゴム手をはめたおばちゃん達が開いたサバにバサーッとぶっきらぼうに塩を振っているように見えるが,品質は全て安定しているわけだし,その加減が長年の経験をもって絶妙なのである。サバに塩振ってウン十年の手練れの技をご家庭に,というノウハウがあればウレシイが,そうはいくまい。真似して直塩した挙げ句,だいたいは塩辛くなりすぎて,小さな我が子に食わせるにはちょっとね,という事態が生じるであろうし,かといって,まんべんなく塩をいきわたらせることのできる「立て塩(塩水に浸ける)」では,サバの旨味は逃げるし,水っぽくなってしまうので干さねばならぬ。となるとこれはもう干しサバであって,塩サバではない。そのへんの問題をなんとかクリアしたいと思いませんか?

そんなアナタに朗報です。ご家庭で,誰でもカンタンに作れて,しかも塩加減絶妙な塩サバの作り方を伝授いたすので,聞き漏らされることなきよう。

①下処理したサバを三枚におろす。骨や頭はサバ汁用に塩をしておけばよい。
②おろした身ににじんでいる血液などを流水でサッと流し,ひとふりして軽く水気を切り,これをキッチンペーパーで一枚ずつ包む。若干の残り水分でサバの身にペーパーが張り付いた状態。くるんだペーパーの表面がわずかにしっとりしているのが理想的。
③ペーパーの上から両面に軽く叩きつけるように粗塩を当て,すぐに余分な塩粒を払い落とす。ムニエルや唐揚げをするときのように,余分な粉をはたき落とす感じ。この時点でペーパーの表面にはザラザラと一様に塩粒が付着している状態。
④このままタッパーの中に,背側の身が厚い部分が下になるようにタテに並べていき,冷蔵庫で一晩置く。夜に作れば翌朝から食べられるが,寝かせるほどに塩が浸透し脱水していくので,好みの段階でペーパーをはがして一枚ずつラップでくるんで冷凍しておけばよい。冷蔵庫のチルドで風味が持つのは3日間まで。冷凍のサバは解凍することなく,そのまま中火で身の側から焼けばよい。
 
 これは,和食界で言うところの「紙塩」の技術を粗雑に用いたものだ。直塩では強すぎるし,かといってタテ塩では水っぽくなる,というとき,全体にまんべんなく穏やかに塩を当てたいときに,サカナに貼り付けた和紙に霧吹きをかけ,そこに振り塩をするのだ。本来の技法はもっと繊細なのだが,家庭で大量の塩サバをいちどに作りたいときなど,三枚におろしてサッと洗ってペーパーでくるんで塩当てて払い落として冷蔵庫にポン,で完了。紙塩の要件を満たしているから体裁は別にかまわんのである。

 このやりかたで作った塩サバは,出来上がりは表面付近の身肉がキュッと締まって,焼けた皮がパリッと黄金色で,中身はありゃまあと思うほどみずみずしい。噛めば肉汁がジュワリとほとばしる。身の側から7割,残り3割を皮側から焼き上がるのがコツ。
 そして、このような塩サバには醤油がいらない。そして,オトナの皆様に申し上げておくが,いちど,とにかく何もつけずに“ワサビだけで”食べてみてほしい。これは,良く仕上がった干物や,塩加減が上手に焼き上がった焼き魚をワサビだけで食べるのが旨いのと同じ理屈だ。
 こんなのを普通の塩サバだと思って朝から焼いてワサビで食べた日にゃあ,ああもう今日は会社なんか休もうか,一杯これからやっちゃおうか,てなことになってしまうわけでありますから,いささか問題アリか。

●塩サバを茹でることについて
 ついでながら書いておくと,塩サバは,なにも焼いて食うだけが味ではない。「茹で塩サバ」,あえて料理名をつけるならば,すなわち「塩サバの湯煮」もなかなかにイケるものなんである。ノルウエーの塩サバでも,こうするときつい脂と酸化臭が抜けてちょうどよい。沸騰した湯に塩サバを投じ入れ,火が通ったところで皿に取り出し,水気を絞ったたっぷりの大根オロシと醤油で食う。
 焼き塩サバが,脂の乗った皮目の焦げで香ばしく欲望を刺激するのに対し,茹でた塩サバには,「ある夜ふけ 塩サバを茹で 独り食うわれ」,といった“静寂味”があるように思う。天の高みから見下ろすお月様の青い光と,手持ちのコップに満たした一杯の冷や酒が,疲れた心を静かに癒してくれる秋の一幕だ。

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さてと。
ここまでは,“サバ丸出し”の味,いわば源泉を味わう料理であって,これぞ真のサバ味を伝える王道なわけであるが,サバ料理も世間にはいろいろあって混乱する中,特にこれはサバならばこそと納得させられる,少しだけ手の込んだ料理を3品ほどご紹介。凝ったといっても外国の基本料理の範疇だ。中,伊,印,でいこう。

【 サバの水餃子 】中国
 私は学生時代,祭りがあると,手作り餃子の屋台,水餃子であるが,これを相棒とゲリラ的にやって,けっこう稼いでいた。稼いだ金は,ビールで冷蔵庫を毎日いっぱいにしたり,普段食えない旨いモンなぞダラダラと食い漁って,今を思えばくだらんことに使ってしまったと反省しているのであるが,なかなかに楽しい日々ではあった。
 さておき,最初の頃はスタンダードな豚肉と白菜にキャベツ,ニラ,シイタケなんぞを合わせた具でやっていたのだが,本場中国ではいろんな具があるのだということで,次に作り始めたのが鶏肉とシイタケとネギの餃子,そしてエスカレートして,私のダイスキなサバをネギとショウガに合わせた餃子,これら三部作を提供するに至った。当時は塩サバを使っていたと思う。

 豚肉,鶏肉,サバ,と,3種類の水餃子を看板に売りだしていったのであるが,だいたい客は3種類注文して食べる。その結果,まずサカナッ食いであれば,もう他のはいらんからサバだけおかわり,となる。そして“非”サカナッ食いの場合,え?サバ?ちょっと生臭いんじゃないの?ムシャムシャふーんナルホドね。じゃおかわりもうひとつ試してみようかな。となるのである。いずれにせよ食うのじゃないか,スナオに食え,と言いたい。見よ,これがサバの実力。このように,サバの餃子はヤミツキになる味なのだ。包む皮は当時留学してきていた中国大連のオトーサン直伝だ。

 ともあれ,ご家庭で,ちょっと作ってみませんか,別にサバでなくてもいいから。要は,皮で包んで茹でればいいんですから。でも奇抜なのはご勘弁。とり合わせの相性を考えて。
 かの中国では,餃子は年の暮れに親族が集まったときにみんなで皮から作ってみんな包んでオカーサンが茹でて,山盛りにして腹一杯食う。そして,数百個の餃子のうち何個かの中には銅貨が入っており,それに当たった者は,その年ずっと幸運なのだとか。いい話じゃないですか。

 まず,中に入れる具から先に作っていきましょう。

①サバは三枚におろしてタテに切って小骨を切り除いてサイコロ状にコマ切れにし,長ネギ及びショウガのみじん切りと混ぜ,これに塩とゴマ油少々を加えて軽く包丁で叩いてまとめておく。
②ボウルに入れて軽く練ったら押さえつけて空隙の空気を抜き,冷蔵庫で味がなじむまで寝かせておく。練りすぎると出来上がりがカマボコのようになってしまってつまらないので注意。細かく切った筋肉の繊維がつぶれていないくらいが丁度良い。

 具材のとり合わせは,もっと野菜ッ気がほしければ,みじん切りにして水分を堅く絞った白菜を加えてもよいが,加えすぎると加熱したときに水気が出てきて生臭みを生じる原因となる。また,ショウガも,効かせ過ぎは風味がきつすぎるのでご注意。

 次に皮を作ろう。

③強力粉と薄力粉と水を3:1:1でボウルに混ぜ合わせ,よく練る。堅さは耳たぶ程度となるよう,水加減は適宜。良く練って表面が滑らかになってきたら,ゲンコツ大にまとめ,表面が乾燥しないように固く絞ったぬれぶきんをボウルにかぶせて1時間ほど寝かせる。この作業によって,生地に粘りと腰が出るのである。
④中華料理やならば麺打ち台などがあるのでしょうが,ウチにはない。食卓をそのまま使うわけにもいかぬ。で,どうするかといえば,コタツの天板を持ち出し,表面を濡らしたフキンで拭き,乾かぬうちに,ここに切って開いた大きなゴミ袋(ナイロン質のものがよい)をピッタリ貼り付けて使用するとズレず汚れずで具合がよいのである。台の表面を濡らしすぎても乾きすぎても,ピッタリは張り付かないので,そのへん加減されたし。
⑤台の表面に薄力粉で打ち粉をし,両手で粘土細工の要領で,寝かせた生地を直径3~4㎝の棒状(ヒモ状)に長くする。これを1~1.5センチほどに包丁で切ったそれぞれが皮1個分。当然ながら皮の大きさは,ニョロニョロにする太さと切る幅で決まってくるので調節すればよい。
⑥切り分けた皮一個分を断面を上に置き,広げた手の掌の真ん中で押しつぶす。そして,丸くつぶれた生地の外側から中心へ向かってギュッと麺棒で延ばしていく。麺棒は細めがいいので,大勢でやるときは塩ビ管をノコギリでちょん切ったものを用意すればいい。さて,皮を延ばすとき,一回中心まで延ばしたら,左手で皮の向こう側をつまんで右回りに少し回してやる,そして次の一回を延ばし,という具合にくり返し,4回程度で,丸い薄い皮になれば完成。別に,厚くたってイビツだって構わない。うまくできれば周りから中心に向けて押し延ばしていった結果,皮の真ん中に小さなおへそのような厚い部分ができているはず。この歯ごたえがまた旨いのである。さあ,誰が一番上手にできるかな?
⑦できあがった皮に,具を包む。左手に皮を乗せ,小さじで具を乗せたら,まず皮の向こう端に手前端を重ねるように向こう側に半分に折る。そして,左右から皮を寄せてきて手の指を組むようにした中に餃子を持って,交叉させた両手の人差し指と指圧するようなかたちで揃えた親指の間で,ギュッと挟んで,口を閉じてやる。中の空気が抜けるように気配りをよろしく。ワカルカナ? 市販の皮と違って,水をつけなくてもくっつきます。市販の焼き餃子のようにヒダヒダをつける必要もナシ。ただし,入れる具が多すぎると皮が破れてしまうのでご注意。
⑧包み終わった餃子は,互いにくっつかないように打ち粉をしたバットに並べておく。

 さあ,準備ができたら茹でましょう。

⑨大きめの鍋に湯を沸騰させ,お玉でゆっくりと水流を作ってやりながら,餃子を投じていく。この間,ずっと強火でよい。一回に入れる個数は,鍋の表面に餃子が浮いたときに重ならず一様に分布する程度。
⑩湯が吹き上がって餃子が浮いてきたら,差し水をコップに1杯注ぎ,ひき続きお玉でかき混ぜていく。いったん餃子が沈みますね。
⑪再び餃子が浮いたら,再度差し水を。そして,次に餃子が浮き上がったときが食べ頃。小さい餃子に作った場合は,差し水を一回して次の吹き上がりで完成。大きさにより差し水~吹き上がりの回数を調節するわけだ。茹で上がりの目安は,餃子の皮の縁が半透明になった頃合い。目を離せない勝負どころ。
⑫茹で上がったら皿にとって熱々を各自小皿の各種タレに浸して食うわけだが,シンプルに酢醤油にゴマ油ないしラー油少々を垂らして食うのが最上と思う。ほかは各家庭でご随意に。

このようにして次々と茹でて,ムシャムシャと,腹一杯,食ってくだされ。
焼き餃子のような面倒もいらず,大量にどんどん作って,居合わせる皆が幸せになってゆくのが,水餃子のいいところなのであります。みんなで作った餃子は,そりゃおいしいよ~。

次はねえ・・・。
たとえば休日の昼下がりなど,ちょいと洒落て,サバを使ったスパゲッティーなどいかがでしょうか。できれば前の晩にソースだけ作っておくのがいいな。

【 サバのパスタ 】伊太利亜
 スペイン・イタリアは,欧米諸国に属する中でも秀でたサカナッ食いカントリー。サバのパスタがあるのです。と言っても実際にアチラで食べたことはないので,あるらしいのです,というのが正確なところであるが,これが自己流にやっても十分旨い。要は,アチラの料理の構造を理解していけば,何とでもなる,ということ。ここで紹介するのは,いわばサバのボロネーズ,すなわちミートソースだ。生サバでなくとも塩サバでやってもよい。

①サバは三枚におろし,タテ半分に切って中骨を切り除き,1~2㎝程度のサイコロ状に切り,軽く塩を当てて味がなじむまで暫く置く(塩サバは塩をせずにそのまま用いてよい)。
②深手のフライパンないし鍋にオリーブ油をゆるやかに熱し,ニンニクのみじん切り少々とタカノツメ1本で香りが出たら中火にしてサバを投入し,粗挽きコショウを振って炒め,ここにワインもしくは酒少量を注いで煮立たせアルコールを飛ばす。
③ここに5㎜程度にクシ切りにしたタマネギをざっくり加えてしんなりするまで炒めたら,トマトを摺り下ろして加える。竹で作った「鬼おろし」があると作業が早いので重宝する。トマトの旬からはずれた時期であれば,市販のトマトピューレやトマトソースの瓶詰めを用いても可。
④強めの強火で煮立たせアクを取り終えたら,塩で味加減し,月桂樹の葉を一枚加えてそのまま弱めの中火で煮詰めていく。好みでバジルやオレガノを少量振っておいてもよい。水分が蒸発してドロッとなってきた頃に味をみたとき,“ほんのちょっと塩気が足りないかな”,と思うくらいに味を仕上げておく。ここできつめの塩気を入れてしまうと,食べ終わりの時点ではかなりきついと感じるハメとなる。濃い味が特に好きな方はその限りではないが,およそ麺類のダシやソースの塩加減は,食べ終わったときに味の充足感が満たされる程度とするのが丁度良いように思う。かといって,単なる薄味では物足りない。そこが見極めのセンスというものだ。丁度良さってどんな良さ? こういうところにこそ果敢に挑戦してみてほしい。
⑤うっすらと芯が残る程度に塩水で茹で上げた好みのパスタの水気を切り,オリーブ油を薄くひいたフライパンを熱したところに投入し,ひと炒めしたところで④までで出来上がったソースを適量かけ回し,あおって絡ませたらひと呼吸置いて火を止める。これで完成。
粉チーズをかけても差し支えなく合う。
先述したシメサバとリンゴの取り合わせといい,このサバパスタといい,西洋風にアレンジしたとたんに洋酒が合うようになる。広範なサカナの中でもサバでなくてはこの味が出ない,という料理は多いものの,畜肉の料理をサバでやってもナカナカに合うところをみると,サバ肉が,サカナとしての主張を保ちつつ,畜肉にも通ずる血液および旨味バランスをもっているということなのだろう。

 そして,最後に紹介するのがサバカレー,これぞ異国版サバ料理として秀逸な一品。

【 サバのカレー 】印度
 およそサバほどカレー風味と合う魚もあるまい。不思議であるが,試してみられたらよい。イワシでは生臭みが勝るし骨がましい。アジやサンマなどでは筋肉繊維が頼りなくコクが足りぬ。マグロでは味と筋肉はしっかりしていてもバサバサ感が否めず大味となる。南洋の島モルジブあたりではカツオのカレーが定番であるが,味はマグロ寄りでキメが粗くて食い飽きる。タラを使ってあっさり仕上げてもいいのであるが,なにやら物足りないのでほかのダシなど入れざるを得ない。あえて対抗馬を挙げるならばブリあたりか。とはいえやはり,総合点でサバには勝てぬ。

 これまで何度やってみても,結局サバに帰着してしまうのである。迷宮に入って辻に立ついろいろな人物にいろいろなことを教わったけれど結局元に戻りました,という感じでサバに戻ってくる。これこそ「サバでもできる」ではなく,「サバでなければいけない」ということなのだ。いやホント。ウソだと思ったらやってみて。
 要は,サバのもつ特質,あの太さに対する断面積と筋繊維の質,そして皮側にある脂と肉の旨味とコク,多すぎない骨の所在と数など,ぶつ切りや半身にしたときの総合的なバランスが,カレーと相性が良い。何よりも,カレー味に負けない味のパンチを備えているということだ。

 我が家では,サカナのカレーといえばサバであるが,十数年前に,まき網大国:千葉県銚子の加工業者が「サバカレー」の缶詰を売り出して,今も続くヒット商品となっており,道の駅なんかで売っている。缶詰としてはけして安くはないのに売れている。イワシカレーも併せて販売しているが,やはりコチラはたいした味ではない。ワタクシとて振り返れば,サバカレーでひと山当てることもできたのではないか,などと妄想するも風の彼方。いずれにせよ,缶詰にそんな金をかけずとも自家製が十二分に旨いのだから,せっせと自宅で煮込むこととなる。

というわけでサバカレーの作り方を。これも生サバだけでなく塩サバを用いてもOKの料理だ。ただしカレーの本場,かのインドでこのようなサバを使ったカレーがあるや否や,それは存じ上げぬ。

①サバは二枚におろして3~5㎝幅に切り,塩・コショウを振って表面に水分がにじみ出るまで暫く置く。骨がイヤだという人は,つまらないが三枚におろして身だけ用いても結構。ただし出来上がりの味わいが減じるのはいたしかたなし。
②サバは全体に軽く塩をして30分ほど置き,薄力粉をまぶし,フライパンに多めに熱したサラダ油で深めのキツネ色になるまで中火で焼き上げ,別皿に取り置く。粉を無駄なく使うには,スーパーの袋に少々の小麦粉を入れ,ここに切り身を放り込み,空気で膨らませてバタバタ振る。これでまんべんなく粉がつくし,余分な粉も落ちる。
③サバの脂香が残っている同じ鍋の3分の1のと多めのタマネギをみじん切りにして入れて弱火とし,ゆっくり炒め,飴色になったところでカレー粉を加えて更に炒め,香りが立ったら水を注ぐ。炒めるときタマネギと共にニンニク及びショウガのみじん切りを加えてもよい。
④ニンジン,ジャガイモ等,日本型カレーライスの定番野菜を小さめの小口に切り投入し,しっかり火が通るまで煮る。
⑤野菜に十分火が通ったら,取り置いたサバを投入し,中火にしてアクをとりながら煮ていく。煮進むほどにサバを包んだ香ばしい小麦粉が溶けだしてとろみがつくし,サバからはダシがにじみ出てくる。ここで塩と少量の薄口醤油で味を調える。市販のカレールーを用いる場合には,調味料は加えず,ここで火を弱火にしてルーを加える。
⑥そのまま弱火で,時々かきまぜながら煮詰めていき,最後にもういちど確認して完成。

 多くの畜肉を用いたカレーが,出来上がりから一晩寝かせたほうが味が落ち着き旨さを増すのに対し,一般的にエビやイカ,貝類などの海鮮カレーはできたてが旨く,寝かせると具材が脱水してバサつくようになる。が,サバの場合,畜肉に近いためか,寝かせて翌日も,更に旨くなっているので大変よろしい。

こうして書いている間にも,何やらムラムラと食いたくなってくるサバカレーの誘惑。いちど味わってみてほしい。

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 ここまで,生モノ5品,加熱モノ4品,外国モノ3品と,紹介してきたが,これらとは別に,日本海にはタマシイを揺さぶるサバ料理の逸品が存在する。しかしこの料理は,“作り方”,などと記述表現できるような性質のものではなく,次項,別記として記すにとどめおくのでお目汚しまで。

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別記1【 サバの浜焼き 】
 世にはたいした郷土料理がひしめいている。中でもサバに火を通した料理で,保存もきき,食べて旨く,姿がいい,そんな料理がこの「浜焼き」だ。
 浜焼きとひとくちに言ってもここでは単なる野外でやる海鮮バーベキューではなく,保存食ないし贈答用などハレの食として加工・伝承された浜焼きのことだ。同じ「浜焼き」の発音であっても日本海と瀬戸内海では趣きと扱われ方が違う。共通しているのは,単なる塩を振って焼いたものではなく,保存性と旨味性を両立するべく,塩が内部まで浸透するよう加減されており,しっかりと焼き締められている点だ。

 瀬戸内海の浜焼きは,鯛に代表され,主に塩田があった香川県讃岐地方や,播州赤穂といった各地域で,その塩を用いて作られる焼き鯛のこと。最近では養殖ダイも増えたが,本来は春の「魚島(瀬戸内海で餌となるイカナゴが大発生する時期に,それを追ったタイやサワラが集結する様を指した表現)」の頃,獲れたタイに塩を当て,炭火や塩竃で焼き上げたもので,全体が桜色がかったキツネ色に仕上がっているにもかかわらず,ヒレ一本として焦げ落ちていない,その技術と塩加減がみごと。
 特に香川のそれは「菅笠」に挟まれて店頭に並んでいる,明らかに尋常の食とは異なるいでたちであり,やはり今も贈答用や引き出物などに使われている,いわゆる「祝い鯛」だ。菅笠といえば四国の太平洋側徳島県の阿波踊りには欠かせざる装束。瀬戸内の焼き鯛との出会いやいかにと思い巡らすが,とりあえず保留。

 一方,日本海のそれは,山陰から北陸を中心として発達しており,本来は漁師が獲ってきたサカナを下ごしらえし,塩を振って串を打って軒先でおこした炭火で姿良くこんがり焼き上げ,市中・山中などの鮮魚に手が届かない人々に売り歩いたのが原型だ。今は加工屋や魚屋が作っていることが多いが,元々漁師起源のせいか,マダイ,アマダイ,アジ,サバ等々,種類が多い。 タイは別格としても,その他のサカナは専ら日常食である。こちらも瀬戸内に負けず,美しい焼き上がりを呈している。ここで言う「サバの浜焼き」はそれだ。

 獲れたサバを背割りにして塩を当て,開かれた身を元の形に戻すようにして太めの平たい竹串で縫うように“うねり串”を打つ。やわからいサバが見事に原型を取り戻し,そして頭を下にして炭火にかざされ,じっくり焼かれていく。さすがに今はガス火が主流となったものの,今でも炭火で焼いてくれるウレシイ家がある。
 タイをはじめとして他のサカナの浜焼きもたいしたものではあるのだが,サバの浜焼きには特有の美しさと味わいがある。まず,まんべんなく表面が飴色がかった金色に輝く焼き色を呈している。が,一点も焦げてはいない。それが泳ぐようにうねる様は,じっくり眺めるうちに自分の心もいつしかいっしょにうねり躍動してくる。サバが自分か,自分がサバか。我と浜焼きサバが同化してゆくのだ。

 かような幻想を振り払い、そのままかじりついたって気持ちがいいには違いないが,ここはまあとりあえず串をはずし,箸をつけると,堅からず柔らかからずで,しっとりと水分と脂が抜けており,深く香ばしく旨い。しかも焼いて時間が経って冷めているにもかかわらず,サバの香りはあっても臭味はないのがスゴイ。鮮度・処理・塩加減・焼き加減のなせるワザだ。
 また,それを当地では“むしって食う”という庶民性がステキだ。今日のお昼は味噌汁炊いて浜焼きむしってご飯にしました,という飾り気のなさだ。むろん,タイだろうが何だろうが,浜焼きはムシらんと食えんわけだが,その響きはサバのためにあるように思う。最近では「焼きサバ寿司」と称して,浜焼きサバと酢飯を押した寿司がけっこう出回っているが,これは最近にわかに作られはじめたもので,味付けや添加物など,いろいろいじりすぎていて,本来の風味を損ねているように思う。

ここ境港でも,島根と鳥取どっちつかずの辺境の土地柄ながら,スーパーにもサバの浜焼きがトレイにラップされて並ぶ。残念ながら国産サバは滅多に見なくなったが,あればやはり手を伸ばしてしまう。

 むしって食うのもいい。それを野菜だけの味噌汁の実として落とすのもいいし,むしった身をフライパンで暖めて醤油をちょっと加え,炊きたてのご飯に混ぜて食うのも,なんとも旨いものだ。塩もみしたキュウリを水でさらして絞ったやつと酢の物にするのもいい。このときには煎りゴマを共に和える。焼きサバ自身の塩味も良い加減であるが,むしった身を酢醤油やショウガ醤油,あるいは唐辛子をちぎった醤油などに,チョンとつけて噛みしめつつ冷や酒を飲むのもいい。

 「サバの浜焼き」をあえて“別記”としたのは,素材の入手からはじまって技術および設備的に考えても自宅で真似して容易に作れるようなものではなく,素材が入手できる環境と長い土着の歴史の中で培われた経験的ノウハウがあってこそ初めて完成を見るのであって,やはりそのようなものは当地に赴き買い求めねばならぬ,というのがその理由だ。最近は“お取り寄せ”もあるにせよ,土地の暮らしの匂いと一体となった風味・雅味は味わえまい。いずれにせよサカナ好きにはこたえられない一品なので,よろしければ心の片隅に置いてやっていただきたい。


別記2【 サバ寿司 】
 日本海が生み,京の都が育んだ,この郷土料理がもつ諸々の奥深さについては,過去ログ「末期のサカナ」で全て書いたので,今更述べるべくもない。三枚におろしたサバを塩と酢で締め,甘めの酢飯に乗せて棒状に押した寿司だ。

 ドコソコの店のが旨いといったグルメ評論も見かけるが,基本的には家庭のものだ。この寿司の親戚として,薄く梳き昆布を貼り付けて角形に押した関東のバッテラや,頭をつけたまま背開きにして白ゴマ入り酢飯と押した高知の姿寿司,その他各地にちらほら類似性のあるサバ寿司が分布するが,そのような知識はこの料理の本質とはかかわりのないことだ。それぞれの舌と心の底に結びついていればそれでいい。

 どういうわけか,私のこれまでの人生において,さまざまな形で,サバ寿司は心象風景と強く結びついている。いろんなところでいろんな人と,いろんな気持ちで食べたサバ寿司があった。そのシーンが,どうわけかほとんど記憶に残っている。別に京都の人間というわけではないのだが。
 
 左様にサバ寿司とワタクシとの関係は,混沌として深く,旨さを越えた何かがあるようで,実はあまり多くを語れない。ですから,皆様それぞれにとっての良きサバ寿司との出会いを祈るのみ。
作り方については,またいつか書く日もあろう。

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今回は,以上。

 よく,サバは“青ザカナ臭い”と言われる。だから,昔から方程式のように,青ザカナはショウガで臭味を消してと言われてきたし,最近ではハーブやカレー粉などの香辛料を加えてどうのこうのといった料理も世間には多いように見受ける。
が,これまで紹介してきたサバ料理の中で,たとえばショウガなどを使ったとしても,臭味消しとしてではないことをお気づきであろうか。たとえばサバの味噌煮のように,それはその料理とショウガの味および風味が合うから使うのであって,けして臭味消しではないのである。
 逆に,サバ料理=臭味消しが必要=ショウガ使用,といった先入観は,せっかくの“サバ風味”,すなわち甘味と酸味とコク味が渾然となった味わいバランスを無視して単調な味にしてしまうことのほうが,むしろ多い。
状態の良いサバを入手し,適切な処理と調理方法,たとえば汁であれば前回の「アクとつき合う」で述べたアクの取り加減を意識していれば,何等臭くはならない。既に述べたように,もし生臭いと感じたら,これらの工程でなんらかの不備があったと振り返るべきだ。

 世間には,もっと臭味消しが必要な魚がたくさんある。青ザカナの中でもイワシの方が若干臭味が強いのでショウガを求めることがあるが,これも鮮度と処理問題の範疇で,いらない場合も多い。
 むしろ過去ログでお話ししたスズキの青臭さ然り,スルメイカやアオリイカの臭み然り,意外と思うかも知れないが白身魚で淡泊と言われるシロギスやアイナメ特有のクセ然り,白身系の魚であっても特有のクセを持つものは多いのであって,むしろそのようなものにこそ臭味消しの意味でのショウガは合う。でなければ,先述したように,サバの刺身にはショウガが合って,シメサバにはショウガが合わずワサビが合うといったことの説明がつかない。

 やはりひとえに,味として相性がいいかどうかが吟味の第一であって,その観点からも,いいかげんに我々はサバをショウガの束縛から解き放ってやらねばならんのではないか,と思う次第。
 九州地方には豚骨ラーメンで気合いの入ったスープを吸わせてくれる店が何軒かあるが,本当の豚骨好きは,紅ショウガを入れない。豚骨の風味を殺してしまうと言うのだ。臭味と香りは紙一重の面があるにせよ,上手にとった豚骨ダシは,その線がしっかりしていて、単純に臭いだけではないからだ。

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 今回はワタクシ的に主力たるサバがテーマだけあって,これまでにない長編になってしまった。ご迷惑かとも思うが,サバぢからのなせるワザということでご容赦を。サバの旨さは,食べ重ねるほどに筆舌に尽くしがたいと,つくづく思う。

 以上述べ来た料理のほか,竜田やフライに揚げたり,グラタンだとか薫製にしたりと世間にはいろいろあって,それぞれに旨いものにはちがいないが,あんまりアレコレありすぎても混乱するし,あんまりいじくるとサバの真味を損なうと思うので割愛した。まあ、サバはよほどヘタを打たないかぎり,どうやっても旨いサカナですから,それを信じて更においしくしてやってほしい。

サバよ,ありがとう。
  

Posted by ウエカツ水産 at 14:28Comments(7)魚・料理

2007年12月16日

「アク」とつきあう

 いつものように翌1日分のカツオ昆布ダシをとる夜半,鍋の面に浮かぶ半透明のアブクをさらっては捨てつつフト考えた。このアブク,いわゆる「アク」とはなんぞや。今回はそのへんを追究してみたい。

 たしかに,このダシをとる過程で,コヤツを除いてやらねば,カツオに限らず煮干しなどサカナ系のダシ素材であれば,主に酸化した脂肪に由来する渋み,それからサカナ特有の生臭み,乾物臭等が残ってしまうため,従って,欠かさざる作業となっているわけだが,たとえば,いつぞや当家過去ログ「もうひとつの塩煮」の中で紹介した長崎県南部に分布する塩魚を使った汁の作り方を思い出す。
 水からジャガイモを入れて強火で加熱し,きつい塩をした魚を入れてからも強火で一気に加熱しつつアクをとりつづけ,スープが澄んだところで火を弱火に落としてからスライスしたタマネギを入れたのち味を調整するわけだが,これを,火を落とさずに強火に戻して加熱し続けるとどうなるかというと,火を落としてからは出なくなっていたアクが,再びドンドン湧きだして,一時は澄んでいたスープは白濁し始め,延々とアクをとり続けたあげく鍋の中は豚骨スープ化し,肝心の魚は身や骨が崩れ,何やら溶解したドギツイシロモノに変貌してしまうのである。
 このことからつまり,澄まし汁だろうが豚骨スープだろうが,料理にはそれぞれ「アクのとり加減」というようなものが存在するらしい,ということがわかってくる。アクをとらないのはダメ。とりすぎてもダメ。「汁は煮えばな」を良しとするのは,その煮加減もさることながら,アクのとり加減というか“とれ加減”,というようなバランス点とタイミングを併せて指している言葉のようにも思われる。

さて,いろいろ料理をしながらアクというものを観察してみると,ひとことでアクと言ってもいくつかのタイプに分類されることがわかる。おおむね次のとおりではなかろうか。

1.加熱によって生じるアク
①煮沸する素材の表面を沸騰した水ないしその泡が流れることにより,素材表面の汚れ等を掻き取るもの(たとえばサカナのアラで上品な潮汁をつくるとき,あるいは鍋に入れる切り身の臭味を除くための下ごしらえなど)。
②煮沸する素材が含む水分の温度が沸騰点に近くなるにつれ,素材から水分が湧出し,泡となって浮くもの(野菜の炊き合わせなどをつくるとき,温度の上昇に伴って生じるもの)。
③煮沸する素材の温度が上昇するにつれ,内部の,主に蛋白質が外部に滲出し,それが熱によって固まり,気泡が付着して浮くもの(主にサカナの煮付けなど)。

2.加熱によらずに生じるアク
①水や湯に浸すことによって水に溶出する苦味,えぐ味,渋味,色素など(ナスやゴボウ,キュウリ等の下処理,漬け物にする青魚などを水でさらすなど)。
②主にアルカリ性ないし吸収性の高い成分を加えた水ないしお湯に浸けることによって溶出する①と同様の,いわゆる雑味。(たとえばワラビを藁灰と湯で浸したり,大根やタケノコを米ぬかで煮冷ましたりといったこと)

 そして,一般的に我々は,加熱しながら生じるアクの除去を「アクをとる」といい,加熱によらない方法を「アクを抜く」などと言い慣わしているようだ,というようなことも思い当たりますね。後者は主に野菜で行われているが,魚や肉を流水に浸しておこなう「血抜き」といったことも広義にアク抜きと呼んでいる。

というようなアクとり談義はさておき・・・,

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 相変わらず雪は降らんし水温もぬくいままであるが,まあカレンダーではもうほとんど冬であるから,日本の冬といえば鍋,と言ってもおかしくない。実はこの「鍋料理」というやつが,アクについて学ぶ上で,大変優良な教材なのです。

たとえば・・・,
 冬の場末の酒場における忘年会,職場の十数人が三々五々集まって大鍋を囲むとき,ダシがたぎったら店のおばちゃんがやってきて,所定の時間内に終わらせて次の客を入れたいものだから,ホラ入れろソラ入れろとサカナから貝からエビから,白菜・春菊・白ネギを問わず,尻を叩かれつつドンドン放り込まざるをえない状況となり,とにかくバサリと蓋をして,あの大きな蓋の穴からブーッと激しい湯気が吹き上ったら,こんどはアチチなんて言いながら誰かがとりあげた土鍋の蓋を持ったまましばしうろたえるというような光景が一段落したところで,あらためて皆がのぞき込む食膳の中心に鎮座するのは,鍋に山盛りの地獄汁である。この店ではこれを“海鮮寄せ鍋”と称しているようだ。
 そして見よ,その有り様を。その結果を。鍋の縁には諸々の食材から噴出した成分の混合物がベットリとこびりつき,肝心の魚や貝やエビはダシがすっかり抜けてスカスカに崩れて堅くなっており,野菜は歯ごたえを失いぐったりしているのではないか。当初は琥珀色に半透明であったダシにいたっては,既にすっかり白濁し,色も何やらおかしげな気配。

 けれども,でもいいや・・・,と思い直す。みんなでつつくのだから。年に一度の忘年会なのだから。と気持ちを切り替えて,小鉢に具を取り分け,ケソケソと身肉を噛み,ペシャペシャとネギや白菜を舐め食い,ジルジルと雑味に満ちたダシを吸うのである。こんな鍋には,アルコール臭い安酒の,つきすぎた燗がお似合いだ。

 しかし,だ。これはお鍋という料理が創出する“和”の精神と,年の暮れであるというハレ的要素が事態をこの程度で治めているのであって,冷静に考えてしまっては悶絶の対象以外のなにものでもない。おれたちはブタか,と唸ってしまうのである。世の中には「食べて腹が立つ食べ物」というのが存在する。

 こんなことが起こるのも,提供する側・される側双方において,食材に対する熱の加減ということ,およびそれに伴う,本日のテーマであるアクに対する認識がおろそかにされている結果であろう,と思うのである。

 この一連の出来事を体験してわかるとおり,「アクというものをとらないと,食味上極めて悪辣な働きをする」,ということにまず思い知らされる。そして次に「アクというものは熱の加減と表裏一体である」,というしくみもわかってくるであろう。そして,この2点をないがしろにすることが,いかに鍋料理をダメにするか,ということを痛感し,更に,そうしてしまったのは当の我々である,という事実に愕然とし,慚愧の念にさいなまれるハメに陥るのである。ま,冷静に考えればのハナシですが。

 その点,本来の「日本の鍋の作法」というものは,火加減をもってアクを上手に取り去り,それぞれの具材の持ち味を最高のタイミングで味わえるようできている。すなわちそれぞれの「味の輪郭」を際立たせて,更に複合させて味わうように仕組まれている。
 ここで,どんなサカナでも,野菜でも,肉でも,簡易で大変美味しく食べることのできる,人心および味覚に優しい鍋の作り方およびその作法などを述べながら,併せてアクというものについて考えていきたい。

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【 「優しいお鍋」の作り方 】

 鍋料理というものは,多様な具材に合わせてその調味の構成を変え,かつそれは地域の風土ないし各人の好みに依るところも大きい。全国を眺めてみれば、味噌あり,醤油あり,牛乳や豆乳もあろう。  
 従ってあえてここで紹介するのは,汎用性が高く,概ねどのような具材を用いても支障をきたさない,誰でも美味しく作れる鍋である。

まず,下地(ダシ)を作ろう。

1.下地を調える
①鍋に水を7分目ほど張り,ダシ昆布を1枚入れ,中火に点火する。
②沸騰する直前に,昆布を取り出しておく。
③まず薄口醤油(できれば無添加で質の良いもの。我が家では「チョーコーの特選うすむらさき」を使用)を徐々に注いでいき,塩加減を澄まし汁よりちょっとだけ濃いめに調える。
④次に,ミリン(できればちゃんとしたミリンを。タカラの本みりんで可)をごく少量ずつ注ぎ,ほのかな甘さを感じる程度に調える。塩味の“カド”を丸めてやるイメージで。
なお,これら塩加減と甘味加減は,各家庭の味に関わることなので,絶対的な分量は表記しない。
⑤調味し終わったら,一度沸騰させ,ここでいったんアクをとる。何も入っていないのになんで?と思うかもしれないが,これ大切。実は調味料にもそれなりのアクがあるので,これが雑味となる。ちなみに添加物の多い調味料は,沸騰させると味に変調をきたすので要注意ですぞ。

2.具材を準備する
 次に,具を何にするか。動物質と植物質を季節に合わせて,互いに邪魔しないもの同士を取り合わせるのがよい。そして鮮度が最重要であることは,言うまでもない。
で,ここで作った下地に合う鍋といえば,
例1)鳥もも肉のぶつ切りないし手羽元と長ネギ,白菜,キノコ類
例2)スライスしたイノシシ,アイガモ,シカ肉等と,ゴボウ,長ネギ,セリ,キノコ類
例3)各種エビやカニなど甲殻類と,長ネギ,白菜,水菜
例4)鯨の皮,あるいは油揚げの短冊切りと水菜
例5)スズキ,タイ,タラ,カワハギなどの切り身・アラと,長ネギ,白菜,春菊,豆腐
例6)豚肉のスライスと長ネギ,白菜,春菊,ニンニクのスライス
例7)牛肉のスライスとゴボウ,長ネギ,白菜,春菊,キノコ類 
等々。

 鍋を作る過程で最もつまらない状況といえば,すでに或る忘年会の一場面で述べたとおり,ゴタゴタいろいろ入れすぎて,ゴッタ煮になってしまうことだ。それさえ避ければ好みによってなんでもいいのであるが,取り合わせのコツは,季節感もさることながら,野菜の甘味が必要な場合は長ネギや白菜を,合間に季節の香りの野菜で一息つきたいような具がメインである場合は春菊やセリを,気持ちのよい歯ざわりとほのかな苦みが欲しければ水菜を,もうひとつ他の旨味成分も欲しいときにはキノコも加える,豆腐はダシを吸わせて旨いものであるが,アクの強い肉(鶏を除く畜肉や青魚類)には向かないように思う,といった具合に,“必要だから”,合わせるのである。やもすると我々は,普遍的な鍋の具が存在するかのような錯覚にとらわれたまま惰性で鍋の具を揃えてはいまいか。
 具材準備のひとつのコツは,“鍋が終わった後のダシの風味が良くなるように”イメージして取り合わせることだ。「最後に残ったダシの味が美しく旨い」=「それ以前に具材が取り合わせ良くおいしく食べられた結果である」という法則が,鍋料理では成立する。これはあたかも,包丁を研ぐときに,「包丁を研ごうとするのではなく砥石を鏡のように平らに磨くイメージで」,というのと似ている。メインの動物性の具を決めたら,野菜類は最小限数種類を,相性を十分に吟味して合わせたい。
 ちなみに最もシンプルな鍋といえば,短冊切りの油揚げと水菜の鍋,アサリのむき身と千切り大根の鍋,脂の乗ったマグロと長ネギだけの鍋,あたりが思い浮かぶが,これは味わってみればわかることだが,ある意味,鍋の本質を突いた取り合わせと言えるのではないか。よく考えた末に厳選されたのか,もしくはいろいろ入れていたのが淘汰されて現存しているのか,あるいは庶民の生活で季節の安いものを一品ずつなんとか揃えてみました,といったことなのか,いろいろ想像されるが,いずれにせよ簡易かつ簡素で出会いのもの,という点では完成されている。食えばワカル。
 
3.具材の切り方
 食材の性状と理想的な火の通り方を考えれば,肉やサカナで血の気や脂っ気の強いものであればスライスし,アクの少ない白身魚や鳥,エビやカニは,大きくブツ切りのほうがよい。
 一方,切り方が大切なのは,むしろ野菜の方だ。
 鍋というものは,一種の「煮食い」であり,その中でもすき焼きなどよりも更に短時間で加熱する料理であるから,煮えた端から最善のタイミング見計らって順次食べていくことが肝要。そのときに,ネギは煮えたが白菜の中央部分がまだ生であります!ということでは困るし,それではせっかくのメインの具のダシを吸ってくれない。だから,下ごしらえに注意する必要があるのだ。

①ネギ:すき焼きやマグロを使ったネギマ鍋などで筒切りにした長ネギを用いるが,これは或る程度煮込む旨さであって,ここで述べる鍋料理の場合,まさに煮えばなをダシや肉と共に食って食感も合わせて旨いのがネギ。だから筒切りは向かない。厚さ5ミリ以下にナナメに長く,削ぐように切りそろえておく。
②白菜:はいだ葉を重ねたら,まずタテに半分に切り,葉元のほうから8~10ミリ程度の厚さで小口切りにしておく。よく飲食店で供されるように大振りに切っては煮ムラが生じるし,他の具材との相性が悪い。また,同様に,大量に切っておく必要はない。宴会で大量の白菜が残っているのをよく見かけて勿体ないことだ。足りなければ,また切ればよい。
③春菊:中心の堅い茎から葉を全て下方向に引きはずし,葉の部分だけを用いる。残った軸は小口に微塵に切って,シラス干し及び煎り白ゴマと共に炒めておき,常備菜とすればよい。
④セリ・水菜:痛んだ葉を除き,7㎝程度に切りそろえておく。
⑤ゴボウ:表面をステンレスタワシで擦り,7㎝程度の長めのササガキに薄く削って薄い酢水にサッと浸し,ザルに上げておく(これは“アク抜き”ですね)。
⑥キノコ類:バラバラにせず,シメジであれば2~3本,エノキであればふたつまみくらいの大きさに房分けをする。マイタケはダシを汚すのであまり用いないが,牛肉やアクの強い獣肉には合う。これは根を切ったら,適宜タテに裂いておく。エリンギも同様に。
⑦豆腐:あまり小さくは切らず,一丁を6等分くらいに分けておく。カレー用の大きなスプーンにちょうど乗るくらいが大きさの目安。

4.鍋の作法
 さて,いよいよ煮方についてだ。
 これを間違えると,“あとあと”の味が変わってくるので注意を要する。

①まず,火を加減し,沸騰手前,“フツフツ”と静かに湧く程度にダシを加熱する。ゴボウを使う場合は,ここで大きくひとつかみ入れておく。
②そこにメインの具を場の人数に行き渡る分だけ入れる。初めはダシが白濁するが,アクをとっていくに従い,澄んでくる。この一瞬が食べどきであるから,すかさず各自の椀に少量のダシと共に取り分ける。初々しいダシをときどき吸いながらホカホカでジューシーな肉や魚をほおばる,これが鍋の始まり。これを別皿でポン酢にちょいと浸して食べるのもいいし,小鉢に唐辛子などをパラリと振り入れるのもいい。
③ここで豆腐があれば,先に入れてしまう。最後のほうでダシを吸ったやつを食べるのが楽しみだ。
④残りのスペースに,ネギをパラパラ入れ,しんなりしたら,すぐにダシと共に食べてしまう。
⑤再度メインの具を入れ,タイミングをずらしてネギを入れ,アクをとりつつ,スープが澄んだところでネギと共に味わう。
⑥春菊やセリ,水菜をパラパラと入れ,一呼吸置いたらスグに食べる。ネギと合わせて食うのもよい。
⑦白菜やキノコ類をざっくりと投入し,その傍ら,空いたスペースでゆるやかに②ないし④~⑥を繰り返し食べ進む。その間も適宜アクをとり続けるのを忘れずに。
⑧白菜がしんなり煮えた時点で,他の具材などもいろいろ取り合わせながら,そして最後の方では豆腐もゆっくり味わいながら,食い進んでいく。豆腐の食べ頃は,“豆腐内の水分がダシと置き換わった頃合い”というが,わかるかナ?
⑨,いずれにせよ,基本的に
「火加減を常に静かにフツフツたぎる程度に調節し,けして沸騰させないこと」,
「最初から最後までアクをとり続けること」,
「鍋内で煮えた具および野菜類をあらかた食べてしまってから次のものを入れること」
というのが守るべき原則であって,あとは自由に楽しめばよい。要は即席の「合わせ味」の料理なので,センスの問題だ。
⑩メインの具もなくなった。野菜も丁度なくなった。残るはダシのみ。お腹は7~8分目。と,最後にこのような状態になったら,それは,当初のダシの味加減からメインの具と野菜の取り合わせと分量バランス,煮加減と食わせ方,等々が,ちゃんとうまくいったという証しだ。人知れずニヤリとするに値する。やりましたね,オトーサン。ということで拍手。そこで,最後まで気を抜かずにファイナルステージに臨むのだ。

5.残りダシを味わう
 鍋のシメ,といえば,代表格は雑炊であろう。まずは基本的な作り方を。
雑炊とひとくちに言うが,汁が多めでサラッとした,いわゆる“雑炊”タイプと,トロリとした,いわゆる“オジヤ”タイプとに好みが分かれるところ。従って,作る前にそのへんのところを相談し,決めてかかるがよろしい。

①残りダシを,人数分のご飯を入れたときに,雑炊タイプで6分目,オジヤタイプで7分目くらいになるように水で薄める。
②味をみて,塩少々あるいは薄口醤油で,澄まし汁より若干濃いめに調味する。
③火を強火にし,沸騰する手前でご飯を投入し,中火に落とし,手前向こう方向に杓子でゆっくり常に流れを作ってやりつつ,ご飯玉を崩す。フツフツとたぎる程度に火は適宜調節する。流れを絶やさないようにし,米がダシを吸って花が咲くのを待つ。
④卵を解きほぐし,引き続き片手でご飯を回しつつ,数回に分けて“細く”卵を垂らしていく。このとき,卵を早く注いでご飯を早くかき回せばオジヤに,ゆっくり卵を注ぎ,更にゆっくりやさしく回してやれば雑炊タイプになる。このへんの技術が分かれ目。
⑤そのままでもいいが,薬味は小口に切った細ネギ少々,ないし一味唐辛子のひと振り,といったところがよく,ときどき飲食店で出すような,細切りの焼き海苔を振りかけるというようなことはしない。海苔は,その香味で臭味をマスクする効果がある反面,風味を殺す二律背反の性格をもっているため,従って,ちゃんとした流儀で作った鍋の残りダシに,海苔は邪魔なのである。

 ここでは雑炊の作り方にとどめたが,これは魚やエビ・カニ,鶏肉,といったアクの少ない具材に向く。一方,アクの強い畜肉などは,ウドンのほうをおすすめしたい。その点,鶏肉は,両方に向いているので重宝する。

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 この鍋の作り方・食べ方を見てわかるとおり,日本の基本的な鍋料理は,最初から最後に向かうに伴い,単味から複合味への味わいへの昇華・盛り上がり,という構成になっている。そして最後に全具材が交響楽を奏でるのが,残りダシを使った雑炊であり,ウドンであるわけだ。ここで幕が下りる。そう。あたかもあの,ラヴェルの交響楽“ボレロ”みたいですね。

 こうして具体的に鍋の作り方を書いてみると,いささか格式張っているのではないか,ルールが多すぎるのではないか,ぜんぜん「優しく」ないじゃないの,と思われるかもしれないが,具材個々のおいしさ,およびその合わせ味の妙味に到達するには,マメなお世話が必要だ,ということの証明である。そのこまやかな気配り・努力の成果は,けして裏切られることはない。再度言うが,ゴッタ煮では味わえない,食べたときの「輪郭のハッキリした味」に出る。そして最後の残りダシおよびウドンなり雑炊になると,こんどは複合妙味としていよいよハッキリと成果となって出てくるのである。そして振り返ってみれば,その完成度を支えるのが,「火加減とアク取り」であることを,ご理解いただけると思う。ぜひお試しいただきたい。
 
それにしても,「日本の鍋料理」というのはつくづくスゴイですなあ。
だって,酒のアテから最後のごはんまで,よく考えたら鍋ひとつだけで「フルコース」構成なんですぜ。いやーまいったね。

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 ここらで鍋から離れて再びアク談義に戻り,整理にかかろうとするのだが,まずあらためて「加熱して生じるアクは火加減と連動している」ということを確認しておきたい。
 どのようなものにアクが存在するのかといえば,既に上述の鍋を作りながら学習してきたとおり,肉やサカナは言うに及ばず,野菜,そして酒・醤油・味噌・ミリンなどの調味料にさえ,アクはある。取りすぎれば風味を損ない,取らなければ雑味となって残る。古人はそのことをよく知っていたと見えて,和食の世界には“塩のアク”をとる技法も存在するのである。

 では,どのような状況下でアクが生じるかといえば,それは強火であるほどに水分温度が上昇して気泡を生じるとき,アクは最も浮かび上がる。
 従って,たとえば鍋でも汁でも,素材の質を損なわない程度に水を熱し,その気泡をもってアクをとり,汁が澄んだら弱火に落とすし,気泡を生じるほどに加熱したくない,たとえば野菜のアクを風味として少し残したまま煮たいと思えば,事前に水に浸けるなど別の方法でアクを抜き,あとは静かに煮ればよいということになる。それら処理の時間の下限もあろう。

 多かれ少なかれ,アクは親の仇と断じて取らねばならないもの。されど相手を殺すほどにとりすぎてはいけない。鬼手をもってとるときはとり,ここぞというところで仏心をもって優しくピタリとやめる。これがアクとのつきあい方かと。何やら偏屈な人間とのつきあい方とも似ていますな。主張と調和、みたいな。

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 食材は,炭素,水素,酸素,窒素のほかミネラル分などを主体として成っているわけだが,良い素材ほどこれらの化合物の純度が高く,バランスがよく,アクが少ない。とすれば,その点最近,地球のどこを見渡してもアクが随分溜まっているのではないか。それを基盤として生きる野菜もサカナもニンゲンも,アクが強くなったって不思議ではない。それを,どう加減良く抜くかだ。

 良い食材とは,雑味が少なく味がきれいで,食べてカラダに良いもののことだ。最近,岡山の釣友の実家から送られてきた米と野菜を食べて目を瞠った。そうだ,これが野菜の味だった。心もカラダも甦る思いがした。なんでも,ご両親は山奥の清流流れるほとりにて畑作りをしておられるそうな。
 人のつながり方によっては金をかけずともまだまだいいものが手に入るし,金がある人がそのようなものを手に入れるべく腐心奔走するのも人生ではあるが,一方,良くないものを拒まずこれを活かすのも,また料理の心得であろう。料理の理は,素材の成り立ちとしくみを知り,用いて活かすことに尽きる。“アク取りの加減”は,その精神の大きな一翼をなすと言えよう。

 モノ食う以上,アクとのつきあいは一生続く。
ですから皆様,以後よろしくアクを十分ご理解の上おつきあいいただいて,それぞれのご家庭で優しく最高に美味しい料理を味わっていただきたい。
 なんにせよ,まず相手を知ること,次に合理的に目的に見合った手段を考えること,直観だけでなく基礎も押さえておくということ,これに尽きる。その点,釣技の本質と同じですな。
  

Posted by ウエカツ水産 at 19:12Comments(2)魚・料理

2007年12月12日

境港発 今期のメバルをとりまく事情 2007

 フト気づけば,あれまあ,2ヶ月も更新できていなかったという現実。まことにお恥ずかしい次第。本業に追われていたこともあるが,それよりも,今期のメバル事情の異変を追究するのに余念がなかった,というのも事実。今回はそのへんのお話を少し。

【昨今の海】
 今年の冬は水温低下が極めて遅い。漁師も釣り人も,口を揃えて水温高いと言っている。むろん気温の低下が遅いこともあるし,気温が高ければ当然それに伴い風や雨なども影響を受ける。このところ年毎に台風は大型化し,かつ9月を過ぎてもダラダラやってくるようになった。
 境港を出入港するカニカゴ船や,大型底引き網,まき網など,そこそこ遠方までサカナを獲りに行く漁船は,いよいよ天候と潮との勝負が深刻である。それだけに,変化しつつある気象を読んで他の船が出漁せぬタイミングでうまくサカナを獲って入れる船は,いい稼ぎができる。漁業にも,これまでとは頭ひとつ別のセンスが求められる時代となったということか。さておき・・・,

 もはや「地球温暖化」というやつが陸・海・空に影響しているのは明らかで,この用語も今では半ば常識化してしまった感がある。海洋におけるその予兆は,思い起こせば捕鯨船に乗っていた10年ほど前から既に徐々に始まっていた。
たとえば,南氷洋の氷山が崩壊する量が増えて氷原となって船の航行を妨げたり,太陽光が突き刺すように肌を刺し,日焼けの跡がシミとなる,といった具合で,当時は,オゾンホールが大きくなってるのかね,くらいなもので,半年の航海を経て日本に戻れば極めていつもの懐かしい日本の四季であったのであるが,その後,マグロはえ縄船に乗るようになって3年目,太平洋南東部のメバチ漁船の船頭達が,これまで蓄積したデータが役に立たんと言い出したのが,今につながる急激な変化の始まりだった。
 マグロ船の船頭は,360度水平線,水深1,000m以上の大海原でマグロの通り道を探し当てそれを釣る。であるから当然,漁師のカンだけでは獲れるわけがなく,過去の経験・知識の蓄積量がものを言う漁業なだけに大きな海洋環境の変化は商売上深刻であったと思う。ちょうど5年前,2002年あたりであったろうか。

 同時期,夏場に手伝いに行っていた長崎県野母崎のイセエビ刺し網に「スジアラ」だとか,「キハッソク」といった,その道60年の地元ベテラン漁師でも見たことさえない南方系というか,むしろ熱帯魚のようなサカナが掛かり始め,その後日本海の仕事で境港に移ってきた3年前あたりからは,山陰沖のまき網に「スギ」とか「オキアジ」などという,これまた南の連中が頻繁に入るようになり,島根県の隠岐島では,本来“死滅回遊”であるはずの「アイゴ」が,とうとう越冬するに至った。同様に,今年はあのハリセンボンまでが境の港内で越冬している。
 ちなみに“死滅回遊”とは,南方系のサカナが潮流に乗って北上したとき,低水温のため南に戻って来れずに死滅する,いわば死出の旅のことをいい,これまで長きにわたり多くの南方系魚類が潮に流され北上しては順調(?)に死亡していたのである。
 現在のところ,越冬はできても繁殖までしているかどうかは定かでないが,もしそうなれば,それはもうそのサカナの“種”としての「分布・繁殖水域」が塗り変られるということなのだ。

 更に時期を同じくして,瀬戸内海でもおかしなことが始まった。それが2年前の春あたりからで,当地の春の味覚であるシラス(主にカタクチイワシの稚魚)やイカナゴのサイズが揃わなくなってきたのである。つまり,通常であればこれらのサカナは,漁期が始まるとまず小さいものが獲れ始め,時期が進むにつれ徐々に大型化してくるのだが,初めから大小“混じり”で獲れるようになり,この傾向は今年も続いている。これはイケナイ。
 煮上がった姿が曲がった錆び釘に似る,いわゆる「釘煮」というイカナゴの佃煮は,兵庫県播磨地方一帯の季節の風物としてつとに有名であるが,これは材料とするサカナのサイズが揃っているのが前提で,バラバラであれば煮上がりにムラを生じる。煮ムラがあれば,同じ鍋で煮ても魚体が折れてしまって“釘”にならない。従ってサイズがバラバラだと値段が低くなってしまうわけだが,かといって2㎝ばかりの細いサカナを選別するわけにもいかない。

 振り返って境港。
 瀬戸内海で稚魚類の成長にバラツキが見られた同年,隠岐島のまき網で獲れるマアジのサイズにもバラツキが出た。その傾向は春を過ぎ夏になってもおさまらず,秋になった。
 秋から釣れ始めてロングランとなったアオリイカの群れも,必ずしも順調に成長したわけではなく,冬の気配がした頃に,なんでこんなサイズが,と思うような小型個体がチョロチョロしていた。推するに,群れごとに産卵が分かれて長期化したか,あるいは,考えにくいことではあるが,本来は年に1回しか産卵しないはずのイカが,多回産卵していたのか,ということだ。
 それだけではない。例年,同じマアジでも,沖合いを通過していく“クロアジ系”の抱卵は初夏,沿岸に居付く“キアジ系”のそれは晩夏であったが,クロアジの抱卵が早まり,キアジのそれは遅れて秋にもつれ込んだ。そのせいもあり,例年冬場にワームで欲しいだけ入れ食いとなる中型キアジの脂の乗りは,ここ4年間で過去最低だ。このまま太らぬまま沖へ去るのか,それとも漁期が遅くまでズレ込むのか。
 一方,根魚であるカサゴの抱卵が1ヶ月早まり,アカミズのそれは1ヶ月遅れた。アジも根魚も,その抱卵は二極化し,あたかも記録的な猛暑を迎えた今年の夏の高水温を避けるが如くであった。

 「南方からの来遊魚の増加」,「潮流に乗って運ばれる稚魚のサイズのバラツキ」,そして「親魚の産卵時期のズレ」,これらを総合的にみて推測できるのは,まず「潮が乱れている」ということだ。それも,魚釣りで言う潮のヨレといった小さなレベルではなく,たとえば日本海を北上する対馬暖流の勢いや,それが沖合い通過時に生じる大型の反転流の数々といった規模で。このところ釣り場の潮の緩・急が激しくなっていることからみても,おそらく間違いなかろう。なぜなら,日ごろ我々が釣っている沿岸の漁場は,沖合いの海洋構造の末端であるからだ。

 ここで思い当たるのが,このところ各所でささやかれる高水温の問題で,たとえば,高い気温で暖められた水が表層を流れるとき,通り過ぎたあとには下にある冷たい海水が上がってくるといった現象が見られるが,そのエネルギーは,両者の温度差が大きいほど,大きくなる。三次元的に,かき回され,乱れる,といった強さが,より大きくなる。これが大規模に起こるとすれば,それぞれの場所で,例年と違う水温の潮が入ってきて,そこにいる親魚の産卵期が局所的にズレたり,本来ならば一定に近い順調な潮に流されながら孵化し成長する稚魚が,水温の異なる潮に巻き込まれて一部成長不良を起こしたり,死滅したり,あるいは還流によって押し戻されたり,てなことが起こっても不思議ではない。

 いずれにしても,自然界というものは,よく観察していると,すべからく“安定”の方向に動いているので,おそらくこれらの乱れはひとつの安定に至るための過程に過ぎないであろう。
 しかし問題は,自然界の“ひとつの過程”,“一時的なもの”,という時間の大きさが,必ずしも人間にとって一時的に感じるとは限らない,ということであって,少なくともこのところの急激な海・陸の環境変化は,かつて人間が体験したことのない事態であることに変りはないし,また,これから行き着こうとしている自然界としての安定が,必ずしも今のニンゲンにとって都合の良い状態とは限らない。
 これまで自然界も我慢をして緩やかに変化する程度で収まってきたが,いよいよそれではもたなくなってきた,ということか。簡単に言えば,我々人間の“ツケ”が溜まってしまった,ということではないかと思う。自然界というものは,極めて合理的にできており,ツケは本来許されない。それをちゃんと払わなければ,恩恵ももたらさぬ。ね,オトーサン,夜の巷のバーだって,最近はそうではないか。ニコニコ現金払い。これが大切。

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【境港におけるメバルの状況】
 
 あ,前置きが長くなり恐縮。“今期のメバル”,の話です。
 以上述べてきたかかる状況の中,湧きに湧いて,今年から初めました!というジーちゃん・お子様までこぞって釣った今年の秋のアオリイカが終盤となり,11月中旬あたりから,メバルを狙う若者がポツポツお目見えし,地元の釣具屋にもモエビを置くようになった。遅れに遅れたメバル釣り,いよいよ開幕か?,と思いきや,当地境港から島根半島にかけての情報はパッとしないのである。半島方面でさえ,いわく,20cm止まりですな,と。
 確かにウチの手持ち実績漁場のひとつでも,過去三年間を通じて12月に入れば確実に20cm超え型揃いのメバルが1時間ほどで10尾ばかりは釣れるはずのピンスポットでは,いまだに18cm止まりがポツリポツリであるし,同じ場所で,例年この時期定番の沖目の離れ瀬をデッドスローで舐めてみても,尺前後の“ビッグワン”が出ない。出ないどころか,連発で掛かってくるのは18㎝に満たないマイクロカサゴ。
 実は同場所に毎日来ている餌釣り師に,同じ場所で2回だけ10月上旬に大釣りがあって,25cmを頭に15尾,といったこともあったが,その後全く安定せず,また,この時期にして2回だけ,という単発さは異常であった。
しかもこの時期,例年ならほとんど茶メバルで占められているはずのところ,青(クロ)が,かなり混じっているのである。

 同時期10月中旬,私は,今年新たに開拓した場所,といっても,他の過去実績場所ではほとんどといっていいくらいにメバルが釣れなかったので新規開拓に漕ぎ着けた場所なのであるが,そこで,23~27cmを,2週間にわたり,毎日のように3尾ずつ釣ってはオカズ場としていた。一日3尾にとどめたのは,今シーズンの持続的漁場,すなわち,“冷蔵庫がわり”になると踏んだからだ。
 不思議なことに,例年実績のある場所はカラッキシダメ,であり,その場所だけでしか釣れなかった。そこしか釣れなかったけれど,そこでは確実に釣ることができた。ただし,胃内容物は,全て1㎜ほどのカニのメガロパ幼生で,いわば“粒食”みたいなもの。これを食っているメバルを釣るには,通常のワーム釣りではダメで,ちょいとしたコツがいるのだったが。

 その後,11月半ばには別場所で20~30cmのマアジが入れ食いシーズンに入ったので,そちらで日々の糊口をしのいでいたが,過日,久しぶりにメバルを食いたくなって,その場所に行ってみた。
 ところが,10月にあの調子だったのだから,さぞかし12月は・・・,と期待してやってみたところ・・・,最大でも20cm,それどころか,10cmほどの“マイクロメバル”が多数つついてくるではないか。え?こんなものがこの時期に??・・・。そして,期せずして20~25cmの肥えたカサゴがバタバタと・・・。
 これはオカズ的には嬉しくはあるが,やはりオカシイ。というか,今年は,他にもうひとつ新規開拓した急流停滞漁場で尺前後のカサゴが2発出ているのだが,本来,良型のカサゴの接岸は年明けて,初春,それも2月に入ってからが最盛期ではなかったか。
 
 そもそも例年,シーズンはじめにはそこそこの型のメバルがしっかり接岸し,それを釣っているうちに抱卵成熟が始まるので,メスの抱卵モノをリリースする分をカサゴで補って,カサゴが産卵期を迎えるとメバルでは産卵後の回復が始まって,いよいよ春の最盛期を迎え,カサゴは沖に去り,メバルの一部は居つき,尺も出るし,それぞれ初夏にかけていよいよ肥えて旨みを増す,というような感じなのだが,今年はハナッからこのローテーションが通用しない様子だ。

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 さてさて,これから先,どうなるものやら。
 昨年を振り返ってみると,周年けっこうイイカンジで釣っていたようだ。
10月中旬に中型茶メバルが始まり,11月は合間に金アジ(キアジ系マアジ)をやりつつ12~2月はカサゴ混じり,3月あたりから小さい赤メバルが湧いてくるので沖の離れ瀬に居付く大型茶メバルに移行し,4~5月は潮目付きの中型茶メバルと海藻着きの赤メバルを型揃いで毎日釣って,6~8月は急流場所で脂が乗った小・中型茶~青メバルの数釣りと副産物のスズキとアカミズ,別の深場に大型黒メバルが付いたらそれを獲り,9月に入ったらスズキでヒマをつぶしたり,たまには船で大アカミズや大カサゴ,片手間にワタリガニやトビウオを掬ったり,ということで,オカズに困ることは,まずなかった。
 メバルに限定して言えば,使用漁場は4カ所のみ。いずれも境港周辺で,いわゆる“スキマ”開拓で得た優良漁場である。たまにおつきあいで島根半島に行ったり,イカやサワラにちょっかいを出したりすることもあったが,数えるほどでもない。私のメインターゲットは,その時期に応じた旨いメバル(3型とサイズの選択)とカサゴ,そして冬場に接岸する脂の乗ったキアジ,この3種である。これだけで1年が回っていくのだから,境港の底力もたいしたものだ。

 境港に来て3年が経ち,時期ごと・魚種ごとの漁場の確保とそれらの使いまわしも安定し,ようやく周年を通じてサカナの供給に心配がなくなった矢先,今年の異変は痛かった。これまでのところ,かろうじてオカズ確保はできているが,このままの状況が続くのであれば,漁場利用計画を設計しなおさねばならない。あるいは毎年更新しなければならない可能性も出てくる。
 いかなる状況になろうとも,釣りというものは,漁であり,すなわち変化する自然に則さねば成立しない。初心に戻り,今年を新たにメバル釣り元年とするのもよい。各地のメバル狙う諸氏は,そのへんの諸事情如何。まだ来ていないとみるか,あるいは思わぬところに,メバルはいるのかも知れぬ。

 と,いうような状況であるから,ここしばらくは日々の釣行1回ごとの観察および考察が,今期(来年の夏まで)のサカナ供給につながる。要は,「何を見るか」だ。漁場成立の目安となるのは何か,ということ。

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【漁場の指標】

 たとえば,境港界隈とひとことに言っても,地形や海況によって,指標となるものが違う。どのような状態のどのようなサイズがどれだけ釣れるか,ということは直接的な指標であってわかりやすくはあるが,釣れない=良くない漁場,釣れる=良い漁場,といった型にはまり込みやすい。ひいては,釣れない=サカナがいない,ということにもなりかねない。つまり,直接的な指標のみでは,その漁場の対象魚の現状はわかっても,今後の可能性についてまでは推測しにくいのである。

 そこで,どのようなものを見ていくかと言えば,まず生物と非生物の2つに大別できる。①その他の生物の状況。たとえばあるサカナが釣れている限りは水温がまだ高いのでメバルは来ない,あるいはあるサカナが出現したらメバルの漁期は終わり,といった具合。これは,実体験上,かなり相関性が高い。“あるサカナ”は,サカナとは限らない。海藻であったり,その他の生物であったり。また,ひと目でそれと確認できる大きな生物とも限らない。
 なぜ,このような視点が有効かというと,ひとえに“自然界は全てが網の目のように連鎖して動いている”からである。当然のことながら,目的のサカナがそこに居て,かつ釣れてくれるためには,そのサカナがそこで餌を追っている必要がある。その餌はどこか。その餌の拠り所となる環境は何か。そして餌の蝟集・拡散と連動する指標は何か,といったことを丁寧に見つめていくと,その延長に,目的のサカナは居る。あとは,どのように釣るかである。
そして,②餌生物の動向に影響をもたらす非生物的要因。これは,たとえば風向きによってはシラスがある特定の場所に吹き溜まる,とか,波が岸壁を叩いて餌生物が落下・漂流しやすい潮位・流向とか,餌生物が発生したり,目的のサカナが警戒心を解きやすい潮の濁りや雨・雪など,等々。これらも,またひとつの指標となる。
いずれにせよ,短絡に陥ることなく,急がず騒がず,丁寧・つぶさに見てみること,これに尽きる。

 その中で,毎年,何がカギとなる要素か,がだんだんわかってくるというものだ。そのカギは,大量の観察を通していくつか端的に集約される。
参考までに申し上げると,今期のメバルに関する私のカギは,

①昨シーズン7年ぶりに湧いたイカナゴが,今年も湧くか。
②春の海藻,初夏の海藻の成長如何。
③北西風主体の天候となるのはいつか。

漁場は既に押さえてあるのだから,あとはこの3点を中心にその周辺を追究し、状況に合わせて場所と釣り方を変えていく。

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 釣魚をオカズという位置づけにし,必要十分量をいかに確実に獲るかをテーマとして釣りを続けていくと,やもすると,釣りを始めた初心のヨロコビ,たとえば単純に釣れてウレシイ,大きくてウレシイ,たくさん釣れてウレシイ,といったような童心を忘れがちのようにも思う。
 だが一方,過去ログ“スキマの釣り”でも書いたかもしれないが,生物としての自己認識,生きている核心および食いつ食われつする生命のせめぎ合いから発生する力,といったものが静かに自分の中に湧き出でて,これまた別の次元のヨロコビを味わうことができるものだ。
 このヨロコビとは何だろな,と思いめぐらしてみると,意外や,気の遠くなるような広大な世界の中で,いつか死ぬために他の生き物を食って生きている,極めて小さな自分の確認だったりする。これが動かぬ事実だ。それ以外のことは,実はおそらく,我々の勝手な錯覚・妄想の類なのではあるまいか。
 しかし時にはそれに支えられて生きてゆくのも,またニンゲンだ。けなげにも思えるし,そう悪いことばかりではない。かく言う私も,釣りをしながらこんなことを書きつつ死に向かって生きている。
愉快なり。
  

Posted by ウエカツ水産 at 18:28Comments(2)魚・釣・環境

2007年09月14日

“スキマの釣り”と資源管理

いやー,ここんとこ忙しくてかなわんかった。久しぶりの更新です。

今期の境港はいつになく沿岸でスズキやチヌが暴れ回っており,かつ味も上向きつつあり,また,グレなどの来遊も例年になく早い。一方,アジやサワラなど回遊魚の成長・肥満は遅く,底曳き物のノドクロやハタハタの水揚げも低調で,どうにも中途半端な秋の始まりです。
思い起こせば今年春の根魚の産卵は1ヶ月は早かったし,海が大きく変化している気配。これが可逆的な現象で大きな周期の一部なのか,あるいは不可逆的でいわゆる温暖化に代表される地球の避けられぬ方向性なのか,これはまだわからない。が,海がこれまでに体験したことのない事態になっていることは明らかだ。釣り人としては次期メバルやカサゴが心配なところ。秋が深まって,太い金アジがシラスに大沸きするのはいつ始まるのか。メバルの型物の接岸はいつか。

ところで冒頭に吐露した「忙しい」の「忙」の漢字。これは「心」を「亡くす」と分解・理解され,不思議なことながら,この言葉を口にするほどに自らの志気は低下し,エネルギーを減じてしまうしくみとなっている。なるべく言うまい,思うまい。
釣りで言えば,「食いが渋い」「サカナがいない」「潮が悪い」ひいては「道具が悪い」などが同等の効果をもたらすものと推察され,やはりこれを口にするほどに,釣り人は漁獲および観察ないし洞察意欲を失い,技術レベルが低迷する。なぜなら,これらは自分の責任を他の事象に転嫁する類の言葉だから。一種の“呪詛”ですな。しかも自分でかけてしまうというところがオソロシイ。いかがですか,諸兄方。

いずれにせよ“思索の秋”を迎え,今回はコムズカシイことなど,少々。

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「スキマを釣る」とはナニカと言えば,たとえば「スキマビジネス」ってあるでしょう。メジャーな,広く知られている商売が林立する中,もう新規参入の余地はないと誰もが思っているその狭間に,見落とされている価値ですとか,知られずにぽっかり空いた市場(しじょう)なんかがあって,これをスルドク発見し,それを狙って商売する,ということであり,日頃からの観察力と認識センス,スキマを嗅ぎ分ける経験と知識,などが必要ですね,商売には。

相手は違うけれど,この考え方自体は,人口と技術が膨れあがった現代の「釣り」,ひいては「漁業」にも当てはまると思っている。ただし,漁業の場合,スキマを突いただけで商売が成立するわけではなく,有限かつ自己再生能力を併せ持つ資源を「持続的」に獲ることができなければ生活の糧にはならない。ここに「資源管理」あるいは「資源維持」,更には「資源回復」という視点が必要となってくる。どこまで獲ったら次は獲れなくなるのか,永続的に獲るにはどうしたらよいか,減ってしまった資源をいかにして回復させるか,という考え方に関連する智恵と技術の動員だ。
ま,ビジネスにしても,一時的に儲かればいいという人が増長する一方で,やはり持続的な商売を構想する人もいるから,同じと言えば同じ。ここではサカナ,そして釣りの話だ。

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さて境港では,,,
最近,といってもこの2年間くらいで,岡山や広島から境港に来る釣り人が激増したように思う。その昔,チヌの落とし込み釣りの開拓期などはもっとすごかったという話も聞くが,いずれにせよ2時間も3時間もかけて車で来るのだからスゴイなと思う。特に,夜間に発電機をたいて電灯釣りをする人が,昨年あたりから急激に増え,従って休日の前・中・後の岸壁や桟橋は,精霊流しの行灯の如く,こうこうとした灯りがズラーっと並ぶ不夜城と化す。こんなに灯りが多くては,魚もイカも,どこに行ったらいいのか迷うのではないか。もちろん夜間のみならず,昼間は昼間で,たいして釣れなくても釣り人だけは多く,実に忍耐強いと感心する。

また,最近の流行で,メバラーとかエギンガーとか,「ー」が語尾についた擬似餌釣りの人々がひっきりなしに徘徊するので,餌釣り師と競合することもあり,実績ポイントはシーズンになればたいへんせわしない。魚もイカも,そして人も,スレまくっている。中にはそんなところで独占的な釣り大会を開いて悦に入る輩まで出現する。
地元オッチャン族の情報網もナカナカに速く,目の前でいいサカナを釣り上げてしまうと,3日とたたないうちにズラリと場所を占有されることも稀ではない。
とまあ,いろいろあるが,皆「釣りたい」という一心なのだから,いたしかたないことではある。海およびそこの生物は無主物であるからやりかたもいろいろなのではあるが,どういうわけか人間が絡んでくると,たとえばそれぞれの漁場で特有の力関係や派閥みたいなものまでできあがっていたりしてややこしくなってくる。そのような漁場では釣りにくい。傍観者としては,まあ仲良くおやんなさいとつぶやくのみ。やはり社会の縮図であって,けっこう釣り人同士が無視し合ったりイガミ合ったりしているのを見かける。

外来者・地元者のいずれにせよ,釣りやすい所,ないし情報網に載ってしまった所は,あまりにも不特定多数で漁場を利用するため,漁場の維持管理どころではなく,いわゆる“大衆漁場”なのである。すぐに釣り場を公開詳説してしまう釣り情報誌の功罪もあるし,それに乗っかる釣り人の問題もあろうが,このような釣り場では,皆が楽しめるような「暗黙のルール」が必要だし,それを理解できない者,端的に言えば,少なくとも気持ち良く挨拶すらできないような者,ポイントを仲間内で独占してしまうような輩,などは行くべきではない。

そのような当地事情にあってオマエはどうなのだと言われれば,私の場合は,いわゆる趣味の釣り人ではなく,「少ない時間でいかに必要最小限の魚を安定かつ継続的に釣るか」ということに重点を置く自給型ハンターなので,時間と予算の両面で効率性や採算性も考えるし,そのような釣りスタイルだと,少なくとも釣り雑誌やネット情報を頼りに周囲と同じような釣り方をしていたのでは到底仕事にならない。私にとっての釣りは,生活設計の一部であり,食を通じて自然界とつながる“生きる作業”の一環であるがゆえに,場当たり的な釣果では困るし,自分で漁獲調節できる,他と競合しない漁場が必要となる。

そこで必然的に今回のテーマである“スキマ”を探すこととなるわけだ。
先述した境港の事例のように,いいと言われているポイントに釣り人が集中すれば,それ以外のところには皆が目を向けないスキマが生じる。漁場だけに限らず,「釣り方」についても然り。これをつかむには,自分の行動範囲を広く見渡して,来遊するサカナの生態をよく知り,気候・潮汐・地理など環境の変化に関する情報を摂取し,手法を吟味し,場所を特定していく作業が不可欠である。釣果に関する情報も,釣れる場所が書いてあることを期待して見るのではなく,このサカナがここで釣れているとすれば,あとはどこで釣れる可能性があるか,逆に,釣れていいはずのサカナが釣れていないとすれば,なぜ釣れないのか,といった解読をする材料として読むようになる。その結果としての,新規漁場,あるいは釣り方の開拓だ。海図や底質も用い,実地観察を合わせて漁場を絞り込んでいく。
こうして見つけた場所,ないし釣り方であれば,その漁場が続くよう,自分でちゃんと資源管理(漁獲サイズおよび数量のコントロール,漁獲頻度の調節等)ができるのであるから,1シーズン中でも漁場は長く続くし,急激な環境の変化がなければ次の年も枯れることはない。

そんな釣りをしていて疲れませんかと聞かれることがあるが,逆にこれだからこそ面白く身にも薬にもなる。人によっては自然の雰囲気を満喫したり,魚のアタリや引きを楽しんだり,釣った数やサイズを競ったり,同好の仲間と交流を深めたり,道具にこだわったりと,釣りの楽しみ方も多様であるが,それはそれとして,やはり自然相手に真剣勝負ができて,しかもその相手の事情をよく考え配慮できてこその釣りだと思っている。
つまり,いささか大げさではあるが,人間が自然環境の中でバランスよく生きる道,すなわち「ちょうどよさ」というようなものを模索・実験している,これが私にとっての釣りというわけだ。
一般的にはそんなことまで考えて釣る必要もないかもしれないが,その考えのなさが,実は釣れるはずのところで釣れなかったり,自分の漁場開拓の可能性を阻害したり,時には無軌道な釣りに発展しやすいといったことになっていくように思う。
もっともこれは,釣れても釣れなくても楽しく糸を垂れるファミリーやカップルの幸せにクチバシを突っ込むような話しではない。

それにしても最近急速成長したメバルのワーム釣りにみるような「3次元的を隅々まで探れる釣り」はコワイ。意外と思うかもしれないが,いわゆる技術さえ磨けば効率漁具となり得るだからだ。事実,スキマ開拓で食料庫として大切に使っていた漁場にたまたまワーム釣り師が入り,その噂が同好者間に広まった結果,そこに蝟集するサカナをほとんど釣りきってしまい,その年はおろか,翌年以降も漁獲が激減した漁場がある。この,“擬似餌を使って大勢で漁場を叩いてしまう”,というのがいけない。
特に船からの釣りと違って,竿の届く範囲を集中的に探るタイプのいわゆる「オカ釣り」では,このようなことが起こりやすい。更に,アジ・サバやサワラやブリといった回遊性のサカナ,ないし一年性のイカ類やハゼではそうでもないが,生活基盤を海底に依存して世代を重ねるメバルやカサゴ,ハタ類などの,いわゆる「根魚」ではこのような影響が顕著に表れる。オカ釣りだから根絶やしにはならないというのは,今や全く通用せず,魚種と釣り方によっては漁場がつぶれることもある。

本音を言えば,“釣れるだけ釣るな”,および“その日のオカズ分だけ釣ったらサッサと帰れ”と言いたいところだが,釣りという行為自体,そのような束縛はもちろんないし,自由なところが釣りのいいところでもあって,強制されるべきことでもない。
ただ,たとえば根魚の行動・繁殖・生態構造や,その漁場の環境包容量などを考えぬが故に,あるいは考えた“つもり”にとどまっているが故に,釣れるままに根魚を釣りまくったり,また,漁師の漁場に知ってか知らずか入り込んで行って,自分で食べきれないほどサザエやアサリを獲って帰ったりする輩が絶えない。これらを見る限り,自由とは,適切な見識および常識を有する者にのみ与えられるべきものなのだと思わざるを得ない。

そしてその見識および常識は,釣り対象魚種の特性の把握などにとどまらず,人間という動物を含めた自然界の連鎖状況のひとつひとつを釣りを通して認識し,かつ釣りをとりまく他者を含めた社会状況を理解し,これに適応していく作業の中で醸成される。まさに釣りはそのような行為であって,サカナに適応できなければちゃんと釣れないし,人に適応できなければ漁場の共有はできない。
そういう意味では,釣りの教育的意義は大きい。「食育」があるなら「釣育」があってもおかしくない。

最近は「自然界」,というか,たとえば釣りにおいてはその相手である「サカナや漁場の環境のこと」をよく知らない釣り人が増えすぎているように思う。そしてそのことが,よく釣れないだけでなく,漁場を自らダメにすることにもつながっている。
かつての釣り社会は情報も発達しておらず,道具や技術も個人の工夫に由来するものであったため,自然界の事象に明るくないと人並み以上の成果は得られなかったし,だからこそ伝説の漁師や釣り師が存在した。また,めいっぱい頑張って釣ったとしても,釣り人口は今とは比較にならぬほど少なかったので,総漁獲量もたかが知れており,釣り程度であれば,資源に与える影響は極めて小さかったのである。今はそういう時代ではなくなってしまった。それほどに釣りが環境や資源に対する影響力をもってしまったということだ。

スキマを釣る,という考え方の重要性は,釣りのみならず漁業にとっても大切な考え方だと述べたが,たとえば私がかつて関わった「捕鯨」では,南氷洋や日本海沿岸で増えに増えている鯨類を獲り,これを有効利用しているわけだが,他国がいろいろな理由でクジラ資源を利用していないことを鑑みれば,日本の捕鯨は,ここで言うところの“スキマ”を見出して漁獲物を有効利用している行為にほかならない。欲だけに流されず持続的に利用する科学的視点がある限り,これが妨げられる理由は見つからない。
ただこれを,かつて30年前まで日本のみならず欧米諸国がやっていたように,オリンピック方式で競争して獲ってしまえば,いくら南氷洋の資源が豊富だとはいえ,枯渇していくのである。たとえば既に述べた,沿岸の公共性の高い大衆釣り場で釣り大会を開くといった行為などは,このオリンピック方式をやっているのと同じ理屈だ。

釣りそれ自体の面白さは,生命が生命を獲ろうとするときの「食」でつながる真剣さとヨロコビ,それを達成するため相手のしくみを解明していく学究的要素,そして,食わないネズミをかまうネコのような「遊び」の要素,などが複合しているところにあると思うが,それらの割合配分が各人自由なところもいい。だから万人いかようにも楽しめる。
しかし次に「釣果は,」となると,たくさん獲らねば満足できない人と,少し獲れば満足できる人,あるいは人と競争しなくては気が済まない人と,競争する気のない人がいるとき,どちらが穏やかに幸せかといえば,明らかに後者であろう。
商売金銭の絡む漁業の世界であっても,かつての“親の仇とサカナは見たときに獲れ”という従前のスタイルに対し,今日の漁業は,けして大漁をしたからといって喜んでいる旧来の単純な者ばかりではなくなってきた。獲り過ぎて値が下がり,資源が枯渇する方がおそろしいことに気がつき始めている。適度に釣って大切に食べて喜ぶ釣り人,獲り過すぎぬよう獲って付加価値を上げるよう努力する漁師。このようなスタイルが徐々に生まれつつある。
そもそも自然界の生物では,自分の腹を満たせば食い気は消えるのだから,腹一杯になったくせにそれでも餌を追うときがあるのは人間だけということになり,これは「摂理」に反している。反していれば,いつかは問題を生じる。これもまた理ナリ。

そうは言っても,釣り人にせよ漁業者にせよ,「どこまで獲れれば自分には適切なのか」,これに「気づくこと」がなかなか難しい。気づかないような人生を歩んできた人がナニカに気づくことは,何かしらキッカケがない限り容易ではない。が,そろそろ時代の流れとして,気づいていかないと手遅れになりかねない。釣り人も,漁師も,それほどに力を持ってしまった,ということだ。
気づくキッカケは,やはり釣りや漁業の中にある。だからこそ,たまには深く,自分がおこなうその行為を省みる必要がある。

釣れるままに競って獲ってしまえば,これは全世界各地で今日おこっている「乱獲状態」となり,逆にこれを回避することができれば「持続的な漁業」となる。
世の釣り人が,末永くその釣りを楽しみたいと思うとき,釣りというものが,本来は全て長期的な生活がかかった生業であったことをひとつ思い起こすだけでも,どのような姿勢で臨むのがいいのかが見えてくる。なぜならこのことは,どのように釣りの形が変わろうが,原点として不変だからだ。問題の内容が輻輳・混迷したときには,原理・原則・原点にに立ち戻るのが解決の早道だ。

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たかが釣りとはいえ,いつまでも野放図にやっていると,いまに欧米のように「レギュレーション&バッグリミット=魚種によって漁獲サイズの制限と一日で持ち帰ることができる数が決められている法律」なんてものが課せられて,自由なはずの釣りが不自由になりかねないのではないか。かの水産庁の一部署には「遊魚対策室」なるものが既に存在するのだからして,ずっとノンキでいられるとも思えない。
「法」の成立は“人間不信”が前提である。そんなものが介入することなく,人間の良識を拠りどころとした「美しい日本の釣り」であってほしい。

たかが釣りではあるけれど,よく観察していると,人それぞれ,その釣り様には理屈抜きで「その人自身」が映し出されていることに気づくはずだ。

日常の生活や仕事の中で,どのようにモノゴトをその人が考え,行動しているか,どのように人と接しているか,そんな姿勢がそれぞれの釣り方ひとつにも出てしまう。おろそかにはできまい。

“釣りは自分を映す鏡なり”,ということじゃないのかな。

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Posted by ウエカツ水産 at 16:08Comments(6)釣・環境・水産

2007年08月21日

決定版!夏のサカナは涼しく食う

東日本ではぼつぼつ涼しくなってきたやに聞くが,この境港の暑さはナンダ?この痛い日差しはどうなってんだ?。海の中でサカナも海藻も茹だっている。こうなると,船で沖に行くか,清流のアユ釣りでもしない限り,私の漁獲活動は極めて停滞するのである。せいぜい夕涼みがてら堤防に出て,人のアジ釣りでも眺めながら世間バナシでビールを飲むのが関の山。ウエカツ水産も盛夏の数日間は開店休業だ。

室内温度35℃。こんなときにサカナを,どうやって食えというのだ。わが家にクーラーがあるわけじゃなし,扇風機をかけたとて,せっかく冷やした刺身を切ってもアッという間にぬるくなる。ビールも酒も然り。従って,精神状態が逆上傾向となっていけない。
こんなときは,五感に涼しげな,冷たく“ひんやり”したサカナ料理があってもいい。今回は,魚種にこだわらず,とにかく涼しくサカナを食べましょう,というお話し。
と言っても,あらいとか,湯引きとか,焼きちり,程度の涼しさでは,まあ月並みですな。求めるのは,もっとガツンと涼しいヤツだ。

長い前置きは暑くて書けないから,すぐに調理法に入る。

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魚涼味1【水なます】

夏,青空,入道雲,青い海。とくれば,水なます。というくらいに,夏にはベストマッチの,千葉県は房総半島の郷土料理。
房総の漁師料理といえば,生魚の身肉を味噌と薬味と共に包丁で細かく叩いた“なめろう”およびそれを平たくして生木の葉や青シソを貼り付けて焼いた“さんが”が有名であるが,「夏にはやっぱ,水ナマスだっぺおう!」と,房州漁師は声を大にするのである。ワシもそう思う。ナメロウやサンガは酷暑にはチト重い。

水ナマスの味わい,すなわち口中で跳ね踊る活きの良い身の粒,涼しげな薬味の香りと歯触り,旨味と共に胃袋まで落ちていく冷たい喉ごし,カランと器に触れて立つ氷の音,これら全てが夏の風物と合致しており,またそれ自身が風物と化す。まさに涼しい魚食ランキング№1と言ってよかろう。

水ナマスは,ナメロウやサンガがサカナだけにとどまらずに新鮮なイカ,アワビやバカガイなどの大型貝類でも作るのと同様,いろいろな魚介類で作成可能なのではあるが,こと水ナマスに関しては,アジとイサキ,及びこれらに類するサカナを用いる。
この2魚種に勝る素材はない。なぜなら,真夏限定の料理だからして,真夏のサカナを使うのである。これ天の道理ナリ。
では作り方を。

①用いるサカナは脂が乗っている必要はなく,むしろないほうがよい。従って,アジでもイサキでも,小さめのものでもよい。
まず鮮度第一。できれば硬直前が最高。従って釣り人に特権性がある。これを三枚におろし,血合い骨を切り除いておく。鮮度を落とさぬよう,手早く,が肝心。

②ここから先の作り方は,2つに分かれる。
A)ネギ,ショウガ,青シソ,ミョウガなどの薬味を適宜ミジンに刻み,細切れにしたサカナの身と合わせて包丁で叩き刻む。
B)同様の薬味とサカナを合わせ,味噌を若干濃いめに加えて包丁で叩き刻む。
要は,この時点で味噌を加えるか,あるいはあとから別途加えるかの違い。
活きの良さと新鮮味はAが勝っているが,Bは味噌の塩分でサカナや薬味の躍動感は多少減少するものの旨味は強くなる。
いずれもコツは「叩きすぎないこと」。しっかり魚肉の粒が感じられる程度に止める。

③Aタイプであれば,ボウルに入れた氷水に味噌を加えて若干濃いめに味加減し,叩いたサカナと薬味を加え,箸でカラカラっと混ぜて出来上がり。
Bタイプであればお椀に氷水を入れ,そこに味噌タタキを適量落として,箸でかき混ぜればできあがり。

いずれも,サカナが新鮮なほど,氷で急激に冷えることによって,身がピリッと弾けてきます。この食感がいい。
なお,使用する水は,当然“良い水”が良い。が,なければ水道水でも結構。使用する氷についても同様。できればカルキ臭がせず気泡の入ってないぶっかき氷がいい。
この料理は,“水”も調味料のひとつなのだ。

さて余談ですが,出来上がりはほとんど同じ体裁なのに,ここでなぜ,ボウルとお椀を使い分けているのでしょうか。つまり,Aは,溶き水のほうに味噌加減をしなければならないので,各自が味噌をいじくるのは面倒なのでまとめて作った方がよく,そしてBは,先に多量の水を入れてしまうと,そこに入れる原料が足りなくなる可能性もあるので,各自のお椀単位で調味加減をする,というわけ。
味覚上の違いもあると書きましたが,その他の使い分け理由として,野外など大人数でワッと食べるときにはA方式でドッと作るし,自前ないし数人でやるときにはB方式でやるのが便利でもあるのです。B方式だと,そのままツマミにもなるのでよろしい。1回で2度おいしい。

この料理は,食べ方といいますか,作法が大切。
すなわち,氷を入れてガーッとかきまぜ,“冷えばな”を一気にズルズルと音を立てて吸い・ときどき噛み・飲みくだす,ということ。まごまごしてたら氷が溶けて,味が変わってしまうのです。炎天下,小さいお椀で,3杯立て続けにおかわりしたところで,ふうとひと息つくのは快感至極。セミもやかましく鳴いてるし,木陰でそよ風も吹き出した。こいつをやらねば,夏は終われん!



魚涼味2【水 貝】

“ミズガイ”とは,不思議と涼しげな音であり,「水貝」の字面もよいではないか。
そしてこれも,千葉県房総半島を発祥とする,味覚のみならず視覚・聴覚・触覚のいずれにおいても全面的に夏の料理なのである。そしてその名のとおり,水も調味料である点において上記の水なますと共通。

夏の貝の代表と言えば,磯には女王格のアワビと歩兵格のサザエがおり,いずれを用いてもよいのだが,できれば大ぶりの「メガイ」が柔らかくて甘味があってよい。ちなみに,地方の魚市場で裏返しにしたアワビの肉の色を指して,この黒っぽいのがオス,茶色っぽいのがメス,なんてことを教えるオッチャンを見ることがあるが,信じてはいけない。
比較的殻の高さがあって楕円気味で肉表面が黒っぽいのは「クロアワビ」(東北以北ではエゾアワビ),高さが低くて円形に近く肉表面が茶色っぽいのが「メガイ」,更に最近は少なくなったが,メガイに似ているが殻の高さがしっかりあって殻に並ぶ呼吸孔がぐっと立ちあがっているのが「マダカ」という。それぞれ違う種類であり,これが日本の三大アワビ。これらの子分格に「トコブシ」がいるが,これは肉質がかなり違うので,マズイとは言わないが,あまり生では食わず,煮て食うのが旨い。
上記4種の中でも,メガイは比較的安く,入手しやすく,肉質もクロアワビより柔らかく肉量も多い。水貝にはこれを使う。

しかし,安いとは言っても,やはりアワビだ。高い。
でも,うっかりどこかで一万円札を落としてしまったことを思えば,けっこうすんなり買えるのである。なぜなら,その1万円は紛失してしまったはずのお金であり,もともと手元にないはずのお金である,と決めたのだから。金を失ったはずなのに逆にアワビが手に入ってラッキーではないか。高いサカナはこうして買うのだ。節約はほかのことですればよい。

①ガラス鉢など深い器にたっぷり氷水を入れ,粗塩を加えて濃いすまし汁程度に調味する。

②アワビは活きたものを用い,殻の間にしゃもじを差し込み,肉をはずす。

③内臓は,切り取ってブツ切りにしたら別途,小皿の酢醤油に浸しておく。これもツマミとなる。

④およそ2㎝強の角になるよう大ぶりにアワビを切って,鉢の氷水にころがし入れる。

⑤キュウリを1本分スライスして浮かべる。

これだけだ。これを料理と呼ぶのかどうか。
現に,房州では,水貝をつくる,とは言わない。水貝をやる,と言うのである。

⑥湯豆腐用の小さな網シャクシなどあれば上品で結構だが,直接箸を差し入れて,箸先に当たる氷を感じながらアワビをつまみ上げるのも涼味のうちだ。ひとつの鉢に向かい合う相手がいるとき,自分の箸を舐めたりしない心遣い,これがまたいい。心が涼しくなります。
そのまま食べてもいいし,ワサビ醤油でもよい。全部食べたあとの白く薄濁った氷水,これを飲んだりするのはおやめになったほうがよろしい。フィンガーボールの水は飲まぬほうがよいのと同じ。

この水貝の最大のポイントは,「アワビを大きく切る」ということだ。なぜか。
貝類にも神経があり,むろん痛みも感じるのであるが,我々「中枢神経系」をもつ脊椎動物とは神経構造が異なり,痛覚も触覚も全身にまんべんなく分布している。これを「散在神経系」という。従って,どこを切っても痛がるのです。そして,包丁を入れる回数が多いほど,痛い痛いと身を縮める。どんどん身が堅くなる,というわけ。だから,大振りに切る,ということになる。

その観点から,よく料理本に載っているような,「アワビを粗塩でこする」とか「ごしごしタワシで洗う」などという処置は,私は「大反対。」である。わざわざ堅くしてどうするのだ。
ハッキリ申し上げましょう。生のアワビを最も柔らかく食べる方法は,海から獲りたてのアワビの身を即座にはがして“まるかじり”することである。歯がスーッと通る。噛んでいくとミルクにも似た味わいでどんどんこなれていく。本職の海女はこれを知っている。でなければその道50年のベテラン海女が,生アワビを食えるわけがない。その流れから生まれたのが,水貝という料理だ。アワビは,指の腹で優しく手早く洗ってやってほしい。

なお,サザエで水貝をやる場合,「貝剥き」という道具を用いて渦巻きの中心奥にある貝柱を断ち切って身を取り出すか,技術がなければタオルでくるんでハンマーで割ってもよい。
内臓を切り除き,身を一周包んでいる薄い肉膜,これが苦さの根源なので,これも切り取るてサッと水洗いする。そして,身をタテに半分に切ったら,あとはアワビと同様。サザエの磯香にはワサビ醤油よりレモン醤油が合う。



魚涼味3【さつま】

「さつま」と言えば連想するのは,サツマ芋は別として,さつま揚げ?,さつま汁?
これらはいずれも鹿児島の,前者はサカナのすり身を油で揚げたもので九州では「天ぷら」といい,後者は,やはり鹿児島の,豚や鶏肉を根菜類を中心に味噌で煮た汁のこと。
ここで言うのは,愛媛県は宇和海沿岸でつくるサカナを用いた汁の「さつま」なのである。最近では観光客向けに“さつま汁”と呼ぶ傾向もあるが,現地では「さつま」は「さつま」なのであって“汁”はつけないのが普通。「伊予さつま」とも言われているが,現地ではこの言い方をほとんど聞いたことがない。
さつまは,焼いたサカナの身を、味噌と煎りゴマと共にすり鉢で擂り,ここに水と薬味を加え,これをご飯にかけて食べる汁のことだ。先述した水ナマスと違って生の魚を使うことはない。

余談ながら、この語源には,薩摩すなわち鹿児島から伝承したのでサツマであるとする説があるが,あちらのさつま汁は既に述べたように,畜肉を用いた麦味噌汁である。
近隣を見渡して似たものといえば,宮崎の「冷や汁」があり,この作り方はほとんど同じであるが,こちらの冷や汁には砕きつぶした豆腐を加えるのが特徴だ。つまり,「さつま」に似たものは「薩摩」には存在せずに「宮崎」にある。あるいはかつて,宇和島から見た対岸の九州の大地を「さつま」と総称したのであろうか??? 定かではない。
ちなみに九州の大分には「リュウキュウ(琉球?)」なる主に刺身に切ったサバを用いた一種のすりゴマ醤油漬けが存在するが,これもまた語源はナゾのままなのである。

もうひとつの説はサツマは「佐妻」であるというもので,「佐」は“助ける”の意であり,忙しい日常仕事の中で作り置き,サッと飯にかけて食えるさつまは,妻にとってはホント助かりますわ,ということ。

たしかに,宇和島沿岸を旅するとわかるのだが,リアス式に入り組んだ半島の斜面のほとんどが,かつては「段々畑」であった。一番下の道から細い半島の尾根の先端まで,両斜面が全部,海から拾った石垣で組まれた段々畑だ。この地方では「耕して天に至る」という言葉が残っている。今では放置されているところも多く,歴史を伝える迫力の写真が残るのみ。その写真集の名は,まさに「耕して天にいたる」だ。

半農半漁とはいえ,これを一家で切り盛りするのは並大抵なことではないはずだ。メシやオカズは作り置きして手の空いたときにサッと食えるものがありがたい。そういう意味で,「佐妻」説は説得力を感じるし,現地の人々が“汁”をつけずに単に“サツマ”と呼ぶのとも関係がありそうだ。真相はさておき,そうであるならば,いい名前をもらった、料理だと思う。

ま,いずれにせよだ,
さつまは,今では宇和島市街の観光レストランなどでも供されるが,もともとは郷土の家庭料理である。宇和島の遊子(ゆす)という漁師町に滞在した折り,泊めてもらったブリ養殖漁家での朝,お母ちゃんが,さつまがたっぷり入った大きなタッパーを冷蔵庫から出してちゃぶ台の上にドンと置くと,3人の子供達めいめいが,自分でご飯をよそい,各自さつまをかけてカッ込み,行ってきマースと元気に学校に飛んでいった。そして残された我々も仕事前の“さつま”をサッと食って沖へ出たのであった。
このように完全に日常に溶けている料理であり,やはりその家々によって入れるものが違ったり,作り方にひと工夫あったり,があるようだ。
ここで,宇和島のお母ちゃんに教わったさつまの作り方を紹介したい。

①カマス,アジなど,白身系のサカナを素焼きにし,その身をすり鉢にほぐし入れる。骨を除くのが面倒くさければ,あらかじめ3枚におろした身を焼けばよい。これをすりこぎでつぶし,擂り始める。

②ここに煎りゴマを加え,更に擂る。粒子がこなれたところで麦味噌を加え,更に擂る。

③粘り気が出て,逆さにしても落ちなくなったところで,擂り鉢の内側に薄くのばし,火にかざして表面を軽く焼いて香ばしさを出す。時間がなければこれは省略しても差し支えない。

④ここでお母ちゃんは,「一度沸かして冷ました水」を少しずつ注いで溶かしていく。湯冷ましを用いるのは,カルキ臭を除去するのと,もうひとつは,かつて井戸水を過熱殺菌して使っていた頃の名残であろうと思う。たしかに生ものには違いない。
水を注ぎ込む量の目安は,溶かしていきながらドロッとする程度。あまりサラサラにしてはいけない。

⑤これに糸こんにゃくを3㎝ほどに切って一度茹でこぼして冷やし、水気を切ったものを加える。これを冷蔵庫で冷やしてできあがり。ここに更にスライスしたキュウリや刻んだ青ジソを加えることもある。これも風味が良い。お好きなように。

これを,温い飯だろうが冷や飯だろうが,ぶっかけて食うのみ。
宇和島の家庭の味だ。今日も家々で、家族がさつまをご飯にかけている。
夏の朝,今日も一日働くか!という気になってくるから不思議。
そんな生活の中の食べ物です。



魚涼味4【イカの冷やしトマトスープ】

当家の過去ログ「あれやこれやのイカを食う」で,さんざんイカ料理について書いたので,もう当分はイカについて書きたくないのは事実。このお題は「トマト」が主役です。でもサカナ料理にも化けます。
夏野菜の王様トマト。露地物が出始めると味も香りも最高だ。振り返ればいつも夏の思いでと共に,常に青臭いような甘いような,お日様のような,独特の香りが漂っていたような気がする。夏に何回かはこれで冷たいトマトスープを作り,ほてったカラダを休めてやる。

①できれば露地物,のトマトのヘタをとる。

②ボウルにニンニク一片およびタマネギ1個分をみじん切りして入れ,軽く塩でもんでおく。これでタマネギの辛味はとれて甘くなる。

③ここにトマト数個をたっぷり手でよくつぶし入れ,粗挽きコショウを振り,全体をよく混ぜる。トマトの皮が残っても構わない。

④混ぜながら粗塩を加えて濃いめに塩加減する。塩の粒が残らぬように注意。

⑤ここに多めの氷を投入し,ガラガラと混ぜて,味が薄まって丁度良くなったらできあがり。

これだけ。なんだそれではトマトスープではなく“つぶしトマト”じゃないか,とおっしゃっられても結構。名前がなんだろうが,この旨さには勝てぬ。これは「食べるスープ」だ,と強弁させていただく。

ここではニンニクとタマネギを入れたが,ニンニクだけでも旨いし,トマトだけでもそれぞれに旨い。香り付けにオリーブ油少々をたらしてもよいが,トマトの香りは消える。
塩と黒コショウで味付けしたトマトの氷和え,にも見えますねえ。だが,これが合うのだ。きめを細かくしたければ,トマトをおろし器で摺り下ろしてもいいが,味は,手でつぶした方が上だと思う。お試しあれ。

⑥ここに,適当に小さく切って塩水でサッと茹でて冷やしたイカの胴身を混ぜてやると,ほーら,サカナ料理になりました。いい加減なようだけど,味はホンモノ。
夏の河原のテントの下なんかでこれを作ってたっぷり食うのはホントに旨い。

ところでこれ,房州の水ナマスのトマト版,にも見えますねえ。
おもしろいでしょ?古今東西を問わず「料理の理,は芋ヅル式」,なのです。



魚涼味5【塩マグロの冷やしかけ飯】

これを初めて作ったときには,我ながら,食って思わず唸ったものです。それほどに,シンプルながらよくできた料理になったと思う。あまりに涼しく旨いので謙遜するつもりはござらぬ。
と,もったいつけて本邦初公開。
お店経営の方,マネして出して自分の考案ですなんて言っちゃあダメよ~。
冗談ですが,早速作り方を書きましょう。

①マグロは種類は問わない。安くてボロな赤身でよいから,これを1サク買ってくる。

②サクを,繊維に添って長さ5㎝,幅5㎜前後の短冊に切る(繊維を横に切ると,あとで加熱したときにバラバラになってしまうので)。

③これをボウルに入れ,シメサバを作るときくらいの強い塩で和え,30分ほど置く。

④肉の水分がにじみ出た頃を見計らって,中鍋に強火で湯を沸かし,塩マグロを投じ,長ネギの青い部分を一束分放り込んでおく。

⑤再沸騰したら,吹きこぼれないように火加減し,ひたすらアクをとり続ける。

⑥最初は白濁したスープが,アクをとり進むほどにだんだん澄んできて,スキッと透明になったら,火を弱火にしてネギを取り除く。この時点で既にマグロから浸みだした旨味と塩分で味の骨格はできているので,補助的に薄口醤油少々と塩で濃いめに調味し,これに蓋をして鍋ごと水で冷やす。

⑦十分に冷めたら,ここに氷を投入し,かき混ぜて冷やす。最初にきつめの味にしてあるので,氷が溶けてここでちょうどいい加減となる。大きい冷蔵庫があれば鍋ごと冷やせばいいが,一般のご家庭ではなかなか難しいでしょう。

⑧椀にご飯を「少量」盛り,鍋の中のマグロを数片置き,冷たいスープを注ぎ入れ,小さく砕いた氷を浮かす。薬味にネギを刻んでもいいが,まず1杯めはこのままサクッと賞味いただきたい。これがマグロのダシだ。白い白磁の椀にうっすら黄金色の透明感のあるスープ,浮いた氷の光の散乱,横たわる塩マグロのさりげなさを噛みしめ,そして,ダシのほのかに甘酸っぱい香りのマグロ味と,氷によってキュッと締まったご飯粒ひとつひとつの歯ごたえと甘味。存分に味わっていただきたい。これがマグロの隠れた実力だ。ありがとうマグロ。

このかけ飯は,暑い夏の昼にも,酒後の飯としても,たいへん優れている。
実はコレ,当家過去ログの「もうひとつの塩煮」で紹介した長崎県野母崎流の塩煮の応用です。



魚涼味6【冷やしウナギの東南アジア】

これまで紹介してきたのが「氷」の力を借りた涼しい料理であったのに対し,これは氷を使わない,味覚の涼しさだ。パックで買ってきた蒲焼きウナギを,暑いから火を使わずに涼やかにソーメンなどと一緒に食いたい,というときのひと工夫。

熱くないウナギ料理としては,日本には古くからウナギとキュウリの酢の物である「うざく」があるし,ウナギを芯に巻いた厚焼き卵「うまき」も冷めたものを食うときがある。
ここでは東南アジアなどと言っているが,要は常夏のタイランドやインドネシアに代表される味の構成「甘くて」「辛くて」「酸っぱい」ということだ。このアマカラスッパが食欲の減退した時にウナギの滋養味とよく合うし,涼味という点では“うざく”とはまた違った良さがあるのだ。なんせ夏の国のテイストですから。

まあ、サバのリュウキュウがあるのだから,ウナギの東南アジアがあってもおかしくなかろう。などとくだらん解説してないで作り方を早く書きなさい。はい。

①市販の蒲焼きウナギは甘いタレがかかっているので,サッと熱湯をかけ流し,水でスバヤク冷やしてペーパーで水気をとっておく。

②ウナギはタテ半分に切り,それを小口に1㎝幅に切っておく。

③ボウルに豆板醤,醤油及び味噌少々,ミリン少々,レモン汁半個分を調合してアマカラスッパのたれを作る。三味のバランスは各自で加減する。ここに切ったウナギを和えて味が浸みるまでしばらく置く。

④別のボウルにウナギを取り出し,カイワレ,ミョウガ,刻みネギと共にざっくり和えて出来上がり。好みでゴマ油をひとたらし加えてもよい。

これをザクザク食うのがいいんです。ご飯にも合うし。もっともこれはソーメンの具として作ったものですけどね。冷えた皮の弾力と噛みしめる時にジワッとにじみ出る旨い脂が,イケます。

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あ~,涼しい料理を書いてたら,少し涼しくなりました。
というわけで,皆様にもこの涼しさを,おすそわけ。

ガンバッテ夏を乗り切ってくだされ。  

Posted by ウエカツ水産 at 21:15Comments(4)魚・料理

2007年08月09日

真夏のサンマ

夏も盛り,早くも日が短くなりつつある8月。アユも食いたいけど,実はこの頃のサンマがいい。一尾250円くらいするか。でも買います。実際ワタクシも,本日,買いました。しかし,なぜサンマが夏なのか,という疑問もおありかと思うので,そのへんのお話しを少々。

一般的に「サンマの旬は秋である」というのが社会通念ではあるが,この夏の時期,私が待ちこがれるのは“北海道から入ってくる生のサンマ”だ。スーパーのサンマ祭りで一尾100円とか50円とかで大量に出回るのが10月頃ではあるが,今の時期の北海道のサンマは,味の上で格が違う,まず漁法からして違うのである。

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【 サンマにおける漁法の違い,およびその味 】

サンマが秋だ秋だと騒いでいるのは,よく獲れるし,安いし,脂が乗っているし,といったズバ抜けてリーズナブルな庶民性による。最近イワシが獲れなくなった,サバもいまひとつ増えてこない,などと言われている傍ら,老若男女,貧富の差なく,我々を裏切らないのが秋のサンマである。

ただ,サンマの漁期は,我々が言うところの夏から始まっているのだ。
通常,サンマ船というのは100トンクラスの大型船であるが,夏サンマを獲るのは北海道は根室に在する小型船。これは「刺し網」でサンマを獲る。船も小さいし,大量には獲れない。浮きの付いたカーテン状の網を長く洋上に流し,そこを横切るサンマが網目に頭を突っ込んで抜けなくなって捕まってしまう,という漁法なのであるが,この時期,根室沖に来遊するサンマは,これで獲る。
8月の根室沖のオホーツク海は,栄養豊富で水温の低い親潮の影響が強く,サンマは脂肪分の多い北方系のアミ類を飽食している。これが旨さのヒミツだ。ぶりぶり肥えている。秋サンマだって脂が乗っているとは言うが,その比ではない。幅が広く大ぶりで,相対的に頭が小さく見えるのが特徴。

対して秋サンマ。これは「棒受け網」という漁法で獲る。根室から太平洋側を南下して釧路,三陸沖,更に下って銚子沖まで,サンマは回遊し,これを大型船が追いかけていく。
船の一番高いところには大型のライトが設置され,それを操作してある程度サンマを集めたら,船の片側に煌々と灯りが点灯する。その反対側では,太い二本の棒に支えられた“すくい網”が,静かに水中に敷かれるのである。次に,それまで灯していた片側の灯りを徐々に消すと同時に反対の網を敷いた側の灯りを徐々に点灯していくと,サンマの群れは網の上に集まることとなる。十分サンマの群れが集まったところで,スイッチを切り替えて,一気に白灯から赤灯にすると,“ジャッ”という音をたててサンマの群れが水面に“沸き上がる”。この沸いた瞬間を逃さずに網を揚げてしまうのが、サンマ棒受け網のしくみ。

この漁法で獲られたサンマの味覚上の特徴は2つ。
ひとつは,南下するほどに,脂が落ちていくということ。
もうひとつは,網の中で大量のサンマが体を擦り合いあっぷあっぷするので,仲間のウロコを腹一杯に飲み込んでしまうことだ。
従って,いくらサンマはハラワタが旨いと言われても,棒受け網で漁獲されたサンマのそれは,小さな丸いウロコが充満していて食えば口の中でジャクジャクする。肉はなんら問題ない。

以上のように,結局,サンマ最高の「味の旬」は夏,である。対して秋は「漁獲の旬」だ。
サンマに限らず,サカナには「味の旬」と「漁獲の旬」の二つがあるということを,覚えておくと料理に活きる。更に「味の旬」について追求すると,年間を通じてみれば,多くのサカナの旬は1回ではない。大雑把に言うと産卵の少し前と,産卵後の体力を回復しきった頃の2回。たとえばイサキの旬は,夏の産卵前,まだ卵巣が熟し切っていない梅雨頃と,産卵後かなり時間がたって完全に回復した冬の頃,の2回であり,前者を“梅雨イサキ”と言うし,後者を“寒イサキ”というが,このようなことについての解説は別の機会に譲る。

それにしても,サンマが「刺身用」として出回るようになったのは,いつの頃からだろうか。ちょうど15年前,就職面接で長崎から東京に出,どこかで入った酒場で「サンマ刺身」の品書きを見て,塩サンマしか知らなかった私は注文し,食って仰天したものだ。それが,今や半ば常識のように,刺身にできる高鮮度のサンマが全国に流通するようになった。クール便の発達はこれに大きく貢献した。
ここ境港でも然り。関東に居た頃はさておき,まさか夏の時期の刺身用生サンマを,ここで食えるとは思わなかった。嬉しいが,半ばフクザツ。少なくとも“じげの味”ではないから。しかし旨い。

ここでさっそく,サンマ料理の王道である「塩焼き」について述べたい。

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【 夏サンマの塩焼き,およびその味わい 】
①刺身用の夏サンマを入手したら,まな板に置き,姿を眺め,まずニンマリと笑う。緑がかった背の群青色,豊かに幅の広い腹の銀色などを,まず,目で味わってほしい。
②しかる後に頭をつまんで持ち上げ,腹の中ほどから肛門に向けて親指と人差し指で軽くしごく。そうすると腸の後半に入っている消化物,いわゆる“糞”が肛門から流れ出るので,ここでサッと流水で洗い,表面の水気を拭く。この糞は,濃く赤みがかったオレンジ色をしている。これこそがアミ類を食べている証拠。
③塩を浅めに全体にまぶし,10分ほど置く。
④炭火で焼くのはそりゃいいでしょうが,日常ではグリルでよい。あらかじめ熱し,強めの中火に調節したら,あらためてサッと塩を振ったサンマを横たえる。グリルが小さいか,あるいはサンマが大きいか,いずれにせよその場合は,ナナメに入れればよい。
⑤焼き加減は,まず表側(頭左,腹手前)を表面が乾く程度焼いたら,裏側(頭左,腹向こう)に返し,7割焼いたら,再び表に返して焼き上げる。焼き上がりの目安は,「サンマの皮が自らの脂でこんがりしたあたり」だ。焼きすぎれば脂が落ちてバサバサになってしまうのでご用心。
⑥焼き上げたサンマを皿に移すとき,崩さないように気を付けなければならない。なぜなら,秋サンマと違って隅々まで脂が乗っているので,肉も関節も全体が柔らかいのだ。スバヤク,そっと優しく扱ってやる。
⑦皿に横たわった夏サンマは,まだチリチリと音を立てているはずだ。ここで醤油や大根おろしをかけてしまうと,せっかくの焼きたてがだいなしとなる。
すかさず箸を入れると,サクッとした箸触りがあり,一口分の皮と肉を骨から持ち上げると,ポッと湯気が立ちのぼる。これをまず,口に入れるのだ。ひとハシめは,肛門の前後がよい。なぜなら,厳密にサンマの各部位を味わっていくと,この部分が,腹の後方からしみ出した脂と肛門後方の豊かな肉感との両方を同時に味わえるからだ。最も脂が乗っており,かつ肉とのバランスがよい。肛門の前後3㎝だ。
通常,一番おいしい部分を最後に残しておく人が多いが,焼きサンマの場合,この一番の部位は,焼きたてで味わうべきだ。椀は煮えばな,サンマは焼きたて。
⑧そこから適宜両サイドに食べ進めていくわけであるが,次はぜひ横に長い腹の上の身をガサガサと腹の小骨ごと噛みしめ,それが終わったらピンクのかわいい小さな胃袋,および横に長いたっぷりした褐色の肝臓をそれぞれ味わてほしい。太く長い肝は,トロリとビックリするような味わいだ。そして,残りの内臓に,シッポのほうの淡泊な肉をまぶして食べてみることをオススメしたい。濃厚な旨いスープをパンで拭って食うのと同じ。
⑨これで片側をひととおり味わったら,ようやくひと息つけるというものだ。おもむろに頭をつまんで上に引っ張り上げれば背骨がスラッとはずれる。あとは適宜後半戦を楽しめばよい。さて,どこからいきますかな,焼きサンマの最高の味は最初に既に味わってしまったので,いくぶん余裕が生まれている。
⑩サンマを食う描写で夢中になって肝心なことを忘れていた。一般的にサンマには大根おろし,となっているし,レモンをかけたり,昨今はポン酢なんか,かけちゃったりしているが,水っぽくするだけなので,おやめなさい。
こと夏サンマの塩焼きに合わせるのは,カイワレ大根のみ,でよろしい。

ついでだから比較のために秋のサンマの塩焼きについても書いてみようか。

【 秋サンマの塩焼き,およびその味わい 】
秋サンマは夏サンマに比べて脂が落ちている。体型も若干細め。背の緑色は失せ,藍色を呈すのみ。夏サンマと比べると,腹の銀色も少々くすんでいる。が,安くて旨い,やはり庶民のサカナだ。
①前処理と焼き方は同じであるが,夏サンマほど脂は乗っていないので,“崩れてしまいそう”というようなことはない。焼き上がりを加減して,ポンと返してサッと皿に移せる。
②まず焼きたては,既に述べた「片側の肛門前後3㎝」,これは速やかに味わうべきだ。夏サンマほどではないにしろ,やはりここが“かなめ”なのだ。ただ,それ以後が夏サンマとは違うところ。まず頭をつまんで起こして背を上に維持し,頭の後ろからシッポまでポン,ポンと,押さえていく。この間,頭をつまんだまま。そこで背ビレあたりを箸先で割って頭を上方にゆっくり引っ張っていくと,スルスルッと背骨がはずれてしまう。すなわち“骨なしサンマ”の出来上がり。
③秋サンマは,既に述べたように,大群を「棒受け網」で漁獲するため,ひしめき合ったサンマは,はがれた仲間のウロコを大量に飲み込んでしまっており,従って,食べれば“ジャクジャク”するのである。というわけで,内臓は,この際,食べなくてもいいではないか。ホントの味が出ないのであるから。そのかわり,ここでひとつ,塩焼き秋サンマの旨い食い方を紹介させて頂く。
④まず,丼に6分目の大根おろしをたっぷり用意する。9分目すり下ろしたら,手を添えて軽く水を切れば6分目になる。ここに,極薄切りの秋キュウリ一本分を混ぜて,レモンないしスダチを絞り込む。ここに,先ほど骨抜きにした秋サンマの皮および身を大ぶりに砕いてドシドシ加えたら,醤油をツーッとかけ回し,ザックリ混ぜる。これが,秋サンマの「焼きナマス」。これは脂の乗った夏のサンマではクドくていけない。脂がほどよく落ちた秋サンマがいいのだ。一口ほおばれば,ホーラ,どっかから虫の声が聞こえてきますぞ! 秋の夜酒にもイイ。酒後の飯にもいい。まさに天の采配ナリ。

どうです?
結局,サンマは夏がいいとか秋でなくちゃといったことではなく,ちゃんと,季節に応じた味わいがあり,それに合わせる野菜もあり,恵まれております人間は,ということですな。

更についでながら,サンマのちょっといい食べ方を紹介しましょう。秋が来て,サンマが安くなったらお試しあれ。蒲焼き,なんてのは月並みなのでね,凝ってなくて,ちょっと気の利いたヤツを,3品。
おっと,その前に,サンマを生食するときの処理を書いておきましょう。

【 サンマのおろし方 -産地流- 】
①秋サンマを氷水から取り出したら,洗わずに,まな板に寝かせ,頭を持って,腹が上になるように立てる。
②肛門の少し後ろから包丁を入れ,頭の方へ向けて,ちょうど内臓が入っている部分をそのまま腹身ごと切り取ってしまうようなカンジで,包丁を進めていく。
③頭の付け根まで切ったら,包丁を立てて,頭を落とす。この作業によって,切り離された頭には腹身およびそれに包まれた内臓がくっついている状態,体のほうは内臓部分がズッパリ切り取られた“棒身状態”となるはず。ここで,流水でサッと洗う。
④この棒身を,頭の方から背骨に添って大名おろしで3枚に切る。
⑤刺身などで皮を剥く必要がある場合は,おろした身の頭の方の皮を指先で少しめくり,皮側を下にしてまな板に置いて皮を左手の指先で押さえ,包丁の刃,ではなく,包丁の背,を,包丁を立てて皮に押しつけて向こう側に動かしてやると,クルッと身が皮からはがれる。包丁は切る以外にもいろいろ使い方があるということだ。
この方法でやると,身の銀色がきれいなままだし,手で剥いたときのように皮に身が残ってしまうこともない。かといって,タイなどの皮を引くときのように,包丁の刃を使ってやると,皮のほうが途中で切れてしまうのである。
この手法は,他の皮が薄いサカナ,たとえばアジ,イワシ,キス,サヨリなどに効力を発揮する。
⑥皮を引いたら,身の水気をペーパーでとっておく。
⑦切り取った腹身は,頭を切り離し,内臓を取り除き,そのまま塩焼きにしてもいいし,これのぶつ切りに塩をしておいて,すまし汁にしてもよい。腹身は小骨を含んでいるので,包丁で叩いてすり鉢で擂って味噌と刻みネギを加え,団子にする人もいる。

この方法は,気仙沼や石巻などサンマの産地なら,料理屋でもオカーちゃんでも誰でもやっている。

さて,ここからがオススメ料理の部。

【 サンマの塩ナマス 】
①三枚におろして皮をひいたサンマを,シッポの方から5㎜ほどの幅でナナメに細切りにする。
②タマネギを適量スライスし,水にさらさずに,細切りにしたサンマと共にボウルに投じ,日本酒ごく少量と適量の粗塩で和える。塩加減は味見をしながらでよいから最適量をつかむこと。
③和えるうちにタマネギの辛味が消えて甘味に変わる。そこにサラダ油をごく少量たらし,再度ざっくり和えたら出来上がり。

ビックリするほどカンタンで,なんで・こんなことで・こんなに・・・,とつぶやくほど旨い。食べ残したら,少量の酢をかけ混ぜて冷蔵庫に入れておけば,翌朝醤油をたらしてご飯のオカズにもOKだ。

【 棒塩サンマの酢洗い 】
これは,石巻のサンマ漁船「大慶丸」を雇って西オーストラリア沖でマグロの調査をしたとき,そのサンマ船の乗組員が,その年獲れた冷凍サンマをこのようにして食べていた,という料理。まずは作り方。
①「サンマのおろし方」のところで述べた棒身状態にしたサンマを,三枚におろさずにそのまま指で皮を剥いてしまう。要は丸ハダカの棒身にする。
②これをサッと洗ったら,水気をふいて,粗塩を濃いめにまぶし,一晩置く。

これだけ? これだけ。
どう食べるかというと,,,
船ではこうする。大きなバットの上に大量の塩棒サンマが積み上げられ,ドンと置かれる。その傍らに,一升瓶の酢がドン,と置かれる。更にその横に,お椀がたくさん重ねられている。
食卓に着いたら,めいめいがお椀をとり,酢を注ぎ,別の皿の上で棒塩サンマのシッポをつまんで,箸でシッポ付近から頭の方へかけて身をシゴキとる。この身を椀の中の酢で洗って食うのである。こんな料理(?)であるから,見ていると食べ方もいろいろだ。少しずつ身をほぐして味わう年配の人,一気に大量に身をほぐして一気に酢に浸けてほおばる人,ソレで飯を食う人,酒を飲む人,等々。シンプルなゆえに,自由度が高い。そして,これもビックリするほど旨い。特に,身をシゴキ取ったあとの,骨についている肉をジャブリ食うのは最高だ。

とはいえ,一般家庭で長いサンマを各自が一尾ずつしゃぶるというのはどうも,というのであれば,皮を剥いた棒身を,骨ごと5㎝くらいにぶつ切りにしてから塩をしておけばよろしい。以下は同じ。

【 サンマの梅煮 】
サンマは青魚の仲間であるから,むろんサバやイワシなどと同じく酒・醤油・ミリンで煮付けてもよいのだが,ちょいと季節的に重い感じがするのだ。
秋には秋のサンマの煮物があっていい。夏の名残の爽やかさ,そして秋に至る郷愁,のような。
①サンマは頭を落とし,肛門の前で半分に切り,頭側から流水を当てて内臓を洗って抜く。尾びれは切り落としておく。
②鍋に酒と水を半々に割って沸かし,そこにたっぷりのショウガの千切りと,数の梅干しを指でつぶして種ごと加える。更に沸かし,ミリンで甘みを整える。
③ここに下処理したサンマを投じ,強火のままアクをとりつつ煮,アクが少なくなったところで弱火に落とし,薄口醤油少々で丁度良く味を整え,フタをして煮冷ます。

この煮物は,熱いヤツも悪くはないが,ぜひ,冷まして味が染みたものを,更に冷やして,味わってみてもらいたい。梅とショウガの香りがする冷たい下地をちょっと吸いながら,またその下地に箸でつまんだ肉を浸しながら,食うのは秋の悦楽と言える。

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最後に,秋の安いサンマをついつい沢山買ってきたときに,家で作るおいしい塩サンマの作り方を記して終わる。

【 自家製塩サンマ 】
①サンマは頭を落とし,肛門の前で二つに切り,頭側の切り口から強い流水を当てると内臓が抜ける。
②これらを,強めの粗塩でまぶし,一晩置く。
③焼く前に,表面の水分をペーパーで拭いてから焼く。

これだけ。
サンマには,凝ったことは一切いらない。そんなサカナだ。
こうして作った塩サンマは,焼き目の美しさ,皮の香ばしさ,肉のみずみずしさが,チガウのだ。

そして,その塩サンマを使った,おいしいおつゆを一品。

【 塩サンマのおつゆ 】
①鍋に水をはり,大根の千切りを投じ,強火で沸かす。
②沸いたら5㎝ほどに骨ごとぶつ切りにした塩サンマを投入する。
③アクをとり,それがあまり出なくなったら中火に落とし,薄口醤油で味を調える。
④そのままでもよいが,薬味として刻みネギ,摺りショウガほんの少々を加えてもよい。

これも、これだけ。

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いやー,酒から飯から吸い物まで。やっぱりサンマは庶民の味方だわ。
いいね。
  

Posted by ウエカツ水産 at 23:46Comments(13)魚・料理・水産

2007年08月08日

サカナの鮮度(維持・保存)

夏だ。暑い。食べ物が傷む。
転じて我々釣り人が旨いサカナを食おうと思えば,この季節ほど釣ったサカナの管理に気をつかう時期はない。

日本は,「魚の鮮度にこだわる」という意味では世界一だと思う。
というのは,原始より魚の生食文化が定着し,刺身,焼き霜(タタキなど),湯霜(湯引きなど),ヅケ(醤油漬けなど),その他ナマスなど和え物等々,というカタチで多様化し,生魚を切っただけの原始的食形態が「料理」と呼ばれるまでに昇華したところにある。これを支えた先達の精進による技術の発達,道具の進化があったことは言うまでもない。

いかなる料理であっても,素材をどのような状態に保つかは,万国共通最初の課題であるが,こと日本の魚食を語ろうとすれば,刺身という特化した「生食」の分野に耐え得る処理・保存法が重要なぶん,その他の加熱調理に対応した処理・保存などと分けて考える場合もあり,若干他国より複雑である。更にサカナ旨み道を追求すれば,「生きて泳いでいる魚をどのような方法で獲り,その後どのようなタイミングでどのような一次処理を施したか」が極めて重要で,総本舗を名乗る当家としては,そこにこだわる視点に至らざるを得ない。

俗に,イチ・生,ニ・焼き,サン・蒸物,ヨン・が煮物で,ゴ・に揚げ物,と。これは,鮮度の良い順に,どのような調理法に適するかという言いならわしであり,魚種やサイズによってはすぐに食べるより暫く寝かせたほうがいいとか,種類によっては生と蒸し物が同列であるとか,いろいろあるにせよ,まあ概ねこんなところではある。しかし,鮮度が高く維持・保存されているほど,当然いずれの料理にも対応可能であることに変わりはない。中期保存方法のひとつである干物の原料にしても鮮度の良し悪しが大きく影響する。やはり「一次処理」およびその前後が大切なのだ。

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【漁法によるストレスの違い】
サカナを“良く”食べようとするとき,その条件設定は,漁法から始まっている。
サカナが漁獲されるとき,我々が食用とする筋肉は,脳の感じるストレスと非日常的運動の両方から影響を受ける。いずれの場合も筋肉中には疲労物質が発生し,そのままにしておくと肉質を低下させる。だからこそ,ひとつは漁法によってサカナの評価が決まるという世界もあるのだ。まずは代表的な漁法によるサカナへの影響を考え整理してみたい。

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【 釣り 】
我々がやる竿と糸の釣りから,たくさんの枝縄に釣り針を付けた“はえなわ”まで,釣りにもいろいろであるが,掛けてから生け簀に活かしたり氷水に漬けたりするまでの時間がサカナの質に関与する。その点,一本釣りであれば速やかに処理できるが,はえなわでは掛かってから苦しむ時間が長いぶん,質は低下する。カサゴやタチウオなど「釣り物」として高値で魚屋に並ぶのを散見するが,これはたいていはえなわ漁業によるもので,その漁業の特性というより,漁獲後の扱いの丁寧さで格が上と言えよう。
私が日常的な釣りをする場合,いかに暴れさせずに,糸を切られることなく,そのバランス点を探りながら手中に収めることを第一義としている。よく言われる“引きを楽しむ”ではなく,そのような技の中に引きの楽しみがあるのだ。メバル釣りにしても,ほとんど音をさせずに抜き上げる技術がある。そうして獲って処理したサカナは,当然最高の状態であるし,日持ちもする。

【 定置網 】
この漁具は,サカナが泳ぐ経路を遮断し,箱形の網に陥れる定置漁法であるため,網の中に入ったサカナ達も,捕まったことを気づかずに網の中で食ったり食われたりするものあり,魚種によっては,たとえばブリなどは一生懸命逃げ口を探して右往左往している。
ストレスがかかるのは網を上げるときだけであるし,たいていは一日一回網を上げるので,網で体が擦れにくく,一般的にサカナの状態は良好である。その点,網を使った漁業の中では最高の品質を維持できると言えるが,やはり問題は水揚げ後の処理のことであり,定置網を上げる船によって,その処理の習慣は違う。だからたとえば,同じ半島に隣り合って張ってある定置網でも,A定置はいいが,B定置はやや格下,というようなことがおこる。たとえばA定置では活け締め作業をおこなっているが,B定置では氷水に全てのサカナを突っ込んでいる,という具合。これがどのような効果になって現れるのかは後述する。いずれにせよ,“定置モン”というだけで,ひいき目に見る事なかれ,だ。

【 刺し網 】
この網は英名をギルネット,すなわち“エラ網”,というだけあって,泳ぐ経路を遮断されたサカナが,この網に頭を突っ込んで,エラ蓋が引っかかってとれなくなったところを上げてしまう。従って必然,ストレスはもとより,死んで揚がってくるサカナも多くなる。狙いの魚種によって,浮き刺し網,底刺し網,中層刺し網,更に群れになるサカナを獲る場合には,まき刺し網といったものもある。いずれにしても原理は同じだ。体のウロコがはげているもの,また,体に絡まった網の糸アトがついているもの,これらは仮に目がキラキラしていたとしても,料理の用途に応じてしっかりと肉質を吟味すべきである。
他方,こんなこともある。サンマの旬は秋と言うが,ホントに旨いサンマは8月。一般的にサンマは「棒受け網」という,光で寄せ集めたサンマを大量に漁獲可能な漁法で獲るが,8月のそれは,サンマが暖かい三陸沖へ向けて南下する前の根室沖の冷たい海で,刺し網で漁獲されたもの。太くて脂の乗りが良くて,このときばかりは,網アトのついたサンマを探してしまうのである。

【 まき網,および底曳き網 】
この2つの漁業は,中・表層にいる魚群を獲るか,中・底層にいる魚群を獲るかの違いこそあれ,網を揚げる時には多くのサカナがひしめき合って,あるいは圧迫され,ストレスが大きいこと甚だしい点において,ほぼ同じと言える。このような漁法では,当然,一尾一尾を締めるなどという余裕はない。
しかし,いわゆる“総菜魚”として,比較的安価に大量に我々の日常生活の魚食を潤してくれることでも共通している。
これらのサカナは,揚がったときには死んでいることも多いが,後述する“野締め”として水氷で締められ,調理法に合わせてちゃんと吟味すれば,ケッコウなものなのである。
たとえば境港は全国一タイの値段が安い港であり,25㎝くらいのマダイが庶民の食卓の吸い物に,半切りして入ったりするのだが,一尾300円程度。これは定置や釣りでは実現しない。巻き網や底引き網あってこそだ。「調理目的に合わせた鮮度レベルの選択」。最適コスト最大効果を模索する上で,これもまた大切なのである。

【 潜水漁業 】
釣り,刺し網,定置網,巻き網,底引き網,ときて,なんでここで潜水?と思われるかもしれないが,実は,後述する活け締めによるサカナ以前に,現場最前線でできる処理としては,この潜水で漁獲されるサカナを適切な温度管理したものの品質が最も良い。というか,要はこの漁法は,漁獲行為と処理行為が一体なのである。潜水漁業とは,つまるところ魚突き,“突き獲り漁法”というやつだ。ここではアワビ・サザエ捕りは省く。潜っていってヤスや銛を用いてサカナを突いて獲ることだ。
遊び半分海水浴がてらシロートの魚突きであれば,魚体のどこに刺さるかわかったもんではないが,熟練の潜水士であれば,狙い違わずサカナの脳天,ないし胸元の心臓を一撃する。こうして漁獲されたサカナは,まさに泳いでいる状態から,次の瞬間,ほとんどストレスがかからないままに即殺・放血されているのである。この点,釣りや他の網漁業の魚質向上の効果をはるかにしのいでいる。荒々しくはあるが,実はこれが活け締めの原型である。
よくよく考えてみると,このあとに述べる“活け締め”とは,この突き獲り漁法の効果をいかに的確に改善して再現するか,ということであることに気づく。人間が知恵を働かせて魚質向上のためにいろいろやったあげく,結局原初の魚突きに戻るとは,いつの時代にも,原点に立ち戻ってその構成要素を見なおすことは大切だと思わざるを得ない。

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【魚を「締める」ということ】
サカナを漁獲したら,それをどのように処理し,保存するか,ということになる。既に述べた,サカナを最高に活かすことができる“突き獲り漁法”であるが,これは突き手によってバラツキがある上に,対象魚種も,潜って獲れる範囲に限られてしまう。そこで,どうするかだ。

およそ脳から背骨に至る神経,いわゆる中枢神経系をもつ生物全般に言えることだが,ひとたび脳が死んで行動が停止すると,体の各部位は,“分解”すなわち分子レベルに向かって変化を始める。特に我々がもっぱら食用とする「筋肉」は,脳死後しばらくは生時と同様柔軟なままであるが,生前の疲労物質の残量に応じて筋収縮を起こし“硬直”する。それが終了すると,筋肉内部では,それを構成する細胞自らが保持している種々の酵素によって自己分解が始まり,最終的には溶けてしまうことになる。溶けてしまえば,本来ならばこれは生態系の循環の中で,次なる生命を育むことに資する。これが地球というひとつのまとまった系の中で生きるということであり,同時に死ぬということでもある。たかがサカナを旨く保つための技術と言えばそれまでであるが,そこに命の生死観を見るのは私だけだろうか。

さて,“鮮度維持”とか“保存”という言葉は,この,生から死,そして自然界の循環に戻る過程のいずれかの段階をいかに引き延ばすか,という可食を前提とした行為にほかならない。更に“サカナを締める”とは,獲ってきたサカナを,可食かつ旨い状態にいかに高度に保つかという人間の知恵である。しかもバラツキ無くより普遍的に。
その技術について整理し,詳細を述べよう。

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【活け締め】
“活けジメ”の要諦は,①即殺,②放血,の二つが不可欠な条件であり,これに③神経抜き,④温度管理,が加わる。これは漁獲されたサカナが硬直に至るまでの時間を少しでも引き延ばして旨み成分をより多く生成せしめ,更に硬直後の分解をゆるやかにして保存性を高めてやる作業である。③の神経抜きは,これらの作業効果をより高めるための副次的処理であるが,④の温度管理はかなり重要で,これをうまくやらないと①~②ないし③の効果を台無しにしてしまう。また,①~③の処理をしない,つまり活け締めを行わない場合であっても④の温度管理は重要な課題には違いない。

① 即 殺
即殺は,特に大型のサカナを締めるときに,「その動きを止め,無用な筋肉疲労を与えないことと,脳から神経を通じて筋肉に伝わる痛み苦しみの伝達を元から絶ってやること」が目的だ。

その手法だが,よく釣り人対応の料理本,ひどい場合にはけっこうちゃんとした体裁の料理本でも,「目の後ろを出刃包丁で刺して活け締めする」などと書いてある。これは必ずしも間違いではないが,この際,きれいさっぱり忘れたほうがよい。
そもそも,目の後ろを包丁で刺して,といっても,何を目的にどこを刺すのか,わかりますか? 要は,脳を,確実に速やかに壊して動きを停止させたいのです。その脳はどこにあるか。サカナによって形状も場所も違うのである。これを理とするならば,脳を壊す役割を果たすのは,手カギであれ氷を砕くアイスピックであれ,細く尖った強固な道具でなければならない。切れ込みを入れることではなく,脳を保護している頭骨を壊すことが目的なのだから。
従って,釣り人がまず持つべき道具としては,手カギでは熟練しないと狙いが定まりにくいので,はじめは短いアイスピック(針が短く太くずんぐりしたやつ)を購入するべきであろう。

そして,まず魚種ごとの脳の所在を知らねばならない。それには,サカナを釣ったら,焼くなり煮るなり蒸すなりして,自ら食べしゃぶって,そのサカナの頭骨の所在をキッチリ認識しておくべきだ。
たとえばアジ・サバ・イサキなどの脳の所在は似ているし,マダイ・クロダイ・チダイ・メジナなど,また,ホウボウ,マゴチ,あるいはカサゴとメバル・スズキなどもそれぞれ似ている。要するに,サカナの体型の系統があって,それに応じて“締め分け”ができれば上等だ。加えて言うと,特にタイ類の頭骨は大型になるほどに堅いので,アイスピックでは勢いがつかない。手カギで締めることとなる。

ついでながら書いておくと,手カギでサカナを即殺するコツは,カギの先端を打ち込む場所を見るのではなく,表面からは見えない脳の所在をイメージして,その一点をのみ注視してそこへ振り下ろすことだ。これは居合い術でワラ束や竹を切るときに,演者は刃を当てる位置を見るのではなく,切り終えた点を意識して刀を振り下ろすのに似ているし,ゴルフや野球で,打者が玉の芯を注視イメージして打ち抜くのと通ずるものがある。やはり力学に基づく技術の原理・道理はすべからく同じなのだ。

アイスピックにせよ手カギにせよ,サカナを水から揚げて,できれば柔らかく厚いスポンジマットなどの上に,頭を右,背を向こう,腹を手前に置いて,サッと左手で目を隠し,おとなしくなった一瞬ののち手を左に滑らせて軽く押さえ,ここぞという箇所にカギを打ち込む,これがタイミングだ。一発で決まらないと,バタバタ暴れて筋肉にストレスを与えてしまうことになる。打ち込んだときに脳を壊せていたら,各ヒレがピンと張り,サカナによってはパクッと口を開けて静かになる。これで完了だ。

ちゃんと脳を壊せたかどうかは,刺身に切ったときの身の透明感,それでわかりにくければ煮魚や味噌汁であなたが頭を食べたときに頭骨をチェックして判明する。はずれていれば,また次はうまくやろうと思う。これでよい。この繰り返しで上手になっていくというものだ。
ここでキーワードをひとつ。「サカナは全て,脊椎動物である」ここからイメージしていくと,初めて接するサカナでも,ちゃんと脳の所在はわかるものですよ。おそれるなかれ。

② 放 血
この作業の目的は,「生臭みの元となる血液を“適度”に抜いてやると同時に,血液による細胞への酸素補給を絶って,筋肉の有酸素分解を抑えること」にある。

サカナが即殺され静かになったら,即殺した置き位置からクルリと背を手前,腹を向こうに持ってきて,左手でエラ蓋を開け,エラの付け根の背骨を出刃包丁で刺すように断ち切り,そのサカナが泳いでいた水を汲んでおき,これにスバヤク静かに浸す。すると,雲が湧き出るようにモクモクと血が出てくるので,それがちょっとおさまったところで引き揚げる。このタイミングはけっこう重要で,しっかり血を抜こうとして漬けすぎると,切り口の身に無用な雑菌が移り,一方,切り口では血が固まって血が逆流してしまう。
また,氷を入れた水で放血する人も見受けるが,これをやると急激な温度の低下で心臓の活性が低くなってしまい,十分な血抜きにならない。あくまでもそのサカナが泳いでいた温度の海水で放血してやるのを最上とする。

ここで,またしてもモノの本に,「尾にも包丁を刺して」「体を折り曲げて」「血を絞り出す」などと書いてあることがあるが,こんなことは絶対にしてはいけない。
即殺して動きを止めても心臓および血管は動いているのでエラ元一カ所だけ切ればいいのに,なぜ尾の血管まで傷つけるのか。こんなことをしたら出場所が二つになってせっかく出ようとする血が逆流してしまう。結果として内部のどこかに血が滞る。
また,せっかく筋肉に疲労物質が生じないよう即殺したのに,その肉を折り曲げてどうするというのだ。こんなことをしたら,筋肉疲労を増やすだけで,せっかくの苦労が水の泡だ。上手に即殺したとしても筋肉に無用な刺激を与えて硬直が早くなってしまうし,刺身の身が白く濁ってしまう。

もっとも,今でも,包丁で目の後ろと尾を刺して体を折り曲げている市場や仲買,魚屋を時どき見受けることがある。それぞれ地域の習慣や流派があるのかもしれないが,私は“勿体ない”,と思うのみ。

うまく放血ができたかどうかは,サカナをさばいたときに判断できる。血栓が生じていないか,おろした身に血がにじんでいないか,そんなところが目安となる。

活け締めという作業は,速やかに,しかし静かに,淡々と,熟練するほどに“美しく”進行するものであって,生命のぶつかり合う威勢のよいショーではない。対象とする生物の成り立ちと,それに対する当方の目的を,よく考え,最善の手法をとるべきと思う。

③ 神経抜き
これは,必ずしも必要がない。が,これをやるとやらないとでは,即殺~放血の効果の持続性が断然違う,というのが事実。この作業の目的は,「脳を壊すことによって,脳から筋肉への伝達は絶たれたが,背骨の中に残っている神経からは,残留している伝達物質が筋肉に伝わるので,これを更に絶ってやる」ということ。神経抜きをするためには,背骨の断面を露出する必要がある。そのためには首を背骨ごとザックリと切ってしまう必要がある。関東の築地ではこのやり方が主流であるが,“姿”を大切にする関西では,これはいけない。そこでどうするか,ということについては後でちょっと述べる。

余談であるが,ウナギの割き方。腹切りに通じると言って関東では背開き,関西では腹開きと定説になっていし,たしかにその通りの習慣であるが,締め方に関しては築地で首切りがよくて関西ではいけない,なんてあたりがオモシロイと思う。

いずれにせよ,とにかく血抜きをするときに首の上半分をザックリと背骨ごと絶ち切り,放血が終わったら持ち上げて背骨の断面を見てほしい。背を上に持って,背骨の真ん中に骨髄が半透明に丸く見え,そこから腹側は,腹骨(アバラ骨)が両方に分かれている。骨髄のすぐ下に白い不透明の細い穴が見えるはずだ。これが神経の経路であって,ここに細い針金(ピアノ線など)を通すと,一瞬筋肉がビクビクッと震えて,神経通しは終了となる。ちなみに血管は,更にその下を背骨に沿って通っている。参考まで。
通す針金の太さが重要で,太すぎれば途中で引っかかってしまうし,細すぎれば十分に神経を壊すことができない。そのあたりを各自熟慮するべきで,何種類かの針金を持っていても悪くないではないか。ステンレス製なら錆びることもない。

ちなみに遠洋はえなわ船で,即殺・放血・神経通しを施したマグロは「シメシメマグロ」と呼ばれ,今日でこそ当たり前になったものの,この技術が導入された当初は新星のごとくもてはやされたものだ。“シメシメ”した証拠として,神経通しした針金ないし樹脂性の細い棒を,通したそのまま残して凍結し,付加価値を上げている船も見受けられる。

④ 温度管理
さて,ここまで終了したら,最後の詰めで気を抜いてはいけない。
ここで言う温度管理の目的は「即殺・放血したサカナを,その効果を最適に持続するため」であって,単にドンドン冷やせばいいというものではない。
一般的にサカナの鮮度というものは氷が維持するものと,半ば常識的に思われがちであるが,たしかに,こと活け締めの世界では,必ずしもそうではない。というところがオモシロイ。次に述べる“野締め”の場合は,氷を絶やすわけにはいかないが,活け締めの場合は,“氷の打ちすぎ”が致命傷となる。これについては過去ログ「スズキの臭み」でも少し述べた。思い出してほしいのは,活け締めが,硬直までの時間を長くして旨み成分を生成させるという点だ。氷は直接大量に用いると,筋肉収縮すなわち硬直を早めてしまう作用がある。せっかく活け締めしても,氷詰めにしてしまえば,これまた水の泡,ということになる。

そこでまず,
● サカナをあまり重ねないこと。
● 表面の乾燥を防ぐためビニールもしくは海水もしくは川水(サカナが棲んでいた水)を浸した濡れ新聞でサカナを包んだら,発泡箱ないしクーラーに横たえる。
● サカナの周辺に,散らばる程度の氷をころがしておく。氷で冷やすというより,ヒンヤリさせてあげる,というイメージ。

以上。
けして水氷に突っ込んだり,大量に氷を投じてはいけない。これをやれば,あっという間に硬直が起こり,活け締めによる本当の旨さは遠くなる,というわけだ。
そしてもうひとつ。
夏なのに氷が少なすぎて温度が上がってしまうと身割れが生じる。
ここのあたりの冷やし加減が,活け締めでは重要。我々ノンプロは,ときどき箱を開けてみて,氷がなくなりそうになっていたら,周囲にちょっと足す,ということでよしとする。

この温度管理は,これまで述べてきた①~③が“作業”であるのに対し,“マメなお世話”という感じです。愛してやって下さいまし。

たかが温度管理であるが,その技術は地域の名物をも産む。静岡県,特に浜松から御前崎にかけての「もちがつお」だ。魚屋や料理屋に「もちがつおアリマス」の幟が立つ。夏の初がつおの季節,当地の沖では曳き縄,すなわち疑似餌を使ったトローリングによるカツオ漁が盛んになる。通常,一本釣りなどで獲るカツオと言えば,すぐさま水氷に突っ込むところであるが,ここではこれを釣れた順に活け締めし,ほとんど氷を打たずに柔らかいマットの上に乗せて港まで持ち帰る。こうした温度管理をされたカツオの味わいは,死後硬直前の,厚めに切られ,ふっくらと箸に身を委ねる刺身をほおばると,つきたての餅を思わせるばかりの優しく口中に絡まる食感と甘みで,なかなかに,旨い。漁場が近く,かつ一次処理後の管理がしっかりされていないと実現しない味なのだ。

【“活け締め”と“野締め”の違い】
ところで“野ジメ”と言うと,自然死したサカナのことと言う方がおられるが,それは違う。活け締めが,生きたサカナに即殺処理を施す行為を指すのに対し,野締めとは,元来サカナが獲れた現場で即殺処理を施す行為を言う。これが原義であるが,今日の水産用語では,たとえばまき網などで大量にアジ・サバ・イワシなどを網で巻いて,いちいち活け締めしている余裕も時間もないので,生きているサカナを水氷に放り込んで殺すと同時に鮮度を維持すること,これを“野締め”,あるいは“ノジ”と呼んでいる。

このやり方だと,氷が安定して効いているうちは高鮮度を保つことができるが,氷が少なくなったり,逆に氷をあとから足して効き過ぎた場合,すなわち,「保存中に温度差が生じた場合」,その度に鮮度は低下してしまう欠点がある。従って,野締めでは,ひとたび生きたサカナを氷水に投入したら,そのままの温度を維持できるよう,ちょうどよい氷の足し方をしてやることが肝要となる。しかしこれがムズカシイから「ああ,ノジモンね」と言われてしまうのである。

そう言われたところで多獲性のアジ・サバ・イワシ・サンマなどではいたし方ないことでサカナのせいではない。漁法の問題なので,それでよしとすべきである。が,一尾一尾個別に扱うことのできるタイやヒラメなどの白身高級魚などは,これではいけないということだ。ノジということで格下の評価が下っても,努力不足・配慮不足ということであって,それまたいたしかたないことだ。

たとえば大分県の関アジ・サバがなぜあのようにあがめ奉られるかといえば,まず第一に,本来は野締めになってしまう運命の青ザカナを“活け締め”しているからだ。そしてそれ以前に,サカナに苦しみを与える時間を短くできる釣り漁業によること,サカナを針からはずすときや市場で扱うときも一切手を触れないこと,更に臭みの原因となる撒き餌を使用していない擬餌針釣りであることだ。

【“アガル”とは?】
活け締めにせよ,野締めにせよ,どちらも“締めてある”わけだ。しかし,その効果が失われる状況が時として生じる。
そこで“アガリ”という表現が登場する。これはアガリモンだな,とか,これはもうアガッてしまったな,などという使い方をする。

具体的にどういう状態かと言えば,市場にもよるが,
① 活け締めあるいは野締めを施したサカナの死後硬直が終了して柔らかくなってしまったもの,
② 漁獲された時点,あるいは漁獲後に常温で自然死したもの。
これらはいずれにしても,三枚におろしたときに身割れが生じたり,胃に残った餌が分解して臭みが生じたり,氷水にふやけて姿が悪かったりと,たいていいろいろな欠点が生じている。
これらをどのように扱うか。正直に伝えて安値をつけるのか,わからない客にはうまいこと言って押しつけてしまうのか,そのへんでその市場の“格”が出る。まあ,築地あたりでは“勝ち鬨橋を渡ったら,どんなウソでもついてよい”などと言われてはいるけれど。つまり,勉強不足でだまされる方が悪いのだ,という,これも一理あること。
一方,我々買い手ないし料理人としては,このようなサカナを目利きして妥当な値段で買い,欠点を克服してどのようにおいしく食べることができるかを考えることも,大切な勉強には違いない。一流店ではダメですけどね。

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【 究極の活け締め「天下の明石」 】
私が知る限り,魚のとり扱いに関する日本一の技術は,かの明石ダイや明石ダコで有名な「明石」にある。もっと正確に言えば,「明石浦漁協」にあるのでアル。既に述べた“活け締め”は,既に述べたような手法であるが,明石の場合は更に奥深く際限がない。魚扱いの奥義の殿堂であると言ってよいと思う。
その工程は次の三つに分かれる

① 活け越し
これは,漁師が獲ってきたサカナをそのまま活け締めするのではなく,海水を循環した水槽にフタをして真っ暗にし,その中で一昼夜,サカナを静養させる。こうすることによって,漁獲によって生じた筋肉中の疲労物質は分解されて正常な状態に戻り,胃や腸に残っていた餌の消化物は全て排泄されて,これが分解して臭みを生じることはなくなる。
一般的に底引き網などで漁獲されたサカナは活魚には適さないと言われているが,明石の場合は,「サカナは原則活けモノ」である。船上での扱いからして,違う,のである。そこに,この活け越しの技術が光る。

② 活け締め
既に述べたとおりであるが,明石では,長い歴史の中で培われ,かつ今日でも進化しつつある活け締め技術が,先輩から後輩に脈々と受け継がれており,しかもその技術の正確さと合理性には目を瞠るものがある。
たとえば明石では,即殺法ひとつにしても,魚種別にやり方が違う。魚種ごとに骨格も違えばサイズによっても違う。これはよく考えれば当然のことなのだが,それをきめこまかく使い分けているところがスゴイ。活け締めの項で説明した「神経抜き」にしても,既に述べたように,関西は首根っこを背骨ごとバッサリ切って神経抜きをするが,姿を大切にする関西ではこれはいけない。ではどうするかというと,たとえばタイ。即殺・放血ののち,シッポの脇からウロコの隙間を突いて頭の方へスッと針金を入れて,ウロコ一枚落とさずに神経を抜いてしまうのである。想像できますか?

③ 以上2つのタイミング
たとえば京都の吉兆,あるいは辻留などの料理屋からタイの注文があったとき,明石浦漁協では,明石から活け締めして送って,到着して料理されたときに最高の味が出るようなタイミングで,時間を逆算してサカナを締める。これはその時期のサカナの性質と味を知り尽くし,なおかつその時期の気温や気候をとらえていないとできない技だ。こうして最適の食べ頃となったタイの刺身は,それは“たまげる味”なのだ。身が活かっているのにしっとりし,透明感があり,うっすらと飴色がかった艶を呈する。肉は弾力があるものの,噛めばジワリと甘みを伝える。

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このように明石のヒミツを書いてしまってよいのか,ということについては,私は全く安心している。当の明石浦漁協にしても同じことを言うはずだ。なぜなら,仮にこれを読んだ人が明石流活け締めの真似をして商売しようとしても,到底ムリ,であることがわかりきっているからだ。明石のすごさは,単に活け締め技術だけではないからだ。

神戸で仕事をしていた当時,私は明石の魅力,これは四季折々変わる豊富なサカナの顔と味,サカナを徹底的に大切に扱う漁師の姿勢,これらを扱う明石浦漁協職員の努力と誇り,そのようにして扱ったサカナを必ず売ってみせる漁協の力量,時代に伴い消費者に薄れるサカナに対する愛着を取り戻す試み等々,これらに取り憑かれ,バイクで日参していた。いずれをとってみても,全国他漁協の追随を許さない。それほどの努力の歴史と,抱える前浜の豊かさがある。

とはいえ,最近は明石も楽観してもいられない。昨今の地球温暖化をはじめとする環境の大きな変化は,瀬戸内海にも着実に現れている。しかしその中にあっても,過去も,今も,これからも,必ず何らかの活路を見いだしてきたし,見いだしていくのが明石浦漁協であると信ずる。私にとって,明石は日本魚食文化のかなめであり、まさに道場であった。

旨いサカナの魅力に取り憑かれた皆様。機会あらば,明石に行かれよ。それぞれの“視点のレベル”に見合ったすごさを,明石は見せてくれる。

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サカナを釣るのに執心するのもいいが,どんなサカナでも旨くすることを考えてほしい。
遊びやゲームで釣る世界はいかにも子供じみていているし,私にはよくわからない。が、あるいは猫が食わないネズミを殺すことと同じなのかもしれない。

しかし、やはり釣りは、“生きた食べ物”を獲ることでありたいと私は思う。
でなければ,何のために他のいのちを苦しませ,あるいは殺したりするのか,理由がみつからない。  

Posted by ウエカツ水産 at 00:23Comments(3)釣・料理・水産

2007年07月25日

アカミズ三昧

アカミズを知る人が表題を聞けば,アカミズを?三昧?そりゃケシカラン,となるでしょうな。釣る意味でも,食う意味でも。それほどに“宝石のような”高級魚だ。
そのようなサカナを存分に食う,というような状況も,長い人生たまにはあるのだなあ,というのが今回のお話。すみません。

こちら山陰で言うこところの“アカミズ”とは,標準和名を「キジハタ」,瀬戸内海の名を“アコウ”という。周年釣れなくはないが,梅雨が過ぎて暑くなる頃に活発化して旨くなる夏の魚である。内海であれ日本海であれ,その肉は極めて上品な甘みをたたえた「根魚白身界の帝王」であることに変わりはなく,瀬戸内海などでは狙ったところでなかなか釣れぬ幻(?)に近いサカナであるし,山陰では魚影が比較的濃いとはいえ,最近のワーム釣りブームで小型が数釣れることはあっても,キロ超えが数まとまって釣れることはありえないであろう。現に,一本釣りや延縄でがんばる職漁師でさえ,アカミズは混じることはあっても狙い釣りはありえん,と言うのである。

さて,私の少し年上の友人で,ベニズワイガニを“かご”で獲る,いわゆる“カニカゴ漁業”の船主を境港でやっているヒトがいる。このヒトは,島根半島笠浦の出であり,幼少のころからさまざまなサカナを追いかけて成長し,長じて漁労長となり,今では100余トンのカニカゴ船「第78漁徳丸」の船主なのであるが,このヒトは,根っからサカナを獲るのが好きな“漁り人”(←読めるかな?2つ読み方アリ)だ。

ひとくちに漁村の出で漁師をしているといっても,漁師誰もがどっぷりサカナ好きかといえば,そうとは限らず,一般的にはむしろその逆だ。オカに上がればパチンコばかりしている者もいれば,ネーちゃんのいるところへ出かけてセッセと金を使う者もおり,そもそも趣味の少ない漁師連中の中にあって,本業以外までサカナを追いかけるこのヒトのようなケースは,意外と少ない。

これは,料理人が,仕事を離れれば普段はあまり自分で作っては食わない,などと言うのと似ているかもしれないが,そんな料理人は意外と本業もたいしたことないものだ。料理人は人生を貫いて料理を作り自らも食い続けてこそ進歩大成するのであって,漁師もまた然り。本当に上手な漁師は,日常もサカナを追う感覚を忘れない。漁村に育ったからといって漁師の血が流れているわけではない。本当にサカナを狩るセンスが体に染みついている者を,結果として「漁師」と呼ぶのだ。そういう意味で,今は漁師も料理人もピンキリだ。

友人「長崎さん」は,そのような中でも稀な,本当の漁師のうちの一人だと思う。かつてカニカゴ船の漁労長をしていた頃,自身の出所である笠浦に小船を持ち,ベニズワイガニの休漁期7~8月の2ヶ月間の釣りだけで120万円を毎年コンスタントに稼いだツワモノだ。しかも,アカミズだけで。水揚げのたびに周りの漁師がビックリ仰天して真似しようとするが,ムリ,であったという。そりゃそうだ。一本釣りだけでそれだけの水揚げをできるのであれば,年収約1千万。食っていけるどころか,セガレを大学にやっても,なお家が建つ。

今のところ長崎さんは船主業が主であって,魚釣りで稼ごうとは思っていない。カニカゴ漁船の経営のほか,境港の商店街でカニも売っている。が,やはりサカナ獲りから離れることができず,昨年,50馬力の船外機船を中古で買い,しばらくやめていたアカミズ釣りを再開した。そして今年,「ワシのウデを見せてあげーけん,たまには行かんかや」ということで,誘われ行ってきたのである。

長崎さんの漁場は笠浦沖から西は多古鼻,東は片句沖までの狭い範囲だ。行動範囲が狭くても,その中を徹底的に深く探求しているが故に,それで十分獲れる。従って遠出の必要がない。これは,私の漁場開拓にも共通するところがある。より経費がかからない範囲でスキマを釣る。合理性と経済性を追求すると,おのずからこうなる。

共に出漁する一週間前,長崎さんは今年最初の試験操業の成果を見せてくれた。夕方の1時間半でアカミズの2キロ級3尾,800g前後が4尾,ボッカ(カサゴ)の500g前後が5~6尾。一人での釣果だ。なかなかヤル。

前夜,私は,期せずして,まだ見ぬヨロコビに目が冴えた。その期待は,見せられた釣果に対してではなく,そのような釣果を確実に獲ってみせる長崎さんと共に釣りをできることに対して。

最後にこのような思いをしたのはいつだったろうか。漁師稼業を去って十数年,学生のころ,初めて漁船に乗って働いたときの前夜を思い出した。

いくつになっても胸膨らむ想いを乗せられる対象があるのは,いいものだ。
それを,どれだけ,いつまで,持ち続けられるか。それが人生の“輝き”というものなのかもしれない。

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さて当日,出港して漁場に着いたのが朝6時。周りには既にポツポツと釣り漁船やプレジャー船が見えるが,皆,錨をおろして釣っている。各船とも竿はほとんど曲がっていない様子。さてさて。

長崎さんの釣りは,位置測定のためのGPSプロッターをほとんど使わない。全て2点ないし3点の陸の景色を記憶して船位を決める“山立て”による,昔ながらの方法だ。そして漁場に着くと,錨は打たず,エンジンのスロットルと舵を握りながら,ひたすら魚探とニラメッコとなる。まず海底の微妙な形状がカギなのだ。アカミズが潜む海底地形をピンポイントで探す。
そうして探し当てたポイント(=“穴”あるいは“山”)をいくつ持っているかが釣果を左右するのであって,長崎さんはそのような自分の穴を100ほども持っているという。

餌は前日に釣っておいた小アジ。2本針,錘30号の胴突き仕掛けだ。
長崎さんは3.2mの固い振り出し投げ竿に,PEライン5号を巻いた大きな投げ釣り用スピニングリール。これで,合わせと同時にグイグイとアカミズをスバヤク根から離し,ゴリゴリ揚げてしまう。数を獲るための合理的な道具立てだ。

片や私は10~50号まで背負える全調子の細手のチューブラ2.1mに,PEライン2号を巻いたバス釣り用の小型両軸受けリール。波の動揺を消し,食わせを重視。かつ錘が根に触れるのを感知して微調整できる繊細な道具立てだ。
これまで陸からのワーム釣りで釣れてくるアカミズの35cmまではメバル竿にフロロ4lbで十分獲ってきたので,強度的には不安はない。要は竿の弾力を活かしきれるかどうかにかかっている。

ちなみに私が主に使っているメバル竿は「根魚権蔵チタン8.1ft」であり,チューブラ全調子でかなりペナペナしているが,イザというときの“腰”,にかなりの信頼を置いている。「全調子では根に潜られませんか」と言う人がいるし,かつては私もそうではないかと思っていたが,それは掛けてから次の瞬間のリールの巻き方と竿の操作を合わせることでカバーできる。あとは,そこそこのレベルの竿であれば,竿がサカナを浮かしてくれる。また,そうしてくれない竿ではダメなのだ。この竿とレブロスの2500番の組み合わせで,スズキ70㎝程度なら楽に獲れる。

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出港まもなく小手調べで始めた近場から,いきなりアカミズとカサゴが連発し,その後,場所を変えるたびに食うこと食うこと。底ではアカミズやらカサゴやらが,口をあけて待っているのではないか,と思うほど安易に釣れる。アカミズは全て1キロ前後,カサゴは20~30cmといったところ。潮が悪くなるとオコゼやマトウダイやらが顔を出したが,場所をちょっと変わればまたアカミズだ。ひとわたり釣ったところで,長崎船頭いわく,“ウエちゃん,これの親玉がおるとこに連れてくけん”といって少し走り,そこでは予定通り2キロ級が2尾出た。

結局,餌がなくなる昼前までに,全部で2キロ大を2尾に1キロ前後を18尾,ホンカナ(マハタ)が2尾,カサゴは多数。これにはたまげた。世間並みで言えば大漁も大漁,水揚げ金額にして活魚であれば10万円近い。筋金入りの漁師の実力とはこういうものかと思い知らされた。彼の,サカナを追跡する姿勢とそこから出る結果には,驚嘆を通り越し,ただ感動あるのみ。

ただし,このような漁師は,私が知る限り,島根から石川県まで7府県を歩いてみても聞いたことがない。おそらく山陰ナンバー1だと思う。しかもこれが今は本業ではないというのだから,これまた・・・。その上,これだけ釣っても「今日は潮が悪かったしサカナがこまい。またこんど釣らせるけん」と渋い顔なのだから恐れ入る。大きいアカミズとは3キロ越えを言うのだそうだ。3キロ数本に2キロ級が10ばかりも混じればまずまずだけど,なんてことを平気で言う。

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この日の釣りを振り返ってみてアカミズについて思うことは,けして釣ることがそれほどおもしろいサカナではない,ということだ。実際に潜って観察するとわかることだが,彼らは自分の穴を中心に縄張りをもっているので,潮が動いていてその範囲内に餌ないしルアーを落とすことができればほぼ確実に食う。その穴から釣ってしまっても,しばらくすると次のアカミズが入る。先述した“持ち穴の数が勝負どころ”というのは,ここだ。

従って船のアカミズ釣りの場合,そのピンポイントに船を持っていく船頭の技術が9割を占め,釣り手の技術は残り1割だ。根掛かりをうまく避けつつ,食わせてから穴に入らぬよう最初にうまく引き剥がすことができれば,あとはゴンゴンと重く竿を叩くのみ。最後まで抵抗することは少なく,水面に釣り上がってしまえばほとんど暴れない。更に船上に横たわればおとなしいものだ。 “根”に依存して生活しているだけに,とにかく“根”から引き離されると意外なまでに情けない。アカミズに限らず,ハタ類は全てそうだ。

そういうわけだから,竿は堅く強い必要はない。むしろ柔軟で食い込みが良く,しかし掛かったあと根に引きずり込むのを阻止できる粘り腰がある竿がよいとみた。そういう意味では今回の道具立ては的を得ていたと言ってよいであろう。軟・硬両方試してみたが,先調子や堅い竿では波の動揺を消すことができずに警戒心を与え,従って,アタリ始めてから離してしまうことも多い。ここに差が出る。また,ハリスの太さは思いのほか影響があるようだ。これはアカミズに対してというより,餌の動きを左右するという意味で。5号と6号のフロロを使ってみたが,わずか1号差にもかかわらず,アタリの回数では断然5号に分があった。

引きの強さという点では,今回,水面付近までドラグを引き出すような引き方をしたのは2キロ級だけであり,このときは上針に2キロ,下針に1キロのアカミズが掛かっていた。結局,釣り自体の味わいとしては,小さくても日ごろ追っかけているメバルの方が断然おもしろい。ただ,なんといってもアカミズの食味には捨てがたいものがある。それどころか,山陰のサカナの中では,ノドクロ(アカムツ)を超える高級魚である。これは味の真価を追求しないわけにはいくまい。

沖上がり後,長崎さんが,アカミズは刺身以外にどんな食い方があるだろうか,と言うので,それでは今夜ウチにおいでませとお誘いし,いくつか作ってみた。
なにせ,アカミズもカサゴも売るほどある。急遽,松江から当ブログの大家さんである釣り天狗兄弟とノリちゃんも呼び寄せて,総勢7名の“アカミズの宴”と相成った。

さてその内容をご紹介すると・・・,

一, 造り
二, 昆布締め
三, 焼きちり
四, カルパッチョ
五, 塩焼き(カサゴ)
六, 野菜蒸し
七, アカミズ飯

今回は,アカミズの「可能性」というよりは「真価」を探ることが目的であるため,いずれの料理もほとんど手を加えず,加えるとしても日本,あるいは外国の古来よりある調理法を基本とし,あくまでも素材の味を尊重するかたちにとどめた。
以下,詳細を書いてみよう。

一,【アカミズの造り】
アカミズは,白身の肉に独特の甘味と,淡泊なようで舌にうっすらと良くなじむ脂を乗せている。その上なんといっても,肉の腰が秀逸である。その点,1~2㎏の太めのものが特によい。
当然ながら,釣り上げたものをイケスで餌吐きさせ,しかる後に即殺・放血,すなわち“活け締め”とし,濡れ新聞にくるんで氷をあまり打たずにおく。こうしておけば,身が白く濁らず,刺身にしても美しい半透明に保たれる。
洗いにするのであれば,硬直が起こる前に薄くそぎ切りして氷水にさらせばよい(過去ログ「スズキの臭味」参照)。

タイやヒラメなど多くの上級白身魚で共通していることだが,アカミズも刺身として旨いタイミングは2度ある。

一回目は硬直が起こりかけのときで,上手に締められた身であれば,刺身にひくときヒリヒリっと心地よい微振動が刃先に伝わる。三枚におろし,皮をひいて背・腹のサクに分けたら,体の表側を下にして,尾のほうからそぎ切っていく。薄造りや洗いのときより若干厚めがよい。目安としては,身を包丁で削ぐとき,かすかに刀身が透けて見える程度。厚さにして4~5㎜。1枚ごとにナナメに寝かせた引き包丁で切っていくが,毎回最後の一皮分を包丁を立ててクッと押し切ってやると,並べたときにカドがきれいに立って凛々しく映える。噛み下すと,身が口の中で踊り,やがて切れのいい甘味と脂が伝わってくる。

二回目は,硬直が続いて終わりかけの頃で,肉は若干軟らかくなっているが,旨味は断然増している。じわりと甘く,しっとりと歯に絡む。これは,活け締めした1㎏前後であれば2日,2㎏前後であれば3日,きれいに下処理したアカミズをペーパーでくるみ,ラップをして冷蔵庫で寝かせる。これを造るときは,一回目の場合より若干包丁を立てた少し小さいそぎ切りとし,厚さは7~8㎜程度と少し厚め。“ポッテリと”切りつける。
書いてしまえばわずかな手法の差ではあるが,これが,味のバランスに出るのである。割烹の“割”すなわち包丁技術は,このようなところにその意味を見出すことができる。お試しあれ。

合わせるのはワサビ,そして,できれば甘くない上質の醤油がよい。たまり醤油や刺身醤油はアカミズの甘味を殺す。


二,【アカミズの昆布締め】
素の味を刺身で味わったら,少し手を加えてみる。
白身で定番の「昆布締め」であるが,これについては,“昆布締めの味に2極あり”,と申し上げたい。漬け物に例えるならば“浅漬け”と“古漬け”だ。2極というのは両の極端であって,実はその中間は味覚上中途半端でツマラナイのである。諸説あるにせよ,私はこう思う。さてその内容とは,,,

●浅漬け
①サクにとったアカミズは,5㎜程度のそぎ切りにしておく。
②できれば利尻昆布,なければ他の昆布を酢にくぐらせてから拭きとり,柔らかくしておく。酢で拭くことによって,身を締めると同時に,昆布のヌメリを除くことができる
③昆布の上に,アカミズの刺身を,半分ずつ重なるようウロコ状に並べていく。
④びっしり並べ終わったら,手の平を水で湿らし,そこに薄く粗塩をなすりつけ,並べた刺身の表面をまんべんなく軽く叩いてやる。こうすることによって,均一かつほどよい塩分が片面のみに回り,ちょうどよく身が締まる。塩の当て方と加減については,職人であれば振り塩を当てるところであろうが,我々ノンプロはこのやり方のほうがうまくいく。
⑤塩を当て終わった上から,もう一枚,同様に柔らかくしておいた昆布をかぶせ,これをラップで包み,砥石などの重しを乗せて冷蔵庫で15分。
⑥上側の昆布をはずし,このまま皿に乗せればよい。

この程度の浅漬けだと,昆布の風味と旨味がうっすらと身に移った加減となり,アカミズの旨味の邪魔をせずに盛り立ててくれる。これは,醤油は使わずワサビだけで食べるのがよい。

ところで,寝かせる時間をこれ以上かけると,こんどは“昆布風味”が“昆布臭さ”に変わり,昆布の“旨味”が“嫌み”となってアカミズの味を殺してしまう。
そう言う点では,ヒラメにせよタイにせよ,世の多くの昆布締めは寝かせ過ぎであると思う。

そこで,どうせ昆布味になるのなら徹底的にやってしまうと,これはこれで別物として味わえるからオモシロイ。これが古漬けだ。

●古漬け
①浅漬けの作り方の①から⑤まで同様。
②押しをかけて寝かせる時間を丸一日以上とする。そうすると,身はベッコウ色に透き通ってくる。これを昆布からはがし,皿に盛る。

こうすると,こんどは味の主役が魚から昆布へと変換する。これは,魚肉を媒体として昆布の旨味を味わう昆布締め,というわけだ。これは,ワサビよりも和辛子が合う。これも醤油は用いない。ビールでやるなら,ゴマ油に先っちょを浸して食うのもオツだ。

ただし,アカミズで古漬けをやるのは,もったいない。余れば別の話だが。
せいぜいイシガレイとか,スズキ,イシモチなどの,ワンランク下の白身でツマミ作りと割り切ってやるのが妥当と思う。


三,【アカミズの焼きちり】
「焼きちり」とはなんぞや?というとき,すぐに思い出す「ちり鍋」。これは身を熱い鍋に投じたときにチリッとそっくりかえって弾力が増す様を言ったものだ。
従って,焼きちりとは,生の魚肉を焼いてチリッとさせたものを指す。チリッというからには,さっと火を通し中身は生であることが前提。そして,身の固い,鮮度のよい白身の魚でなければチリッとはならない。それでは,カツオのタタキやチヌおよびグレなどの「焼き切り」はどうなのかといえば,これはチリッではないから,焼きちりにはあたらない,ということになる。
この料理は,鮮度のよいアカミズやその他のハタ類でやると最高だ。鮮度のよいマゴチやタイでもよろしい。では作り方を。

①まず氷水を用意しておく。
②サクに切って皮をひかないアカミズを,幅1.5㎝,長さ3センチ程度にずんぐり切り分け,皮を上にして,わずかに間隔をあけて耐熱皿もしくは焼き網の上に並べておく。
③簡易バーナーで皮側から火を当てるが,アカミズの皮は固いので,火の先端から少し話した距離で,皮目の脂がジリッと音を立てるまで炙ってやる。バーナーがないときは,切り身を串に刺して,皮側からガスレンジの強火で炙る。焼き加減は同様。
④すぐさま氷水に放ちあら熱をとる。
⑤ザルに上げ,フキンにくるんで軽く叩くように水気をとり,盛りつけて冷蔵庫で冷やす。

これは,洗いと並ぶ,まさに夏の一品。カイワレ大根や千切りキュウリなどを合わせ,ポン酢でやる。同じく表面だけに熱を通す「湯引き」があり,こちらも涼しげではあるが,焼きちりは,皮目の香ばしさと弾力の強い白身の合わせ技で,カラリと旨い。


四,【アカミズのカルパッチョ】
既に当家過去ログ「カルパッチョについて,ひとこと」で,本来のカルパッチョがどのようなものであるかを述べた。あらためてポイントを書いておく。

①三枚におろしサクにとったアカミズは,皮をひき,たっぷりの粗塩をまぶして皿に置く
②水分が滲出してきたら,手早く流水で塩を洗い流し,フキンで水気をよくとっておく。
③皿に,水でさらしたスライスタマネギを敷き,その上に薄くそぎ切りにした切り身を重ねずにまんべんなく乗せていく。魚の厚さは,3~4㎜程度と薄くする。
④黒コショウを挽き,身の上にまんべんなく振ったあと,ライムもしくはレモンの汁を細くまんべんなくたらしかける。
⑤ここでは彩りと夏のほろ苦みを補うために,極薄く輪切りにスライスして水でさらした緑のピーマンを散らした。
⑥最後にバージンオリーブ油を細く全体にかけまわし,これを冷蔵庫で冷やす。

過去ログでも申し上げたが,とにかく塩でちゃんと締めること,そして,調味料をかける順番を間違わないことが肝要。少なくともカルパッチョは,刺身にドレッシングみたいなものをかけただけの料理ではない。先人の知恵が詰まった郷土料理である。


五,【カサゴの塩焼き】
アカミズではないが,釣りボッカ(カサゴ)がある以上,これだけは欠かせない料理だと,今は思っている。
“今は”,というのは,長崎の出である私は,ついこのあいだまで,アラカブ(カサゴ)=味噌汁,という構図を完全に信奉しており,いつでもどこでも常にそれに忠実であった。煮付け,唐揚げなどはカサゴの味として格下であった。

なにせ,長崎では,カサゴの尾頭付き味噌汁専用の広口大型の塗り椀が存在するくらいだ。祝いだろうが法事だろうが,これでアラカブの味噌汁が出てくるのであり,ちゃんとしたアラカブ汁を出さないと,“あン家の法事のアラカブ汁はウマかったとバッテン,今日ンとはマズかのう”,とかなんとか,陰口をささやかれるのである。

が,昨年,当家ブログ大家の釣り天狗兄弟にカサゴの塩焼きが旨いと聞いて,試しにやってみたところ,これにはビックリ仰天しましたね! 
焼くときの匂いといい,香ばしく新鮮な身と皮のはじけた旨さといい,ヒレ際や頭の肉の各部位の歯ごたえ・甘味といい,野趣に富んだ味わいに,引きずり込まれる思いがしたものだ。今まで吸ってきたカサゴの味噌汁も当然旨かったのであるが,これまで食ったカサゴの数の半分くらいは,過去に戻って塩焼きで食いたかったと,少しだけ思った。
それほどいい。

総合点の高いカサゴの塩焼きであるが,その詳細を述べると,わずか20㎝やそこらの小柄な体の中に,次に掲げる様々な美味を秘めている。
①背肉
②腹肉
③尾肉
④各ヒレ際の肉
⑤こんがり焼けた各ヒレ

これらを全て食べ尽くしナメ尽くしたら,頭を持って腹側を上にして,

⑥背骨に沿ってついているむっちりした浮き袋
⑦背骨と頭をつなぐ,首を動かす細長い筋肉2本(これがカサゴの身の中で最も旨い)
⑧目の裏側にある動眼筋2片(これがカサゴの身の中で最も歯ごたえがよい)
⑨目
⑩脳みそ(背骨をはずした頭から吸い出す)
⑪ほお肉およびその周辺
⑫唇
⑬舌

ね,スゴイでしょう?それぞれのパーツが全部味が違う。
更に,これらを全て味わい尽くしたら,全ての残骸を椀に入れて熱湯を注ぎ,アラを箸で突きほぐし、しばし待つ。これに薄口醤油数滴をたらしてズーッと吸って,完了,となるのである。
以前ご紹介したノドグロの塩焼きとは別の意味で,こんな塩焼き,ほかにありませんよ。

①カサゴは大きすぎるとやはり身がゆるくなるので,20㎝前後がよい。体側に肩から尻ビレにかけて背骨に到達する包丁を入れ,あらかじめ薄く塩をまぶして暫く置く。このときに,のど元から腹の中までも塩を当てることが大切。要は,全体に,塩をまわしてやることが肝要。
②目が塩分でうっすらと白くなったところであらためて各ヒレに化粧塩を施し,身の両面にも軽く塩を振る。このときの塩の振り方は,湿った手に付着した塩を,指をパッパッと開いて飛び散る程度,これでよい。
③まず,背を向こうに頭は左,つまり表側をちょっと焼く。そうすると,釣った当日のカサゴであれば,グリルの中で上方に反り返りはじめるので,すかさずひっくり返す。そして7割焼き,表に戻して3割を焼き上げる。

コツはこんなところ。反り返るのをそのままにしておくと,ひっくり返せなくなるのです。これは高鮮度の証であるわけですが,ちょっと困る。


六,【アカミズの野菜蒸し】
香港および上海あたりで,何が高級海鮮料理かといえば,アカミズを含むハタ類の蒸しもの,これに尽きます。清蒸(チンジャオ)という料理で,白髪ネギや香草と共に,塩と老酒少々で蒸し上げる。これにはイセエビやワタリガニ,その他の魚をはるかに凌ぐ値段がついている。イケスに泳がせてあるアカミズを指名(?)すると,彼は料理人の手によって速やかに拉致され,下処理され,速やかに蒸されて出てくる。万事が速やか,なのである。
過去ログで書いたかもしれないが,本格の中華料理店には,この蒸し魚専門の職人がおり,最上級の給料が与えられているという。魚のサイズ,脂の乗り,時期,肉質などをグッとにらんで見極め,1分と違わずピタリと最適な蒸し加減に仕上げる。横浜あたりには,いるのですね,こういう4000年の歴史を感じさせるそのような料理人が。

では我々家庭人がやる場合,いくら活け締めしたところで活魚にはかなうべくもない。それならいっそ,たっぷりの野菜の力を借りて,そしてアカミズの旨味も野菜に吸ってもらって,家庭的で豊かな一品に仕上げようというわけだ。

ところで,大きなサカナを蒸すときに,ウチには蒸し器もないし,大きな皿もない,と諦めていないだろうか。いい方法がありますヨ。

番外【蒸し器がなくても蒸す方法】
①アルミホイル4枚を同大に切り,重ねる。
②四辺のうち一辺を2㎝ほど折る。折った部分を更に半分に折る,そして更に半分に。これで,重ね折りした部分は5㎜ほどになっているはず。
③ここでアルミホイルを左右2枚ずつに広げ,真ん中の折った部分をキッチリ押して平らにすると,アルミホイル2枚重ねの大きなシートができあがる。
④この両端を絞って,舟状に整形する。これにサカナなどを入れ,大きなフタつきフライパンに半分ほど水を沸騰させ,舟をそこに浮かせてフタをすれば,立派に蒸すことができる。
⑤大皿に乗せかえる場合は、ホイルのまま乗せ、ホイルの中央付近に切れ目を入れ、そこから両端を引っぱるように破ってホイルだけ抜けば(コンビニの握り飯で、ビニールをぎゅっと引くと、海苔とご飯が一緒になる、あの感じ)、サカナは崩れずそのままの姿で大皿に残る、という次第。

さて,蒸す道具の問題もクリアしたところで,野菜蒸しの作り方だ。

①野菜は,ニンジンは千切り,細ネギ・エノキは5㎝,シメジはばらし,これらをボウルの中で,少量の塩を振って混ぜておく。
②アカミズはウロコをとり,頭つきのままエラ・腹を除き,全体の水気をよく拭いておく。
③アカミズの体側に両面とも3カ所,背骨に到達する程度の包丁を入れ,全体に塩をまぶして30分置く。若干強めに塩をしてよい。
④アルミホイルで作った舟に野菜を少し敷き,口や腹に野菜を詰め入れたアカミズを寝かせ,その上に更に野菜をかぶせる。最後に少量のサラダ油をアカミズにかけてやる。
⑤フライパンに3㎝ほどの水を沸かし,舟を入れフタをする。そのまま強火で15分程度蒸し上げる。フライパンの水が少なくなくなったら足せばよい。包丁目の間から骨が見えたら完成。

アカミズに入れる包丁目は,火の通りをよくすることと,食べるときに肉をとりわけやすくすることが目的だ。
この料理のポイントは,酒を使わないこと,そして,野菜とサカナの塩加減を,出来上がりを想像して調節することにある。
この料理も,おわかりと思うが,和・洋・中,自在である。過去ログ「塩煮の世界」を参考とされたし。


七,【アカミズ飯】
一般的に知られているサカナの飯といえば、マダイを使った「タイ飯」だが,これには2タイプある。
瀬戸内海中西部を中心とした漁師料理であるタイ飯は,海水で研いだ米を硬めに水加減し,下処理したタイを丸ごと入れて炊き込んだもの。タイをあらかじめ焼いてから入れる場合もあるが,これは漁師料理を陸上でやるようになってからのこと。炊き上がったら,骨を取り除いて身だけを飯に混ぜ込む。マダイのほかに,クロダイやキダイでやる地方もある。

もうひとつは愛媛県の豊後水道に面した宇和島周辺におけるタイ飯で,これは刺身状に切ったサカナを薬味と共に醤油ベースの下地に漬けた,ヅケの一種である。これを飯に乗せて食う。豊後水道エリアの各県にはサカナのヅケでを食う文化が広がっており,たとえば大分県佐賀関では,醤油とミリンを合わせて刻みネギとすりゴマ,唐辛子を混ぜた下地にサバの刺身を漬けたものを「リュウキュウ」というし,大分と愛媛の中間にある日振島では,アジなどの青魚を薬味と共にヅケにしてご飯の上に乗せ,卵の黄身を落としたものを「日向(ひゅうが)飯」と呼んでいる。これは宇和島水軍の食習慣の名残だ。

更に宇和島中南部に下ると,そこで「タイ飯」となる。原理は同じで,要は,「その土地でなじみの深いサカナを刺身に切って,薬味と共に醤油地に漬け込み,それで飯を食う習慣」が,豊後水道には根強いということだ。
ついでながら,同じ愛媛県内でも,豊後水道側ではヅケ飯のことだが,瀬戸内海に面した今治あたりでタイ飯といえば炊き込みになる。このへんの分水嶺がどこにあるかは定かでないが,やはり食習慣というものは,その風土・生活から発生し,伝播して形成される。

ともあれ,ここでは宇和島流の「アカミズ飯」だ。しかし言葉の響きがマズそうですな。瀬戸内海の呼称で「アコウ飯」のほうが,何やらうまそうに聞こえるが,瀬戸内海に斯様な食い方はない。もっとも,高級なアカミズをヅケで食うなんて人は,おそらくおらんでしょう。

名称はどうでもいいが,とにかく旨い。当然,タイやヒラメのヅケにはない白身の旨さがある。アカミズが手に入らなければ,ほかのハタ類でもやる価値アリだ。では作り方を。

①アカミズは皮をひき、サクにとり,5㎜程度のそぎ切りにしておく。
②ボウルに入れた醤油に徐々にミリンを加えていき,塩辛さの“カド”がとれる瞬間で加えるのをやめる。甘すぎれば身の味を損なうし、足りなければ塩がきつい。
③下地に大葉を刻み入れ,そこにすりゴマ(白)を,ドロッとするくらい多めに加えて混ぜておく。
④この中にアカミズを投入してざっくり和え,暫くののちに,これを熱い白飯の上に敷き詰める。

これだけです。
アカミズ自体が大変味の深いサカナなので,“リュウキュウ”のようなネギも,“日向飯”のような卵も加えない。下地はシンプルでよい。薬味は大葉だけ。欠かせないのはすりゴマ。

ヅケが残ったら,翌朝,ワサビを添えて茶漬けにするのがいい。一日の始まりとしては気持ちがよいものだ。

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さて,この日に作らなかった料理で気になるものがある。
お集まりの皆様が,既に満腹してしまったから作れなかったわけで,残った骨・頭,すなわちアラを使った料理を少し書いておく。

【塩煮,およびマース煮】
いずれも適する。調理方法については過去ログ「塩煮の世界」および「もうひとつの塩煮」を参照されたし。これはアラのみならず,一尾づけでやっても当然おいしい。

【煮付け】
一尾をまるまる煮付けてしまうと,意外と月並みな味だ。残りアラでやるのはよい。
鍋に酒と水を半々で割って沸騰させ,ミリン少々を加えて際沸騰したらアラを投入。火が通ったら,3回くらいに分けて醤油を加えていく。

【酒蒸し】
これも残りアラでやるのがよい。頭は半割し,背骨は適当に切り分け,塩をして暫く置く。鍋に酒を2㎝くらい注いで強火にかけ,沸騰し始めたらアラを投入してフタをする。煮立つ泡がアラをかぶるくらいに火加減し,10分でできあがる。
これは熱いうちにポン酢をかけまわし、刻みネギで食うのがよい。

【焼き】
頭を半割して塩をあて,しばらく置いてから焼く。
頭まわりの肉は,特に弾力に富み,かつ歯切れ良く,さっぱりとした味だ。
今回はカサゴを焼いたが,この代わりに出してもよかろう。

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やはりアカミズは,体の隅々まで,真の実力者だと思う。値段が高いだけのことはある。実は,内臓や皮まで,捨てるところがない。これらはアラと共に煮付けにするのがいい。けして捨ててはいけない。捨てるのは,結局ウロコとエラだけだ。

このたびのアカミズの宴は,延々5時間に及んだ。
使用したアカミズは2キロ級1尾,1キロ級5尾,800グラム級2尾。あとはカサゴを7尾。
残りのアカミズは皆で分けて持ち帰った。

山陰の海では,こんなことも,たまには,ある。
今年の夏も暑くなりそうだ。うっとうしいスズキの野郎はとりあえず置いといて,沖でアカミズとじっくりつき合うのもよい。
  

Posted by ウエカツ水産 at 17:50Comments(8)釣・料理

2007年07月13日

梅雨の真水を、飲むサカナ

本年初夏の雨不足を反省したのか,このところ天もドシドシ雨を注ぎ,九州などではいささかやりすぎ。過ぎタルは及ばざるどころか,被害が及び過ぎで困っている。

ここ境港も雨続きで釣行のタイミングを逃し気味。こんな状況の中,やはりいかにコンスタントにオカズを確保するか,が重要課題。我が家のサカナ在庫はチヌ半身とメバル3尾であったが,昨夜は松江の釣天狗兄弟の訪問があり,全て食ってしまった。もうこれは出漁せざるをえない。サカナ在庫がないこと自体,我が家では由々しきことなのだ。

ところで余談になりますが,前回「末期のサカナ」と書いた表題を「マッキノサカナ?」と読んだ人が,びっくりするくらい結構いた。「マツゴ」のサカナですね,念のため。まさか今回も「梅雨」を「バイウ」などと読む人はサスガにいないとは思うが,念のため。けして間違いとは言えないが,やはり言葉も状況によって適正表音がある,ということで・・・。

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さて本題。
“○○は梅雨の水を飲んで旨くなる”という言い習わしは,全国各地,特に関東以西の沿岸で聞くことができる。○○,は当然サカナであり,カレイであったり,タコであったり,キスであったり,アナゴであったり,シャコであったり,イサキやメバルなどなど,探せばもっとあると思う。いったいどういう意味なのであろうか。単によく釣れる時期を言っているとも思えない。たしかに,ここに掲げたサカナ達は,梅雨の雨が降るごとに,なぜか旨味を増す感じがするし,脂を乗せてくる。成長もいい。

 数ヶ月も前になると思うが,国営放送が「富山湾」の豊饒さの謎を科学的に追跡したドキュメンタリーを発表し,何らかの賞に輝いたと記憶している。その中で,急峻な能登半島の豊かな森林が蓄える地下水が,川や井戸のみならず沿岸の海底からユラユラと湧き出ており,周囲にカレイなどの底棲魚類が蝟集して餌をとっている光景が報じられた。いわく,この真水が魚族を涵養するということであった。

「城下(しろした)カレイ」で有名な,大分県瀬戸内海側のマコガレイも同じ理屈で説明されており,沿海に臨む日出(ひじ)町は暘谷(ようこく)城跡の前浜の海底に真水が湧き出ているがために,カレイの味が良いのだと言われている。その理由は明らかにされていないが,経験的になぜかそう言われている。

毎日のように海を見,釣りをしていると,晴天から転じて降雨し,雨が上がってその後どのように海が変化していき,サカナの所在や行動状況がどう変わるかといったこと,すなわち雨の海に対する影響が,なんとなくわかってくる。釣果にも影響が出るのでお気づきの方も多いと思う。

川釣り師であれば,水の出所に近いこともあって,もっとハッキリと認識している。釣りをしている現在地が晴天であっても,水温や濁りの変化で上流部の状態を推測し,また,熟練した釣り師は変化する状況に合わせて釣り場所と釣り方を変えてゆく。海の釣りではどうであろうか。

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最近もっぱら冷蔵庫がわりに通っているメバル・スズキ・キジハタ等の安定漁場の例で言うと,ドッと雨が降ると,少し遅れて笹濁りが始まるが,透明度があまり落ちない状態がしばらく続く。いわゆる“笹濁り”だ。この過程で一時的にサカナの活性が上がるタイミングがある。それを越えると,それまで釣れていた魚は移動し,あるいは沈滞し,索餌活性は低下する。そして,雨が止んだ翌日ないし数日後に,グッと濁って透明度が著しく低下し,サカナの活性は最低となり。その後更に晴天が続くと暫時透明度が戻り,サカナも通常の状態に戻る。

具体的な魚種で言えば,スズキなどは雨が降って濁り始めた頃,その後に来る強い濁りまでの間に特に激しく餌をとる。メバルやキジハタ,アジなどは,雨が続くに従って活性が低下し,グッと濁ったあとに透明度が復活する初期の頃に荒食いする。キスやカレイでは,濁りのピークを越えて透明度がかなり回復したあたりで盛んに口を使い始める。

よく観察してみると,濁り好きと言われるスズキにせよ,濁りのピークに濁りの中で釣れてくることは稀である。濁りと濁りの合間に釣れたり,濁りが生じたり消えたりする途中のどこかに,よく食ってくるタイミングがある。サカナの索餌行動と濁りに,何らかの因果関係があるには違いない。

まず視覚的に考えてみると,フィッシュイーターが追いかけ回すシラスなどの小型魚にとって,濁りは我が身を隠してくれるベールのように機能する反面,捕食者から見れば,餌に近づきやすくなる隠れ蓑にもなるわけだ。ただ,これも濁り過ぎれば餌を見つけにくいということになり,逆効果となる。
従って捕食者であるスズキやアジなどの活は,雨が降り始めてから濁りがピークになるまでの一時期,結構早い段階で高まるのは,そういうわけではないかと推測している。スズキは視覚的にちょうどよい濁りを利用して餌を効率よく取ろうとしている。

では,小魚を追いかけ回すわけではないカレイやキスやアナゴはどうであろうか。
これは生態系の中の栄養の流れを考えてみれば説明がつく。富山湾を思い出していただきたい。山から流れ出る川水や地下水には,様々なミネラル分が溶け込んでおり,海洋生産の基礎となる植物プランクトンが育つために不可欠な窒素,リン,カリウムといった成分も多く含まれる。降雨があれば,陸上から更に多くの栄養物質が洗い流され,河川を経て海へ流入する。

雨が降り始めても,土砂が混じらない限り,海水はあくまでも薄濁り程度であるが,濁りがピークになるのは,雨が止み,次の日照が続いたときだ。
すなわちこの濁りは,植物プランクトンが雨水に流された栄養物質を吸収し,太陽エネルギーを得て増殖した結果なのである。そして,増殖した植物プランクトンを動物プランクトンが捕食していくと,次第に水は澄んでくる。また,植物プランクトンが増殖のピークを越えて自然に死滅して沈殿すれば,彼らが吸収した栄養物質は,有機物として海底に帰る。

結果として動物プランクトンに形を変えた海の濁りは,イワシの稚魚であるシラスをはじめ,様々な小生物に補食されていき,更にこれらはより大きな生物に補食されていく。たとえばアジやメバルやスズキなど。
一方,植物プランクトンが死滅して海底に沈殿してできた栄養物質は,付着性の生物や貝類やゴカイの仲間などに消費され,これらもまた,より大きな生物に補食されていく。たとえばカレイやキスやクロダイなど。

冒頭に書いた,“サカナは梅雨の水を飲んで旨くなる”,の一件は,つまるところ,こういうわけではないかと思う。当然ながら、けして雨水を飲んで旨くなるわけではない。この表現は,あくまでも経験則であり比喩である。
梅雨のまとまった雨水によって栄養が海に供給され,食物連鎖によってそれが循環的に消費され,より高次な捕食者であるサカナの餌となる。結果,サカナが肥え,味が良くなってゆく。
逆に言えば,断続的な雨と比較的強い日照の両方が交互に得られる梅雨時期こそ,このようなことが起こりうるということだ。

ただし,これも,雨が運んだ陸の栄養を循環させる「健全な食物連鎖」があってこそだ。
干潟が消え,渚に道路が通り,磯がコンクリート護岸となりつつある現代の海において,連鎖を担う生物の種類も数も減っている。梅雨の水を飲んで旨くなるサカナのその旨さは,この説に照らせば明らかに質が落ちているはずだ。昔日の自然が存在した豊かな海の,梅雨のサカナの旨さは,いかばかりであったろうか。

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さて,ここ数日雨が続いた。今日は少し晴れ間も見えたが,濁り初めのチャンスを狙うには雨が続きすぎた。次の照りが来れば,グッと濁る。そのアトのひとチャンスで勝負だ。

既に述べたように,梅雨の雨による濁りはサカナにとって恵みの濁りだ。ただ,釣りによってサカナを追いかける我々としては,今見ている海の濁りが,どの段階の濁りなのかを前後の状況から見極め,食い気のあるサカナの所在を探すことが肝要となる。
濁りにチャンスあり。しかし,魚種によって濁りに対する行動や活性は異なる。狙うサカナが今の濁りに対してどこでどのようにしているのか,これを考え推測し,つかむことが安定したオカズ供給につながる。

この時期,メバルも相変わらず旨いのだが,何せこのところスズキがメキメキと味を上げている。特に40~50㎝くらいのがよい。栄養豊富な真水が育てたプランクトンを餌とする小イワシに脂が乗ってくるからであって,これを食べるスズキも当然良くなる。体高も幅も広くなり,風味のある脂が乗り,なんといっても塩焼きが最高に旨い。旨いのだから,この時期は,けして“またスズキが釣れてしまった”などとは言わない。

もちろん,当家の過去ブログ「スズキの臭味」にて述べたとおり,下処理が肝心だ。現場で活け締めして,台所でウロコと内臓を取ったら体表を塩ずりし,酒を振りかけてから水で洗い,切れ目をいくつか入れたら塩をまんべんなく薄くあてて暫く置き,焼く前にあらためて振り塩をする。表をちょっと焼いたあと,裏で7割を焼き,再び表にかえして3割を焼き上げる。表面はパリッと,中はジューシーに仕上げる。身肉もさることながら,ヒレの根元,シッポのキワなどにムッチリとした旨味を湛え,春の痩せスズキとは比較にならない別物だ。

まさに“梅雨の雨を飲むごとに”,スズキも旨くなってゆく。いいですな。
  

Posted by ウエカツ水産 at 00:37Comments(2)魚・釣・環境

2007年07月05日

末期のサカナ

「死ぬ前に何かひとつだけ食ってよろしい」という状況になったとき,ナニを食って死にたいか。
そこにどう答えるか。

前回“忘我の味”,などということを書いていたら,その延長でこんなことに思い当たった。
ひとそれぞれいろいろあろうが,まあ,ここでは当然サカナが話しの対象となる。これを仮に“末期のサカナ”としよう。

これについて,私はこれまで,いつでもどこでも,即座に「サバです。特にサバ寿司です!」とキッパリ叫んでいたものだ。逝く前に,旨いサバ寿司をひとくち食って一瞬味わったのち静かに目を閉じたい。と思っていた。

旨いサカナを数えればキリがない。
獲れる時期,場所,サイズ,鮮度,そして調理法,食環境,等々が適切に融合すれば,それぞれに旨いし,或いは旨くすることができる。
しかし“末期のサカナ”となると,単なる旨いマズイだけでなく,むしろ個々人の内面的な世界と強くつながっているサカナ,あるいはそのような料理,ということになるのかもしれない。最近流行のソウルフードなどとは,また意味合いが違うのだが。

さばアレルギーの人には申し訳ないが,「サバ」のうまさ。これは今さら言い立てるまでもあるまい。
適切な手法で鮮度を維持し適切な処理さえ心得ておけば,その身肉は,およそ魚類界において最強クラスの旨味をもち,それはいかなる料理に仕立てても揺らぐことがない。負けないのである。
たとえばサカナのカレーを作るとき,マグロ,アジ,サバ,サンマ,その他白身のサカナいろいろと使ってみると,違いがよくわかる。香辛料に負けず,いくら煮込んでも歯ごたえも維持しつつ,噛み下した直後からグッと迫る旨味を固持しているのがサバだ。それだけに,“品のある味”とは言い難いが,まあ強くしっかりしているのである。多少鮮度が落ちている場合であっても,だいたい旨味が勝つ。そばつゆなどにグッとくるコクを出したいときに,サバ節を加えるのもこういうわけだ。

塩サバ,焼サバ,汁物,煮物,揚物,刺身にシメサバ,サラダにしてもよいし,オードブルにも,和・洋・中全てに化ける。我が国では塩や糠に漬けて保存食にもする。“鯖の水煮”はサカナ缶詰の代名詞たる存在だ。汎用性が広く,人間の魚食生活に古くから深く溶け込んでいる。その点,大衆性の強い青ザカナの一員でありながら,他の青ザカナとは歴史と実力が違う。

中でも,こと「サバ寿司」となると,別格だ。

関東のバッテラ,土佐の姿寿司,最近では若狭の焼きサバ寿司など,要は塩をあてたサバを酢でシメ,整形した酢飯に乗せて押しをかけた寿司は各地に存在し,余計な添加物さえ入っていなければそれぞれに旨いが,ここで言うのは京都で作る郷土食たる「サバの棒寿司」だ。
京都のアレは,日本の風土と文化伝統が生んだサバ料理の最高傑作ではないかと思う。

日本海は若狭湾の,脂の乗りすぎない肉厚の朝獲れサバを背割りにしてひと塩し,これをカマス袋に担いで京都まで運んだ。この道が言わずと知れた「サバ街道」だ。福井県の若狭小浜から南西に下って琵琶湖西岸に至り南下し,幾多の峠を越えて京都に至る,全長約72㎞の山道である。サバの押し寿司を作り食べる習慣は,この途中の宿場町の随所にみられる。

ひと塩モノのサバがたどりついた先の京の料理人および家庭のご婦人方は,馬上で揺られ運ばれる間にちょうどよく塩のなじんだこれを酢で締め,若干甘めに仕上げた酢飯と合わせて押しをかけ,短期保存食とした。ただでさえ“サバの生き腐れ”と言われるほど鮮度の落ちやすいサバを,冷蔵器機のない時代,よくぞここまで生に近いかたちで食べられるところまで昇華したものだ(このへん,過日書いた「カルパッチョ」の根本原理と相通ずる原理があると思う。生で旨いかぎり生で食いたいという人間の欲求と,その発露たる工夫の産物だ)。

あらゆる面で合理的,かつ味覚のバランスが良くできており,そのための技術の粋が細部に凝らされている。京の実力。京の格式にいくらお高くとまられようが,これを食ったら「さすがミヤコじゃ・・・」と納得せざるをえない。
今でこそ日常的に周年食べられるようになっているが,本来は祝い事や祭りの時につくる“ハレ”の食であった。

かつて学生時代,京都の友人の実家に招いていただき,年の暮れ明けとお世話になったおり,そこの母上殿のこしらえたサバ寿司を口にして目を瞠った。九谷の大皿にどっしりびっしりと並んだそれは,
まず,美しかった。3㎝ほどにも分厚く切ったサバ寿司がしっかりまとまってピカピカ輝いている姿は,美しいだけでなく安心感を与えた。
そして次に,口元に運んでも,かみ砕いたときの空気が鼻腔に抜けても,臭みがない。生でもないが,生じゃないとも言えない。旨いが,旨過ぎない。郷土の香りがする。伝統の重さがある,かの母の佇まいそのままに優しさと力強さが同居している。という具合であった。

今でもその具象・心象風景が,味と共に,ありありと残映しているのである。背筋のピシッと通った立派な母上であったが,今はもうおられない。あのサバ寿司は,夢の中でしか,もう食えない。
作り方は教わっていて,自分でもしきりとやってみるのだが,やはり違う。旨くはあるのだけれど,やはり,このような伝統料理には人間の格みたいなものが出てしまう。かの母のそれには遠く及ばない。次元が違うのだと思う。

というわけで,やれ大味だ小味だとウルサイ私の「末期のサカナ」は,ここ20年来「サバ」なのであった。味もさることながら,特に私の中でのサバ棒寿司の存在が,魂の根幹奥深くまで食い込み息づいている。幼少の頃から食べた経験があるわけでもなく,まして京都に住んだこともない。ところがこうなってしまうのは不思議なことだ。

さて,振り返って今。
ここ境港に水揚げされる山陰のサバは,今でこそ,いくら大きくても1㎏いくかいかないか,というところであるが,かつて10年前には,大きいもので2㎏もあるようなサバも獲れていたという。今では考えられない,カツオと見まがうばかりのサイズである。味はいかばかりであったろうか。思いめぐらせば,つい遠い目になる。海は変わった。サカナも変わった。ヒトの生活が変わってしまったからだ。

地元で名を知られる廻船時代からの弁当「五左右衛門寿司」は,昔からこの形態かどうかは知らないが,今は山陰沖のサバを用いたまさに棒寿司で,旨いのである。が,地物とはいえ現在使用しているサバはせいぜい25~30㎝程度。境の昔日を想わせるべくもない。

現代のここ境港市中で旨いサバを存分に食いたくなったら,「ぶっこん亭」に行けばよい。旬の最盛期であれば刺身が味わえるし,シメサバは常備している。よくまあサバをこれだけ揃えられるものだと感心する。しかも全て地物だ。

なかなかに秀逸なのは酒後に注文する「サバ押し」で,これは即席の棒寿司である。即席であるが故に,塩加減も酢加減も浅く,刺身感覚の旨さがあり,いかにも毎日新鮮魚が水揚げ豊富な境港らしい仕上がりだ。寿司の歴史において紀州を起源とし西日本で発達した「なれ(熟れ)寿司」に対し,江戸日本橋の魚河岸で生まれた「握り寿司」の別名である,いわゆる「早なれ」もしくは「早ずし」とはこんなものではなかったか,とのイメージがよぎる。

京都のサバ寿司とは違って値段もお手頃で,スバヤク気取らずジワリと旨い。この点,若き店主の門脇誠君の料理に対する姿勢が表れているといってよい。入り口には営業中ではなく「合戦中」と大きな殴り筆の木札が掛かっている。彼は毎日素材と合戦しているのだ。されど料理はさりげない。このへんがニクイ。他のサカナ料理も気が利いており,とにかく私のような根っからの“サカナっ食い”にはありがたい店だ。

が,末期のサカナ,とは別のもの。
境港で日々旨いサカナを食いながら,件のサバ寿司を静かに回顧している。  

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2007年07月03日

忘我の味「ノドクロ」

本当は釣りについても,水産業などについてもいろいろ書きたいことはあるのだが,相変わらず食い意地にまかせて“サカナっ食い”の話で恐縮です。

さて皆さん。
サカナに限らず,およそ食べ物の中で,食べたら“陶酔”してしまうもの。言葉を代えれば“忘我”してしまうもの。カンタンに言えば,“ウットリ”ないし“ボーッ”となっちゃうもの。そんな食べ物がこの世にどれだけあるでしょうか。

なにせ味の世界のことだから,人畜それぞれにいろいろあるかもしれない。現にネコ共が陶酔してやまないマタタビの風味は我々人間にはわからないし,ワインマニアの方が美辞麗句を述べつつ一杯の赤ワインに陶酔している有様を見ても,もっと素朴な物差ししか持たないがゆえにピンと来ないワタクシもいる。
やはり味の嗜好というものは,生物ごとの生理と,生い立ち,経験,それらを統括する感覚や精神,そんなものが総合されて形成されている。

とはいえ・・・,
これまでピンからキリまでいろんなものを口にしてきたが,私はここ山陰で,初めて我を忘れる“忘我の味”に出会ってしまった。今のところ,唯一無二であり,他の追随を許さない。そのサカナの名を「ノドクロ」という。

最近ではテレビの料理試合番組にも出場したせいか,けっこう名を知る人も増えた。標準和名を「アカムツ」といい,口の中および腹腔の内側が黒い皮膜で覆われているのでノドクロと呼ばれている。
水深200m前後の中深海の大陸棚に棲み,イカや小魚を食っている。底引き網や深場の刺し網,はえ縄などで漁獲されるが,漁獲量は少なく幻とまでは言えないまでも希少価値。値段も高い。
関東以南の太平洋から東シナ海,中部日本海までグルッと分布しており,それぞれの環境で質は違うが,太平洋や東シナ海よりも,まず日本海,特に島根県以北のものをもって最上とする。体型も違うし,脂の入り具合も断然違ってくるのである。


【 ノドクロ陶酔症 第一期症状 】

初めてノドクロを食ったのは,誰かの結婚式で友人と山陰に出かけた折,出雲駅にほど近い小料理屋で,店主に勧められるままに一尾を塩焼きにしてもらったのが最初であった。30㎝をちょっと出るくらいの大きなヤツで,店主がえらく神経を使って焼いていたのが印象的であった。
さて焼き上がり,それまではツマラン結婚式だったのなんのとやかましかった我々は,早速これを口にし,そして沈黙した。隣にいた獣医のやつが,「すごいな・・・」とだけつぶやいた。この獣医は,普段は雑な物も食うくせに,真剣になると本当の意味で味にはうるさい。旨味世界の身体的受容体およびそれを感受する精神的背景が広く,かつ深いということであろうと思う。ナマイキなことだ。
二人で夢中でたいらげ,驚いて見ている店主に向き直り,「こここ・これ,このアラ,お椀にお湯注いで吸い物にしてください!」と指さし叫んだが,店主は「もはいアンタやち,食べーとこあーませんがな」などと,出雲弁で静かにあきれられたのみであった。
微々たる残骸の,そのまたカスを前に,我々は酒を飲むのも忘れて暫くボーッとしていた。忘我の味は忘酒の味でもあることがわかった。もう一尾おかわりを注文すればよかったことだが,結婚式の後では既に財布の余裕は尽きていたのである。


【 ノドクロ陶酔症 第二期症状 】

その後数年がたち,はからずも境港に転勤となり,当時は隣町の米子にアパートを借りて住んでいた。近所の鮮魚直売所に赴くと,再びノドクロと遭遇した。25㎝ばかりのそれを,引っ越しの片づけもまだ終わらぬ家に買って帰り,塩をしてレンジの魚焼きグリルで焼いた。匂いも良い。期待に心が震えていた。
が,片面を七分がた焼き終わり,返すときに身がざっくりと崩れてしまった。それでもガンバって両面を焼き終えたときには,骨がすっかり露出し,グリルのトレイの上に“ほぐし身”がボトボトと散乱している惨状となった。これではたして両面焼いたと言えるのか。
トレイから拾い集めた身肉を食いつつ,心中複雑ながら,それでもやはり陶酔していった。やはり旨い。そして,ひと月に1回はノドクロを食べられるような生活をしよう,と心に誓った。

かたわら,ボロボロとなったノドクロの原因追及を始めた。
身肉が焼くほどに崩れてしまった可能性として,
 ①鮮度が低下していたので過熱によりもろくなった。
 ②反対に返すときの箸が食い込んで割れた。
 ③自重によってグリルの網目が食い込んで割れた。
などが考えられたが,観察する限り,原因は明らかに②と③である。しかし,およそ魚類界を見渡してみても,姿がこれほどしっかりしているくせに,こんなことになる魚は滅多にない。何がこうさせるのであろうか。

初めてノドクロを口にしたときにわかったことだが,このサカナは,単に脂が乗っているだけのサカナではない。通常のサカナは,脂が乗ってくると皮と肉の間に溜まっていき,皮沿い,もしくは筋膜や腱などのスジ沿いに,徐々に筋肉中に入りこんでくる。これを一般に“サシが入った”と言い,極まれば“霜降り”などとも言う。マグロの中トロや脂の乗ったイワシやサワラなどの切断した断面に目を近づけてよーく見れば,脂の入り方のルートがよくわかる。鯛やヒラメなどの白身でも若干乗りが薄いがほぼ同様である。

が,ノドクロの場合はちょっと違う。脂が乗り始めると,皮沿いだけでなく,同時に骨に接する中心部までサシが入るのだ。それともうひとつ特徴的なのは,脂と共に,大量の水分を筋肉中に蓄えている点だ。けして水っぽいというのではない。旨味を伴った水分である。“ジューシーな肉汁”,というやつだ。これが極めて多い。筋肉繊維自体は,タイ並にしっかりしているのだが,この独特の脂乗りと肉汁によって,噛みしめるほどにみずみずしい旨さが口中にしみ出すしくみとなっている。上手に焼いたノドクロの塩焼きを食ったとき,香ばしさと共に,大量の肉汁が口中にあふれかえるのは,そのせいだ。ただし,“上手に焼く”ということが前提であって,ここが難しい。

ここで比較すべく他魚を引き合いに出すと,北海道および東北地方には魚族脂肪番付上横綱級の「キンキ」がいる。根室を発祥とする炉端焼きで味わうと,これもまたむっちりしたコラーゲンといいますか,透明感のある濃厚な脂の乗りがスゴイ魚であるが,いかんせん,①肉のジューシーさが少ない,②肉質に北方のカサゴの仲間に特有のパラパラ感がある。種族の系譜の違いはぬぐえない。この魚はカサゴの仲間なのである。いくら脂が乗っていようとも,どうしても総合点でノドクロには及ばない。

話を戻す。
世間ではノドクロの刺身やタタキ,あるいは煮付けが最高と言うヒトもいるし,その後私も食う機会があり,それぞれに旨いものであったが,「脂でカリッと揚げたように焼けた皮の香味と共に,あふれかえる脂と肉汁の混合液を口中にからませ,その中に同居するコクのある肉を噛みしめ味わい飲み下す,複雑にして玄妙ナル旨さ」は,塩焼き以外では実現できない。世間に異論があろうとも,ノドクロの特性を100%引き出せるのは塩焼きだけなのだ,と断定したい。
とにかくその後,私は節約を重ね,月に1回はノドクロを吟味購入し,身崩れを防ぐため,塩して干したり,アルミホイルやフライパンに載せて焼いたりと,今思えば短絡的かつ稚拙な工夫を始めたのであった。


【ノドクロ陶酔症 第三期症状】

あれこれやってみた結果,やはりストレートに直火で焼く意外,ノドクロの本性味を引き出すことはできない,という結論に至った。
住んでいたプレハブ2階のベランダに板を敷き,20×40㎝の鋳物製炭火コンロを据え,ホームセンターでスチール棚のパーツを買い揃え,やぐらのようにネジで組み合わせて,串を打ったサカナの高さが多段階的に調整可能なプラントを作った。串はステンレス2㎜径の60㎝を数本買い求めた。これでノドクロ焼きの試行錯誤が始まったのである。
毎月のようにノドクロを購入し,炭火を熾し,塩加減,火力,高さ調整,等々を入念に工夫して2年が経った。最低計算で計24本,来客などあったときには更に多く,おそらく総計50本以上焼いたのではないか。これは料理屋であれば少ない数かも知れないが,数が少ない分,一回ごとの努力と反省には重さがあったように思う。
その結果得たノドクロの塩焼きに関する要諦,以下のとおり。

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【ノドクロを焼く】

①ノドクロは,無理をしてでも25㎝以上の中型より大きいもの,中でも特に背が張りシッポの太いものを選び,肌身を傷つけないようウロコをとり,体の右側(背上・頭左に盛りつけたときの裏側)横に包丁を入れ,エラ・内臓を取り去る。

②水洗いしながら口から歯ブラシを入れて,腹腔の背骨に付着した血合いをこすりとる。

③体全体および腹腔の内部,口の中等の水分をよく拭き取り,体の両面の首の付け根から尻ビレにかけてナナメに,中骨にギリギリ到達しない程度に包丁目を入れる。

④手を少し湿らせて粗塩をつけ,口の中や腹腔の内部を含むカラダ全体に塩をあてる。塩加減は,押しつけた指をなめたときに,ちょっとだけ塩がきついのではないか,という程度。これは一般的な他のサカナより少し多めの塩加減。ここでは振り塩ではなく,全体に塩がゆきわたることを目的とするのでベタ塩とする。このまま最低30分置く。

⑤串を打つ。これを間違えると,ノドクロが焼けるに伴って身が崩れ,最悪の場合,身が脱落する。頭を手前,背を右に寝かせ,頭をグッと持ち上げて裏側の目の後方,エラ蓋から串を刺す(容易に串が入る場所がある)。表面に串が出ないようにそのまま尾のほうへ向けてナナメ下方へ串を進め(この時点で背側から見ると逆くノ字型になっている),次に尾を頭と反対側に強く折り曲げ,そのまま串を尾の手前に出す(この時点で,背側から見ると,S字型になっている)。留意すべきは,串がノドクロの背骨の棘をしっかり縫っていること。そのため,しっかりと曲げながら串を打つ必要がある。
更に,2本目の串を同じ手法で腹側に打つ。

⑥炭火を熾し,最高火力から少し落ち着くまで待つ。手をかざしたとき,すぐに耐えられなくなるような距離に串の高さを調節する。

⑦各ヒレに化粧塩を施し,体にもサッと振り塩をあて,火にかける。

⑧裏になる側(体の右側)から焼き初め,しばらくの後,汁が落ち始めたら,魚がかぶるくらいの船型をアルミホイルで作り,上にかぶせる。このことによって,身の厚いノドクロの全体に熱が回ると共に,したたり落ちた脂が煙となって魚体全体にまわり,風味を増す。

⑨全体の7割方火が通り,片面がこんがりキツネ色に仕上がったところで,火の高さを少々下げ,表(魚体の左側)に返し,再びアルミホイルをかぶせる。

(注 意)
表も裏も、焼きすぎればノドクロ特有のみずみずしさは失われ、まずくはないが単なるタイの塩焼きのような味になってしまう。この焼き加減の見極めが最重要ポイント。

⑩表も同様にキツネ色に仕上がったら,大皿に移し,串を回しながら素早く抜く。

⑪このまま即座に食べるが良い。更に,おろしワサビを添え,それを少しつけながら食べると目を瞠る旨さを知ることができる。醤油はかけてはいけない。

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境港は,実は日本海で一番ノドクロが安い土地だ。そういう値段しかつかないところと言ってもよいし,庶民重視の薄利多売の土地柄と言ってもよい。お隣の島根や兵庫でも,新潟や富山でも,値段を見たらビックリする。

魚種が豊富で比較的サカナの安い日本海の中にあって安さ一番ということは,全国一安いということだ。この僥倖に浴している我が身を幸せに思う。

これからもワタクシは,最高の中の更に最高を求めてノドクロを焼き続けるであろう。
ひとたびこの陶酔症に罹患すれば、潜伏し日和見発症するウイルスのごとく、その味は骨の髄にインプットされてしまう。

しばらく食べていないと,車の運転中でも,この味と香りを想い出しただけでボーッとしてしまいそうになるが,これは危険だ。  

Posted by ウエカツ水産 at 01:44Comments(0)魚・料理

2007年07月01日

「カルパッチョ」について、ひとこと

たいへんご無沙汰しております。
つまらないことを言うようですが,,,

ここ数年来,都市部を中心に,店内にジャズが流れているようなナンチャッテハイカラ居酒屋,或いはあくまで自称創作料理屋などのいたるところに「カルパッチョ」なるメニューが導入され,最近は釣り人までもパッチョパッチョとかまびすしい。マグロや鮭,タイやヒラメなど,多様化をみせている。このことが,悪いけれどちょいと神経に障る。最近では,その名を聞くだけでもナンダカ腹が立つようになってしまっていけない。条件反射か。

というのも,これだけ普及している「カルパッチョ」であるが,店だろうが誰かが作ってくださるものだろうが,私はマトモなソレに一度も出会ったことがないからだ。具体的かつ断定的に言わせてもらえれば,世間で氾濫しているソレは,単なる“薄切り刺身と野菜のサラダ”である。ソレのソレたる最重要ポイントがボッカリ抜けてしまっているのである。ここを申し上げたい。

では,カルパッチョのソレたるゆえんは何か。
①塩,②黒コショウ,③柑橘汁,④オリーブ油,以上。これが構成要素。

こう書くと,ちゃんと全部入ってるじゃないですかっ,ウチのも! とおっしゃる方もおられようが,順序が違う。合わせればいいというものではない。同じ材料を用いても,順序と手法が異なれば,味としては違うものとなるは料理の理。やりかたが変われば“似て非なるもの”というのだ。

カルパッチョは言うまでもなく,元来,新鮮な畜肉を生で食べることを目的とし,これがイタリア南部を主産地とするオリーブ油および柑橘類と出会い,更に地中海の魚にも波及して定着したと推せられる。
しかし,現代でこそ,新鮮な肉や魚の入手が常識化しているが,その昔,どうであったろうか。まず,鮮度維持に必要な,冷やすための氷がふんだんにあるワケがない。かといって肉にしても魚にしても,屠殺ないし漁獲してから長期間常温で放置するわけにもいかなかったであろう。雑菌が繁殖する条件,すなわち①適度な温度,②水分,③豊富な栄養,が揃えば肉は腐敗へと進む。まして,カルパッチョの必須構成要素である柑橘類の地理的分布は温帯~亜熱帯域であるから,雑菌にとってはより快適なのである。そこで,2つの選択肢が生ずる。新鮮な肉や魚を入手したら,①速やかに食べてしまう,②保存するための処理を施す。
 
 ところで,冷蔵庫が当たり前となった現代の我々は,たとえば肉の表面が菌に冒されて腐敗臭がしたら,可食部全てが腐敗していると錯覚してはいないだろうか。
実は,新鮮な肉の大きな固まりがあったとして,表面が痛んできたとしても,その内部は大丈夫,なのである。危ない部分と安全な部分をごっちゃにしてはもったいない。また魚であれば,大きな魚,たとえばマグロやクジラなどでも同じようなことが言える。丸ごとの小さな魚でも,新鮮なうちにウロコや内臓,ヒレなどの雑菌が付着しやすい部位を除いておけば,大型の生物ほど比較的常温でも長持ちするのである。初期の段階であれば,表面が臭くなったら洗えばよろしい。

そもそも熱帯地方の市場で,常温で魚がゴロゴロ並べられていてもちゃんと食べられるのはなぜか?これも同じ原理で,表面には菌がついていても,「生体」の内部は無菌状態だからだ。死んだ魚や牛でも,初めのうちは内部たる筋肉細胞は生きている。時間がたてば細胞中の分解酵素が作用して細胞が崩壊し,旨みが増し,それを越えれば外側から次第に菌が侵入し繁殖する場所となる。
ちなみに畜肉やマグロを「熟成する」といって固まりのまま保存しておくのは,この自己分解(=旨み成分の増加)と腐敗のきわどいところを見極める技術である。
 
さて。
とはいえ表面が雑菌に冒されることには変わりはない。そこで保存する手段として,当時氷が少ない時代に使用されるのがまず「塩」であろう。塩は最も入手しやすく生命と関わりの深い最初の調味料であり,味付けのみならず,その強い浸透圧によって肉の細胞から水分を奪うことができる。更に,付着した雑菌の細胞からも水分を奪ってしまう。もちろん海水中には塩分を好む菌もいるのであるが,陸上であれば,塩は,まず,先述した,菌の発生条件の最重要条件である「水分」を奪う力を持っているのである。
肉が腐敗しやすい温・熱帯の地方にあった,冷蔵手段もなく,それでもなお“生で食いたい”という欲求,おそらくそれがカルパッチョを生んだ原動力である。そこでは塩が不可欠のはずだ。しかも,味付け程度ではなく,雑菌が繁殖できない強い塩加減が求められたはずだ。

そして,もうひとつ,安全な生食を実現したのが,レモンやライムをはじめとする柑橘類の植生である。強度な酸味が雑菌の繁殖を阻害して保存性と安全性を高めることは,我が国のシメサバやすし飯でも見るとおり,言うまでもない。固まりに塩をして表面の腐敗を防ぎ,薄く切って露出した肉の断面には柑橘の酸で殺菌する。
更に更に,これほどまでに防菌・殺菌された肉片にオリーブ油をかけて空気を遮断して万全を期している。

これが,カルパッチョという,極めて合理的な生食料理の真髄ではないだろうか。
これと全く同様の生魚料理が南米にあり「セビッチェ」という。ちがうのは,魚にあてる塩分がカルパッチョよりきついことと,柑橘汁を,よりたっぷりかけること。また,粒コショウなどを使う点だ。これもまた,イタリアよりも赤道に近い熱帯地方に叶った流用といえよう。

というわけで,以上の条件を満たした「カルパッチョ」の作り方を紹介しよう。

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【カルパッチョ】

①肉ないし魚は,小口に切りやすい大きさの固まり(魚であれば“サク”程度の大きさ)のまま,全体にきつく塩をまぶし,皿に載せておく。

②タマネギをごく薄くスライスして水にさらし,パリッとしたところで水分をよく切っておく。

③放置する時間は固まりの大きさによって異なるが,更に肉の水分が流れ出る頃を見計らい,表面をなでるように流水で塩をサッと流し,水分を拭いておく。

④薄くそぎ切りにし,タマネギをまんべんなく敷いた皿の上に,密に並べていく。肉の両端は塩辛いので特に薄く切ること。

⑤皿いっぱいに並べ終わったら,柑橘汁をまんべんなくたらしかける。次いで,粗挽き黒コショウをまんべんなく薄くふりかける。

⑥最後にバージンオリーブ油を,細くまんべんなくかけ回す。

⑦これで食べられるが,現代であれば,このまま皿ごとよく冷やして食べるのがオツ。

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「カルパッチョ」の要諦は次のとおり

●肉ないし魚には,切りやすく整形した固まりのままシッカリと塩をあてること。

●薄く切ってちょうどよくなるよう,寝かせる時間を調節すること。

●スライスタマネギの上に薄切りした身を並べ,「柑橘汁→香辛料→オリーブ油」の順に細くまんべんなくふりかけること(ドバッとかけたり,この順序を変えたりしてはいけない。塩・酸・香辛料・オリーブ油のバランスが重要なのであり,また,順序を違えて先に油をかけたりすれば柑橘汁や香辛料の効能が損なわれる)。

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我が国や外国の郷土料理,特に古い歴史を持つ料理を再現するとき,ぜひとも,その地域の地理や環境に想いをはせていただきたい。そして更に言えば,時代をさかのぼり,その土地でその料理が生まれた当時の背景を考えてもらいたい。現代に比べて,何があって,何がなかったのか。そしてどのようにしていたのか。そこに料理の構成要素があるからだ。

料理にせよ文化にせよ,原点にさかのぼると,おのずから“ホンモノ”が見えてくる。料理であればホンモノにより近い旨さを味わうことができる。ホントウのホンモノに出会うには現地に赴くしかないのであるが,その現地にさえ,ホントウのホンモノが消えつつある昨今だ。ぜひとも想像力をたくましくし,それぞれのご家庭に,ホンモノにを再現して伝えてほしいと願う。  

Posted by ウエカツ水産 at 22:47Comments(1)魚・料理

2007年06月20日

メバル道具考【竿】

エラそうにこんなことを書く性分でもないが、釣友(当家ブログの大家さんですけど)との会話の中でこんな事を考えさせられた、というお話。

 誰が言ったか定かではないが,「竿は腕の延長なり」と釣り人の巷にいう。けだし名言だと思う。ある程度の水準を越えた考えるタイプの釣り人ならば,おのずからこう感じるはずだ。
一本のノベ竿を振るとき,小指を中心にキュッと締めて持ち,人差し指は軽く竿に添わせる。こうすることによって手首が自由に動いて定めた狙いに仕掛けを打ち込むことができ,人差し指が竿先の糸やサカナの動きを敏感に関知するアンテナとなる。

 これは魚をさばく包丁にも言えることで,「切っ先は指先なり」というのがそれだ。サカナを三枚におろすデリケートな仕事のときに包丁の峰に人差し指を当てて角度をつけ,これで骨のアタリを感じられるようにする。このときの柄の握り方は釣り竿と全く同じで,小指を中心に固からず締め,人差し指を軽く添わすのである。

 釣り竿にせよ包丁にせよ,かすかな振動がダイレクトに,あるいは増幅されて指先を経由し脳に伝達され,刹那のうちに体の先端にフィードバックされて軌道修正する。この出来事が一瞬のうちに何十回も起こり,その連続でいわゆる竿さばきや太刀筋が決められていく。その「媒体」として道具が存在するということだ。

 釣り道具は,竿もリールも手や腕の動作の補助という意味では同じであり,同じ道具であってもそれを扱う人間側の判断・行動によって働きに差が出るのは当然である。
 が,最近は道具も進化してどんどん機能が向上しており,これまでは釣り人が考え,動きを制御しなければならなかった場面で,道具が自動的に作用してくれるようにもなってきた。かつて難しいと言われた釣りでも,初心者でもそこそこ釣る時代になった。釣っているには違いないが,道具の進化によって「釣った」と「釣れた」が曖昧になりつつある。
 まあ高尚なゲームでない限り,要は釣れればよいわけではあるが,どうも最近の宣伝にあおられ、先進的な道具を追い求め,次々と金を使う風潮を見聞するにつれ,あらためて道具との関わり方を考えざるを得ない。

そんなことで今回は,釣りにおける「道具」と「ウデ=人間の技量」について、まずは「竿」について少し振り返ってみたい。

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【 手釣りと竿釣り,腕か道具か,そのへんの関係と問題 】

 幼年から釣りを始めた私は,ノベ竿から始まり簡易な投げ竿,ブームに乗ったルアー,磯や船など,学生時代を経て通り一遍の釣り歴を歩んだが,長崎で漁船に乗ってサカナを確実に獲ることが日々の課題となってからは,次第に「竿よりも腕」,と思うようになった。

 これは“腕=技量=スキル”ということではなく“アーム”という意味で,つまり,海底の餌や糸やサカナの動きを捉え対応する場合,竿やリールが間に入るより,直接手で糸を持ち扱う方が,より直接的に状況に対する反応も早い,と感じたからである。陸から遠くへ投げるためには竿が必要ではあるが,そのような状況は職漁師ではありえない。

 いろんなサカナを狙ったが,水深150mくらいまでは十分手釣りのほうが手返しも早く,確実にサカナを掛けることができた。事実,商売で獲るタイ,イサキ,タチウオ,アジ,アマダイ,イトヨリなど,また,遊びでやるチヌやグレ,シロギスやカレイやカワハギにいたるまで,手釣りだけでも竿釣り師と遜色なく,むしろ上回る結果を出してきた。誘いがダイレクトで掛けが早い。むろん竿で釣る楽しみはあるにせよ,やはり手釣りのスピードと確実さはズバ抜けていた。

 その後,漁船を降りて神戸に住んでいた15年前,散歩気分でイカナゴ餌のメバル釣りの遊漁船に乗って驚いた。周りは皆,4mはあろうかというヘラ竿を改造したベナベナ調子が完全にオモリに負けて糸をたらしている。こちらはいつものビシマ道具(道糸に小さなオモリを等間隔で打ち,潮吹かれを解消し感度を高めた手釣り道具)だ。先の仕掛けは両者とも同じ。

 かくして結果は,私に釣れたのはほとんどカサゴのみであった。メバルが釣れぬ。前に明石から漁船に乗ったときにはちゃんと同じ仕掛けでメバルが釣れたのに,と思った。
わけがわからぬまま家に帰り,隣の釣り人のお情けでいただいたメバルを食った。このときは,これだけで終わるのである。超軟調子の改造竿はいかにも道楽じみていて,肌に合いそうになかった。次は釣ってみせると力んだところで,釣れない原因が解明できてない以上,瀬戸内海ではそれきりになった。

 更に数年後,私は仕事を東京に移し,毎週末乗り合い遊漁船の魚釣りに没頭していた。特に味覚的に好きだったタチウオ、アジ,アナゴなどであったが、やはり手釣りに分があった。ところが,ここでも「メバルの壁」にぶつかってしまったのである。
 冬場は毎週のようにタチウオをやっていた私に,エビメバルもおもしろいからやってみな,と勧めてくれたのは,東京は浦安の老舗釣り宿「吉久」の2代目親方であった。東京湾の“エビメバル”とは,川エビを餌にやるメバル釣りのことだ。夜はアオイソメを使う“夜メバル”になる。

 瀬戸内海のリベンジとばかりにビシマ仕掛けを持参すると,やはりこれがロクに釣れないのである。ゼロではないが,倍以上も差がついてしまった。カサゴやアイナメは釣れるがメバルはダメ。何度やっても同じであった。わからない。波の動揺を腕で消し,アタリ,送り,合わせ,しているはず。しかし竿釣りよりアタリ自体が少なく,アタってもかからないことが多い。ハリスを長くしたり糸を細くしたりと工夫もしたが同じ事であった。


【 手釣りから竿釣りへ。メバルに合わせる手段としての道具 】

 2回のメバル釣りで惨敗し,親方に釣れぬとぼやくと,これ使ってみなと渡されたのがシマノの竿「幻波マゴチ210」とダイワのリール「チヌジャッカー」のセットであった。1号という細いPEラインがあることも初めてこのとき知った。
 そして3回目,たしかに釣れるようになった。しかも手で釣るより快適に獲れる。前アタリから食わせ,取り込みまで,とりあえず人並みには釣れる。それにしてもいったい何が違うのか。
更に3回ほど通い親方に礼を言うと,彼はニヤリとして別の竿を持ち出してきて曰く,「あの竿もいいけンど,これがホントのメバル竿。見てみなよこの曲がり!これだったら竿が釣ってくれンからよ。ホーラ,こんなに竿先が入ってくべえ」云々。と,天井に竿先を押しつけて語る,なかなかの商売上手である。銘にリョービ社「海波メバル300」とある。

 その竿は,かつて瀬戸内のメバル船で見た改造ヘラ竿のようなベナベナ全調子とは違い,普段はピンとしているが,ひとたび曲がり始めると,竿先3分の1まではスーッと抵抗無く入っていき,そのあとじわじわと抵抗が強くなり,最後の3分の1から手元までは硬い胴がしっかり支えてくれる。今思えば,これが“メバル調子”ということなのだった。先3分の1のガイド数が並はずれて多い。

 もういくところまで行くしかない。その場でその竿を買った。そして,再度メバルに挑み,手釣りで釣れない魚を「竿が釣ってくれる」という現実を,あらためて実感した。モタレが来て,コツないしモゾとくわえ,持ち込みつつ吸い込んだらガガッと突っ込む一部始終が,オモリで底を切ってじっとしているだけで鮮明にわかる竿だ。以後,加速度的に私のメバル釣果は伸びていった。

 ついにメバルの“竿釣り”にのめり込んでしまった私は,メバルの時だけはビシマ仕掛けを捨て,その後,ひたすら様々な検証に没頭した。しまいには仲間で2トンの船を購入し,東京湾で独自の漁場開拓を始めた。その結果見えてきたのは,メバルというサカナの生態のおもしろさと,それに合わせた釣りの特殊性であった。ちょっと書いてみる。


〔船釣りから見たメバルの特性〕

①メバルは,自然界にない異質な動き,たとえば餌の極端な上下運動などを嫌うということ。
②メバルは,異音,たとえばオモリの着底音などを嫌うということ
③メバルの視覚は物体の屈折率の違いを見分ける機能が高く,昼間および水の透明度が高いときには糸を識別するということ。
④メバルの視覚は,夜間は極めて微弱な光でもとらえることができるように機能し,また,水の微弱な振動に対しても敏感であること。
⑤メバルは,夜と昼,明るさの度合い等によって行動や餌の種類が異なり,従って釣り方も餌も変わってくるということ。
⑥夜のメバルは,平行の動きだけでなく上方への動きによく反応するということ。
⑦メバルは,いったん餌をくわえても,違和感があれば離して去るということ。また,大型であるほどその点については神経質であるということ。
⑧メバルは,よほど活性が上がらない限り餌を丸飲みすることはなく,端をくわえてから段階的に吸い込んでいくということ。また,その早さは,潮が強ければ早く,弱ければ遅いということ。
⑨メバルは,通常の活性であれば,餌を食い込んだら底方向へ向かって突進するということ。
⑩メバルは,群れの一尾が掛かってそのままいなくなれば他の群れも散ってしまうが,逆に複数掛けて取り込む場合には群れはそのままであるということ。
⑪メバルは潮によって活性が変わり同時に群れの形を変えるということ(潮が効いてくれば群れはタテに高くなって活性が上がり,潮が止まれば底や障害物付近に沈む)。
⑫メバルは,時化の前後に活性が上がること。
⑬メバルは,潮が強すぎても弱すぎても群れは沈滞し餌を追わなくなること。
⑭メバルは,活性の低いときには目の前に餌が来ないと食わず,また,餌の端をくわえたままジッと静止している場合もあるということ。
⑮メバルの食い渋りには,水温によるもの,潮によるもの,外部からの刺激によるもの,など,それぞれの要因によって釣れ方の内容が異なること。

 思いつくままに列記したが,これだけ書いても一端に過ぎない。
 よくできたメバル竿ほど,メバルにある程度の活性があって基本的な釣り方さえ守っていれば,なんにもしなくても,これらの条件のかなりの部分を補ってくれる。これが「竿が釣ってくれる」ということである。

 しかし,あくまでもそれはひとつの側面であって,常に人並み以上,あるいは人の釣れない悪天候や食い渋りのときにも確実に獲ろうとすれば,道具の性能を越えた部分で人間側が何をするかが課題となってくる。つまり,「竿に補ってもらっていた自分」から脱却し,「竿のできない部分を補う自分」に進化していかねばならない。

 従って,「この竿はいい!」というときの中身は,釣り人の技量によって十人十色であると言えるし,技量の大きい人がいいという竿を,技量の小さい人が使っていいと感じるとは限らない。当然その逆もある。やはり,道具は使いよう。道具は人が選ぶものには違いないが,同時に道具が人を選ぶということも成立するのである。

 それならば,道具の良さというのはあくまでも相対的なものであって絶対的にイイ竿は存在しないのか,と問われれば,実はある,と私は思っている。
「初心者が使えば竿が釣ってくれて,熟練するに従って高度に使いこなせる竿」ということだと思う。

 この要件をメバル竿で求めると,船釣りであれば,先に登場した「幻波マゴチ」と「海波メバル」はひとつの完成型に該当する。この2本は,親から子,子から孫へ受け継がせる価値のある“名竿”である。おそらく既に絶版で,今日に至ってもこれを越える竿は出現していない。
 メバル竿とは言うが,しなり調子と強度面では小メバルからマゴチ,スズキや大ダイまで,ちゃんと狙って獲れる竿であり,食い渋り対応で超スローな誘いのとき,胴突き仕掛けの先端にある小田原型オモリの先端が,瀬の一角にかすかに触れる振動を関知でき,メバルが食えば,自分が釣られたことを感じさせない繊細さを併せ持つ。

 このような調子は、どういうわけか,ほかに出会ったことがない。たいてい,柔らかくてもダラダラと曲がりが鈍重で手元に腰がなかったり,食い込み重視と謳いつつ曲がりが中途半端だったりの竿が多い。「先は極めて柔軟で中ほどにかけて柔らかい腰があって手元は強靱,手元から先端まで張りがあって軽い竿」 これが,なかなか無いのである。

 言葉で表現できても実際にない,ということは,それほど竿作りが難しいということなのか,あるいは制作者が適当なところで妥協しているのか無知なのか,何かの販売戦略があるのか。 いずれにしても,このような名竿が消えていく道理もわからないし,中途半端な道具が氾濫するのも買って使う側の我々にとっては困ったことである。


【 本当に必要な道具は何だろう 】

 刻々と変化する自然条件に対して,メバルほど敏感かつ柔軟に反応して活路を探す魚も珍しい。順応にとどまらず積極的な適応をして生きている。釣り人がそれに合わせることができれば釣れるし,合わなければ釣れない。ただこれだけと言えばこれだけのことだが,メバル釣りの奥深さは,人間側が合わせるべき項目が無数に存在することにあると思う。それをとらえる方向での思考トレーニングおよび技術の修練がまず大切だ。けして道具ありきではない。

 竿にせよリールにせよ,メーカのセールストークや釣り雑誌のグッズ紹介型釣行記事に煽られ,魚種や漁場や魚の状況に合わせてどんどん揃えていてはキリがないのは明らかで,これに乗っては悲喜劇となる。今日主流となっている特殊な事象に合わせて作られる道具というものは,一般的に汎用性が低く,上達するにつれて飽きがくるものが多い。満たすべき要件の根幹からはずれて枝葉に至り,いじりすぎてかえって根幹を見失うことは往々にしてある。

 やはり,手持ちの道具の限界を超えた部分を補ってやれる技量をこそ,磨くべきであろう。その結果,具体的に道具のどのような点が問題であり,それが自分の技量では補えないことが明白になったとき,そこを補う道具を入手すれば,足りる。必然として,道具は少なくて済むのである。ただ、ここまで至るまでに、いろいろ沢山のムダが必要であるのは皮肉なことだ。 だから、良い師を見出すことは、ムダを省く上でも大切なことだ。

 物であれ精神であれ,紆余曲折のあげく贅肉をそぎ落としたあとに残るもの。それが釣りの道のみならず,自分が生きる上で本当に大切なものなのだと思う。メバルに学ぶことは多い。  

Posted by ウエカツ水産 at 18:20Comments(3)

2007年06月12日

あれやこれやのイカを食う

久々の更新です。いつものぞいてくれてる方、ごめんなさい。
リクエストがあったので,イカの話を少々。

 過日,友人からの電話が入り,近場だったのでちょいとのぞきに行った。アオリのキロオーバーを頭に800~900g前後を計4つ。子供を連れて短時間の“サンダルフィッシング”の結果だ。釣り方は・・・コウイカのやさしい釣り方と同じ。竿いっぱいしゃくって2回リールを巻いて,数秒待って,またしゃくる,のくり返し。なかなかにノンキでよい。その友人の“人となり”に合った,まことに優雅な釣りっぷりであった。その後彼は調子づき,毎日のようにちょっと出かけて2杯3杯と大きなのを釣ってきては,ひとにくれてやったりしている。冷蔵庫がわりか??!

 そもそも,その場所で周りを見渡してもイカ釣りなんかしている者はいない。よくぞスキマを当てました。このヒトは,釣ることにギラギラしていないのに,あるいはしていないがためか,このようなケースが多々ある。一緒に釣りをしていても思わぬ行為に及んで釣ったりするので楽しい。またそれを参考にして,コチラは更にスキマワールドを広げていくのである。

 こんなこと言ってはイカを真剣に狙っている方々に失礼ではあるが,イカは,概ねサカナ以上に釣りやすいと思う。というか,釣れる釣れないがはっきりしている。サカナ以上に正直である。水温に対しても餌の動きに対しても無理やムダが少ない生物だ。やせ我慢をしない。サカナよりも身体機能が単純で水に近いので「恒常性が低い」=「急激な環境変化に対する適応性が低い」→「環境が体に合わなければジッとしてるかサッサとどこかへ行く」,ということでもあろう。
 腹が減っているイカが居て疑似餌が目に付けば,特殊な事情を除いてほぼ数投めで釣れるから,釣れなければイカ同様にサッサと移動するか帰るのが賢い。潮待ちしても釣れるとは限らない。船でイカを追いかけてみると更にそれがよくわかる。イカ釣りは,次々と釣れるところに行ってこそ釣るものだ。
 かといってたくさん釣ってもすぐ食い飽きるし,ヒキが単調で釣り飽きもする。このへんが,他のサカナに比べてイカ釣りにあまり食指が向かないワタクシの理由でもある。

 さておき当日,現場着早々に,「イカ,持って帰ってね」と言われたためか,オカズが既に確保済みの状況下では釣り意欲もあまり湧かず。
 というわけで堤防に寝っ転がって3杯のイカを入手。久しぶりの透明なイカです。
さて,どうするか。食べ頃サイズは1杯。キロ手前の大きすぎるのが2杯。

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今回は,いろんなイカを題材とし,その料理素材としての特質を考察する。
イカをより旨く食うのがテーマ。

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1.素材としてのイカ

(1)イカの味は直球である、ということ

 口に含んで噛めばスグに旨味が舌に来て,その後の広がり,すなわち味の複雑さが少ない食べ物。これはイカもそうなのであるが,だから食い飽きるのが早い。旨くても直線的で単調なのである。旨くても,ズーッと同じ旨さなのである。たとえばイカそーめんが旨くて丼に一杯食えるとしても,直球の味をガッと短時間でかきこむからいいのであって,ゆっくり時間をかけて味わっていては,急速に飽きてゆくのである。想像してみてほしい。
 これはイカの身体の構造上も言えることだ。イカを解体すると,胴体,ヒレ,内臓およびそれを支える筋肉,脳を包む軟骨を含む頭周り,触腕およびその他の腕,と,これだけしか味わえるパーツがない。軟体動物イカ類の宿命である。そして,これらの味覚の質的違いは主に食感によるものであり,実質味の差はほとんどない。

 対して魚類は,頭およびその周辺,各ヒレぎわ,背側・腹側,体の前後,各種内臓および内臓周り,スジおよびスジ周り,残りの骨および付着した肉,ウロコやヒレさえも等々。それぞれの味わいが,食感のみならず,旨味の構成要素も多段階的に微妙に違い,さすがは脊椎動物のハシクレだと感心する。

 でもイカはイカなりに,イカようにもイカしようがあるとも言える。ほぼ均一な筋肉および直球単純勝負の旨みしかないので,あとは時期,サイズ,下処理,調理法および調味の選択によって変化をもたせるしかないのではあるが,適切な選択の元,他の素材・調味との合わせ技を使うことによって,イカは多様に化けることができる。食料品店の珍味惣菜コーナーを見ても,イカが原料のものが多いのもこの理由による。この汎用性の広さと柔軟さがイカの強みだ。
 

(2)イカの臭みついて

【イカの生臭みと水気の管理】
 上述した,味覚上および体構造上の特性に加え,イカ類には生臭みの問題がついて回る。
およそイカ類は水,特に真水と相性が悪い。というのは,体自体がかなりの水でできているため,ひとたび命を失えば,触れる水の匂いや味,色などの影響を受けやすいからだ。
 氷や水に直接当ててはいけない,というのも同じ事で,これは最近は本職のみならず,釣り人にも広く知られるところとなっており,釣ってからも必ずビニール袋に,できれば一杯ずつ入れて持ち帰る。販売上は色の面もあるにせよ,味の面では,イカの細胞は外界に対してほぼむき出しなので,水を吸いやすいからである。水を吸って硬く白くなった状態,これを水ヤケまたは氷ヤケという。当然,味は急激に劣化する。このあたりをまず最重要課題として押さえておきたい。

 また,温度的鮮度維持のみならず,釣り上げたイカを締めておくと更によい。イカの場合,サカナと違って締めるとは脳を破壊するのみであるが,その脳はどこにあるか。イカのヒレを上側に足を手前にして置き,目と目の中心を線で結び,そのちょっと上の堅いところ。ここがイカの脳の所在地であり,軟骨に包まれて鎮座している。これを細い棒や針金で突いて壊してやればよい。うまく脳が破壊されたら,生きたイカの体表がサッと白く変化して動かなくなる。これで完了。

 余談であるが,水産立国境港ということで,当地では地のサカナも多く揚がる。他県の方々はこれをもってさぞかし旨い魚を食わせてくれる店が沢山あるのだろうと推測するが,ちゃんとしたところは多くはない。まずイカは,どんなに地物であっても刺身ではあまりいただけない。店によって多少はあっても要は生臭いのである。
 それほど保管・取扱いが難しい素材ということだ。微塵もイカの生臭さを感じさせない店は、残念ながら意外と少ない。イカの下ごしらえをちゃんとしている店ならば,長くつき合う価値がある。

 まあそんなわけで,イカを調理するときには身肉に触れる水気に細心の配慮が必要となってくる。その水気とは,たとえば手の水気,まな板の水気,包丁の水気,フキンの水気,皿の水気等々。これら水気を十分に管理して極力触れさせないことが肝要だ。
 また加えてイカは,他のサカナ以上に「鮮度が命」であることは言うまでもない。せめて肉が半透明なうちに下処理をおこなわなければ刺身としては失格となる。イカの体は死後もしばらくは細胞が活きているので,この状態であれば,水や雑菌に対する多少の耐久性が残っている。体表面をちょいと撫でたら体色素が明滅する状態。これがあるうちに,すばやく処理して一気に水洗いし,新しいフキンやペーパーで水気をキッチリとり,更に薄皮が固いイカでは絞ったフキンでこれをこすりとる。吸水シートで挟んだら速やかに冷蔵庫に保管し,一両日中に食う。これら作業を,手を冷やしておいて,万事速やかにおこなう。 
 ここまでやって,ようやく初めてマトモな“イカ刺”が食えるのである。高鮮度と神経の行き届いた水気管理処理が両立しなければ,イカの本当の味には到達しない。この摂理に叶う最前線に居る者,それが釣り人である。精進すべきであろう。

【イカ固有の臭味】
 さて,ここまでの「生臭さ」とは別に,前回のスズキ同様,イカも種類によって,「種類特有の臭味」をもっており,また種類ごとに臭味の度合いに差がある。境港の代表イカ6種を掲げて順位をつけてみると,ヤリイカ<ケンサキイカ<スルメイカ<コウイカ<モンコウイカ<アオリイカ,となる。もう一種類,巨大に成長するソデイカがいるが,一般的ではないのでここでは据え置く。
 この順位を見てもわかるとおり,これは体表粘液の多さの順位でもある。従って,へたに取り扱えば,これらの臭気が肉に移りやすい。
たとえばアオリは世間で高級イカとしてもてはやされる傾向にあるが,時々,釣り人の中にもアオリってクサいと思うんですけどと告白する者がいるし,境港のように,新鮮なケンサキやスルメイカを食いつけている者からすれば,やはりアオリやコウイカはクサイ,ということになる。だから境港におけるこれらのイカの値段は驚くほど安い。

 で,諸事情により身肉に臭味が移ってしまった場合,あるいは元来クセが強い種類である場合,それを誤魔化す処理なり料理なりにするのがよい。酒や油や酢,香辛料による臭みのマスキング,あるいは加熱して臭み成分を凝固ないし蒸散させるなど,手法はいろいろある。沖縄でコウイカを生で食べるとき,刺身に切ったのをザルに入れて海水中でジャカジャカ洗う。そうするとおもしろいようにアブクが出てくるので,これがおさまったところで真水で洗って出来上がり。これを甘味を抑えた柑橘系(沖縄ですから“シークァーサ”)の酢味噌で食う。イカに特有の臭味があることを認識した合理的な調理法である。

 おもしろいのは,臭みを消す方法もあれば,他の匂いのあるものと合わせた結果,逆に風味が向上することもある点だ。これはイカに限らず,他のサカナにも当てはまることがある。
たとえばイカの塩辛はどうか。いかに細心の注意を払ったとしても,スルメイカ特有のクセや臭味は出る。が,イカ塩辛の出来・不出来は,その匂いが「臭味」となるか「風味」となるか,この違い,この一線にある。
 また,中華やイタリアンでは,ニンニクや青梗菜やセロリのような香りのキツイ野菜と合わせると臭味が緩和あるいはマスクされてイカの旨味が前面に押し出されてくるし,他の匂いがきついものと合わせるという意味では,後述する「イカ納豆」などは,刺身の延長にある和え物ではあるが,極めて完成度の高いイカ料理と言うべきであろう。
刺身にしても湯引きにしても,イカのクセをわかっている人はワサビでは食わない。ショウガ醤油なのである。

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イカを旨く食うための取扱いの要諦は以下の如し。

● 鮮度を第一とし、保管・輸送にあたっては水または氷に直接当てないこと
● 下処理にあたっては,必ず手を冷やし,手早くおこなうこと
● 処理・保管にあたっては,水気の管理に十分配慮すること。

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2.イカの解体

 さて,適切に持ち帰ったイカを,速やかに下処理しなければならない。
まず,イカのもつ背骨の種類で解体方法・下処理が異なる。
すなわち,
(1) 体の中に柔らかい透明な骨を持つもの(ヤリイカ,ケンサキ,アオリイカ等),
(2) 体の中に固い骨(甲羅)をもつもの(コウイカ,モンコウイカ等),

 なお,料理の下処理として,胴体を切る場合と切らない場合がある。たとえば丸煮や丸焼きはもとより,イカの胴体に飯を詰めて炊き上げるイカめしなどは,胴に包丁を入れず,足と内臓を引き抜いてから洗い,内外の水分をふき取っておく,というように。

(1)柔らかい透明な骨をもつイカの場合
① 手を十分に水で冷やし,イカをスバヤク流水で洗い,足を手前,潮吹き(噴水口)を表にして置く。
② 潮吹きのすぐ上から胴に逆さ包丁を入れはじめ,先端まで切り裂く。このとき深く包丁を入れると,内臓や墨袋を壊してしまうので注意。
③ 胴の身の手前を押さえ,頭・足を持って先端へ向かってめくるように引くと,内臓も一緒にとれる。
④ 胴の身から透明な骨と,胴身に残っている1対の白いエラをはずし,薄皮を固く絞ったフキンでこすり取る。
⑤ 胴の身の外側の皮を,ヒレと共にはぎ取り,薄皮を,同様に固く絞ったフキンでこすり取る(ただし,薄皮取りが必要なのは,主にコウイカ類とスルメイカ。アオリイカとケンサキでは大型の場合のみ。また,ヤリイカでは必要としない。)
⑥ 足・頭・内臓が一体となった部分は,目のすぐ上あたりで2つに切る。上半分の方についている肝臓を利用する場合は上方からはがすように破れないようにこれを取り除き,たっぷりの粗塩にまぶしておく。後でイカスミを利用する場合は,このときに墨袋のみをつまみはずして茶碗に入れ,日本酒を振りかけておく。外観は銀色がかって肝臓にへばりつくようにくっついている細い袋,これが墨袋だ。
⑦ 内臓を支える筋肉(この筋肉は,全てのイカ類において最も柔らかい部分)を他の内臓からはずす。下の方の頭にタテに包丁を入れて開いたら,その切り口から両方の目玉とボール状の筋肉に包まれたクチバシ(カラストンビ)をつかみとる。このとき,目がつぶれると汁が勢いよく飛ぶので注意されたし。
⑧ 開いた頭の軟骨に包まれたクリーム色の脳をほじくりかえしてよく洗い,胴身,内臓筋,ゲソとも全ての水気を拭き取ったら下ごしらえ完了。
(注意!)ただし,柔らかい骨をもつイカの中でも,アオリイカだけは粘液が異常に多いので,頭,内臓筋,ゲソは,別途(2)-④で述べるコウイカのゲソと同等のヌメリ取りが必要となる。

(2)固い甲羅をもつイカ(コウイカ類)の場合。
① 足を手前に,甲羅を上側にして置き,甲羅を覆っている皮の手前の方をつまみ上げ,これを先端に向かって削ぐように包丁を入れる。
② 甲羅が露出するので,これを手前から持ち上げるようにはずす。
③ 胴身の手前を押さえ,足を先端方向にめくるようにして内臓ごとはずす。このとき墨袋を壊さないよう注意。後でイカスミを利用する場合は,墨袋のみをつまみはずして茶碗に入れ,日本酒を振りかけておく。
④ 以下,(1)の甲を持たないイカと同様とするが,足と頭を洗う際,潮吹きの内側と足の間の粘液は特にしつこい。従ってコウイカ類の場合,胴身以外は全てたっぷりの粗塩でもみ,塩もみ後は流水でもみ洗って塩を抜くと同時にヌルミを完全にとる。ゲソの表面がヌルヌルからキュッキュッという感触になったら完了。このあたりの加減は,タコの下処理と同じ。特に,切り開いた潮吹きの内側と口周りの粘液がしつこいので,重点的に洗っておく。

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以上のイカ食の基本を踏まえた上で,これより種類別,料理別に述べてみたい。

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3.種類別にイカを食う

(1)ヤリイカ
 イカの味は直線的で臭味もある,と書いたが,イカの中でも,最も臭味が少なく,かつ味が繊細なのが,このヤリイカだと思う。新鮮な刺身は,身が厚すぎず,甘すぎず,パリッとした食感だが噛めば固くなくメリハリが利いている。すなわち,大味に対する小味,ということだ。ほっそりした,どちらかというと身の薄いイカなので,逆に物足りないと感じる方もおられるかもしれない。だが,味は,“儚い”くらいが丁度いい。
 このイカをイカソーメンやイカ丼などにして大量に食べても飽きないのは,このイカの味わいが全て控えめであるからだ。その点が他のイカ類とは趣が違う。ボリューム感こそないものの,大振りに切っても,細く切っても,それぞれに旨い。そして味が出しゃばらないので気持ちが良い。酢飯とも白飯とも合う。やはり刺身で食うならヤリイカが最上だと思う。
新鮮な身は薄い飴色に透き通り,形はその名の如くスラリと尖り,味・姿共に美しい。更に,メスは晩冬から中春の産卵接岸時には体中に卵を持っているので,丸ごと姿煮や姿焼きにするのは香ばしいコクがあって美味しいものだ。
 他のほとんどのイカ類が持っている触腕(餌を獲るため特別に長い2本の腕)が極端に細く短いため,境港では「テナシ」と言い,九州では,その容姿から「ササイカ」と呼ばれている。テナシのその短く細い10本の足は,他のイカ足にはない旨さと食感がある。足だけ切り集めてショウガ醤油で食うのは,早春らしい潔い味わいがある。富山にはホタルイカの足だけ集めて食う「竜宮そうめん」と称する料理があるが,軍配はテナシに上がる。

(2)ケンサキイカ
 境港ではイカの王様と評す人もいるが,臭味は少ないものの,いささか甘味が強すぎると感じている。イカ類の宿命である旨味の単調さに甘味が加わったとき,食い飽きるのは一層早い。また,イカ丼などにして白ご飯と共に噛み砕くほどに,残念ながらその甘味はくどさを増す。
 九州ではアカイカ,境港ではシロイカと呼ばれ,主に夏場に接岸して獲れる。他のイカ類中,ほどほどの肉厚で,大型のものは「大剣(だいけん)」とも呼ばれる凛々しい風体をもち,小さくても大きくても比較的味が安定しているのがウレシイ。大型になっても柔らかいし,甘味もそのまま。サイズを問わず,いろいろな料理に向く。生も悪くはないが,むしろ刺身以外の加熱料理にしたほうが,食感と味のバランスが良く食べ飽きない。
 火を通しても硬くなりにくく,プツッとした噛み心地とプリンとした口触りが身上。そこで,天ぷら,そして酒蒸し,汁物も良い(イカの汁物については後述)。
 侵略大国スペインの息のかかった諸国で「カラマリ」と注文して唐揚げなどで出てくるのはこの仲間であり,やはり抜きんでた甘味をもち,軽快な食感だ。ちょいと前菜にビールと共にヤルのはなかなかによい。

(3)スルメイカ
 沖合を回遊するイカの中では皮の味にクセが強い。これが調理法によっては転じて風味となる。たとえば干しスルメ,塩辛,里芋との炊き合わせ,イカめし等,これらはスルメイカの皮付きでなければ風味が揃わない。ただし,この皮は,ちょっと鮮度が劣化するだけで特有の苦みを生ずる。これを排除したければ,やはり鮮度が一番。あるいは干しスルメや塩辛には初めから皮を剥いたものを使うか,いさぎよく他の料理に変更するのが賢明だ。とにかく干しイカと塩辛は,船上で作るに勝るものはない。いわゆる“沖干しスルメ”,“沖造り塩辛”というやつだ。鮮度が命ということ。
 身肉の甘味はイカ類の中では中位程度であり,肉質は大型になるほど,また,火を通すほどに固くなる。それではよく煮てしまおうとして煮込むと,こんどは味が抜けてしまう。旨くて安くていろんな料理に使われる大衆的なありがたいイカではあるが,火の通し加減は難しい。
 スルメイカの肝臓は言うまでもなく体に比して最大かつ濃厚佳味であり,その味は塩分と合わせることによって増強される。煮物や炒め物のコク付けで調味料と共に用いるほか,刺身のつけ合わせや塩辛,つまり生食する場合,ガッチリまず粗塩でかためておく。これによって水と共に生臭さが軽減されてコクが残るのである。
 スルメイカのサイズについては,大型になるほどに体に対して身が薄く固くなり,肝臓は逆に大きくなる。新鮮なスルメイカを丸焼きや丸煮にするのは野趣もあり旨いものであるが,この場合,丸ごと食うのであるから,肉と肝臓の質と割合が重要となってくる。その点で言えば,初夏の胴長25㎝前後の細型の,いわゆる“麦イカ”の時期が最高だ。「沖漬け」にすると,その肉と肝臓のバランスの良さがわかる。切り口の白と茶色の配分景色が見事だ。それ以上の大型では肝臓が多すぎて切れば流出して生臭くなるし,かといって,それ以下の小型イカでは肉薄く・肝小さすぎて物足りない。
スルメイカの産卵期は海域別に夏と冬の2回あり,それぞれに日本海を北上しながら成長回遊する。この北上に伴って,小さなイカ釣り漁船も東シナ海から北海道まで,船をねぐらとして港から港へ旅をしていく。このへんの日本海イカワールドについては,名著「日本海のイカ」(足立倫行)に詳しいのでぜひ。境港では本種のことを「シマメ」と呼ぶ。
 境港には九州や北陸から移住して船を持ち家を建てて住んでいる漁師が多いが,彼らはもともとスルメイカと共に北上南下する「旅の人」だった。定住に至った理由はいわく,境港は一年中いろんなイカが釣れる。イカだけで食える。ということらしい。ところで境港には,スルメイカを使った隠れた特産珍味がある。ごく短い期間,ごく少量出回るのであるが,それは「煮干し」。5㎝前後の幼イカを海水で煮てから干したカワイイ外見であるが,その味はガツンと来るので芋焼酎にも負けない。
スルメイカの仲間で,同様に肝が大きいホタルイカがいるが,これは肉に対していささか肝が大きすぎるため,味の品は落ちるのが残念。ごく新鮮なものを茹で上げて酢味噌で食う季節のものだ。

(4)コウイカ
 関東では“スミイカ”と呼び,早春になくてはならない寿司ネタのひとつ。本格の江戸前で「イカの新子」と言えば,まず8㎝内外のものを一尾一貫づけで味わう季節物。プツリと噛み切れ良く,淡い甘味がいかにも春だ。
 東京湾でのコウイカ釣りの人気は根強く,一日8,000円を払って遊漁船に乗り合い,シャコを“スミイカテンヤ”にくくりつけて一日中しゃくって数杯。時にはボーズも。それでも通う“好き者”が江戸には存在するのである。すごい。一方,ご当地境港では,春の産卵接岸時期ともなれば岸壁からヒョイヒョイしゃくって,多ければ20杯なんてこともある。これもオドロキ。
が,いいことばかりではないのが世の中。味の差は歴然としている。江戸のスミイカに比べれば,同種であっても山陰のそれは,固く,甘味が薄い。定着性の強いイカなだけに,住んでいる場所の餌や環境の違いが体に出やすいのであろう。
 というわけで,やはり小さいのがいい。できればコロッケサイズを半身一切れくらいに切って食べるのが最上。大きいものを刺身で食べる場合には,皮をはいだ後に残る堅い薄皮をしっかりとり,斜めに薄くそぎ切りにするのがよい。甘味は少ないが新子とは違うモッチリした味わいだ。
また,短冊に切り,手早く茹でて和え物,特に茹でたワケギと酢味噌での相性はよい。足はゴム質で固いので,お年寄りは要注意。煮込んでも固くなる。湯にさっと通したものを小さめに切って,ラーメンや炒飯の具にしてしまう。

(5)モンコウイカ
 コウイカより大型に育ち,定着性が強い。
 肉はコウイカよりも厚く柔らかいが,旨味も甘味も薄い。味自体が薄くて食感がデレッとしているので生食はつまらない。従って加熱調理とするが,ダシが出ないので汁には向かない。天ぷらやフライ,炒め物の具にするのが妥当。ただし,いずれも大味。
 中国ではこのイカの大型のやつの皮をはぎ,醤油・紹興酒・八角・ショウガ等を混ぜ込んだ調味液に漬け込み,それを煮冷まして吊るし売りしている。更にこれを薫製にもする。いうなればモンゴイカのチャーシューだ。これのスライスしたのは酒肴として悪くない。

(6)アオリイカ
 アオリは独特の臭味をもっている。特に皮と粘液に臭みがある。これが先述の水気管理を怠ると,アッというまに身に移り,「アオリ臭い」ということになるので,いかなる料理においても速やかに皮をはいで手早く洗ってしまうのが肝要。
 また,一定の大きさよりデカくなると,極端に味や食感が低下する。水っぽく,硬い。何をしてもうまいのは胴長20㎝前後までであり,それ以上,ましてやキロを越すようになると,臭味も肉の堅さも増す。
それでも大きなやつを刺身で食いたいのであれば,ごく新鮮なうちに処理し,ごく細く刺身に切ってやれば,まあ食える。
 一般的に春の産卵群は大型主体で大味,秋の回遊群は小型主体で小味。
甘味が強いイカであると巷ではもてはやされるが,これは季節的な変化と調理法次第であって,最も甘味が強くなるのは秋群で,胴長20㎝までの小さなやつの生干しの甘味はケンサキに比肩する。
 ケンサキやヤリイカなどと比べると肉質が固いので,天ぷらよりも高温加熱時間の長いフライに向くが,これも大型では衣とのバランスが悪い。汁物はどうかと言えば,ケンサキなどに比べてダシが出にくいので適さずと言いたいところだが,一部沖縄では「墨汁(“ぼくじゅう”ではなく“すみじる”)」として賞味する。これについては後述。
 そこで,大型に適すのが干し物とそれを用いた炊き込みご飯,そして煮物である。干し物は,大味な大アオリの味をぎゅっと濃縮してくれる。
 煮物は,これがおもしろい。ヤリイカ,スルメイカなどは,煮すぎれば味が抜けていく。また特にスルメイカは,煮るほどに固くなってもいく。が,ダシが出にくいが故に大アオリは煮込んでも味が抜けないので,安心して柔らかくなるまで煮込んでよろしい。
 そういう意味で,干した大アオリを小さく刻み,薄口醤油だけで味を調え炊いたご飯は,しっかりとイカの小片にイカの味が残っており秀逸。これだけは,ほかのイカでやってもイカ自体がダシガラになってしまって旨くない。


4.料理別にイカを食う

 こんどは調理方法を軸にしてそれに合うイカを探してみよう。
イカは単純な味と体構造をもつ素材なだけに,手軽に多様な料理に化けることができる。しかし,本当にイカらしい旨さ,逆に種類によってそれぞれの旨さを引き出せる料理と
なると,おのずから限られてくる。人それぞれ好みもあろうが,ここではそのような観点
から絞り込んで「イカらしいイカ料理」とそれに対応する種類について述べる。

(1)イカ刺
 イカ類中,モンコウイカは,刺身では大味過ぎるので除外する。既に述べたように,イカは鮮度の良いものを用い,水気の管理に細心の注意を払い下処理することが前提となる。
 そして,次に大切なのは,切り方。イカはこれだけで味が違ってくる。
開いたイカをタテに置いたとき,筋肉の繊維はヨコに走っている。だからおつまみの干しスルメも,タテではなくヨコにのみ裂けるのである。特に刺身では,この繊維を断ち切る方向で切ってやることが細胞をより多く切ることとなり,旨味を引き出すカギとなる。
 そこで,とんがったほうを上にしてタテに置いた開きイカを,下の方から“刺身の長さ”を高さにとってヨコに切っていき,それぞれをタテ方向に刺身に切ってゆく。
 刺身を切る幅は,たとえばイカそーめんであれば長さを長めにとり,更に極細に切っていくし,イカの種類や大きさ,身の厚さによっては少し幅広に切ったり,よほど身が厚ければ手前に向かってそぎ切りにすればよい。
 一般的に,身が薄いイカのプッツリサラサラ爽快感を味わいたければ細切りに。身が厚いイカのネットリ感を味わいたければ薄くそぎ切りにする。
 薬味として,やはりイカのクセを考慮すればショウガ醤油,あるいは擦りショウガを入れたソーメンつゆに浸して食うのがいいのであるが,肉厚のコウイカや大型のアオリイカなど,ネットリ食感でアッサリ甘味のイカの場合に限り,ワサビが合うことがある。
 切り方とつけダレについては,あらためて各自検証してみてほしい。

(2)イカの和え物
【イカ納豆】
イカの臭味を別の臭味で相殺し,旨味を合わせて昇華させる。そういう意味で,イカ納豆は大変優れた和え物だと思う。発祥は関東地方だ。関西の納豆嫌いさんにはゴメンナサイ。

① イカはタテにし長さ5~6㎝幅にヨコに切り、更にタテに幅3㎜前後に切る
② 納豆は「ひき割り」を用いる
③ ボウルに芥子醤油を調味し、イカを絡ませる。汁気を多くしすぎぬよう注意。
④ ここに納豆を投入し、全体が白っぽくなるまで激しくかき混ぜる
⑤ 3㎝程度に刻んだカイワレ大根を多めに投じ、ざっと和える。混ぜすぎぬよう注意。
シンプルな料理なので些細なことが味の違いにつながる。特に、和える順序と加減,素材の量的バランスは大切。納豆が少なすぎても多すぎても微妙に変わる。あとはイカの切り方と、納豆はひき割りを使うことが大切で,これはお約束。

 これはイカ類の中でもヤリイカが最高に合う。そして,作りたてもいいけれど、冷蔵庫で保存して翌朝、熱い白ご飯で食べてみてほしい。納豆菌よアリガトウと感謝する味だ。彼らは蛋白質を急速に分解して旨味に変えてくれる。焼き海苔(味付け海苔は不可)でご飯と一緒に包んで食べてもいい。
ちなみに,味わいはちょっと落ちるがケンサキやスルメイカでやっても悪くはない。

【ねぎイカ】
 イカのクセを相殺するもうひとつの素材としてのネギ。風味を補いつつ臭みを隠す。極めて簡易ながら,ビールのつまみにも向くイカの味を堪能できる一品。

① 下処理したイカは5mm程度に細く切ってボウルに入れておく。
② 長ネギの白い部分を小口に刻み,水にさらして十分に水気をきる,いわゆる“洗いネギ”とする。
③ イカに少しずつ塩を加えて混ぜていき,甘みが引き立ったところで止める。
④ ここに洗いネギを加え,サラダ油をちょっとたらし,手早く和える。

 これだけのことです。生イカと長ネギのサラダといったところ。これにレモンをしぼりかけ,更に粗挽きコショウを振りかけてもよい。また,サラダ油をゴマ油に替えてもよい。
ただしひとえに塩加減が命。感覚を総動員して臨む価値あり。自分の舌を信じるべし。塩辛いねと言われたら,次回ご期待。
 なお,この料理が余ったら,そのままサッとフライパンで炒めてやる。炒めすぎてはいけない。焼き肉のタン塩のようであるが,これもいい。

【イカのなめろう】
 料理番組の氾濫により,もはや全国に知れた観のある「なめろう」。これは言わずと知れた千葉県房総半島の漁師料理だ。かつて醤油のない時代から,船上に持参した味噌と共にサカナやイカの切り身を包丁で刻み叩き,飯の菜としたもの。三陸地方では「味噌たたき」という。
 ある程度身の厚い,スルメイカや大型のアオリ,大型のコウイカなどでよい。甘みの強いイカでやると味がくどくなる。イカでやる場合,これに大葉を刻み込むのがミソ。アジのなめろうなどではネギやショウガ,煎りゴマなどを入れるが,イカは大葉だけがいいように思う。
 残ったなめろうは,平たくまとめてフライパンに少量のサラダ油ないしゴマ油で焼くと風味が変わってよい。本来は,浜の流れ板やアワビの殻になめろうを塗り,そこに炭火のオキを数個乗せて,香ばしく焼けたところと生のところの変化を楽しむ料理。これを「サンガ」という。サンガは“山家”を由来とし,元来は山の民が開発した料理であるところが興味深い。それが海辺を生活の基盤とする海女たちの間に広まっていったもの。さて,以下なめろうのつくりかた。

① 皮をむいたイカの身を細切りし,更に細かく包丁で叩き切り,適量の味噌を入れつつ更に叩く。
② 刻んだ大葉を投じ,更に叩き込む。
③ ペッタリしてきたら,出刃包丁を用いて皿に平たく塗りつける。

【イカのぬた】
 肉質が硬めで厚みがあって,甘味が薄いイカもある。が、つまらんばかりではない。芥子酢味噌で食べるいわゆる「ぬた」は,こんなイカのためにある。目立たぬ存在ながら風流味もあり,冷酒にせよ熱燗にせよ,ちょっとあるといい。ありがたい料理だと思う。コウイカの仲間や,大型のアオリイカやスルメイカなど。春夏秋冬,そのときのイカを使っていろんな場面で味わいたい。

① 下処理したイカはタテにし幅4~5㎝にヨコに切り,これをタテに1㎝程度の短冊に切る。
② ゲソは一本ずつ切り離しておく。頭と内臓筋も同大に切っておく。
③ これらを沸騰した薄い塩水に3秒ほどつけ,水に放って冷やし,ペーパーなどで十分に水分を拭き,冷蔵庫に保管しておく。
④ ワケギ,もしくは万能ネギを③で使った湯を沸かして数秒茹でたら水に放ち,水分を切ったらイカと同大に切りそろえておく。
⑤ 味噌を擦り,酢を少しずつ加えて酢加減を決めたら,酢味のカドがとれる程度までミリンもしくは砂糖を少しずつ加えていき,最後に芥子加減を適度に調え,芥子酢味噌とする。
⑥ イカとネギの上から適量をかけてもよいし,共に和えてしまってもよい。また,別小皿に酢味噌を添えて供してもよい。そこは,器と見栄えと味で相談。

(3)イカの塩辛
 肝の入った濃厚スタンダードなイカ塩辛。更にこれに墨が混ぜ込んである「黒造り」,逆に肝を加えない「白造り」,船上で作る「沖造り」などなど,いろいろあるし,それぞれの家庭の味,あの店の味,あの船でつくる味,などなど,実に作り手の加減が現れる保存食であり郷土食である。日本縦断東西南北,沿岸にイカがいる範囲に全て,さまざまなイカ塩辛が存在する。こういうのをグローバルスタンダードと言うのではないか。
 ということだから,ここで書くのは“ウチの味”にとどまる。

【肝入り塩辛】
① 鮮度のよいスルメイカを下処理して皮をはぎ,飽和食塩水で洗ってから水気を拭き,風がある日であれば生乾き程度まで陰干し,風がなければペーパーでくるんで冷蔵庫で冷風乾燥する。
② 肝はガッチリきつめに粗塩をまぶし,脱水して固くなるまで冷蔵庫に入れておく。
③ 生乾きになったイカを長さ5㎝程度の細切り,ヒレとゲソは細かく切り,ボウルに②の肝を絞り出し,合わせてよく混ぜる。ここに日本酒を少量入れ,更によく混ぜる。なお,好みで冬ならば柚の皮,夏であれば唐辛子を少量刻み入れても良い。
④ これを熱湯消毒して冷ました広口ビンに入れて冷蔵庫に保管し,一日1回かき混ぜる。3日目から食べ頃が始まる。そして味に変化を見せつつ長く続く。

 この塩辛の作り方の特徴は,一切追い塩をしないところ。肝臓に徹底的に塩を浸透させ,この塩気とイカ肉のみで味を構成する。また,身を干し,肝を塩によって脱水しているため,コクと甘味が濃厚なまま保たれる。強い純米酒にも焼酎にも負けない,力強い硬派な味に仕上がる。保存もきき,独特な味に変化してゆく。ちょっとした加減で味がちがってくる。それがアナタの味なのである。

【白造り】
 次に,ケンサキやヤリイカ,アオリイカを用いた白い塩辛を紹介しよう。これらのイカの肝はスルメイカの肝のようにこげ茶色ではなく,クリーム色ないし薄い黄土色を呈している。コクはあるが濃厚ではなく,ご飯のおかずというより吟醸酒などの爽やかな酒と合う。

① これらのイカの肝臓は,スルメイカと違って壊れやすく,別個に取り出すことが難しい。そこで,下処理の時,足と一緒に取り出した内臓を流水で洗ったときに,スプーンで肝の中身を削ってボウルにとり,塩できつめに調味し,酒少量を加えて混ぜておく。
②イカの胴身の皮を剥き,飽和食塩水で洗ってから水気を拭き,これを長さ5㎝程度の細切りにする。スルメイカのように干すことはしない。
③ ①と②をよく混ぜ合わせ,冷蔵庫で保管し,一日1回かき混ぜる。

 この塩辛は,塩や風による脱水をしていないため,保存があまりきかない。作って1時間後くらいから食べられるが,スルメイカの塩辛とは逆に,3日程度で食べ切ってしまうのがよい。いわば塩辛の浅漬け短命版,というわけ。

 最近食べて感心したイカの塩辛に,境港の船乗りがつくるサバ入りのイカ塩辛がある。スルメイカで塩辛を作るときに,小さく切った生サバの身を少し混入するのである。特に,島根半島出身の漁師は,サバが入ってないと物足りないとさえ言う。熟成するほどに,なるほど,イカだけの塩辛にはない強烈な旨味が生ずる。飯や茶漬けのオカズとしては普通のイカ塩辛を越えていると思う。ただ,純粋にイカで勝負するかどうかは味覚とスピリットの問題。それぞれに良い。

(4)干しイカ
 イカの干物の代名詞としてスルメがあるが,たしかに,これほど簡易に大量に製造でき,かつ庶民になじんだ保存食は他にない。干しすぎてもガチガチにならないので携行食としても優れている。干しイカには一般的にスルメイカを用いるほか,干しイカ界の高級品として,長崎県五島や対馬ののケンサキを使った「白スルメ」,愛媛県宇和島の中小型アオリイカを使った「干しモイカ」などがあり,共通してスルメイカのそれより柔らかく甘味が強い。対してスルメイカのスルメは独特の野趣があり,噛むほどにスルメイカの風味が香る。いずれも鮮度が最重要であることは言うまでもない。
 一般的に干物をつくるとき,サカナであれば,塩水に浸ける「タテ塩」と,直接塩をまぶす「直(じか)塩」があるが,イカの場合は塩分の吸収速度が速いのでタテ塩でやる。更にタテ塩は,浸けこむ塩分濃度によって処理がちがってくる。簡単に言えば,薄めの塩水(海水程度)に時間をかけて浸ける方法と,極めて濃い塩水に短時間つける方法。サカナをジューシーな干物に仕上げたいときには薄めの塩水に長時間の手法を用いるが,イカの場合は,塩分のみならず水分も吸いやすいので,粗塩で作った飽和食塩水を用いる。
 
① 新鮮なイカを用意し,潮吹き(噴水口)を上に,足を手前に置く。噴水口の上から逆さ包丁で胴を先端まで切り開き,次いで頭から足の正中線を切り開き,内側から内臓および目玉とカラストンビ(クチバシを包んでいる玉状の筋肉)をつまみとる。
② スルメイカであればそのままでいいが,ケンサキとアオリでは皮と共にヒレをはいでおく。胴と頭が離れてしまわないようにそっと骨を抜き取ったら,これ以上水では洗わぬよう。
③ 冷水に粗塩を十分に溶かして飽和食塩水をつくり,これに下処理したイカを夏であれば30秒,冬であれば1分ほど浸ける。
④ すぐに取り出し,真水で手早く洗って表面の塩分を洗い流し,水気を拭く。
⑤ 風のある日陰を選び,イカの外側を下にして干し網に並べて吊るす。
⑥ 干し加減は好みであるが,最も味が引き立つのは,肉にまんべんなく透明感が出た頃合い。保存性を高めたければ,更に足が干からびる程度まで干す。たくさんできたらイカの間にラップを挟み,更に全体をラップで来るんで冷凍しておけばよい。

 ここでひとつ,干したイカでなければダメ,しかもこのイカで作ったやつ,という限定の炊き込みごはんを紹介したい。

【干しアオリの炊き込み飯】
① 十分に干し上げた大型のアオリイカをキッチンバサミで幅5㎜,長さ2㎝ほどに細かく切る。足も同大に切り揃える。
② 米を洗い,ザルに上げ,時々返して水をうつ。これを米粒の全体がまんべんなく白くなるまで繰り返す。米を研ぐときは,粒が割れないように力を入れないことが大切。
③ この米を炊飯器に入れ,薄口醤油で薄い澄まし汁程度に調味した水で,硬めに炊き上がるよう水加減する。
④ 刻んだ干しアオリを加えてひと混ぜしてから炊き上げ,炊き上がったら米粒を壊さぬようザックリと混ぜる。

 既に述べてきたが,アオリは柔らかくなるまで加熱してもそれ自体の味が逃げないままに肉自身は柔らかくなる。他のイカではそうならない。ということなので、炊き込み飯にはアオリである。ぜひ。

 ついでにもうひとつ。スルメイカで作った干しイカを使った浅漬け。こいつはちょっと箸をつけるにはよいものだ。保存もきくので常備菜としても優れている。

【干しスルメとセロリの漬物】
① よく干したスルメイカを軽く焼き,細く裂いておく。
② セロリの茎は斜めに薄切り,葉は刻み,少量の細切り塩昆布と共に裂いたスルメと和え,重石をしておく。
③ 冷蔵庫に保存して翌日から食べられる。


(5)茹でイカ
 身が固くなりにくいヤリイカおよびケンサキイカでこれをやると,純粋にイカの優しい甘味を味わえる。特に産卵接岸した子持ちヤリイカは,早春の季節感あふれる滋味である。ケンサキの小ぶりのヤツを茹でて,プリッと噛み切るのも心地よい。
 薄い塩水を沸かしてその中で茹でるのだが,茹で進むに従って胴と足が離れてしまうことがあるし,内蔵から墨がにじみ出る。そこで,内臓と共に足を抜き,墨袋を取り除いて洗い,足・頭を胴の中に戻して胴のふちを楊枝で止め,5分程度茹でる。
そのままでもいいが,冷めた物を冷蔵庫でよく冷やして食うのも旨い。芥子醤油やゴマ醤油でやると,良いアクセントになる。特にゴマ醤油でやるときに,刻んだ長ネギかシャンツァイと唐辛子を刻み加えておくと,これが意外やイカの味をグッと引き出してくれる。おもしろいものだ。

(6)イカ汁
 イカの汁物,これはあまり知られていない。肝心なことは,ダシが出るイカかどうか。その点,まず濃厚なダシの出る筆頭がケンサキイカ,そして,夏にマッチするアオリイカを使った沖縄のスミ汁を紹介する。

【ケンサキイカの汁物】
 ケンサキから出るダシは相当なものだ。カツオ・昆布ダシなどは,薄めると水っぽくなるものだが,ケンサキのダシはしっかりしている。それほどに旨味が強いということだ。
 基本がダシなのだから,汁物といっても,もちろん和・洋・中といろいろ使える。

(「和」のケンサキ汁)
① 一口大に切ったケンサキの胴とゲソを,粗塩少々を加えて鍋で軽く空煎りし,そこにイカが全てかぶる程度の酒を注ぎ,蓋をして沸騰させる。
② アルコールが飛んだら,これが元ダシとなる。これを水で3倍に薄め,薄口醤油で調味して完成。椀に盛る。

 ケンサキイカは夏のイカ。刻みネギと擦りショウガ少々でさっぱりするのもいいし,刻んだ茹でオクラや刻んだ大葉を散らしてもよい。小松菜を小さく切りそろえて加えて少し煮立たせたのもよい。緑色がよく合う。
 次にイタリアン。イカの入った即席ミネストローネみたいなもの。

(「洋」のケンサキ汁)
① ジャガイモ,ニンジン,ピメントなどをサイコロ状に切りそろえておく。
② 鍋にオリーブ油を多めに暖め,ニンニクのスライスで香りを出す。ニンニクがキツネ色になったらいったん小皿にとっておく。
③ ひと口大に切ったケンサキの胴とゲソを粗塩少々加えて鍋でサッと炒め,次いで①の野菜類を入れて炒める。ジャガイモの表面に熱が通って透明感が出たら,すかさずヒタヒタの酒または白ワインを注ぎ,蓋をする。
④ これに3倍の水を注ぎ,沸いたらトマト数個をすり下ろして加える。
⑤ アクをとりつつ中火で加熱し,ジャガイモに火が通ったら最後に塩で味を調えて完成。

 これは,一回で食べ切らなくても,再加熱して翌日も旨い。ごはんにかけてもよい。夏の食欲を増進する一品なり。
 次はケンサキの中華スープ。

(「中」のケンサキ汁)
① 鍋にゴマ油少々を暖め,長ネギのみじん切りとショウガの千切りを加えて香りを出す。
② ひとくち大に切ったケンサキの胴とゲソを粗塩少々加えて炒め,酒を注ぎ,蓋をする。
③ この元ダシを水で3倍に薄め,塩と醤油少々で味を調える。刻んだ三つ葉を散らし,白髪ネギを吸い口とする。

 ここまで書くと,気づく人は気づく。そう。かつてこのブログで書いた「メバルの塩煮」の応用編とよく似ている。ほぼ同じ。つまり,料理の構成原理はそうは変わらんということです。ただし,イカの場合,サカナと少しやり方を変えてあります。それなりの理由もあります。ひとつ実践しながら考えてみていただきたい。ま,なんでも旨けりゃ十分なのだが。

【スミ汁】
 沖縄の炎天下とイカの「スミ汁」は,なぜかよく合う。イカはコウイカもしくはアオリイカの肉およびスミを用いる。これらのイカは,ダシが出にくいのではなかったか? 
 そこが沖縄。全国一の昆布およびカツオ節の消費地だ。この合わせ技が,夏に効く。
① イカの胴を1㎝幅の長さ5㎝程度に切っておき,ゲソも同大に切りそろえる。
② イカのスミ袋は解体するときに小皿につまみとり,塩と少量の酒をふっておく。
② 鍋でイカをサッと空煎りし,そこに酒を少量注ぎ,アルコールを飛ばす。
③ カツオ・昆布のダシを注ぎ,沸騰させない程度に煮立ててアクをとる。ここに②のスミを加え,粗塩で味を調えたら完成。細ネギのみじん切りをたっぷり浮かす。

 イカスミが加わっただけで,ずいぶん活力的な味わいの料理に化けるものだ。たしかに,栄養学的に見ても,タウリン,グルタミン酸,イノシン酸,アルギン酸など,強豪がバランスよく揃っている。さすが,長寿食の国です。

(7)イカの煮物
 イカの煮物といえば,スルメイカが郷愁を誘う季節定番の味。あのスルメの皮の風味がなくてはなぜか物足りない。
 しかし,柔らかくしっとり炊くにはちょっとコツがある。味をしみさせようと長く炊くほどに,柔らかくはなっても硬く細ってしまうからだ。この問題をクリアするには保温調理が良いが,そうもいかないので,「煮冷まし」によって味をしみこませる。加熱によって細胞をゆるめ,冷却過程で味を吸わせる。全ての味つけは冷めるときに染みこむと知るべし。

【イカと里芋の煮物】
① 里芋は皮をむき,水から入れて沸騰させないよう,箸が通る程度に下煮し,水で一度冷まして表面を洗い,ザルに上げておく。
② スルメイカは,胴を1cm程度に輪切りにし,頭は小口に切り,足は二本ずつ切り分けておく。
③ 厚手の気密性の高い鍋に,酒・醤油・水少量・砂糖少々を濃いめに調味した煮汁をいったん沸騰させてアルコールを飛ばしてから中火とし,ここに下煮した里芋を入れ,再び沸いたところでイカを入れて蓋をする。ミリンはイカや芋を固くするので使わない。
④ 沸騰する手前で火を止め,蓋をしたままガスレンジの上で自然に冷ます。絶対に蓋をとってはいけない。
⑤ 冬であれば,鉢に盛り付けた上に柚子皮の小片をあしらうのが気が利いている。

 このやり方だと,イカが実にふっくらと仕上がり,お年寄りでも食べられる。
煮冷ます時間は1時間程度でよい。最大の課題は,出来上がりを想定して煮汁の濃さを設定すること。これは何回もやってみるのが早い。習うより慣れて,自分の感覚をつかむことだ。煮物と揚げ物が料理修行の中でランクが高い理由がここにある。

【イカめし】
 煮物,と言ってよいかと思うが,「イカ飯」をはずすわけにはいくまい。簡単に言えばイカの胴に米を詰めて煮汁で炊く,これだけの料理なのだが,その味は実に深い。スルメ王国青森および函館の根強い郷土料理だ。用いるのは,スルメイカに限る。少しクセのある皮のダシが,この料理を旨くする。

【イカ飯】
① 米はモチ米とうるち米を半量ずつ合わせ,軽く研いで水に2時間ほど浸け,ザルに上げておく。
② スルメイカは大型のものを用い,ゲソと内臓を抜いて胴の中を洗い水を切っておく。ゲソと頭はみじん切りにしておく。
③ 米とゲソを混ぜ,胴に詰める。このときの詰め加減が大切で,詰めすぎれば膨らんでイカが破れてしまう。胴内部の容量の6分目強,といったところ。米を詰めたら胴の口を楊枝で留める。
④ 酒と水半量ずつ・醤油・・砂糖およびミリン少々を調味して沸かし,アルコールを飛ばす。全体量はイカが完全に没する程度。これが沸いたところに米を詰めたイカを寝かせていき,そのまま弱い中火で1時間,蓋をして弱い沸騰加減で煮上げる。汁が少なくなってきたら蓋をとり,煮汁をイカにかけてやるようにする。
⑤ 煮えたら傷つけないように取り出し,自然に冷まして完成。

 これは,イカが小さくても大きくても万人に向く旨さだ。小さいヤツを丸かじりする旨さ,大きいヤツを厚く輪切りにしてほおばる旨さ,などなど。番茶と相性がよい。

(8)焼きイカ
 皮を剥いたイカの胴身を幅広に切り串を打ち,調味した卵の黄身やウニを塗りながら焼く,などという小細工は,イカの本格料理と呼ぶことはできまい。そのようなことはお高い料亭にでも任せておけばよい。だいたい夜店のイカ焼きが,なぜあのように道行く庶民の魂を揺さぶるのか,あらためて思い起こす必要がある。夜店の冷凍イカ焼きでさえ,匂いだけはあれほどにかぐわしい。鮮度のいいものを使って本当の味さえ出せれば名器に乗せてもおかしくないはず,ではあるが,それでは味が半減するのですね。
 これまで食べた焼きイカで一番旨かったのは,長崎は五島列島で,定置網の網揚げ仕事から上がって味噌汁が炊けるまでの間,獲れたばかりのスルメイカをダルマストーブのホイルの上にポンと乗せ,裏表かえし,焼けたはしからストーブの上に乗せたまま包丁でぶつ切りにし,サッとひとすじ醤油をかけたら,各自,適宜,熱々の切り身を手でつまんで,濃厚な肝をまぶしながら口に運ぶ,噛み下す,茶碗酒を流し入れる,これである。
 ここまでとはいかないが,疑似体験であれば家庭の鉄板やフライパン上でもできる。こればかりは,肝の太いスルメイカでなければいけない。
 一方,もう一種類,焼いてうまいイカにヤリイカがある。ほっそりしたこのイカ,特に子持ちのメスをグリルか炭火でこんがり姿焼きにして,この場合,酢醤油などでサラリと食うのが素敵だ。姿焼きと言っても何もせずに焼くと,火が通るにつれて足と胴が離れてしまうし,墨を含んだ汁がにじみ出て,いささか汚らしい。茹でイカと同様,あらかじめ胴を抜いて洗ってから水気を拭き,墨袋を取り除いてから再び胴の中に戻し,胴の端を楊枝で止めて焼くのがよい。

(9)イカの天ぷら
 既に述べたように,イカの天ぷらは,ケンサキイカにとどめを刺す。モンコウイカなども天ぷらによいと言われるが,実は,天ぷらしかない,なのである。ケンサキのてんぷらは,その味,食感において他のイカの追随を許さない。一口大に切り,上手に揚げ,スバヤク食うべし,以上。

(10)イカの炒め物
 具の取り合わせや味付けはいろいろあるし,よほど間違わなければそこそこ食えるので、あれこれ詳細は省略する。ただ,イカらしさを味わえるのは,やはり塩味ベースに尽きる。調味料をあれこれ複雑にしないこと。
 留意すべき点は,身が薄いイカおよび火を通すと肉が固くなるイカは用いないこと。従って,基本的にヤリイカとアオリイカなどは向かない。皮が固いコウイカ類は,3㎜間隔くらいで格子状に全面に浅く細かく切れ目を入れておき,これを短冊に切って用いるが,切る方向を間違えてはいけない。刺身の項で述べたように,筋繊維に対して直角になる方向で切っておく。
 そして,切ったイカをボウルに少量の塩と酒で軽くもんでおく。これだけで数段柔らかくなるし,下味もつく。塩加減は,触ってなめてみて「気持ちのよい甘味を感じる程度」で良しとする。
 イカの炒め物でいちばんつまらないのは,火を通しすぎること。このへんを考慮して切る大きさを決める。小さく切りすぎると火が通りすぎてしまう。また,従って,フライパンに投入する各具材のタイミングも考えておくといい。
 
 まず欠かせないのは肝炒め。これはスルメイカでなければ味が出ない。全面的に濃厚なイカ味に浸ることができる。

【イカの肝炒め】
① スルメイカは解体の際に肝臓を取り出し,ガッチリ塩をして2時間ほど置く。
② 胴は短冊ないし輪切りとし,ゲソは足2本ずつ切り離し,水気を切っておく。
③ フライパンにごく少量のサラダ油を熱し,イカをサッと炒める。
④ 肝の表面の塩を洗い落として中身を絞り出し,フライパン内のイカに加え,全体に回るように混ぜる。この時点で肝の塩分によって既に味がついているが,足りなければ醤油を少々たらして味を調える。

 そのままでもいいし,山椒や七味を振ってもいい。これは,芋焼酎にも負けはしない味。
コツは,とにかく手早く炒めて固くしないこと。だから肝もあらかじめ脱水しておくのだ。

ついでにもうひとつ,汎用性の高いイカ炒め料理を紹介しておく。

【イカの炒め煮各種】
① フライパンに強火で油を熱し,切ったイカを投入,すかさず刻んだ野菜類を投入,ガサッとひと炒めしたら,酒ないし白ワインを少々注ぎ,蓋をして沸騰を待つ。この間,ずっと強火のまま。
② アルコールがとんだら塩加減し,コショウや山椒粉などで風味付けして出来上がり。

なんとカンタン。
これ,思い出す人は思い出す。アサリの酒蒸しやボンゴレの具,あるいは以前書いたメバルの塩煮,と構成はほぼ同じ。入れるものと順序が少し違うだけ。
となれば,和・洋・中,自由自在,ということですね。いろいろ工夫次第。
もはや,あとは省略!

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たかがイカのつもりで書き始めたのに,ずいぶん字数が増えた。
こうしてみると,イカらしいイカ料理に限定したとはいえ,いろいろあるものだ。

ここではいろいろなイカ料理を紹介したが,その料理をつくるだけで終わるのではなく,ぜひ,その料理の構成要素,原理,感覚を読みとって欲しい。イカは既に述べてきたようにシンプルな素材。であるが故に施す技法が見えやすい。すばらしい練習素材でもあるのだ。

イカ食の世界は広い。深さ以上に広さがある。これがイカの大衆性であり,世界中でまんべんなく求められ,愛されてやまない理由であろう。

でもイカだらけで今回はチトと疲れましたわ。
まだいろいろあるにせよ,もう当分イカについては書くまい。  

Posted by ウエカツ水産 at 13:01Comments(4)魚・釣・料理

2007年05月26日

スズキの臭味

 このところ雨も少なく潮加減もあってか、夕方から夜にかけて濁りがきつい。
 1ヶ月半も釣れ続いた“餌床付き(潮付き)”のメバルも、連日の強い南風に吹かれてイカナゴの群と共にどこかへ消えた。これからは、ほかの餌を求めてそれぞれに回遊、あるいは居残りと分かれていく。彼らが落ち着くまで、ひとまずここらで小休止か。

 昨日は久しぶりの雨が降り、それでも少しは残っとらんかいなと思い、ちょいと行ってみた。ベイトは散漫なシラスの群れに変わり、小アジが散発的に群れ、雨、風、濁り、餌、とくれば、もうセイゴ・スズキの独壇場である。背中を出して餌を追い回すお祭り野郎もいた。これではメバルがいたとしても迷惑顔をするだけである。

 早々に撤収、とした矢先、回収目前で65㎝が掛かってしまった。
残念なことに、スズキはここまで大きくなってしまうと食っても釣ってもつまらない。やはりスズキは、産卵前と後を除いた時期、50㎝前後の、背・腹の凛と張った勇ましいげなヤツなら良いのであって、今回釣れたようなのは本来ならばお帰り願いたいところであったが、傷がついてしまえばやむなし。
というわけで、締めて持ち帰った。

 大きなスズキは、どうやって釣ろうが、どうやって食おうが、引きも食味も鈍重である。全調子に近いメバル竿にライン3ポンドだから獲るまでに時間はかかるが、重量感だけで面白くはないし、身がゆるく大味だ。どちらも総じて“のっそり”している。
 世間では、90㎝のスズキ釣りました!などと釣り雑誌に見ることがあるが、釣ったあと、皆さんはどう対処しておられるのであろうか。

 もうひとつスズキは問題を抱えている。大きくなるほどに、特有の「青臭さ」が強くなるのだ。これは、サカナ全般の、いわゆる“生臭み”とは別の臭さである。
 スズキに近い仲間に淡水のブラックバスがいるが、やはり共通した臭さをもっている。これまた親戚のヒラスズキではそのような臭味は薄いようであるが、もし、あの臭味が淡水と関係があるのであれば(たとえば河川水に入るときの浸透圧調整や防護機能など)、河口産ののヒラスズキを一度食ってみたいところ。

 投げやりに書いているようであるが、けしてスズキそのものを嫌っているわけではない。長崎や神戸では、急流でイワシを追いかける時期を狙って出かけたし、実は、水の清澄良質な湖沼を探しては、食いたくなるとブラックバスを釣りに通った。銀山湖のバスは特に風味がよい。

 しかし、いかなる事情にせよ、あの青臭みをそのままにはできまい。
 そこをどうするか、というお話。

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 十数年前、長崎でブラックバスに手を染め始めた頃、友人が買ってきたBeナントカという物欲促進系アウトドア雑誌に、「ブラックバスを食べてみよう!」という記事が出たことがある。
 その後、ブラックの日本産在来水棲生物に対する食害の問題が取り沙汰され、これはゲームフィッシャーと漁業者、研究・行政を交えての熱い論争にまで発展したが、そのときに水産庁やいくつかの県や漁協が促進PRしたのが「キャッチ&イート」であって、まあ、この雑誌の記事は先駆的であったとも言えよう。

 さて、それによると「皮に臭味があるので、三枚におろして皮を必ずはがし、ムニエルとかフライとかに仕立てれば、食べられますよ」といった内容であったと思う。
 で、早速やってみた。
 実に腰のないサラリとした肉質で、若干の泥臭さを伴う浅い味の単なる洋食であって、あれほど果敢な魚食性のサカナが、これっぱかりのものかとガッカリしたものだ。それ以来、しばらくバス釣りからは遠ざかるのである。

それから数年。
銀山湖に仲間でキャンプに行き、私は素潜りでコイを突き、友人は散ってバス釣りだ。そして夕方、友人は35㎝内外のバスを数尾釣って戻った。

 数尾のコイは、洗いにしてワサビ醤油と酢味噌として、水が良いせいか、すばらしかった。
一方、ブラックはどうしたかというと、今さらフライもムニエルもつまらんということで、ひとつは皮をひいてコイと同様に洗いとし、残り数本を、皮の臭味を知っていた私は、とりあえず基本に則り、臭味をとる意味で粗塩で擦ったのち水洗いし、塩を振り直し、焚き火にかざして焼いてみたのである。

これが、たいしたものであった。

例の雑誌には、皮がクサイからとる、と書いてあって、たしかに嗅いでみれば臭かったし、かといって皮をはいでしまったブラックバスは、味わうに値せぬ味とアタマから信じ込んでいた。
しかしこれを食ったとき、それまでの自分の固定観念と精進のなさを悔やんだことだ。

旨い。 皮が、旨い。 皮と一体となった身が化けている。
数人で、あっというまにむさぼり食ってしまった。

 かつて頼りなかった身肉は、焼けた皮と合わさることによって、やさしい甘味と野性味、そして十分納得のいく旨味を獲得した。
 それからのちである。私が“食える水に棲む”ブラックバスを追いかけ始めたのは。
食えるバスであれば、周囲のバスゲーム屋の冷たい視線をものともせず、活け締めにして持ち帰った。当時はバスゲーム熱が高く、今もいるのかどうか知らないがバスプロなどもいて、こういうことをおおっぴらにやると、けっこう白い目で見られることもあった。しかし、旨さが勝った。

 その後、塩擦りに加え、少量の日本酒を振りかけておく手法を併せることにより、皮の臭味は全く問題にならなくなった。そしてクサイと言われてきた皮は、世に日の目を見ることになったのである。
素材の質としては、スズキとメバルの中間的な扱いができる。
ブラックバス料理は一気に展開した。

既にこのブログでも紹介した塩煮をやった。
千切り野菜をたっぷり使った蒸しものも、和・洋・中とやった。
香草をあれこれ使ったオーブン焼きもやった。
ムニエルも、皮をつけたままでやると別格の味に進化した。
また、夏であれば、トムヤク・クン(エビ)ではなく、トムヤム・プラ(魚)に仕立て、汗を流しながら大勢ですすった。

 それぞれに上等の味であったが、やはり、適切な下処理をしたものに塩を振って、焚き火にかざして焼いて食うのが一番うまいように思う。それと、やはり淡水魚を使う東南アジアの料理はピッタリくる。
 その一連の中で、ブラックバスもスズキと同様、大きく40㎝を越えると旨くないこともわかってきた。大味で泥臭さが出る。ベストサイズは、よく肥えた35㎝前後だ。また、30㎝程度では肉の味が出ない。

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さて、ブラックバスの事例であらかた内容を書いてしまったが、「スズキ臭さをドースルか」、という話であった。

そう。ブラックバスと同様、
ウロコ・内臓、腹腔の背骨について腎臓および血液をとり洗ったら、シッポのほうからたっぷりの粗塩で擦り、流水で洗い流し、日本酒少々を振りかけて一呼吸置いたのち、水気を拭いてペーパーでくるんで冷蔵庫へ。これで下処理完了である。

 ただスズキの場合、ヒレやエラ蓋の棘が強靱であるため、慣れないとケガをすることがある。塩擦りする前に頭を落とし、全てのヒレをキッチンバサミで切り取っておくとよい。
以前、メバルの塩煮のところで少し書いたが、ヒレは雑菌が繁殖しやすい部位でもあるので、保存する場合はなおさらだ。姿を気にする料理でなければ、とってしまうのがよい。

料理法についてはブラックバスの記述から派生すればよいし、白身なので、けっこういろいろ使える。が、少し加えておく。
特に「洗い」については、上述した下処理を必要とせず、速やかに処理する必要があるからだ。

 まず「洗い」にしたい場合、身が硬直前(「身が活かった状態」という)であることが前提となる。硬直中(「締まった状態」という)、もしくは硬直後(「あがった状態」という)では、洗いにする意味がない。

 というのは、洗いという調理法は、そぎ切りにした身が、真水に当たったときにチリッと縮れる状態にあってこそ初めて食感と清涼感が出て、余分な脂分と臭味成分が洗い流されて淡味で旨いのであって、硬直に入った身で同じ事をやっても、水気を吸ってベタッとなるばかりなのだ。
旨い洗いを食いたければ、このことを念頭に置いてほしい。

 家に帰るまでにどうしても硬直してしまったら、そぎ身を浸けた水に日本酒少々をたらすと身が縮れてくれるという裏技はあるが、その味落ちは比べるべくもない。
 そこで、釣り上げてから持ち帰るまでの処置が重要となってくる。洗いをするためには、死後硬直までの時間をできるだけ長くしたいからだ。一般的なサカナの保存・輸送方法とはちょっと違うので、ぜひ憶えておいてはいかがでしょうか。


【 スズキの洗い 】

(1) 釣り上げたスズキは、暴れないように速やかに手カギで脳を壊して即殺し、次いでエラをあけて背骨を断ち切り、海水中で放血する。このとき、体を折り曲げたりしてはいけない。この一連の作業を「活け締め」という。万事を魚体に負担をかけないように配慮する。

(2) 水が澄んだらサカナを取り出し、できれば細いピアノ線を背骨に通っている神経路に通し、神経から筋肉への伝達を断っておくのがよい。
 海水で濡らした新聞紙にくるみ発泡箱に横たえるが、絶対に氷水の中に浸してはいけない。氷は小さいかけらを数個、サカナに直接あてないように入れておけば足りる。箱内の温度にして7度前後。
 短時間であれば、むしろ氷を入れず、そのまま通気良く持ち帰るのがよい。濡れ新聞の蒸散で冷える程度でちょうどよい。

 以上が、死後硬直までの時間を延ばすための処理である。

 もちろん、エアを入れた海水で活かして持って帰れるのならば、それが最高である。
洗いにする代表格でマゴチがあるが、これは発泡に活かして帰っても平べったくおとなしくしているサカナなのでかさばらない。
 スズキの場合は、ちょっとなあ・・・。

(3) 持ち帰ったら、手早くウロコ・内臓・頭をとり掃除し、スバヤク水で洗い、水気を拭く。この時点で既に硬直状態に入っていたら、今回は洗いはあきらめたほうがよい。またの機会もあろう。塩と酒で臭味をとっておこう。

(4) 3枚におろす前に、ボウルに氷水を張っておく。また、盛りつける器を冷蔵庫で冷やしておく。
 中骨をとり、サクにしたら、シッポのほうからそぎ切りにし、順次氷水に落としていく。
 全て落とし終わったら、菜箸で軽くかき回してやると、身が縮れてくる。そこで氷を除いてザルにとり、身をペーパーで包んで軽く叩くように水気を切る。これを冷やした器に盛る。
 実は、洗いの味は、文字通り、“洗い”加減で変わってくる。洗いが不足すれば臭味が残るし縮れが足りない。洗い過ぎれば旨味が逃げる。さて、そこのところですな。

ワサビ醤油、ポン酢、梅肉、ショウガ醤油、いずれでもよい。
よく冷やした純米もしくは吟醸酒が合いますよ~。


スズキを旨く食うときの要諦は、次の如し。

● 場所、時期、サイズ、体型を適切に選択すること。
● 塩と酒を適切に用いて、皮の臭味を除去しておくこと。
● ただし、洗いにする場合は、活け締めし、適切に持ち帰り、帰宅後は速やかに調理すること。
  この場合に限り、塩と酒による下処理は必要ない。


 以上、スズキもちゃんとしてあげればいろいろできる、というわけだ。
 ということで、ウチも今日は久々のスズキ料理である。
 たまにはよい。  

Posted by ウエカツ水産 at 23:43Comments(4)魚・釣・料理

2007年05月24日

もうひとつの「塩煮」

 なかなか更新できず,お恥ずかしい次第です。さて・・・。

 ワタクシは,けして塩煮だけにこだわっているわけでもなく塩煮マニアでもないのです。が,片手落ちで終わらせるわけにもいかない。ということで「もうひとつの塩煮」についてお話しておきます。

 07508「塩煮の世界」で,調理法としての塩煮には大別して2種類あると書いた。ひとつは沖縄の「マース煮」であって,これは直訳すればまさに「塩」煮であり,海水を調味料として用いた料理。 既に,この原型改良型および派生型については紹介した。
 もうひとつは,長崎県を主体に九州圏で主に継承されている郷土料理の「塩煮」であり,これはきつい塩をあてた魚を煮出し,その塩分で野菜類入れた汁物に仕立てる料理で,これは氷や冷蔵庫がない時代の魚の保存法の延長にある。従って,日本海側,太平洋側を問わず,塩魚を用いた汁物は,名前を変えて各地に存在する。
 たとえば三陸から北海道にかけてサバやサンマ,タラやその他の魚に塩をしてを用いた「三平汁」,大坂の船場で日本海の塩サバを用いた「船場汁」,北海道で塩したタラを用いた「じゃっぱ汁」,また,魚ではないが,塩漬けにしたクジラの本皮(表皮と脂肪繊維)を薄切りして用いる「皮汁」もしくは「クジラ汁」なども,古くから沿岸部のみならず山間部にまで浸透している。いずれにせよ,魚と塩が主役の料理なのである。

 日本の魚食文化に浸透している度合いとしては,「塩煮」の方が分布が広く,むしろ沖縄の塩煮(マース煮)の方が沖縄地方に固有の特殊なケースと言えるので,本来は前者を「塩煮」,後者を「マース煮」とはっきり呼び分けるべきかもしれない。ただ,前者であっても「塩煮」という呼称は,九州地方の一部にのみ存在するので,これまたややこしい。

 マース煮と塩煮の違いは,前者が魚自体を味わうことに重点を置いた一種の「煮物」であるのに対し,後者のそれは「汁」に重点を置き,その中で,魚,野菜などを総合的に味わう料理である点だ。目の前にある同じ素材で,2種類を同時につくり比較してみるのもオモシロイ。ほとんど同じ素材でも作業工程によって味のひき出されかた,味の組成がちがうことに気づくはずだ。これらは,調理技術を深めていく上で大変適した教材的料理でもあると思う。

 今回は,私の中の塩煮の原型である,長崎県における塩煮のつくりかたを紹介する。要は,塩の使い方が違うのである。


【長崎県 野母崎半島における塩煮】

 この塩煮は,汁の具材としてジャガイモとタマネギを合わせるところが特徴です。

(1) 魚は何でも良い。また,アラだろうが,骨ごとのブツ切りだろうが,切り身だろうが,差し支えない。ウロコは隅々までよく除き,魚は全て食べやすい大きさに切り,ザッと水洗いして水気を切ったらボウルにぶち込み,天然塩を全体にきつめにまぶしておく。そのまま最低30分寝かせる。あるいは一晩置いてもよい。

(2) 鍋に水を張り,厚めに切ったジャガイモを入れて強火にかける。ジャガイモの分量の目安は適宜。箸で刺してパリッと割れる程度に硬めに火が通ったら,塩しておいた魚を洗わずに投入する。この間,ずっと強火のまま。

(3) 沸騰したらアクをとり始める(吹きこぼれないよう,かつ沸騰が続くよう火加減を調節)。ひたすらアクをとり続け,ダシが半透明に澄んだタイミングでアク取りを終了し,沸騰しない程度に火を落とす。

(4) タマネギ半~1個程度を5㎜程度にクシ切りにし,バラして投入。タマネギの分量の目安は,鍋の表面を概ね覆う程度。タマネギが半透明になったら出来上がり。味が薄いようであれば,薄口醤油などをたらして調整する。

(5) これだけでも十分であるが,風味として刻みネギやおろし生姜を少量加えても佳。

この「塩煮」のポイントは,

● そのままで食べるには塩辛過ぎるほどの分量の塩を魚にあてる。目安としてはシメサバをつくるときに当てるベタ塩の加減とほぼ同等。浸透圧によって臭みは余分な水分と共に滲出し,身を引き締め,同時に魚の調味も兼ねている。
● 和食の教科書にある「潮汁」あるいは「すまし汁」の作り方のように,「魚にお湯をかけて掃除して冷水に放ち洗って云々,」といった細かな作業は一切必要ない。臭みとりから調味まで,全て塩がやってくれる。
● ジャガイモに火を通すとき,強火で一気に沸騰させることにより,でんぷん質がベタつかない仕上がりとなる(ただし,翌日に持ち越すと,でんぷんが糊化するので若干水っぽくなる)。
● 魚を投入してからも引き続き強火のままに沸騰させることにより,すばやく臭みと汚れを除去することができる。親の敵をとるが如く,ここではアクを取るのである。
● 魚を入れてからも,アクとりしている間はずっと強火のままであるが,ダシが澄んだにもかかわらず強火のままにしておくと,延々とアクが出る羽目になる。ダシが澄んだらアクとり終了,沸騰しない程度の弱火に落とす。
● タマネギは煮え進むと甘味成分が強くなり過ぎ,味の再調整が必要となる。従って,スッと半透明になった瞬間,いわゆる“煮えばな”を最良の食べるタイミングとする。
● 味の調整で薄口醤油を加えることもあるが,基本は,出来上がりの味を想定して魚にあてる塩を加減することにある。いわば,味の大枠は,一番最初の作業で決まってしまうと言ってよい。ここが,これまで紹介してきた塩煮(マース煮)とは異なる奥の深さの部分。

 さて皆さん。この料理をつくる過程で,ひとつ試してほしいことがある。

 ジャガイモが煮えたら塩魚を投入し,汁が澄むまでアクをとる,と。この段階で,汁の味をみてやってほしいのです。びっくりするハズ。
 もう,ほぼ,9割以上,この段階で既に味はできているのですよ。ジャガイモからはそんなにダシが出るわけもないので,要は“塩した魚を茹でただけ”の味です。これが塩のチカラなのです。

 (問い)それでは,魚を生のまま茹でて,そこに塩で味をつけたら同じ味になるか?
 
 (答え)→なりません。旨みの薄い,生臭い,塩汁になります。一般的な和食の潮汁は,この,あとから塩を加えるタイプなので,いろいろ下処理がめんどうになりますし、十分に旨みが出ないから酒のほかに昆布や、場合によってはカツオなどのダシを加えるのです。

 更に,タマネギを加えて一呼吸置いて,もういちど味見してみてください。
これにも,タマげます。完成,なのですよ。これで。
 何回かやってみて,魚にこれくらいの塩をしておけば,このくらいの塩加減の汁になるな,というポイントを,自分なりに経験としてつかんでおくことは大切なのですが,実はこのタマネギ,カリウムをたくさん含んでいる。塩の主成分はナトリウムですね。
 カリウムとナトリウムは,細胞の壁を境にして,常にバランスを保とうとしているのです。従って,多少塩辛すぎたとしても,ある程度はタマネギが吸収して味のバランスを保ってくれるのです。
というしくみになっております。 なんとありがたい野菜でありましょうか。

どうです?
極めてラクチンでしょう!
これも,マース煮同様,15分1本勝負であります。

 ジャガやタマを入れなくても,季節の葉物,野菜,なんでも刻んで入れればOKです。根菜類を入れるときには魚の前に。葉物は魚のアクを取り終わってから入れればよろしい。ただ,ジャガタマが,いちばん魚の味を邪魔せずに旨みを出してくれるので、私はこれを基本形としています。

 調味過程でマース煮との違いはどこにあるかといえば,マース煮が,焼いて,酒で煮て,味が浸透しやすくしたところに塩水で味付けするのに対し,塩煮は,あらかじめ魚に塩味をつけておいて水で煮て,その浸みだした旨みで汁や野菜を味付けする,という点。
 また,マース煮が,主に白身の魚に適しているのに対し,この塩煮は,赤身の魚にも適しているのです。もちろん白身でもイケます。青魚でマース煮をすると,やや生臭さが残る。まあ魚料理はなんでも,時間がたつほどに臭みは発生するものですが。

煮物,汁物は,やはり「煮えばな」を食わないと、或いは食べてもらわないと、いけない。
料理はつくるタイミングと同等に,食べるタイミングも重要なのはご周知のとおり。

それをわかってくれる人にこそ食べてもらいたいし,一緒に暮らしたい,というのもありますな!
皆さんのご家庭はどうですかな?

さて,これまで紹介した2つの塩煮についてひと言でまとめると,

マース煮の要諦は,

 「魚の下処理と加える塩水の塩加減,そして火加減」

塩煮の要諦は,

 「最初に魚へあてる塩の加減,そして火加減」


内地の塩煮のほうが,チョイ楽か。
こまかいところは、お手数ですが過去記事をご覧下され。

ま,こんなとこで。  

Posted by ウエカツ水産 at 15:02Comments(4)魚・料理

2007年05月11日

メバル3型と,その味覚

 境港は早くも夏の気配濃厚であるが,メバルが騒がしい。

 ここ1ヶ月以上,相変わらず冷蔵庫のメバル在庫状況に応じていくつかの漁場をのぞきに行っているが,小さいほうでも20㎝前後,ほとんどが25㎝前後で中には尺手前も。1回もスカがない。
 
 そもそもこんなに釣れ続くことは珍しい。潮の中ないし縁辺分にたむろして小魚を狙っているメバルの食い気はすごい。今年は餌生物の種類と出現傾向,蝟集と分散が例年と若干異なるためか,このような索餌形態が多いように感じる。根に付いている連中であれば,大きいのから順に釣っていき,次の群れが入ってくるまでにひと息入るものだが,潮付きは,条件さえ合えば毎日釣ってもおかわりが入って来る。潮に居付けるだけの体力をつけた者から順次加入,といったところだろう。餌の群れが大きいほど,また,その群れをまとめる潮目や湧昇流が長く横たわるほど,より広範囲からメバルを集めてくれる理屈だ。風向きや潮によってスポットまでの距離や方向,メバルの深度等は日並みで変わるものの,必ずどこかに居る,というのが現在の状況だ。はてさていつまで続く事やら,経過に観察を要す。
 ということなので,沢山釣ってもきりがない。独りで行くときには3尾釣ったらさっさと帰ることにした。オカズさえ獲れればあとはそっとしておく。

 ところで,最近学会でも常識となりつつあるメバルの3型(赤・黒(青)・茶)であるが,私がかかわっている場所でも時期的に型の組成に変化が見られてオモシロイ。現在に続く荒食いが始まったのが4月上旬で,その時は例年になく25㎝級の大きな赤が2割,居残りらしきソコソコの茶が8割といった構成だった。この頃はヘチのワカメ林の中から良型が目の前で飛び出すような見釣りが続いていたが,下旬に入り,赤はどこかへ去り(おそらく磯場に繁茂するガラモ場に),茶はここを離れて沖目の餌床に付くようになった。しばらくは夜にはヘチに戻ってくる部隊もいたようだが,4月下旬に入り,いわゆる青が混じるようになると,ヘチをねぐらとする部隊は極端に減り,沖目に散開,餌などの条件によっては集束する。胃内容物も,エビ等甲殻類から小魚に変わった。これが更に進むと,例年並みであれば,夏には青の中~大判が暴れまくり,周辺で小~中の茶とチビ赤が混じり合って遊ぶのであるが,今年はどうなるか。

 さて,これらの変化に呼応して,それぞれの型ごとの体型や脂の乗り,肉質なども当然変化していく。このへんが,大変味わい深い。
とうわけで前置きが長くなったが,今回はメバルの3型とその味の考察。

 メバルを釣っておられる皆さんも,どうも色カタチで味が違うようだとお気づきの方が多いと思う。そこでこんな表をまとめてみた。メバルの3型の出現時期,サイズ,および調理方法でみた食味評価である。ここ2年間の海の急激な変化によって少々傾向が変わってきている要すだが,だいたいこんなところだと感じている。メバルは概ね20㎝を境に肉質が変わるので,分けて記載した。
 なお,食味で×をつけては魚に申しわけないので「△」にとどめおいた。また,来遊状況についてはあくまでも境港港湾エリアが主体であることをおことわりしておく。




 この表に加え,各型の形態(プロポーション)および時期的な釣れ方の変化などを勘案し,味覚的視点からみたメバルの分類型の特徴をまとめると,およそ次のよう。

【赤】
 港湾付近への滞留期間が短く,かつ小型が主体。港湾部へはワカメ林などの海藻類を拠り所として来遊するので,これが消滅すれば,よそへ向かう。他の2型に比して味が繊細で身が薄く,刺身や焼き魚では十分に味わえない。10㎝前後の小型個体は春に雨後の竹の子の如くわき出すので「竹の子メバル」と呼ばれるが,この時期は味がたよりない(標準和名のタケノコメバルは,最近,ベッコウゾイと呼ばれている)。
 晩春の一時期,シラスを食い始めるエリアの20㎝前後のものは,煮魚にして佳味。濃い口醤油や砂糖を用いた田舎煮でも悪くはないが,3型中最もしっとり繊細な肉質であるため,昆布ダシに薄口醤油および少量の酒・ミリンを吸い物程度に調味した下地で静かに煮る「沢煮」が適す。また,3型中最も臭みが薄いので,沢煮を冷たく冷やして下地と共に味わう“冷製”も品がよい。
 いずれにせよ,最適サイズの20㎝前後は,市場には揚がるものの,境港の港湾メバル釣り師には,ちょいと縁が薄い。

【黒(青)】
 他の2型に比して,体高に対して体長が長く尾びれが大きいため,相対的に体の後半が痩せているように見える。これは,高速回遊して小魚を追い回す生態に適している。身の厚みは他の2型の中間くらいだが筋肉質。
 晩春,ワカメ林が枯れ始める頃から接岸が始まり,次第に個体数を増す。餌が沖目にないときには構造物にも定着するが,他の2型ほど執着せず,夏のある時期が過ぎると一斉にいなくなる。
 春の小型のものは問題ないが,夏が近づき大型が釣れだすと,これが悩ましい。磯臭さこそないものの皮が固く,煮てもブリンと反り返りゴム質,焼けば身との相性が悪い。脂が乗ってもこの傾向は変わらない。身肉のほうも,3型中最も硬く,加熱してもしっとりせずにバラバラだ。焼いても煮てもこの傾向は変わらない。
 ではどうするかと言えば,刺身に限る。皮をつけたまま湯シモとし,氷水にとったのを削ぎ切りにしてワサビ醤油でもよいし,肉を薄く削ぎ,湯引いて千切りにした皮と共にポン酢で食べるのもよい。夏の風情だ。皮の薄い茶メバルでは,湯引けば皮がはがれてしまうし歯ごたえに欠ける。
 また,青メバルは肉が硬いだけあって3型中最も日持ちが良く,3枚におろしてペーパーとラップにくるんでおけば,1週間でも身がしっかりしたままである。従って,尺前後の青メバルが1枚あれば,数日間にわたって夕暮れの晩酌オカズに困らない。

【茶】
 他の2型,特に青は専ら索餌目的で港湾に回遊するのに対し、茶メバルの集中的な接岸は産卵が主な動機のようである。晩秋から本格的な来遊が始まり,産卵を経て分散する。3型中で最も環境適応能力が優れており,春の頃は海中林で赤メバルと,初夏には沖目で青メバルとの混在も多く見られる。例年の傾向として,成熟個体の接岸,産卵,回復,小型個体の成長,分散,をサイクルとしているが,変則的に大型個体が構造物を拠り所として長期にわたって居残る場合も散見する。
 3型中,味覚上,また調理法上,最もバランスが良く,かつ汎用性が高いのがこの型だと思う。刺身ならば冬場に身が締まり脂が乗り,厚めに削ぎ切った飴色の身にははプツッとした気持ちのよい食感と穏やかな甘味がある。この意味において刺身に適すはせいぜい20㎝チョイまでで,25㎝を越えると刺身の小味は消える。そうなれば焼くか煮るのがよいが,焼いて旨いのは25㎝前後までである。いわゆる尺手前や尺上は大味になるので,若干旨みを加えてやる必要があるため,煮,或いは蒸すのが適している。煮・焼きの旬は,冬の生殖巣が未熟の時期と,晩春の回復後の2回訪れる。

 本種はホントにありがたい。ほぼ周年獲れる上に近場で釣れる数も多い。時期ごとに,旨いサイズが変わり,ちゃんと適した調理法が存在する。尺に近づいても,青メバルほど味が荒れるわけでもなく,皮も硬くならず,しっとりした肉質と,しっかりした皮の味に一体感がある。

 それに・・・。ここでは刺身・焼き・煮と代表的な調理法のみを挙げてきたが,実はこの茶メバルには,どうしても欠かせない,季節限定の料理があるのだ。それは「天ぷら」だ。

なーんだと言う事なかれ。
ちょうど山にコゴミ,タラの芽,ウドなどが出てくるころ,この時だけレギュレーションを18㎝から2㎝ほど下げる。スマンスマンとつぶやきつつ下げる。これを,そこそこ数を釣り,面倒でも3枚におろし,腹骨をすき,皮をひいておく。中骨はとらなくてよい。皮をつけたままでもそれはそれで香ばしくはあるのだが,この時ばかりは雑味なく味わいたいので皮はとる。

 まずきれいなサラダ油で山菜類をスバヤク揚げたのち,その鍋にごく少量のゴマ油をたらし,それでカラリとメバルを揚げる。片身で1枚。少々強火でカリン,と揚げる。
 単なる白身ではない。きめ細かくキューッと歯にまとわりつくようで,噛めばじんわりと甘味,その味を懸命に追いかけようとする刹那ののち,サラリと解けてノドに消え落ちてゆく。もどかしくて次の一切れに箸をのばしてしまう。単なる淡泊に非ず,ただならぬ淡味である。淡味なれど滋味である。引き際が絶妙で,知らずして引きずり込まれる味だ。
 この味わいは中~大のサイズでは,まず出ない。大判を切り身にして揚げても同じ味にはならない。要は小サイズの茶メバル特有の肉質なのだ。

 私にとっての春告げ魚は,これに尽きる。この短い期間だけ,毎年これを数回ヤル。メバルだけ揚げても雰囲気が出ないし,かといって他の野菜と揚げてもピンとこない。山菜と若メバル。春の天恵である。

 **************************************

 こうして書き綴り振り返ると,メバルの3型は,実に上手に棲み分けしており,時期・サイズで空間の共有と分離をおこなっている。そして,これに伴い食味の上でも交代があり,常にいずれかの型が何らかの調理法で賞味に値するしくみとなっている。天の采配とはこのことだ。
 
 釣れる魚のサイズのことを言えば,釣りの指向性にもいろいろある中,私は完全に味覚第一,かつオカズ確実確保,必要十分量漁獲,といったスタイルである。その時期に応じて一番旨い種類とサイズが適度に釣れてくれればよい。それを選んで釣ろうとするから,それはそれでアレコレ頭を悩ます。

 こんなだから,時折,意に反して季節はずれの青の尺物などが釣れると,当惑する。釣れたぜと自慢はするけれど・・・。
 茶メバルであっても大きすぎるのは考えものだ。今期釣れた茶の32㎝は煮て食ったのだが,やはり大味であった。この場合,「煮付けがいい」のではなく,「煮付けが妥当」なのである。いくら茶メバルとはいえ,煮て本当に旨いのは尺以下だ。特に25~28㎝あたり。

 昨年は年末にかけて,尺前後が結構続いた時期があった。オカズ優先なのでほかになければ持ち帰り食べるが,大きいのが釣れて,釣り人としてはウレシイ心理もある反面,実はいささか複雑な心境である。おのずから,そのような時期のそのような場所では,あまり釣らないようになる。メバルは尺越えまで10年以上かかるといった事実もあるが,やはり最高に旨く食べようと思えばこそだ。今日もこの時期,せっせと中判を追っかけている。

 少しずつ,青が混じり始めた。夏になって,この大判を数枚釣ったら,晩秋までお休みだ。  

Posted by ウエカツ水産 at 18:04Comments(8)魚・釣・料理

2007年05月08日

続・塩煮の世界

 塩煮が簡易かつ滋味なる料理法である点,前回述べた次第。
 そしてシンプルなものほど使い手に応じて様々に応用が利く。その点,料理も釣り道具もすべからく同じと思う。

過日,メバルの塩煮道にはまり込んでおられるイカロック氏の前に,次なる課題出現。それは“塩煮にもいろいろバリエーションがある”ということ。

 世界の主たる料理を和・洋・中とおおまかに分類したとき,用いる素材の種類でみると,意外と似たようなものを使っていることに気づく。では何が違うのかと言えば,素材から出る旨み成分が共通であるとすれば,あとは素材の組み合わせ,中でも素材の味を補うために用いる主たる調味料,それから“香味”と“油脂の風味”の違いが最も大きいと思われる。これがひとつのカギとなる。

 塩煮はその名のとおり塩水,それと少量の酒によって魚の旨みを引き出したもので,それ以外の風味は長ネギとサラダ油であり,これら調味料は魚の味を損なわず,かつ過不足のない役割を果たしてくれる。これを「和」,とするならば,洋や中との関係はどうなるのか,塩煮が化けるとはどういうことなのか、というのが今回のお題。理屈はこれくらいにして実践です。

●「洋」の塩煮
(1) 魚の下処理は塩煮に準ず。万事これを怠ってはいけない。
(2) フライパンにオリーブ油を若干多めに入れ,火を入れる前に厚めにスライスしたニンニク数片および種を抜いた唐辛子1本を投じ,弱火で加熱。辛味は唐辛子を熱する時間で調節する(油の味見も大切)。ニンニクは両面きつね色になったら小皿に取り出しておく。
(3) 火を中火に上げメバルの表・裏の順に焼き目をつける点も塩煮に準ず。表を焼き終わった時点 で,黄パプリカ,ピーマン等をメバルの周囲で炒め始める。
(4) メバルの両面を焼き終えたら,強火にして酒を投入し,蓋。アルコールが飛んだら蓋をとり塩煮と同濃度の塩水を注ぎ,粗挽きコショウを少々。ここでとり置いたニンニクスライスを戻す。
(5) 再度沸いたところで,トマト適量個数を“粗くすり下ろして”加える。竹製の「鬼おろし」があれば用いて最良。沸いたらアクをとる。
(6) 煮加減も塩煮に準ず。最後にセロリの葉,もしくは三つ葉を刻んだものを振りかけ,なじんだら火を止める。スープを飲みつつ食べるのがいいので,スプーンを添えることをお忘れなく。


 さて,以上を見れば,あれあれ!いわゆるイタリーの“アクア・パッツァ”ではないか,と思い当たる方がおられて当然と思う。そこはそれ,本品はあくまでも“和”たる塩煮から派生したものであるから,味のスジは同じでも風味が少々異なる。パンだけではなく白いご飯にも合う。これは,食べていただければわかること。

 アクア~も家庭料理なので,作り方もいろいろであるが,ここでご紹介したスタイルの特徴は,旨みはそのままに風味が爽やかであること。本場モノも大変おいしいが,いささか重たい。逆に,アチラ慣れした方には物足りないということもあろうが、当家の要点は以下の如し。

①ニンニクは途中で取り出し後で再度戻すことにより,香味と香ばしさのみ用いることができる。
②使用する酒はワインではなく日本酒を用いることにより,酒の酸味を控える。
③甘味の強いプチトマトやドライトマト,或いはトマトピューレなどは用いず,大型トマトを生ですり下ろ して加える。
③香辛料として通常用いるバジルやオレガノ等は入れず,香味はニンニク・黒コショウとセロリないし  三つ葉程度とする。




では次に,中国大陸に赴きますか。

●「中」の塩煮
(1) 魚の下処理は塩煮に準ず。ゆめゆめこれを怠ってはいけない。
(2) フライパンにゴマ油を入れ,皮付きショウガのスライス数片を投じ,弱火に点火。香りが立ったところで長ネギの青い方から半分をみじんに切ったものを投入し,軽く炒める。
(3) 長ネギの香りが立ったところで,火を中火にしてメバルを入れ,表・裏と焼き目をつける。そして酒入れて蓋。アルコールが飛んだら塩水を加え,煮加減を料る。この一連の工程,全て塩煮に準ずる。
(4) 煮上がり直前にゴマ油ごく少量をメバルに直接たらし,火を止める。
(5) 残った長ネギの白い方を5㎝ほどに切りそろえ,芯を抜いてタテに極細に刻んで,水にさらして水気を切る。いわゆる白髪ネギ。そして,ショウガの皮を剥き,針に刻んで水にさらして水気を切る。いわゆる針ショウガ。これを,器に移した魚の上に,ネギたっぷり,ショウガ適量,の順に盛りつける。これは,ネギとショウガを熱いスープの中に崩し入れ,ほぐした身と共に浸しながら食うのがスバラシイ。



 さて,以上を読めば,アレね!いわゆるチャイナの“清蒸(チンジャオ)”??,半疑問系でおっしゃられても,この場合は,いいえ全く違いマスとお答えするしかない。ご覧のとおり蒸していない。
 第一,恐れ多くも中国大陸最強の魚料理であるチンジャオは,本格の料理店であれば,これ専門の達人が一日中それのみの任に徹し,魚のサイズ・質,調味,蒸し加減に至るまで,全神経を針のようにして蒸し上げるという、たいした料理なのである。そこでまたまた当家としては,「本品はあくまでも塩煮から派生したものでありますから云々,」などと述べるのみ。

 しかし,食べてもらえばわかるが,なかなかいい線をイッテるのである。かの蒸し魚料理のように神経をとがらかすことなく,極めて短時間で,別の、近い味を味わえる,というのは言い過ぎか。風味の要件は満たしている。試しに,かの料理に専ら用いるデカ口の魚=ハタ類,マハタ(ホンカナ)やアオハタ(キカナ),キジハタ(アカミズ)なんかで作ってみると,これがイケルのである。

→ ただし,決定的なことが・・・
 ● フライパンに入れて蓋できないサイズの魚は無理。かといってちょん切るのは惜しい。
 ● 魚が大きいと,直火では火の通りにムラが生ずる。


・・・ですから,小さいキジハタなど釣れた時には,お手軽に,ぜひ。


 総じて,洋や中から和には化けにくい。が,和から洋や中テイストへの移行は,その構成要素さえ押さえれば比較的容易である。これは和の世界がに素材の持ち味を優先していることの証であろうと思う。従って,たとえば「韓」はどうか(ゴマ油,大葉・ニンニク・辛・味噌など),「タイ」はどうか(サラダ油,甘・辛・酸+香味),というように,世界の料理と芋ヅル式に広がっていける。どこを旅してもいろいろできる。構成要素とそれらの加減。順序とタイミング。これだけでもいろいろできる。最初は似て非なるものであっても,研鑽すればしただけ独自のホンモノとなる。

 もっとも,最近の創作料理なんてのにマトモなものに出会ったためしがない。趣味の延長で、古今東西の味の系譜を逸脱した独善的ママゴトのように見える。プロというからには基礎と基本は一度はちゃんとカラダに憶えさせないといけない。草書の前には楷書の練習が必要ではないか。なんてのは余談。

まあ,だまされたと思って、塩煮と真剣に遊んでみてはいかがでしょうか。
おもしろくて旨いですよ!  

Posted by ウエカツ水産 at 18:03Comments(7)魚・料理

2007年05月08日

塩煮の世界

ようやくノロノロと始動。
のっけから食う話で恐縮です。

この借家を建ててくだすったイカロックさん,最近,塩煮に熱く傾倒しておられるようで。
たしかに,それほど簡易でかつしみじみと旨い料理だと思う。簡易ゆえに各人ごとの味があり,また,安定した味になるには経験を要す奥深さがある。

今回はこの料理の背景を含め,いちどおさらいをしておこうと思う。この内容は,片親である釣り天狗さんの掲示板に以前投稿した内容の増補版である点,あしからず。

日本における「塩煮」は、大別して2つ。

Ⅰ. 沖縄郷土料理である「マース煮」(マースとは塩のこと)→これは元来、獲りたての魚を海水で煮た浜料理が原型。

Ⅱ. 長崎・熊本を中心とした九州地方の郷土料理である「塩煮」→これは、あらかじめきつく塩をして寝かせておいた魚の旨みと塩気を活かした吸い物。ジャガイモやタマネギを入れることが多い。かつて保存目的で塩をした魚を使ったのが原型。同様な手法は、塩サバの塩気で大根を煮た「船場汁」、北方で塩したタラを用いた「じゃっぱ汁」、或いは三陸の「三平汁」などに散見される。

このうち,ご紹介するのは、Ⅰ.をより内地の口に合うようにアレンジしたものです。では勘所を一手。Ⅱ.についてはまた後日。

①メバルの鱗、鰓、内臓をとり、内外の水気を拭いておく。
このとき、以下に注意するとよろしい。これによって、生臭さを低減し、強火で煮立てたときの身崩れを防ぎます。
●鱗は細かいところまでとること
●鰓をとるときに、胸とアゴのつながりを切らないこと(煮たときの首折れを防ぐ)
●内臓をとるときは、腹の真ん中から切らず、体側の右側にかくし包丁を入れ、そこから取り出すこと (腹身の崩れを防ぐ)。
●腹の中の背骨沿いに固着している血液および腎臓は歯ブラシで取り除いておくこと。
●身に入れる切れ目は骨に到達する程度に、長く斜めに1本のみとすること(バッテンに入れると身が 崩れる)
●一日以上冷蔵庫に保存する場合は、全てのヒレをハサミで切り取り,基地員ペーパーとラップで包 んでおく(ヒレは雑菌が多いので臭みの原因となる)

②長ネギは3~5㎝ほどに切っておく(切る長さによって味わいが変化するところがオモシロイ)

③ボウルの水に粗塩を溶き、濃いすまし汁程度の塩水に加減する。

④フライパンにサラダ油をひき中火で熱し、まず先にメバルの左側(盛りつけた時に表になる側)を下にして焼き目をつけたら、ひっくり返して右側を同様に。同時に長ネギにも焼き目をつける(→左側を焼き終わったあたりから長ネギを入れ、箸で返し焼き目をつけながら右側を焼くと丁度よい。要は、メバルの裏・表・長ネギの焼き目が、同時に仕上がるよう、入れるタイミングを調節するのです)。

⑤軽く焼き目がついたら、強火にし、コップ半分~1杯くらいの日本酒を注ぎ、すかさず蓋をする。
( 注意!→酒が沸騰しているときにいきなり蓋をとると,アルコールに引火します。そこで,アルコールが飛んだ加減を見るときには,蓋を一瞬少しだけ持ち上げてスバヤク蓋を戻すときに出るわずかな湯気を嗅いで,酒臭さが飛んだら良しとする。)

⑥アルコールが飛んで,メバルのシッポあたりの肉が反り返ったら蓋をあけ、作り置いた塩水をメバルの高さヒタヒタまで注ぐ。甘めがお好きな方は,煮立ったらミリンをごく少々。

⑦メバルの切れ目を入れたところの身が反って骨から浮いたら火を切ってひと呼吸置き完成。以上、必殺15分勝負です。

この料理はショウガなどを使わないので純粋な魚の味を感じますが、では、何によって臭みをとっているのか ↓。

血液および水分に臭み成分は溶けていますので、背骨の血合いをこすり落とす。調理前に水気を拭いておく。焼き目の香ばしさで臭みをマスクし、そして、強火にした後に酒を一気に注ぎ、旨みを込めると共にアルコール分で臭み成分を分解。塩水を注いで身を引き締め、終始強火でスバヤク炊き上げることによって煮くずれを回避する。

すなわち、①水、②塩、③酒、④熱、の要素をいかにタイミング良くコントロールするか、ということなのであります。
いずれにせよ,“考えながら”,“場数を踏む”ということでしょう。釣りも同じですねえ。

 さて,この塩煮。メバル以外ではどんな魚に適するのであろうか。ぜひいろいろ試していただきたい。けして白身魚がいいといった単純な事ではない。魚の種類はもとより,サイズによっても味わいが違います。たとえばこれからの季節,イサキ,とか~,アジ,とか~,いいようですよ! タイは?(タイは意外に合わないんだな,これが)。加熱すると身がしっとりするヤツがいい。  

Posted by ウエカツ水産 at 11:22Comments(0)魚・料理

2007年04月26日

まずは、ごあいさつ

どこかよその世界にあって遠目で眺めていたネットの世界に、こうして自ら何かを書き記す、というのは不思議な感じがする。滅多に着ない、糊が利いたおろしたてのシャツを着たときの違和感に似ている。

でもせっかくこのような場を作っていただいたのだから、水・魚・食・人の全てに関わる水産、そしてその一部であり日課となっている釣りなどについて、大切にしたいこと、考えたことなど、断片的に伝えていこうと思う。これまで40年間サカナ一筋できたのだから、何か少しは世間のお役に立てることがあるかもしれない。

はからずもこのような仕儀となったのは、松江の好釣師:「釣り天狗」及び「イカロック」兄弟が全てをお膳立てしてくれて、かつ彼らのホームに私の居場所を作ってくれたことにある。言うなれば、長屋の一間を借りて寺子屋開く素浪人のようなものだ。しかも家賃はタダ、だそうである。こんなことが現代にあることさえも、これまで想像の外であった。

大家さん、ありがとうございます。
まずはご挨拶および御礼まで

間借り人 ウエカツ拝』

  

Posted by ウエカツ水産 at 10:50Comments(2)